291話:神を殺す者たち・其ノ玖
ヴァチェンズと呼ばれた、その異界には、かつて創造神と破壊神がおり、熾烈な戦いを繰り広げていた。創造神の持つ24の眷属と破壊神の持つ11の徒が激しい戦いをし、その末に、創造神は右腕をもがれるも、破壊神の封印に成功する。そして、力を大きく失った創造神は、もがれた右腕から自身の代わりに概念を司るいくつかの神を創った。その一柱が「安寧の神」アングルトォスである。
アングルトォスが該当する「安寧の神」の役割は、人々に安寧をもたらすこと、すなわち戦争や闘争を抑えること、そして、破壊神と11の徒の封印を守ることである。
しかしながら、その「安寧」は長く続かなかった。――破壊神復活である。封印から1200年ほどした頃であろうか、右腕がもがれた状態での封印であったために、完全な封印とはなっておらず、わずかなほころびから破壊神ヴァードベルの11の徒は復活を果たしてしまう。その折に、創造神カランドールは苦肉の策として、異界より資質のあるものを召喚した。
呼ばれたのは6人の英雄。その者たちは後に、「勇者王」伽藍、「英雄王」祠堂、「魔王」飛鳥、「英傑王」天堂、「聖剣王」アストロフ、「無名王」と呼ばれる。破壊神の11の徒と激しい戦闘を繰り広げ、「英雄王」は死亡、「聖剣王」は剣を取ることの出来なくなる後遺症を残すほどの重傷、「勇者王」は行方不明になるなどの犠牲を出しながらも11の徒を撃破し、世界に再び「安寧」がもたらされた。
それから長きにわたり、「安寧の神」として世界の平和を維持してきたアングルトォスであったが、ある時、創造神カランドールを主とする宗教、カランドール教に異界からやってきた異物が接触していることに気づく。
それが初めて、アングルトォスが異界に干渉を行った瞬間であった。入り込んできていた者たちは巧妙な術を使っており、アングルトォスは、それがどこからやってきているものなか、そのルートを探っているときに、1人の神稚児に出会う。そう、その者こそが、京城二楽であった。
京城二楽は、明治時代の初め頃に、長野県のとある集落で生まれた。生まれながらに特異な力を持って生まれた彼は、やがて人々に崇められるようになっていく。しかし、その先に待っていたのは、異端視と強すぎる力への畏怖。さらに、神という皮をかぶせられ、挙句、「裏切った」「裏切られた」と喚かれ、家族を失い、土地を追いやられた。
最初は、その集落を恨んだ。しかし、どこへ行っても、待っている結末は同じであった。「破禍神の子」とまで呼ばれるようになり、どこにも居場所はなくなった。
しだいに、二楽は、自身にこんな力を与えた神を、自身と同一視された神を恨むようになった。そんな折、接触してきたのがアングルトォスと名乗る神であった。
アングルトォスは、自身を「『安寧の神』である」と名乗り、絶望する二楽に力を貸し与えるという。最初は「神」であるアングルトォスを信じられなかったが、その後も繰り返し話しかけてくる内に、自然とその言葉に耳を傾けるようになった。
この時期には、まだ、二楽には神殺しの野望があっても、アングルトォスは、それを良しとせず、神の力の使い方について教えていただけであった。
その関係にひびが入ったのは、それからだいぶたってからのことである。結局、異界からの介入者がどこから来ているのかを突き止められなかったアングルトォスであったが、その異界からの介入者が、何かの実験を繰り返し、バルステランド帝国の元老院にまで食い込み、カランドール教にヴァードベル新派なる派閥を生み出し、破壊神ヴァードベル=サールマンの復活を直々に行おうとしていたのだ。
しかし、破壊神の封印を解くには、新月の夜というという条件がある。「月喰い」の魔法も、普及しているものでは、月を一つ新月に変えるのに2日、その後1つ増えるごとに乗算して日数がかかる。全ての月を新月に変えるころには1つ目の月は新月ではなくなってしまうのだ。それが5つの月が浮かぶヴァチェンズという世界における常識であった。
だが、こともあろうに、その介入者たちは、異界でその封印を解こうとしたのである。封印の欠片……つまり鍵のようなものであるが、それらを盗み出し、月が1つしかない異界で「月喰い」の魔法を使い、破壊神を復活させる目論みであった。
そして、その目論見は成功してしまう。アングルトォスたちの加護もむなしく、そのたくらんだ者たちは、異界へと渡った。彼らにできたのは、それを追う者たちに願いを託すことぐらいである。そうして、バルステランド帝国の勇士たちが異界に追いかけていった。
異界で復活しようとも、その破壊神ヴァードベルが、ヴァチェンズに戻ってくる可能性は高い。それゆえに、創造神とその配下の神たちは、どうするか協議していた。異界に介入するのはよくないというものもいれば、この世界が異界に不和をもたらす方がよくないというもの、自分の担当領分ではないから関係ないというもの、神々の意見が分かれに分かれた結果、神々が異界に干渉するのはよくないという結論に至る。
そして、異界において、破壊神ヴァードベル=サールマンは11の徒を伴って復活を果たした。「第零位徒」ヘルヴィム=ド・ヴィース、「第一位徒」ゲルヴェンド、「第二位徒」ヴァン、「第三位徒」ガルズレットルーズ、「第四位徒」シュヴァールン、「第五位徒」ビュスタルフ、「第六位徒」デュセルフ、「第七位徒」ジューゼフ、「第八位徒」アストード、「第九位徒」ベルグール、「第十位徒」ドンガースの11の徒は、バルステランド帝国の勇士たちをことごとく打ち倒し、破壊神が暴れ出すのも時間の問題だと思われた。
そう、思われた、だけであった。破壊神の徒たちを数瞬の間に細切れにし、破壊神すらも切り伏せた死神の如き存在により、それは食い止められたのである。
そこまではよかった。そう、そこから先がアングルトォスを狂わせたのである。
破壊神が「封印」ではなく、「完全消滅」したのである。それはすなわち、世界において大きな「安寧」がもたらされた。「安寧」がもたらされたということは「安寧の神」アングルトォスにおいては大きいな意味がある。
それは「安寧」という概念が不変のものとして刻まれることである。特に、「世界を破壊する神」という、その世界の「終焉」を晴らしたということは、小さな不和はあれど、「世界が滅亡するほどの危機」つまり「安寧が覆る」ということはなくなり、「安寧」という概念は永遠に定着する。
それがアングルトォスに何をもたらすのかというと、「不変」であり「不滅」である。そう、つまり、その瞬間から、アングルトォスは死ぬことがない絶対的存在へと変質したのだ。
神とて不死ではない。神殺しと呼ばれる概念が存在するように、神であっても死ぬことはあるとされている。しかしながら、アングルトォスは死ぬことができない。世界が滅亡しようとも、神殺しの神に殺されようとも、死ぬことはない。それらはすでに試している。
そう、不滅不死が必ずしもいいことではない。「安寧」となってしまったがゆえに、全てを失い、引き換えに不滅であり不死となった神こそがアングルトォスである。
彼はあらゆる方法で自身を消滅させる方法を考えた。しかし、彼の知る限りのあらゆる方法を使っても、自身が死ぬことはなかった。神殺しの神と呼ばれる概念ですらも、彼には意味をなさなかった。しかし、その思索の果てに、アングルトォスは、たった1つの可能性を思いつく。だが、それは気まぐれで、偶然で、それを必然的に行う方法はないため、断念しかけた。だが、調べていくうちにあることが分かる。
だからこそ、アングルトォスは、京城二楽をそそのかした。神殺しの神を使って行うことが、それを呼び寄せる可能性のあることだから。しかし、時間が限られていた。それが近くに来るタイミングで、神殺しの神を目覚めさせなくては意味がない。だからこそ、アングルトォスは、神無月である10月ではなく、今この6月を選んだのだ。煉夜の言う通りに、そうでなくてはならない理由がそこには存在した。
神を殺すという京城二楽達「不浄高天原」の目的と、自身を殺すというアングルトォスの目的が重なったからこそ、こうして、「神殺しの神」という力を使っての神の殲滅を行おうとしていたのだ。異界にいる「神殺しの神」を……つまり、春谷伊花という存在をなぜ「不浄高天原」が知っていたのか、というのも、神であるアングルトォスが異界を渡り、その存在を見つけたからに過ぎない。神である彼にすれば、「神殺しの神」という神が避けるそれを見つけるのはたやすいことであった。
だから、死なないのであればこそ、春谷伊花をこの場で、なんとしてでも手中に収めれば、自身の勝利が決まるのだ。「不浄高天原」の狙いがどうであれ、少なくともアングルトォスの願いは。
「ふむ、なるほどな」
そんな折、耳によく通る声が聞こえた。紫泉鮮葉。猪苗浮素と同様に、アングルトォスでもよくわからない異質な存在。その声が、
「模倣は完成した。時間はかかったが、どうにかやったぞ」
そういいながら、彼女は後ろの機材のボタンを押した。よく考えてみれば、明らかに機材が多い。春谷伊花を覚醒させるのに、あれだけの機材が必要だと彼女は言っていただろうか、そんな風に、アングルトォス思った。
「模倣が、完成……、まさか、目も」
「ああ、そうだよ雪白。いつまでも不完全なままにしておくと思ったか?
すでに、眼も搭載してある。何しろ、この体は、最高傑作なものでね。不備があったらすぐにでも直すに決まっているだろう」
そして、その瞬間、今ここに、一つの概念が誕生する。「神殺しの神」という概念が。人が「神を創る」などということはあり得ない。人には許されない領域のことであり、アングルトォスは彼女の目的を聞いたときに、絶対になしえないことであると思っていたし、成功するはずはないと確信していた。なぜならば、人に過ぎた領分を犯そうとするならば、抑止力という壁が立ちはだかるからだ。だからこそ、紫泉鮮葉の目的は達成できないと思っていた。
だが、成功した。彼女は、今、まさに――神殺しの神を模倣し、神を創ったのだった。




