029話:京都幻獣事件其ノ弐
教室で授業を受けていた煉夜たちは、2限が終わり、3限が始まろうとしている、そんな折に、全校放送が入ったことで、授業が中断された。
「ただいま、京都全域に避難警報が発令されました。生徒たちは直ちに避難してください」
そんな放送に慌てた教師たちは、生徒に避難するように指示を出し、とりあえず避難路を通って生徒たちを逃がしていく。そんな中、煉夜は空を見上げる。魔力と霊力が入り乱れて空に魔法陣を描いていた。まだ、一般には見えていない。だが、霊力が見える者、魔力が見える者には見える光景だろう、と思った。
「雪白君、速く逃げないとダメですよ」
そんな空を見上げる煉夜に気付いた雪枝が、煉夜に近寄り、そう言った。それに対し、煉夜は静かに言う。
「逃げるってどこにですかね?京都全域に避難警報ってことは、このまま体育館に行くわけにもいかないでしょう」
上を見たまま視線を戻さない煉夜に対して、雪枝はその視線の先に何があるのか辿りながら言葉を返す。
「地下シェルターに、と言う予定ですけど、そもそも何に対する避難なのかもわかりませんからね。とりあえず、地震ではないそうですけど」
地下シェルター。そんなものがこの学校の地下にあったとは、とそんなことを思いながら、流れ蠢く魔力と霊力に眉根を寄せる。
「雪枝先生、速く地下シェルターに行ってください。俺は大丈夫ですから」
にっこりと視線を空から戻し、煉夜は雪枝に微笑みかける。その笑みにほだされた雪枝は「早く来るんですよ?」と念押ししてから去って行った。もはや、召喚されるのも時間の問題だろうと、煉夜は胸に提げた宝石を握る。使わないと決めていた。だが、日本が廃墟となるのは流石に……、
「あら、逃げていなかったのね」
煉夜に向かってそんな風に声をかけたのは水姫だった。どうやら水姫も逃げる気はさらさらないようで、煉夜の横に並ぶと空を見上げる。
「私は、……今からあの場所へと行ってくるわ。貴方は逃げなさい。司中八家とはいえ、分家の貴方ができることはないわ」
それは彼女なりの気遣いなのだろう。煉夜を巻き込まないように、と言う水姫なりの配慮がその言葉に込められていた。そして、彼女はそのまま、校外へと出て行く。煉夜はその背中を見送った。
実際に、ガベルドーバが現れるのならば、地下シェルターに潜ろうと意味はないだろう。それゆえに、煉夜は外にいた。前に煉夜は、ガベルドーバに関して、雷司にこんなことを言っている。
「いや、まあ、あの頃は、大規模な力押しを覚える前だったからな。今度、戦うことがあれば、俺と【緑園】だけで圧倒できるだろう」
と。まだ、向こうから帰ってきて間もない、雷司と知り合った日のことである。煉夜はその言葉をじっくりと思い返していた。
(【緑園の魔女】……、あいつがいれば……。だけど、あいつは、もう)
煉夜の思い浮かべた緑の髪をした女性は、既にいない。だからこそ、煉夜は、どうするか考えているのだ。いざとなれば、京都を犠牲にすることになるが、ガベルドーバを倒すことはできるだろう。
砂漠ならば、その判断も簡単だ。周囲の人間さえ巻き込まないのであれば、使うこともあったのかもしれない。しかし、逃げ遅れた人、逃げられない人、逃げようとしない人が居るこの京都で、その暮らし事壊す勇気は煉夜にはなかった。
人の暮らしと言うのは、そこに家がある、と言う単純なものではない。災害により全てが壊滅したとして、人々は別の地に移るだろう。では、その壊滅した土地を整地し、新たに住居を建てたとして、そこには人が戻ってくるだろうか。答えは否である。そこには人の戻ってこない「新築の廃墟」が出来上がるだけだ。
つまり、ガベルドーバとは災害に匹敵するだけの存在であり、煉夜もまた、それと同等の災害的力を有している。だからこそ、気軽に使えるものではない。そう言う意味でも煉夜は本気を封じている。尤も、これは対外的な理由、建前であり、本当は、別に理由がある。
「まるでこの世の終わり、みたいな空模様ですよね、お兄さん」
いつの間に居たのか、煉夜にも分からないが、目の前に小柴がいた。思いを馳せ、天を見上げる煉夜は気づいていてなかったが、しばらく前にはここにいたのだ。
「ああ、そうだね。だから、とっとと避難しないとな」
そんな風に言う煉夜。それに対して、不敵に微笑む小柴。その時、地面が揺れた。天が眩い光を放つ。そして、魔力と霊力で編まれた魔法陣から、にょきりと四足が見え始めた。
(間違いない、あれは幻獣、……ガベルドーバだ)
それを見た煉夜は確信した。今からこの世界に降りてこようとしているのは紛うこと無き、幻獣。それも、ガベルドーバである、と。
「おふてんちゃーん!お兄ちゃん!逃げないと危ないよぉ~!」
そして、小柴と煉夜を見つけた火邑が寄ってくる。それに対して、小柴は静かに、それでも重みのあり言い方で火邑に言う。
「ううん、逃げてもダメだよ。地下シェルターなんかじゃ守れないし」
どこか実感のこもったような、そんな言葉に、火邑はポカンと口を開けていた。
「それにね、火邑ちゃん。わたしが誘拐された時は、火邑ちゃんが助けに来てくれた。だから、今度は、わたしが火邑ちゃんを助けたいの」
そう言って煉夜の横に並ぶ小柴。揺れた髪は、淡く緑色に染まっていた。その姿に、煉夜は思わず【緑園の魔女】を幻視した。背や格好は全然違うにも関わらず、雰囲気はそのものだった。
「だから、お兄さん……、ううん、レンヤ君、ガベルドーバを倒しましょう。あの時の復讐と行こうじゃない」
笑うその姿は、煉夜の知る【緑園の魔女】そのものだった。不敵な笑み。ここにキッカ・ラ・ヴァスティオンがいれば、あの時の再現となっただろう。
「そうか、お前……【緑園の魔女】」
誘拐事件のあった日、助けに来た煉夜に対して、煉夜が「強さも弱さも知っている」と言う趣旨の発言していた。強さ、その魔法、弱さ、その死にざま。だからこそ、彼女は知っていると、そう言った。
煉夜と小柴のやり取り、それが分からない火邑だったが、両者の間に何か特別なものがあるのは、なんとなく分かっていた。
そして、その間にも、天から落ちようとしていた幻獣は、その姿をだいぶ見せていた。目撃者もそれなりに居るだろうことから、この後始末は大変だろうな、と煉夜はそんな感想を抱く。ガベルドーバを前にして、もはや、恐怖はなかった。
「空から落ちてくるってのは都合がいいな……」
煉夜は笑う。雷司に断言した通りに、もはや煉夜と彼女の2人にしてみれば、あれは敵ではないのだ。
「【緑園の魔女】、広域殲滅魔法だ。できるな?」
ニヤリと小柴に聞く。小柴は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに不敵な笑みに戻り、静かに頷いた。
「はい、もちろん。レンヤ君こそ、あの頃は使えなかったみたいだけど、今は使えるんですか?」
小柴の言葉を鼻で笑う。そして、小柴の方へと手を差し出した。小柴はその手をそっと握る。その瞬間、握り合った手の甲に互いの聖紋が浮かび上がる。
「きちんとユリファに習ったさ」
煉夜の手の甲の聖紋は【創生】、小柴の手の甲の聖紋は【緑園】。互いが共鳴し合うように淡く輝きを放つ。その光景はあまりにも神秘的で、思わず火邑は声を漏らした。
「うわぁ……」
圧倒されているような、魅了されているような、そんな感嘆の声。そして、煉夜と小柴は繋いでいない方の手を上空のガベルドーバの方へと向ける。その出現状況は8割といったところである。
「それじゃあ、いくぞ。あいつが全部召喚されきった時が勝負だ」
そう一部も残さないために、微塵も残さないために、全てが召喚されきって、地面に落ちるまでの瞬間こそが消滅のチャンスである。
目を閉じ、まるで全魔力を集中するかのような、そんな風に、握った手に魔力が迸っていく。煉夜と小柴、互いの魔力が一つになる。
「――八の方に連なる聖女よ、この身に力を」
「――神に叛逆せし六の魔女よ、この身に力を」
「――その身に刻みし十四の聖紋よ、我に力を」
「――その身に刻みし烙印の名々よ、我に力を」
「――世界に穿て、」 「――世界を殺せ、」
「――捧げるは、【創生】」 「――捧げるは、【緑園】」
天はひび割れ、幻獣ガベルドーバがついにその全身をこの世界に表す。その強大な存在は、重力に身を任せ地に堕ちようとしていた。
「「広域殲滅魔法――ラ・ヴァルロテア」」
瞬間、ガベルドーバの直下に巨大な魔法陣が形成される。幾何学的な造形が瞬時に展開され、そして、そこから何かが湧き上がるように天へと光が溢れだす。魔女、もしくは魔女の眷属、聖女、もしくは聖女の眷属が2人いないと行うことのできない広域殲滅魔法。「穢れ堕つ乙女の嘆き」。その名とは相反する印象の白く優しい光が、ガベルドーバを喰らい尽していく。穢れを浄化するように……、否、穢れすらも呑みこむように。
1の穢れに対し、ほぼ無限の光。混ざったところで、それはほぼ無限の光に他ならない。無限の輝きが、ガベルドーバを光の粒子へと変貌させていく。次第に、それは儚い夢幻だったかのように消えていく。1の穢れすらない、光へと。
瞳を閉じ、片側の手を結び、片側の手を天へと掲げる2人は、まるで、共にダンスを踊り終えた後のようでもあった。
空ではまだ、光の粒たちが踊っている。勝利を讃うように、優雅に、優美に、絶え間なく踊り続けていた。




