297話:アングルトォスの真目的
神ウトゥの裁きによって、「神殺しの神」が消え去った瞬間、世界に歪みが生じた。神を消し去るというのは、それだけ大きな事であり、当然歪みを生み出してしまう。もっとも、「神殺しの神」が神々を殺していても、同様に、その歪みは生じただろう。
「まさか『神殺しの神』を消失させるほどの……、次元を超えるほどの切り札があったとは。流石に驚いた。だが、それと同時に我はお前に感謝せねばなるまい」
そして、煉夜が「神殺しの神」を消したことにより、アングルトォスの目的は本来のルートとは違うが、達成されたのだった。
そう、「不浄高天原」の目的が、ではない、あくまでアングルトォスの目的が達成された。
「何を?」
煉夜は意味が分からず、眉根を寄せ、強がりか、と思ったが、アングルトォスの態度からは、それが本心であることが伝わってくる。
「神を殺すという『不浄高天原』の目的は達せられなかったが、この我、アングルトォスの目的は達せられた、と言っているのだよ」
そう、アングルトォスの目的は、「神殺しの神」によって神々を殺すことによって歪みを生じさせることであった。だが、今、過程は違えど、歪みが生じた。それにより、アングルトォスの目的が達成したことになる。
「今、この世界は、神の消失により、大きな歪みが生じ、不安定となった」
それに対して、四姫琳が眉を上げ、心底分からないとでも言いたげにアングルトォスを見る。
「歪みが目的、ですか。ですが、歪みなど、つくったところですぐに修復されて元に戻るだけ、意味などないはずです」
歪めば、それを修正するべく力が働き、捩じったゴムが元に戻るように、元の正常な形へと戻る。そのわずかな歪みに、何の意味があるというのか。
「我は長い間、あれを研究していたがゆえに、知っている。一見、なんの法則性もなく世界を食らいつくしているあれは、歪みが生じた世界が近くにあるときに現れ、歪んだ世界を破壊する。だからこそ、あれがこの世界に最も近づく、この時期、6月に決行せざるを得なかったのだ」
アングルトォスが「あれ」と称するそれについて、煉夜は全く分からなかったが、四姫琳は、逡巡の後、それに思い当たったようである。
「ま、さか……、まさか、あれを意図的に呼び出す方法がある、なんて、そんなはずは……。そんなはずはありません!」
四姫琳はそれにより世界が亡びる様を幾度か見てきた。だからこそ、それは「天災」であるのだ、と知っている。気まぐれで、人の意図など介せず、全ては天のみぞが知る災害、「世界の終わりに現れるとされる星」。
「凶星を意図的に世界に呼び込むなど、できるはずがありません!!」
凶星、それはいかなる意思にも関係なく世界を滅ぼす存在。終焉も始祖も、人工的終焉も何もかも関係なく、気まぐれに現れる6つの星。
「できる。そもそも、あれをまともに観測していたものなど我の他にいない。だからこそ、我しか知らぬことなどたくさんある。そして、もはや止まらない。この世界は間もなく凶星により終わりを迎えるのだ。我ごとな」
そう、いかなる意思にも関係のないそれは、世界の終焉でも死ぬことの出来ぬアングルトォスを殺すことのできる唯一の希望であった。当初、それを意図的に呼び出すことができぬとあきらめたが、観察を続けるうちに、「歪み」に反応することを発見し、そして、「神殺しの神」を利用して、歪みを生じさせることを思い立ったのだった。
「もはや、貴様らにどうすることも出来ぬ。唯一の希望である凶星のカウンターも、この世界にはいないのを確認したうえ、異界と連絡を取って、凶星が亡びる前にカウンターを呼ぶことなど不可能だ」
そう、どうしようもない絶望。世界が滅ぶゆえに、どこへ逃げても無駄。だが、その絶望を前にして、1人笑う女がいた。
「フフッ、アハハハハハハッ」
四姫琳のタガが外れたかのような笑いに、アングルトォスを含めて、全員がぽかんとしながら、四姫琳を見た。そして、その四姫琳はというと、
「とっておきというのはこういう時に使うんですよ!」
そういいながらポケットを軽く叩く。そう、それは魔法の合図。「箱庭の小宇宙」が保有する「消失世界の遺産」の1つ、「とっておきのポケット」である。
「現れよ、『気まぐれな移ろいのドア』!」
気まぐれな移ろいのドアは様々な世界のあらゆる場所に気まぐれに出現し、異界同士をつなぐ扉である。開いた先を指定することはできず、また、ドア自体を呼び出すこともできない、はずであった。
「そして、『とっておきのポケット』から取り出した鍵を使い、行き先指定、人物、フィリップ・ジョン!」
そう、本来ならば呼び出すことも。行き先を指定することもできない気まぐれな移ろいのドアであるが、「鍵」さえあれば別なのである。「とっておきのポケット」は、その状況で最も必要であろうアイテムを一つ出してくれる「消失世界の遺産」だ。元になっている話は、ポケットを叩くとビスケットが増えるという話であるが、アイテムの効果はまるで違うものである。
そして、その鍵によって、呼び出しと行き先の指定を行った。その人物名に、煉夜が四姫琳を見る。煉夜も知己のあるフィリップ・ジョン。だが、煉夜は、いまいち、この状況についていけていないが、情報をつなぎ合わせると「この世界を滅ぼすほどの何かが迫っている」という状況であることは分かり、そして、それにフィリップ・ジョンが役に立つとは思えなかった。
「なぜジョンを、という顔をしていますね」
煉夜の顔から、何を考えているのか、何となくわかった四姫琳はそれを簡潔に説明する。
「先ほど、あのアングルトォスなる神も言っていたでしょう。カウンター、と。世界を絶対に滅ぼす6つの星、凶星には唯一の対抗手段が存在しています。『凶星を断つ者』と呼ばれる12の刀剣を扱う存在。その1人があなたの知るフィリップ・ジョンなのです」
かつて、煉夜からジョンが「魔導顧問をやっていた」と聞いた四姫琳は「魔導顧問なんてやっていたんですか。彼、天命的には剣士なんですけれどもねぇ」と言っていた。「凶星を断つ者」、12の刀剣を扱う存在であるならば、「天命が剣士」というのも納得であろう。
そして、気まぐれな移ろいのドアが開かれて、煉夜の見知った男が現れた。彫の深い顔立ちで、ひげ面の男性。もっとも、格好は煉夜の知っているものとは異なり、ウエスタンシャツに、色褪せほつれたジーンズ、ウエスタンブーツに、テンガロンハットという西部劇にでも出てきそうな格好をしていたが。
「よお、天ちゃん。それに、レンヤか。面白い取り合わせだな」
呑気に挨拶をする男こそ、フィリップ・ジョン。ロップス・タコスジャンの名前でスファムルドラ帝国魔導顧問を務めていた男だ。
「だから、その名前は昔に捨てたと言っているじゃないですか!
って、それどころじゃなくて」
いつも通りの雰囲気のジョンに呑まれて、危うくいつものくだらないやり取りをしそうになった四姫琳だったが、それどころではない世界の危機なのだということを思いなおし、そのことを伝えようとする。しかし、四姫琳が言葉を言い切る前に、彼が空を見上げた。
「分かっている。こいつぁ、第三の凶星、ルンデーか。また、厄介なものに巻き込まれたもんだなぁ、レンヤも」
魔力切れでふらつく体をどうにか抑えながら、ジョンの顔を見る。その何とも言えない微妙に腹の立つ顔に、苛立ちながらも懐かしさを覚えた。
「さて、と。そうとなりゃ、俺も役目だ、仕方がねぇ」
そういいながら、何もない空間から抜き放たれたのは、刀身に薄ら青い光の粒子を帯びた身の丈ほどの大剣である。形状は睦月の持つものにも近いが、鍔は歪み、柄は弧を描いている。ジョンは抜き放ったそれを腰元で構える。鞘はないが、まるで抜刀術のような構え。
「馬鹿な。嘘でも冗談でもなく、本物のカウンター、だと……!」
その剣を見て、アングルトォスは悟った。四姫琳の発言が冗談でも嘘でもなく、本当であると。あの男こそが、凶星に対する唯一の対抗手段、「凶星を断つ者」であると。
「暴虐にして暴食の星、それを断つは第六番!
尾引き掻切れ――『彗星の尾』!!」
文言とともに、刀身の纏う粒子が活性化し、そして、抜刀術のように剣を抜くのかと思いきや、そのまま引き抜きざまに投げ飛ばす。奇妙な軌道を描き、空を舞うそれは、しだいに見えなくなり、そして、次元も、空間も、時空も、全てを引き裂いた。
その言葉に、比喩はない。出雲大社の結界も、出雲大社に重なるように別の位相に存在している本物の出雲大社も、そして、この世界そのものの外皮も、全てを引き裂き、次元の向こうが僅かに顔をのぞかせる。
その次元の向こうから迫る世界を破滅させる凶星が、引き裂かれた空間の向こうに見える。それを「凶星を断つ者」が第六番の刀剣「彗星の尾」が両断し、その瞬間に青い粒子が爆発、全てを消し飛ばした。
「ったく、久々に力を使うと疲れるなぁ。これからビリーと酒場で一盛り上がりする予定だったが、宿でゆっくり寝るとするか。
んじゃあな、天ちゃん。それからレンヤ。またいつか会おう。世界も人も運命も、気まぐれだ、いつか星の巡りが良けりゃあえるだろうさ」
振り返りながら軽く手を振って、気まぐれな移ろいのドアの向こうへと消えていくジョン。その自由な背中に、煉夜も四姫琳も声をかける暇すらなかった。だが、それがジョンらしいな、と納得してしまう。
「馬鹿な!なぜだ!なぜなんだ!!
凶星を呼ぶ前の段階で阻まれるのならば理解ができる。だが、凶星はいかなる神の運命操作であっても干渉できない事変のはずだ。ましてや、カウンターを呼び出す運命を作ることなど不可能。なのに、なぜ……!」
神殺しの神の覚醒を阻止されることは、アングルトォスの計画でも想定された出来事である。だが、凶星を呼ぶことに成功した後に、それを阻まれるというのは想定できなかった。それは、凶星を誘導することはできても、それを直接どうにかすることはできないからである。そして、凶星と同様に、「凶星を断つ者」もまた、神が干渉することができない。そうであるのならば、この計画をあの段階で阻める者はいないはずであった。
「『彼の者』であろうとも、出雲の神々であろうともできるはずのないことが、どうして起こるというのだ!」
地面に手を打ち付け、嘆くアングルトォス。それに対して、煉夜が言葉を紡ぐ。
「運命がどうだ、神々がどうだ、というのは俺には分からない。だが、お前は『安寧』にゆかりがある神だったのだろう。ならば、ほかならぬお前自身の性質だ。世界を自分事消滅させるなどということは、『安寧』とはかけ離れすぎている。成功するはずもない」
そう、アングルトォスの本質は「安寧」。いくら魔性を取り込もうと、何をしようと、その部分だけは変わらない。なぜならば、「永遠の安寧」を手に入れてしまったことが全ての始まりなのだから。だからこそ、「安寧」という本質だけは何があっても変質することが許されない。
世界を凶星によって自身事消滅させるなどという行為が、「安寧」であるはずがない。だから、「安寧」の神がそれを成し得ることなどありえないのだ。
「では、我はどうすればいいというのだ。欲しくもない永遠を手にし、それを手放す方法すらなく、どう足掻いても何もできないという宿業ならば、何をすればいい!」
その答えを知る者など、この世界のどこを探しても、いや、全ての世界を探しても、見つかることはないだろう。なぜならば、それは、誰が決めることでもないし、誰が決めたことでもないからだ。
「さてな、何をすればいいか、なんてのは、自分で決めることだろう。それに、どれだけ理不尽なことがあったとしても、それから逃げることはできないさ。忘れようが、死のうが、それに終わりはない。だから、背負って生きていくしかねぇだろ」
あったことを忘れたところで、あったという事実は変わらない。死んだところで、結局、それが起こったという事実は変わらない。変わらない以上、逃げることなどできないのだ。だからこそ、彼は、……雪白煉夜という男は、これまでの生に起こったあらゆることを背負って生きてきた。
「背負って生きていくには重すぎる業だ」
アングルトォスの悲嘆の言葉。要は、背負ったまま永遠の時をさまよい続ける事しかできないといわれたのだから。
「だが、起きた事象は変わらない。お前が死ぬことのできないという事象は、背負おうが背負うまいが、変わらずつきまとい続ける。俺の経験がそうであったようにな。俺にしたって、死んだところで、実際にそれが起きた事実は変わらない。死後の世界ってのがあるかどうかは知らんが、少なくとも死ぬ瞬間や死んだ後も、その事実は変わらんし、死んだからすべてが無くなるわけでもなければ、生きていても無くなるもんでもない。どうあっても逃げられないのなら、覚悟を決めて、背負って生きていくしかない」
それは、別にアングルトォスを励ますとか、そういった意図で放たれている言葉ではない。それは自身の生き方を、信条を、ただそのまま語っただけだ。
そして、その生き方は、恐らく普通ではないのだろう。普通ならば折れるような重荷を大量に背負わされても、なお、煉夜はまっすぐと折れずに生きた。それが全てを背負うというものである。
「起きたことは、変わらない、か。そう思って、前を向けるものはそういないのだろうがな。だが、そうかもしれない。永遠というものから我は逃げていたのだ。そして、結局、それから逃げきれていなかった。それを、背負う、か。全く持って馬鹿げている。馬鹿げているが……。神が人間に諭される日がこようとはな……」
そこまで聞き遂げた煉夜は、魔力の欠乏による限界が来たのか、気絶するように倒れこんだ。ずっとふらついていたので、それを予期していた沙津姫が駆け寄り抱きとめる。
「二楽、利用していたことを謝ろう」
アングルトォスは一人つぶやくように、その身体の主に話しかける。それに対して、二楽は言葉を返す。
「利用していたのはお互い様だ。それに、1つ学んだ。『背負って生きていく』ということを。神として崇められて、勝手に失望されて、そういった全てを背負うさ。アングルトォス、あなたに利用されていたことも含めてな。少ない残りの寿命でも、背負って、生きていこうと、そう思う」
こうして、出雲大社を中心に起きた、神殺しの神および凶星による世界破滅計画は防がれたのであった。




