292話:神を模倣した女・其ノ一
――世界は広い。数多ある世界、いや、1つの世界を取ってみても、人ひとりには、地球という惑星ですら広い。だが、彼女、紫泉鮮葉にとっての世界は、自身の部屋だけであった。
紫泉家は、「死占」より転じたとされる比較的に新しい一族である。しかし、その一族には、代々、不思議な力を持つ者が生まれるとされていた。だが、その伝承も、徐々に血の薄まりとともになくなっていた。古くは、有能な学者や研究者を輩出した紫泉家であったが、そういった存在は生まれず、せいぜい秀才止まりの「天才」……、「天賦の才」を持つ者が生まれなくなっていたのだ。
その中で生まれたのが、天才、紫泉鮮葉である。紫泉鮮葉は天才である。それは揺るがしようのない事実であった。
その才は生まれながらに発揮され、そして、彼女の両親は彼女を部屋に閉じ込めた。決して、その才が外に漏れ出ぬように、と。
両親は、彼女が望むものをなんでも提供したし、彼女自身も、自分の発明や研究で両親が金銭を得ていることには不満はなかった。彼女にとっては、部屋という狭い空間こそが、世界の全てであり、様々なものを紐解き、再構築してきた。
そのような彼女が、人体の再現に取り掛かったのは、13歳。普通の日本人にしてみれば中学1年生といった年頃のことである。最初の内は、自身の身体をデータの元にし、構築していたが、部屋という空間では、その動作の再現に限界があることを理解していた。だからこそ、試作品を作っては、それを外に出し、データを集め、というのを繰り返す。そうして多くの人間のデータより作り上げたのが、彼女にとって、初めて模倣した人間であった。
そして、彼女は、はたと思う。自分はこの部屋から出ないが、模倣した人間を自分として、自分に足りない経験を積ませることで、そのデータを糧にしよう、と。
彼女に欠落していたもの、それは、一般的な経験である。天才であるがゆえに、部屋に閉じ込められ、小学校や中学校にも通っていない。無論、文章やドラマなどで上辺だけは理解したが、それでも体験して分かることが絶対的に存在する。
だから彼女は、紫泉鮮葉という人間を模倣し、仮の「紫泉鮮葉」を一般人として経験させることにしたのである。
そのために通うことにしたのは、私立三鷹丘学園高等部。彼女にとって都合がよかったのは、この学校にある学業免除制度である。普通の人間とは異なる機械で再現した身である以上、相応の問題が生じる可能性はある。無論、自身の研究を信じていないわけではなかったが、不測の事態に何かをできるというのはありがたかった。そして、対人経験の少ない鮮葉が、いきなり三十数名あまりのクラスメイトと約7、8時間共に過ごせるとも思えなかった。そういった点から見ても、学業免除制度というのがありがたい。
そうして、彼女は仮の身体で、私立三鷹丘学園高等部へと入学を果たしたのだった。
「あざっちゃん、今日も書類とにらめっこ?
しわ増えるよぉ?」
入学してから1年も経たない頃に、鮮葉は生徒会に勧誘され、生徒会長になった。三鷹丘学園における生徒会のシステムは特殊であり、生徒会がある時期もあればない時期も存在する。そして、鮮葉とともにスカウトされたのが副会長の林中花火であった。
「林中、お前はもう少し……、ああ、いや、いい。言って聞くようなやつではないのはもう理解した」
最初に生徒会という話を受けた時の鮮葉は、正直、受けるか悩んだところではあるが、鮮葉には「学生生活を経験する」という目的がある。そうであるのならば、「生徒会に入る」というのも一つの経験であろう、という理由で受けたのだ。免除生……X組の生徒が生徒会に入るのはほとんどない稀な事態であるが、そもそもに生徒会がある時期もない時期も存在するので、それほど大きな役割があるわけでもないし、X組がやっても構わないということで落ち着いた。
しかし、彼女としては、共に働くことになった副会長の林中花火という人物の方が問題であった。
「別にだいじょうぶだいじょうぶ。書類なんてほっといてもだいじょうぶ。
それよりさカラオケ行こっっっっっっ!!」
対人経験が薄い鮮葉にとって、この花火の自由奔放な性格というのは、相性が悪いことこの上なかった。いくら構造を読み解いても、その行動原理だけは読み解けず、計算もロジックも役に立たない。そういった意味では、早々に彼女のような例題を見本としてそばに置けたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。
「そういえばぁ、今年の新入生に行方不明で、ようやく見つかった子がいるんだってねっ」
ちょうどその資料に目を通していたところだった鮮葉は、資料から顔を上げて花火の方を見る。資料にはざっとではあるが目を通していた。
「ああ、3か月だか何だか行方不明だった新入生の雪白だな。まあ、高校生だ、家出くらいあるだろう」
そんな風に言う鮮葉に対して、花火は目を丸くした。そして、クスクスと笑う。
「あざっちゃん、それはないよぉ。あざっちゃんみたいな天才な人には分からないかもしれないけど、普通は3ヶ月も家出なんてできないんだぞっっっ!
数日ならともかく、3ヶ月だったらどうあっても警察の人にバレちゃうからねっっ!だって、期間が長くなればなるほど痕跡は残っちゃんだもん」
冷静に考えれば、花火の言うことはもっともである。数日間、友人の家に泊まるとかならともかく、3ヶ月の間、どこの監視カメラにも映らず過ごすのは不可能に近い。コンビニですら監視カメラがあるし、どうあっても、見つかることなく3ヶ月を過ごすのは難しい。
「そうはいっても、事実、こうして見つかって、しかもその間のことは覚えていないという。そうなれば、自分からどこかに隠れ潜んでいたと考える方が自然だろう」
常識的に考えて、異世界に行っていたなどということが分かるはずもなく、一般的な考え方をするならば、鮮葉の言葉はもっともだろう。
「ううん……、ま、いいけど、それよりもカラオケ行こっっっっ!」
「悪いが、この書類を片付けるまでは無理だ。一応、林中も副会長であるのならば、仕事くらいはきちんとしておけ。私がいつも通学できるわけではないからな」
「うへぇ」
そのようなやり取りをしながら、鮮葉の2年目の学校生活は過ぎていく。
それからしばらくしてのことである。顧問から3名の生徒を生徒会にスカウトするように指名が降った。花火は所用で不参加であり、鮮葉自らが、その3名の生徒を直々にスカウトする必要があった。本来は、こうした人と話すようなことは花火の方が向いているのだが、頼れないものは仕方がない。
そんなことを考えながら、鮮葉は、その3名の生徒、青葉雷司、九鬼月乃、雪白煉夜の資料に目を通す。3名とも成績は優良であり、進学校と評判の私立三鷹丘学園高等部においては、1年生の成績上位3枠を独占していた。X組の存在するこの学園において、その学園の成績トップ3を一般生徒が独占するのは非常に珍しい話である。
そして、中でも、入学時の成績からトップクラスだった雷司と月乃はともかく、下から数えた方が早いほどにギリギリの点数で入学し、なおかつ、3ヶ月ほどのブランクのあった煉夜がその位置にいるのは、鮮葉としては異質に思えた。
そして、その3名は、家が近所の雷司と月乃はともかくとして、煉夜も含めて仲が良く、共にいることが多いとも資料には書いてあった。
「青葉、九鬼、雪白だな。私は生徒会長の紫泉鮮葉だ。少し話がある」
あくまで事務的に淡々と3名に話しかける。それに対して、雷司と月乃は「何の話だろう」という顔をしていたのに対して、煉夜だけは酷くいぶかしむような顔をしていた。
「どうかしたか、煉夜?」
と雷司が煉夜に問うと、煉夜は少し戸惑ったような顔をしてから、考えていたこととは異なる疑問を上げる。
「この学校、生徒会とかあったんだな。いや、そりゃあるんだろうが、なんていうか気にしたことなかったから」
実際のところ、多くの生徒がそのような感想を抱いている。生徒会がある年もあればない年もあるし、生徒会は完全勧誘制なので、選挙が行われるようなこともない。そうであるならば、一般生徒と生徒会にはほとんど接点がない。
「あー、この学園の生徒会はちょっと特殊でな。選挙とかもないからお前が知らないのは無理もないけど、スカウト制だし、珍しいシステムだよな」
煉夜は知らないが、雷司はその仕組みを両親から聞いていた。雷司の両親はどちらもこの学園の卒業生であり、特に父の方は、この学園の生徒会にいたこともある。それゆえに、その仕組み関してはよく知っていた。
「そのスカウトだ。分かっているなら話は早いが、当校の生徒会は勧誘によって成り立っている。そして、顧問から勧誘するように依頼されたのがお前たち3人だ」
あっさりとした口調で言われるそれに対して、雷司は微妙な顔をしていた。煉夜は煉夜で何かを納得していないのか、じろじろと鮮葉を見ていて、それを見た月乃がその煉夜の様子を見ていた。
「俺は断るけど、お前らはどうする?」
雷司は即答であった。そもそも、彼は性質的に組織然とした生徒会が肌に合わないことや、根本的に武力で解決してしまう傾向があるために、公的組織に属したくないという思いがあった。今、生徒会にメンバーがいるのならば、そこに自分が入る必要はないという判断である。
「俺もパスだ。そういうのは向いてない」
そして、雷司に続き煉夜も断る。これにも色々理由があるが、そもそも、この時期の煉夜は、立ち直りかけの時期であり、懸命にこの世界のために何かをしようという気はなかった。
「じゃあ、わたしもパス」
雷司も煉夜も参加しないのであれば、月乃も断る。月乃はどちらかといえば、そういったことに向いている人間であるが、それでも、規律規則遵守の真面目人間というわけでもないし、生徒会に入る意味もない。
「そうか、それならば構わない。時間を取らせたな」
断られたことを特に気にする様子もなく、彼女はあっさりと身を引いた。まあ、当然ながら、彼女もスカウトされた人間であり、断りたいという気持ちも彼女自身抱いていたので、それを強制するようなことはしなかった。
そして、その去っていく背中を見ながら煉夜は、ぼそりとつぶやく。
「人、……ではないし、生物でもない。人形の類、にしては精巧だが……」




