294話:神を模倣した女・其ノ参
情報交換をした翌日、煉夜、雷司、月乃の3名は学園を欠席していた。無論、かなり雑な理由であるが、担任に欠席の連絡は入れて、である。流石に無断で欠席すると、煉夜の場合は前科があるだけに色々と煩わしいというのもある。
そして、その欠席をした3人がどこにいたかというと、「紫泉家」のすぐ近くであった。外部に漏らしてはいけない資料が多くあるためか、それ以外の理由か、紫泉家の周辺には多くのセキュリティがあり、それに気づかれずに近づくのは、煉夜でも時間を要したが、それでも、どうにか迫ることができた。
「ていうか、なんだあのセキュリティの高さ。どっかの要人施設かなんかかよ」
雷司の見える範囲でも、無数の防犯カメラとセンサによる警戒網が出来上がっていた。軽く見えるだけでも、かなりの数だ。
「いくつかはダミーで、道路に埋め込んでいたり、マンホールのふたなんかに取り付けられていたりもしている」
角度によっては酷く人道に反した画角の動画もいくつか存在するだろうが、それを見るのはあくまで防犯のためであるため、という名目があるので大丈夫だろう。
「つまりこの先に死角はないってわけね」
監視カメラを設置する上で最も重要なのは、死角をつくらないことである。と、言っても、費用などの面から公共道などの全ての死角を無くすことは難しい。しかし、私有地であったり、一部の特殊な地域であったりで、費用の面を考えずに、それを処理するだけの施設があるのならば話は別である。こと、紫泉鮮葉の家の周囲は完全に死角という死角を排除している。それほどまでに、紫泉鮮葉の研究には価値があり、かつ、それを守らなければならないのである。
「それで、どうする。何もかも無視して突っ込むか、それとも手練手管尽くしてどうやっても気づかれないようにしていくか」
その煉夜の話に対して、月乃はきょとんとした顔をした。まるで、ここまで来て何を言っているのか、とでも言いたげである。
「調査もそこそこに突撃することを決めたのに、わざわざコソコソ行く必要がある?」
月乃の発現に対して、「分かってねぇなぁ」と雷司が言う。雷司にしてみれば、この状況で最適な答えは何かを理解していた。
「こういう場合こそ、これらを全て気づかれないようにかいくぐった方が、より驚かせられるだろ?」
まるでいたずらでもする子供のような顔をしている雷司に補足する形で煉夜が言葉を付け加える。
「そもそも、どれだけ死角なく監視したところで、ミサイルでもぶち込まれれば、結局は無意味だ。物理的に無理矢理突撃することは不可能ではないが、それでは意味がない。それは誰でもできることを少人数でやっているだけに過ぎない。なら、誰にもできないことをやるべきだろう」
どれだけ頑丈に、どれだけ死角なく、どれだけ万全に対策をしようとも、圧倒的な武力で破壊されれば侵入することはできるだろう。ここで無理やり突撃したのでは、それらと何ら変わらない。
しかし、これだけの監視網を誰にも気づかれないように侵入することができれば、それは、ただ破壊するのとは違い、「相手を認めさせることのできる行為」なのである。ただの破壊では、相手は決して認めてくれないだろう。
ただ紫泉鮮葉がロボットであるか否かを暴くだけでいいのだったら破壊すればいいだけだが、そうではない。その後を考えるのならば、紫泉鮮葉に自身たちを認めさせる必要がある。だからこそ、気づかれないように侵入するということが重要になるのだ。
「なるほどね。でも、あの死角の無い空間をどうやって気づかれずに侵入するつもりなの?」
問題は、それが可能であるか、という部分である。認めさせようにも、それができなければ意味がない。
「いくつか方法はあるんだが、どうするかなぁ」
煉夜だけであるならば、隠蔽でどうにかならないでもなかったが、雷司と月乃にすぐにそれを習得しろというのは無茶な話である。そうなると、魔法でどうにかするのが現実的である。
いくつか、の内の1つが【創生の魔法】で隠蔽できるものを生み出すこと、他にも魔法でどうにか監視網やセンサをかいくぐるというものもある。
「俺らは力になれそうにないんだが……、煉夜、任せていいか?」
雷司は武術を習っていて、人並み以上の身体能力があるが、こういう場合にはどうにもできないだろう。月乃も同様に、このような時への対抗策を持っていない。
「了解。じゃあ、俺が全ての監視網をどうにかしながら進むから、俺の後をズレずについてきてくれ。流石に数が多すぎて、全てをごまかせるほどの余裕はないから」
そういいながら、煉夜はフィンガースナップで幻覚魔法と遮音の魔法を使用する。これで、ひとまず監視カメラはどうにかごまかせるとして、残りはセンサの類である。
赤外線センサを光の魔法で歪めつなぎながらどうにか絶やさず信号を送らせ続け、重量センサには、その直上に風魔法で道を作り感圧計の上を歩くことで回避する。
問題はこの後の認証システムの類である。無論、素直に使えば、その成否にかかわらず記録が残ってしまうため、誰にも気づかれずに、という前提が覆ることになってしまう。つまり、認証システムの偽装なども含めて、認証システムそのものが使えないということである。
そうなると玄関からの侵入はできないことになり、窓などのそれ以外の侵入経路を確保する必要がある。しかし、窓の鍵が開いているなどいう都合のいいことはないだろう。そもそも、この紫泉家の窓は全てオートロックと生体認証によって開閉できるものである。そして、玄関と同様に開ければ記録が残る。
煉夜は窓の横の壁を押す。すると、まるでそこが扉であるかのように開いた。もっとも、魔法で切断してそのような形にしているだけなのだが。そして、2人が通り終えたら、それを塞ぎ、元に戻す。鉄筋コンクリートの壁であるため、筋が切れていることになるので耐力が格段に落ちるはずだが、煉夜はその結合をし直したことで、多少落ちるが、おおむね元の水準に戻している。
室内を物色するようなこともなく、隠し扉と地下への階段を見つけ、そのまま降りていく。隠し扉といっても、壁と扉の色を同色にしている程度のもので、仕掛けも何もない。
地下には、部屋が1つあるだけであった。そう、そこは、「彼女の世界」である。――紫泉鮮葉の世界。そして、その部屋には気配が1つ存在するだけであった。モニターを見ながら何かを捜査しているようで、椅子の背が邪魔になって煉夜たちからその姿を確認することはできなかった。
「ふぅん、ここが紫泉鮮葉の研究室、か。思ったよりも狭いな」
と雷司が素直な感想を漏らした瞬間、何か物が落ちるような音が響く。地階であるがゆえに窓の類はなく、薄暗い部屋であり、壁の材質のせいか、少し反響する音が大きく聞こえた。
「だが、生活の一切がここで完結するだけの最低限の設備は整っているな」
もっとも、食料や飲料などの供給は必要になるが、それ以外のトイレや風呂を含めた基本的な設備は整っていた。
「狭いとか最低限とか、ちょっと失礼じゃない?」
それらの言葉、いや、言葉の意味以前に、声が聞こえたことに、鮮葉は驚嘆し、頭の中が真っ白になっていた。ありえない、そう思った。警報はなっていないし、目端で見ていただけだが、不審な人物は監視カメラには映っていなかった。どのセンサにも反応はないし、どこかの扉や窓が開閉された記録はない。まさに、彼女にとっては瞬間移動してきたとしか思えない状況であった。
そして、それ以上に、この空間への侵入者というのは大きな意味を持つ。今まで、この家には幾人かの人が入ってきたことがあったが、この部屋……――紫泉鮮葉の世界には、鮮葉の両親以外の人物が入ったことがないのだ。つまり、生まれて初めて、鮮葉の認識する世界に鮮葉と両親以外の人間が入り込んだのである。
「なっ……」
声も出なかった。自身の常識をあっさりと超えられた。だから、椅子を回転させて、改めて3人のことを見て、「視て」、そして、そこから得られたのは、自身の知るものを越える「何か」を抱えた雷司と月乃。模倣できるはずの全ての領域が異質すぎて、理解できずに一切が模倣できない煉夜。
しかし、振り向いた鮮葉を見て、煉夜たちもまた、驚いていた。普段、表に出ているロボット通りの外見であるとは思っていなかったが、それでも目の前の彼女は、それとはかけ離れた姿であった。
煉夜たちの知る紫泉鮮葉とは、赤茶色の髪をピッグテールでまとめた、端正な顔立ちで、スレンダーな体系をした18歳くらいの女性である。
しかし、今目の前にいる彼女は、赤茶色の髪を適当に結った、端正な顔立ちで、スレンダーな体系をしているところまでは同じだが、年のころは12、3歳といったところであろう外見である。
もっとも、狭い空間にずっといると身長が思うように伸びないことがあるとされるように、ずっと同じ部屋で生きてきたために、身長が伸びなかった可能性はある。それに、日光を浴びていないという部分もあるだろうか。日光による成長ホルモンの刺激がないという問題からも、身長が伸びなかったのだろう。
そもそも、彼女が普段操作しているヒューマノイドは、試作品で外を録画したデータから統計を取り身長や体形などをできる限り標準に合わせたものである。それゆえに、外見は大きく変わってしまったのだろう。
「なるほど、会長が合法ロリだったとは驚きだな」
雷司がふざけるようにそんなことを言う。それに対して、冷たい言葉が飛んでくるかと思っていたが、思った以上に、鮮葉が何もしゃべらず、3人は、どうしたのか、と凝視する。
「あ、あのっ、その……、じろじろ見られると、その……、困ります……」
自分たちが調べていた鮮葉の人物像と全く異なるその態度に、3人は混乱し、別人なのではないか、と思ったが、煉夜には、その人物が鮮葉本人であるということが恩恵によって分かっていた。
鮮葉、この瞬間までほぼ一切、といっていいほどに実際に対面してでのコミュニケーションというものを取ったことはない。両親を除いてすべてが画面越しでのコミュニケーションである。だから、極度のコミュニケーション下手なのだ。
「あー、あれね、ハンドル握ると性格が変わっちゃうタイプ」
「いや、どっちかというとネットゲームとかのチャットだと人格変わるタイプだろう」
そんな風に月乃と雷司が言う中、煉夜は、頭を掻きながら、
「早まったか、すみません、押し掛けてしまって」
一応、先輩である鮮葉に敬語を遣って謝った。それに対して、少し沈黙した鮮葉は、どこか言いづらそうに、それいて、何かを決めたように言う。
「い、いえ。大丈夫。それにいい機会だったのかもしれません。いつか、人と会う必要があった。これは、……そうですね、私の世界を始めて訪れた客人ですし、そのきっかけを無理やりですが、つくってくれたあなたたちなら、敬語なんかはいりませんよ。外では私もいつものように話してしまうでしょうしね」
これは、鮮葉の世界を変えた、3人との出会いの話。鮮葉が認めた3人との邂逅とこれから始まる数々の話の始まりの話であった。




