301話:プロローグ
島根県は出雲市、出雲大社を中心とした神殺しの神による神たちの抹殺およびその余波による凶星の誘導で世界ごと自身をも滅ぼすという異界の神アングルトォスの野望を打ち砕いた煉夜たち。その波乱の修学旅行から既に1週間の時間が経過しようとしていた。
6月も半ばに差し掛かろうという時期で、「修学旅行中にどこに行っていたのか」という質問責めも落ち着いて、ようやくいつもの雰囲気に戻ろうとしていた教室だが、今日は1人の来客により、その空気がざわついていた。
その人物は、迷いなく教室のドアを開けて入ってきて、煉夜の横の席に座る。明らかにクラスメイトではない何者かが侵入してきたのだが、その姿を見た姫毬がまず噴き出した。明らかに動揺して、声を出さないようにうつむきながら肩を震わせている。
「いよいよ今週末ね」
などと人目もはばからず、さも当然であるかのように話しかけてきた。それに対して、接近していることは気づいていたが、あえて気にしないようにとしていたのだが、こうも話しかけられては仕方がないのであきらめた。クラスメイトたちは部外者でありながら堂々としている信姫を遠巻きに眺めているだけなので、軽く話す分には会話まで聞こえないであろう。
「今週末というと『見確めの儀』のことか、信姫」
制服を着て、わざわざ教室に潜り込んできた高校を卒業した年齢の女性に対して、あえてその部分には触れずに答えた。
「そうよ。一応、ワタシも参加しなきゃならないからね。ていうか、ワタシ『召喚の儀』には参加してないんだけどいいのかしら」
京都司中八家には「見確めの儀」と呼ばれる次代の陰陽師たちの修行の成果を発表しあう場が用意されている。これは、近代陰陽術の祖たる稲荷一休が提唱したものであり、衰退していく陰陽術の発展のために技術共有の意味も込めて行われるものである。ただ、秘匿する技術などもあるので、トーナメント制で、かつ、完全に順位を決めて、上位の家が下位の家に1つ要求できる権利を得られるという条件で行われるものだ。
本来は「召喚の儀」とワンセットになっており、「召喚の儀」からの成長を見るという意味合いもある。
「いいんじゃないのか、お前には『楯無』があるんだし、召喚の必要もなかっただろう」
式神召喚は陰陽術の基礎として行われるもので、それが失伝していた家などもあったので、稲荷一休が一定のフォーマットで共有して行えるようにしたのが「召喚の儀」の始まり。
だが、武田家では、代々「楯無」という召喚式が用意されていた。もちろん、各家に伝わる式神というものは存在している。雪白家にも「舞」や「神楽」の名前に由来する複数の式がある。分家に伝わっている「雅」、「舞」、「曲」もそれぞれ「雅楽」、「舞楽」、「曲舞」に由来するものである。
なので、実は煉夜たちは「召喚の儀」に参加しなくてもよかったのだが、家に伝わる式と自身で契約した式では、違いも出てくる。そういったことも含めて、煉夜や水姫も「召喚の儀」で式神と契約を果たしたのだ。
「そりゃそうだけど」
そもそも「召喚の儀」の後に加入した武田家は「召喚の儀」に参加しようがない。この場合は特例であろう。
「でも、『見確めの儀』は外部の人も見に来るんでしょう。あまり『召喚の儀』に参加していない人がいるのはどうなのかと思うのよね」
この「外部の人」というのは「司中八家外」という意味であり、本当の意味での外部の人間ではない。いわば、「司中八家」のスポンサーのような役割を持つ企業や家の人間たちである。当然この中には、「初芝重工」も含まれているし、既に小柴から「火邑ちゃん、お兄さん、今回は父の代理で参加しますから」と伝えられている。
例年は「初芝重工」、「五十七間堂」、「島鳴蔵家」などが参加しているが、今年は「島鳴蔵家」の不参加が決まっているので、外部からの見学者も少し変わるのではないかという話が司中八家では挙がっていた。
「そもそも『召喚の儀』なんて外部の人間はいなかったからな」
外部の人を呼ぶのは、稲荷一休が提唱した三儀式の中では「見確めの儀」だけである。「召喚の儀」は、今回行われたものが神獣と人型が出るという異例なものであっただけで、例年はもっと動物型ばかりで、本当に初心者の契約のための場というような扱いである。だから、人を呼んだところでそこまで大きな意味はない。
「そうはいっても武田家は外様だから、京都関係の外部者とはほとんど関わりがないし、疎外感半端ないったらありゃしないわよ」
しかしながら、煉夜とて、初芝重工の小柴とは私的関係がある者の公的にはかかわりもなく、他の外部の家や組織とも関係を持っていないので似たようなものである。
「それにしても、10人での勝ち抜き戦で全員に順位をつけるんだろう?」
煉夜が認識している限りでは、支蔵群介、市原裕華、冥院寺月姫、冥院寺姫丹、稲荷七雲、稲荷八千代、雪白水姫、雪白火邑、雪白煉夜が前回の「召喚の儀」に参加した、いわゆる次世代とされる陰陽師である。そこに今、目の前にいる武田信姫を加えて10人。
「あら、姫毬も参加者に入っているから11人よ」
だからだろう、信姫の言葉を聞いて固まったのは。本来、京都司中八家における「見確めの儀」とは術者の成長を見るものであり、かつ、術を互いに見せ合う場でもあるのだが、信姫たちは後から入ってきた存在……もっとも、広い目で見れば司中八家を抜けた家や入った家もあるので一概に信姫たちだけが、というわけではないが、この場合は「稲荷一休が提唱してから」という枕詞が付き、そういった意味では本当に外様であった。
なお、この「見確めの儀」は必ず全ての家が参加していたわけではない。かつての頃は、天城寺家が強く反対し、一度も参加しなかった。それ以外の家々はその必要性と何より稲荷一休の功績をたたえ参加することを決めたが。そして、後の世でもこれが続き続けるように、当時の当主たちが取り決めたのが順位を決めて、それぞれ順位が下の家に何らかを要求することができる権利を得るというものである。そうでもしなければ、徐々に参加する家が減ってしまうのではないか、という懸念もあったのだろう。
「しかし11人となるとどうなるんだろうな、シード枠でも作るんだろうか」
姫毬の参加は、各家の当主たちが武田家を図るために、そういう流れにしたのだろうと邪推しながらも、口では全く別のことを言う。
公平にするならば、そのあたり「誰をシードにするか」という部分も大きな問題となる。なぜならば、必然的に他の家に要求する権利を得ることができるのだから。
「そのあたりは公平公正な審判とやらが決めてくれるんじゃないの?
なんでもその公平さは折り紙付きっていう話だし、まあ、不正や贔屓がなければそのあたりは何でもいいんじゃない?」
それだけ軽い考えなのは、別に信姫が「見確めの儀」を軽視しているというわけではなく、何かを要求されるような覚えがないからである。信姫が確執のある相手は支蔵家であるが、その当の支蔵家は刀を盗んだ犯人が信姫であることを知らないし、そもそも具紋が出てくるならばともかく、支蔵家で「見確めの儀」に参加するのは分家の群介だ。具紋にすら負ける気がしないのに群介ならなおさらだろう。
そして、また、逆に言えば信姫もまた、要求したい相手がいないのである。しかも要求であるから、当然断ることができる。断る、というよりは代替案などによって公平公正な審判と共にそれをより良い形にまとめるだけであるが。だから、こうした場で支蔵の刀を要求しても断られていただろう。
「新参だから家の格というか、強さ勝負に巻き込まれていないのがいいよな、お前のところはさ」
正確には新参ゆえに家柄というか家格的には一番下に該当する。あくまで「京都の中で」ではあるが。それに信姫自身が当主であることも幸いし、親や家の意向というものが絡んでこない。それに比べて煉夜は、とりあえず勝てるところまで勝たなくてはならないという。
「でもあなたなら負けないでしょうよ。正直優勝は確定なんじゃないの?」
呆れたような口調で言うが、それに対しての煉夜の表情は芳しくなかった。それもそのはずである。そんなに世界は甘くないから。
「いや、無理だろうな。ベスト4くらいにまでなら何とかなるだろうが、優勝は微妙なところだろう」
それは謙遜ではなく、客観的な事実であった。煉夜の持つ力のほとんどは魔力による身体能力強化であったり、それまで培ってきた戦闘勘であったり、スファムルドラの無詠唱魔法による不意打ちであったり先手取りであったり、幻想武装による強力な攻撃であったり、そういったほとんどが身体能力か魔法に類するものである。
稲荷一休に仙術を学んでいたとはいえ、魔法や戦闘ほど出来は良くなかった。どちらかといえば苦手に分類される程である。もっとも、それでも稀代の天才であった稲荷一休の師事を受けていた上、魔法とそして魔力に関しては人並外れていた煉夜は通常の陰陽師程度ならば優に凌ぐだけの力を持っている。
「裕華とお前にはおそらく微妙なところだ、前にも言っただろう、本気を出さない俺はお前には勝てないって」
純粋な陰陽師としての質で言うならば、恐らく司中八家において頭2つ3つ飛びぬけているのが市原裕華である。その下に「楯無」を有する信姫、そして次いで煉夜といったところだろう。
「今回の儀は、あくまで『陰陽術』での勝負になる。そうなると俺は一気に使い物にならなくなるからな」
一応、札を使っているように見せて無詠唱で魔法を放つようなこともできなくはないが、「公平公正な審判」とやらが何か煉夜には分からないし、もしかしたらそういう不正を見抜くことに特化した式神なのかもしれないとも考えて使えないと判断した。
「そういえばそうだったわね。でも、ワタシ、市原裕華ってあまり知らないんだけど、あなたが言うってことは相当、かしら?」
実は裕華の知名度は、司中八家の中ではそこまで高くない。それでも認識はされているが、どちらかといえば、裕華は父の関係であちこちを移動することも多くなってきていて、司中八家の目に触れないような仕事も多いからだ。英国の秘宝鑑定などもその1つであろう。
「まあ、ありゃ、俺が本気だとしてもマズい相手で、できるなら戦いたくはないな」
最近の裕華は特に、である。煉夜と会った当初ならばまだどうにかなっただろうが、もはや裕華は煉夜に並ぶ域にいる。雷司と同じように、彼女も天性の才能を持った天才だ。
「そこまで言うなんて謙遜ね、って言いたいところだけど、あの人の子だものね、当然といえば当然か」
雷司と裕華の父、それを噂に聞いていれば、煉夜がそこまで言うほどの傑物に育つ可能性は十二分にあった。
「中でも武道専門の雷司とは違って、あくまで基本は陰陽師らしいしな」
異母兄弟である雷司と裕華であり、そのどちらもが天才の類であるが、雷司は魔法などを併用した武道を身に着けていてもあくまで武道の専門であり魔法の専門家というわけではないし、魔法だけでならば煉夜の方が圧倒的に強い。それと同様に裕華は魔法なども使えるし、体術もある程度は学んでいたらしいが、あくまで専門は陰陽術である。
その専門分野での勝負となると、煉夜は圧倒的に不利であり、勝ち筋もあまり見えてこないのだ。
「それで、雪白家はどこの家よりも上に入って、あの家に何かを要求するんだってのはあるのかしら。ああ、もちろん言えないなら全然いいわよ」




