293話:神を模倣した女・其ノ弐
「人形?!
じゃあ、何か、あの生徒会長は人じゃなくて人形だっていうのか?
どう見ても人だったぞ」
驚きを隠せないように雷司が煉夜に言う。それもそのはずであろう。人間にそっくりなロボットというのは開発されていても、それでもどこかに違和感を覚えるものである。しかしながら、生徒会長である紫泉鮮葉と会った雷司はそれを特に何も思わなかったのである。
武道を嗜み、相手の動きや所作からその身体の特徴を見抜くことのできる雷司が何も感じなかった。つまり、雷司の武闘家としての目を欺くほど精巧な人形か、煉夜の勘違いかである。自身の目にそれほど絶対の自信を持っているわけでもない雷司だが、それでも、煉夜の言葉が信じられなかった。
(まあ、魔力の類は感じられなかったから、向こうで言う人形を操る魔法というのとは違って、なんていうんだろうな、ロボットとかそういうやつだろうが)
と、心の中で煉夜は思う。そう、魔力が感じられなかった。それどころか、恩恵で見えるはずのものすら見えなかったのである。生物ならば、恩恵によって見えるはずで、それが見えないということは、恩恵を打ち消す力を持つか、それとも生き物ではないというどちらかでる。しかし、恩恵を打ち消せるような人は向こうの世界でも見たことがなかった。それゆえに、後者の生物ではないという方を選択したのだ。
「人形っていう言い方が悪かったか。ロボットとか、そういう類だろう」
人形と聞くと、球体関節などの分かりやすい人形を思い浮かべてしまうだろうから、煉夜はわざわざそう言い直した。
「ロボ、ああ、アンドロイドとかガイノイドとかそういう類ってことか。それにしたって、花月グループが研究しているものを見せてもらったが、まだ、人間そのものといえる域には入ってなかったぞ。なのに、あれがロボットっていうのはちょっと信じられないな」
花月グループは、雷司の家……というよりも《チーム三鷹丘》とつながる世界有数の機械開発企業である。現当主である花月静巴も、《チーム三鷹丘》の一員である。そのため、雷司は、花月グループの開発しているものについてもよく知っている。
ヒューマノイドタイプのロボット開発は、長年行われている一つの課題のようなものであった。しかし、人体という常に微細な調整を無意識下で行って、立って、歩いてという行動をとれる存在を機械的に再現するなど不可能に近い。
そもそも、人型にするメリットというものがあるかどうか、という総論がある。しばし、巨大人型ロボットアニメなどでも人型にする必要があるのか、という問題が起こる。しかしながら、人型というのは一定の意味を持つ。ヒューマンスケールという言葉があるように、基本的に世界中のあらゆるものは、人間の大きさに合わせて作られている。近年では北欧から始まったノーマライゼーションによるバリアフリーも進んでいるものの、未だ万全とは言えない。そうなると階段や道の幅員などは人に合わせられているため人間大のものでないと動きが制限されてしまう。
「でも、確か、生徒会長はX組だったわよね。それも工学分野の」
月乃がそのように言う。X組、学業免除生クラスである。学業免除制度を受けるには、一定の成績と成果を収める必要がある。その審査は厳しく、ほとんどがその制度を受けることができないが、それでもその制度を受けて入学したものは、例外なく天才である。
「ああ、機械工学における新開発や改良などの分野における超天才だ。その分野なら名前を知らない人はいないとされていて、どの企業や研究所からもひっきりなしに声をかけられている。正直、学園に入らなくても十分にどんな場所でも受け入れ先のある人材だ」
鮮葉この時代において、すでにいくつかの論文が専門誌に取り上げられて、機械工学のスペシャリストと名高い域に入っている。
「それほどの天才なら、人に近いロボットでも作れるんじゃないのか、いや、俺はそういった分野の知識は全くないから、すごく適当なことを言っているだけだが」
そもそもにおいて、煉夜は機械系にはあまり詳しくない。それこそ、テレビを使っている人がテレビの構造や原理を説明できるか、といわれてできないのと同じで、機械は使っていても、その分野に興味がない煉夜は人型ロボットがどのくらい難しいものなのかというのを理解していない。
「いや、まあ、そうか彼女の目ならできなくもないかもしれないが、それでも人と全く同じ動作というのは無理がある。人間の関節をモーターで再現しきり、それを人型の中に収めるのは難しいはず」
この「彼女の目なら」という言い方からも分かるように、雷司は「模倣の魔眼」のことを知っていた。
人間にはいくつもの関節があり、それらを自在に受動的に動かすことによって生活している。手を握るという行為は、凄く簡単に行っているようにも思えるが、実際のところ、それを機械で再現するのは難しいのだ。ただ握るという行為をするだけならば、できなくはない。だが、握る物体によって、握る力を制御し、摘まむ、包む、握るのような握り方まで選択するのは人間であるからできることである。それを機械で再現しようとするならば、何度も微細な調整を強いられる上に、関節部のモーターは摩耗を繰り返してすぐに壊れてしまうだろう。
手だけでもそれほど難しいのに、それらを体のバランス、手を伸ばす、手を挙げる、首をかしげる、そういった動作を全て、人型に押し込めて成立させるのは難しい。例え、遠隔で操作しているとしても、だ。
「その難しいことをやってのけるから天才なんじゃないのか?」
あっけらかんという煉夜に対して、雷司は肩をすくめる。そのあたりは、煉夜は知らないからこそ、正解にたどり着いたというべきか。
「いや、確かにそうではあるんだが……。そうか……、いや、そうだな。そこまで煉夜が言うなら調べてみるか。そうすりゃ分かるだろ」
正直なところ、この時分の雷司は、煉夜という存在がどの程度なのかを量りかねていた節がある。そのため、少し試してみたくなった、というべきであろうか。事実がどうであれ、煉夜という人間の本質を量るために、雷司はそういったのだ。
「いや、しかし、調べるったって何をだよ。生活をくまなくチェックして本当に人間かどうかを見るとか、そのレベルになると調査っていうよりストーカーとかになるしな。一番人間かどうか判断できるのって、トイレとか食事とか睡眠とかだろうけど」
さすがにトイレに入って、本当に用を足しているか確認するわけにもいくまいし、食事にしたって食べているのか一時的に体の中に取り込んでいるのかなど傍目に分からないし、寝たふりなどいくらでもできる。
「とりあえず、俺が文献とか、今までの論文とかを漁るから、煉夜はとにかく違和感を覚えたら、その点をピックアップしてくれ。月乃は聞き込みだ」
通常なら文献等を漁るのは月乃、雷司が聞き込みを担当なのだが、異能関係の文献になると、雷司の方が圧倒的にコネクションの量が違い、手に入る量も調べられる量も上になる。
「了解だ」
「はいはい、調べとくわ」
そして、それから数日。隠蔽を駆使しながら、鮮葉について調べていた。この隠蔽とは、単にそういう種類の魔法というわけではなく、身をひそめる技術などの総称である。無論、魔法で幻影を張って隠れたり、魔法で音を消したりするのも中に含まれるが、要するに気配の殺し方、視線をバレないようにするなどの総合的な技術である。
賞金首として逃亡生活を送っていた以上、この隠蔽という技術は必要であったし、また、獣狩りとして活動する上でも、気配に敏感な相手には必要な技術であった。この現代においては、監視カメラという意思を持たない監視者が存在するが、それをも視線としてとらえることが出来、人、物、それらすべてから意識を外させるのだ。
雷司も雷司で、それまでの文献や論文を漁り、文字通り「天才」と称される鮮葉の何が天才であるのかを目の当たりにした。
一方で、月乃はめぼしい情報を得られていなかった。X組はまず人数も少なく、学業免除生でもあるため、一般生徒とはほとんど交流がない。生徒会長といっても、煉夜がそうであったように、一般生徒からの周知度は低い。それゆえに、結果として情報が少ないのだ。
「それで、何かわかったのか?」
一堂に会して情報交換を行う。最初に切り出したのは、煉夜であった。その煉夜の疑問に対して、雷司が答える。
「正直、俺もここまでとは思っていなかったが、論文を見る限り、人に可能な限り近いロボットを作るのは可能かもしれない。人工皮膚の研究に、オペレーターという小さな微調整をできるIC、可変モーターに、摩耗や損傷に強い弾性体の研究など、数々の研究の中の僅か一部だが、そういった様子をかき集めれば不可能ではないのかもしれない」
生まれてからこれまで紫泉鮮葉が取り扱ってきた研究は、共同研究も含めれば莫大な数に上る。それらの中の全てからヒューマノイドに近いものを作る技術の大枠は間違いなくあると雷司は判断した。
「そうか、俺の方は、おかしいと思った点はそれほど多くなくてな。怪我をして血まで出るし、重心の変化や体の動きは間違いなく人間そのものだ。だが、確かに人間の動作ではあるんだが、複数人の動作を統合したような、なんというかちぐはぐというか、言語化しづらいんだが……、違和感はあった」
その言葉の難しさに、何とも言えない顔をする雷司。そして、視線は月乃に向かう。月乃はその意図をくみ取って、自分の成果を言う。
「正直、ほとんど話は聞けなかったの。まあ、X組だから仕方ないんだけど。ただ、幾人かに聞くと、自分のことでもどこか他人事のよう、とか、どこか別の場所を見ていることもある、とか、まあ、天才の考える事なんて分からないし、何とも言えないけどね」
その発言を聞いた煉夜と雷司は、微妙な顔をしていた。結局のところ、何とも言えないとしか言えない、という感じであった。
「なあ、前から思ってたんだけどさ、俺たちって細かい調査をするより、」
「ああ、そうだな」
雷司と煉夜は、思っていたことを口にした。




