290話:神を殺す者たち・其ノ捌
煉夜は、「流転の氷龍」を構えながら、目の前の京城二楽の身体を使うアングルトォスという神と戦っていた。その攻防において、優勢だったのは煉夜である。それには理由がいくつかあった。まず、煉夜の持つ「流転の氷龍」が神器級のアイテム宝具であること、次に、アングルトォスが人の位まで格を落としているため真価を発揮できていないこと、そして、京城二楽の肉体の限界が近いため肉体の性能において圧倒的に煉夜が優位であること。
「その神器、なるほど、力を流動し乱れさせる類と見た。ならば、乱せぬ攻撃を行えば問題ないだろう」
数度の攻防によって、天罰などの力でも魔力や神力を介している場合は、力が乱され定まらず、攻撃の形成を妨げることを理解した。そうであるのならば、それらを介さない力を使えば、その攻撃を「流転」させることはできない。
「我が呼びかけに応え、『安寧の使者』よ、この場に現れよ」
アングルトォスは3体の眷属を有する神である。「安寧の使者」というのは、その3体の眷属の総称であった。
「眷属召喚の類か。お前が召喚するのではなく、向こうが転移する形での」
その場で直接呼べば、その召喚自体を乱されかねないので、その効果範囲外で呼び、そのまま向こうで転移の魔法を行使させて、この場に転移させるという方法で、それをしのいだ。
そして現れたのは3体の獣。「安寧の使者」を形成するのは、両翼と胴の3体。「安寧の右羽」超獣茶猛翼狼、「安寧の左羽」超獣黄猛翼豹、「安寧の肉体」幻獣茶猛大鹿。どれも幻獣や超獣であり、かつ神の眷属であるために、相応の力を持っている存在である。
だが、しかし、アングルトォスは知らない。目の前の男が、異界において、どのような異名で呼ばれていたのか、という、この瞬間において最も重要な部分を。
茶猛翼狼は、超獣の中でもかなり小さい類で、一見すれば魔獣などとも違わないくらいの大きさの狼である。そうはいっても、人の体躯以上の大きさを持つ獣であり、その威圧感は途方もなく強い。そして、その脅威は普通の狼にはない翼による飛翔の魔法と驚異的なまでの力である。
黄猛翼豹も、超獣にしては小柄な豹であり、その脅威は普通の狼にはない翼による飛翔の魔法と驚異的なまでの速度。瞬間速度は通常の人間では知覚できないほどに早いとされる。
そして茶猛大鹿。大きさだけで言えば、他2体よりも大きいが、速度や力では、それら2体に遠く及ばない。されど、その角から放たれる様々な魔法は驚異的だ。
そう、驚異的である、が、それはあくまで普通の人間たちにとっての話である。今、その超獣たちを目の前にした男には異なる。
人間の知覚速度外の速度で煉夜の背後を取った黄猛翼豹が、そのまま前足によって煉夜の身体を裂こうと振り下ろすが、それを振り向きざまに躱しながら、逆に振り下ろされた右の前足を切り飛ばす。
その煉夜に向かって上空から茶猛翼狼が全体重を乗せるかのように突撃してきたが、それを「流転の氷龍」から出現させた氷によって防ぎながら、氷の段差を足場にして、その上まで跳びあがり、翼を切りつける。空中だったので力が入りきらず、切り落とすまではいかなかったが、それでも翼にダメージを与えられた。
再び黄猛翼豹が煉夜を狙い、迫る。それに合わせて茶猛大鹿が、大きな角から衝撃波を飛ばしてきた。二方向からの攻撃の内、衝撃波は、フィンガースナップもなしに放った無詠唱の魔法で相殺して、黄猛翼豹の左前足を「流転の氷龍」で受け止める。そこにすかさず茶猛翼狼が突進してくるが、黄猛翼豹を氷漬けにして、そのまま転がり避ける。そのまま2体同士が衝突しあう中、茶猛大鹿が再び魔法を放つ。炎の塊をいくつか放ったが、それを煉夜は、フィンガースナップとともに、それよりも威力の高い炎の塊で打ち破り、そのままぶつける。
そして、一気に距離を詰めて、茶猛大鹿を両断、そのまま魔法で茶猛翼狼の四肢を封じて両断。黄猛翼豹は氷漬けにされたまま動かない。
それらが、行われたのは、5分にも満たない時間であった。煉夜が眷属たちと戦っている隙に、春谷伊花を手中に入れようと考えていたアングルトォスであったが、彼が動く間もなく、あっという間に眷属たちは片付けられてしまった。
「3対1とはいえ、幻想武装を使った俺相手にこれだけ持つとはなかなかなだな」
普段の煉夜であったら、もう少し苦戦したかもしれないが、彼の手には今、いつものスファムルドラの聖剣アストルティではなく、「流転の氷龍」が握られている。だからこそ、その状態でここまで持ったのは、超獣2体と幻獣1体とは言え、なかなかに手ごわかったからだろう。
「馬鹿な、我が眷属は、神獣の域には達していないものの、それこそ、破壊神の11の徒たちとも互角に渡り合えるほどの超獣と幻獣だ。それをものの数分で倒すなど、人の身ではありえない。例え神器があろうとも、その戦い方が根本的に人間のそれとは異なるはずだ」
そう、例え、神器を受け取り、魔王を討った勇者であっても、超獣や神獣の類との戦いは、そう勝てるものではない。それは単純な図体の大きさ、力の強さの問題である。大きいから当たりやすい、という単純な話ではない。大きいということは、それだけに勝手が異なる。普段なら腕を切り飛ばせる斬撃であっても、腕が大きければそうはいかない。
今までの感覚とは異なる、別の戦い方をしなくてはならず、そして、それにはすぐに対応できるはずもないのだ。
「悪いな、俺は向こうの世界では『獣狩りのレンヤ』なんて言う通称で呼ばれるくらいには魔獣や幻獣、超獣、神獣の類とは戦い慣れているものでな」
例外として、この場にいる煉夜について、アングルトォスは紫泉鮮葉が言っていた常識外の人間であるということ程度しか知らない。そう、煉夜たちがアングルトォスの詳細を知らないのと同様に、アングルトォスも煉夜のことをほとんど知らない。
「ば、馬鹿な、神獣を相手取る人間など、それこそ……」
神獣と戦える人間というのは、すなわち、神と戦える域にいる人間ということである。もっとも、概念上の神というものに届き得る力があるかどうかは分からないが、少なくとも、神がその身を地上に降ろしている存在と同様に、神格を有している神獣と戦えるのは、それこそ、神器を有している程度では到底なしえない偉業である。
「さて、まだ足掻くか、神様とやら」
再び「流転の氷龍」を構える煉夜。しかし、アングルトォスは、一度、目を閉じてから、ふっと息を吐く。
「ああ、足掻くとも。それに、お前に我は殺せない。それは、この京城二楽がどうこうという話ではなく、概念として存在しているアングルトォスという神を殺すことは何人たりとも成し得ない、ということだ」
この場で京城二楽を切り捨てるのは簡単なことであろう。しかし、それで、アングルトォスを倒したかといえば、それは別の話である。ただ依り代を失ったに過ぎず、アングルトォスは倒したことにならない。だが、それ以上に、その神アングルトォスを殺すことは何人にもできない、と彼はいったのだ。
「誰にも、だと。いや、俺ならばまだわかる。だが、『神殺しの神』なんていうものがいるこの場で、『何人たりとも』、だと?」
そう、普通に考えるならば、人の身で神を殺すことはできない、ということを暗に言っているようにも思える言葉であったが、今、この場には「神殺しの神」を宿す春谷伊花がいる。そのうえ、その力を使ってやろうとしていることは、神々を殺すことである。であるならば、「神殺しの神」で「神」を殺すことは可能なはず。だからこそ、ここでの「何人たりとも」という言葉を遣うことには、それ以上の意味があるということだ。
「まさか、お前は、『神殺しの神』の力でも死なない神ということか」
どういう理屈かは煉夜にも知る由もなかったが、それでも、今の言葉を考えるのならば、そう推測できる。
「ああ、そうだ。すでにそれは試している。『神殺しの神』で我自身が死ぬかどうか、そして我は死ななかった」
死ななかったというべきか、死ねなかったというべきか。しかし、アングルトォスは、それゆえに、ここにいる。
「では、『神殺しの神』で死なないあなたは、全ての神々を抹殺して唯一神にでもなるつもりですか?」
そう話に割って入ったのは、ファイスを倒した四姫琳であった。彼女の疑問も至極全うなもので、現状の材料だけで推理するならば、そうなるであろうと、煉夜も思った。だが、煉夜がそれを口にしなかったのは、どこか違うというものを感じていたからだ。
「違うな。そんな理由で、こんなことをする必要はない。全ての世界での唯一神を目指すなら、ここで苦戦したら別の世界で似たようなことをやればいい。この世界にこだわる理由もないだろ。それでも、この世界のこのタイミングでこれを行おうとした、それに必ず意味があるはずだ」
それは、本当に憶測でしかなかったが、しかし、それもまた事実である。アングルトォスという神が、この世界にこだわる理由が薄い。京城二楽の野望を叶えるためだとしても、この絶望的な状況になってまで、二楽のために力を貸すメリットはアングルトォスに一切ない。
「見事だ。だが、肝心の何かをお前は知らない。まあ、もっとも、それを知る者の方が少ないから無理もないことだがな。なぜなら、知ったもののほとんどは、知ったときには死ぬからだ。だから知るものは一部だけ、たどり着けないのも無理はない」
そういいながらも、アングルトォスは、自身がどうして、こうしているのかをおぼろげな記憶とともに思い出していた。全ての始まりを。




