289話:大和国の天と呼ばれた女
かつて、世界は滅亡の危機に瀕していた。「箱庭」と呼ばれた、そことは違うどこか別の世界の「滅んだ世界の遺産」、別名「消失世界の遺産」により、4つの世界が亡びを迎えようとしていたのだ。
その4つの世界の中の1つに大和国という名前の国があった。日本に相当するその世界においては、戦国時代の最中、「箱庭」による「蝕み」の影響で、人口が極端な減少を見せ、諸大名や幕府、朝廷、一般人に至るまで多くの人間が命絶えてしまう。
足利将軍家の跡取りが絶えたことにより、その世界では、吉良家が将軍家を継いだのだが、その吉良家も絶え、結局、今川家がその後を継ぎ、室町幕府を継承することになったのだが、その上に立つ者も誰もいなくなり、結果として、国を治めるのが室町幕府の役割となり、かつて、別の立場にあった現人神としての性質を崇められるようになった室町幕府の将軍たちが背負い、血筋的というのもあるのであろうが、後天的に現人神としての確立を経たのがその世界の今川家であった。
しかし、現人神としての性質を背負った以上、世の人と同じく、姓を名乗るのはおかしいとし、ただ「天」と呼ばれ、その名前が継承されるようになった。
四姫琳が生まれた時点で、「蝕み」が世界の7割を占め、人もほとんど存在しなくなっていたために四姫琳以外の跡取り候補などいなく、彼女は生まれた時より「天」と呼ばれ、その国を導くことが決められていたのだ。それゆえに、彼女の本名は「天」である。
ただし、その隠し名として、代々、今川としての名前が継承されており、それこそが「今川氏鬼里」であった。「蝕み」により、世界が滅ぼされ、全ての人を失った世界でも、彼女は「天」として生き残り、しかし、崇めるものもいないのに、その名を名乗る資格はないと、「天」を捨て、「今川氏鬼里」として生きていくことを決めた。
その時に、滅んだ4つの世界の四姫琳以外の生き残り達で結成したのが「箱庭の小宇宙」という組織だ。フィリップ・ジョンやエミリー・バデッサ、ガイデム・ジン、雪村火津姫、ナギィ・プギィ、クーザ・灰戸・ユーゼル、四姫琳を加えても7人ととても少ない組織ではあるが、それぞれが「蝕み」により滅びた世界を生き延びた「例外」であり、そして、それぞれの滅びた世界の遺産、「消失世界の遺産」を保持している。
その事件が起きたこと自体、時空間統括管理局設立前の色家戦争と同時期の端の世界での出来事であったが、4つの世界が滅んだことから、大規模な犯罪事件としてあげられ、「揺れる箱庭」という事件として記録されている。ただし、実情は、この7人しか知らないため、謎が多いとされ「箱庭の小宇宙」が犯人なのでは、というのが一般的な説となるほどであった。
それから彼女は、「箱庭の小宇宙」を離れ、世界を放浪している中、神代・大日本護国組織に勧誘を受け、第二師団「氷点姫龍」に入団。仕事をしているうちに、現在に至る。
四姫琳は、弓につがえた矢を引いて、目の前の男へと向ける。煉夜と二楽の方は意識から外す。ファイスは捨て身と言ってもいい覚悟で攻撃をしてくる。余計な部分に意識を割いていると、その隙をつかれる可能性がないとは言えない。
その手に持つ大きな弓、「疑似・雷上動」。雷上動は、源頼光が夢の中で椒花女より授かったとされる弓であり、頼政が鵺を射抜いた時の弓であるともされる。源氏に伝わるそれをレプリカとはいえ、四姫琳が持つのは、今川家も源氏の血筋であるためであろう。
彼女は、先ほどから、ある場所を狙って射っていた。正確には、手足のような急所を避けるふりをして、別の場所を狙っていたのである。
と、言うよりも、そうでもなければ、ファイスが身体強化の魔法を使っていようとどうしようと、四姫琳の弓矢を躱すことはできない。彼女には信仰性後天的才能がある。
信仰性後天的才能とは、その文字通り、信仰により後天的にその人物の才能となった技能である。祈りとあるが、正確には、そうあると想像された、というべきであろうか。特に、最後の王として、最後の神として、最後の人として、人々からの思いを一身に受けていた彼女にはその傾向が強い。
それゆえに、「海道一の弓取り」という弓の名手の才能、「鹿島新当流」の担い手という剣の名手の才能、「世界最後の神なる人」という奇跡を与える才能など、彼女は、人々の願いや思いによって、後天的にその才能を授かり、それを自身の技能に昇華している。
彼女が魔法を詠唱など必要としないのも、半神であるというのもあるが、「奇跡を与える」という力によるものである。
「これで最後の一矢です。本当に降る気はありませんね」
それは最後の勧告であった。すでに仕掛けは終えている。その仕掛けを使用するか否かは、この最後の一矢にかかっていた。だからこそ、もう一度、彼女は問いかける。
「ああ、何度言われても変える気はない。それに、最後の一矢だと、ふざけているのか」
最後の一矢と言われているからには、次の矢で仕留められると思われている、つまり、侮られているのだ、とそう思ったファイスは憤慨する。しかし、そうではない。最後の一矢だと彼女が宣言しているのは、本当にその通りであるからだ。彼女が外すことがないし、そして、当たればファイスは倒れる。ゆえに、「最後」なのである。
「ふざけてなどいません」
そういいながらも四姫琳は矢を放つ。まっすぐに飛ぶ矢が、ファイスの横をすり抜けて背後の地面に刺さる。どこを狙っているのだ、と振り返ったファイスが見たものは、円形に刺さった青い矢羽の矢と、それを割くように二線を描く赤い矢羽の矢。
「これ、は……」
そこでファイスの意識は途切れた。まるで体と魂が割かれるような痛みとともに。
「水破と兵破、これもレプリカではありますが、その効力は本物と同等。鵺のような幻妖怪異にも効果をもたらすそれは、魂を裂く水破と肉体を裂く兵破によるもの。この印は、その効力を具現とするものです」
鵺退治に用いられたという雷上動と水破、兵破。それは、鵺を退治できるだけの力を持った弓矢である。幻獣である鵺に届き得る攻撃は少ないが、水破という矢はその魂を裂く力を持ち、兵破という矢はその肉体を裂く力を持つ。その2つにより、鵺を退治することが出来たのだ。しかし、それはあまりにも強すぎる力であり、人に放つには過ぎた武器である。それゆえに、一時的に魂を裂く力と肉体を裂く力を具現化するという方法を取った。
彼女が刻んだ印は、足利二つ引きと呼ばれるものであり、今川家でも使われることのある家紋である。そして、それは、彼女の深奥に刻まれて継承された「足利」の印でもあった。それゆえに、彼女はこの印を好んで使用している。
名を捨てても、彼女は「天」として、一国を治めたものであることには変わりないのだ。印であったり、信仰性後天的才能であったり、疑似・雷上動であったり、そうした生きてきたものは全て、今の彼女の中にあるのだ。駿部四姫琳、その偽名も、その1つである。
彼女と会った雷刃美月が言っていた言葉、「『四』に『姫』に『琳』。どれも、名を隠しながらもあなた示すいい表現であると思うがな」。今川を示す駿府に因んだ「駿部」に、滅んだ4つの世界、姫という帝の身分、琳という磨かれた宝玉から連想される高貴な身分、そして「しきり」という読み。それらは全て、彼女の人生そのものを表すものだ。それゆえに「あなたを示すいい表現」と美月は評したのである。
「さて、こちらは片が付きましたが、後は向こうですね」
煉夜とアングルトォス。そちらの戦いは、こちらとは違い、熾烈なものになることは分かっていた。雪白煉夜という人物、その能力の高さ、それは神に届き得る素質である。そして、相手は、人の身に宿る神、つまり、本来、天上にいる神よりも格と次元を落としてこの世界に存在している存在。そうであるならば、超常の人間同士の戦いと同じである。それゆえに、熾烈な戦いになることは必然であった。
(ジョン、あなたが『理想の騎士』と評していた彼を見ましたが、あなたと別れてからも過酷な生を生き抜いて、その戦いを今、ウチに見せていますよ)
仲間がかつて語っていたそれを思い出しながら、彼女は微笑んだ。
「久しぶりだな、天ちゃん」
どことも知れない世界の果てで、久しぶりに会った友人に話しかけるように、その男は、四姫琳に話しかけた。それに対して、いかにも不機嫌という顔で、四姫琳は男のひげ面を見る。その周りには仲間の姿がないようであった。
「お久しぶりですね、ジョン。あなたたちとともに行動するようになった時点でその名前は捨てたといっているのに、いつまでその名前で呼び続ける気ですか」
いつまでもしつこく自身の捨てたかつての名前で呼び続けるジョンに辟易としていた彼女は、肩をすくめてため息を吐いた。
「いいじゃねぇか、細かいことは。それで、最近どうよ」
本当に世間話をするかのように、彼は、四姫琳に言う。彼女はそれを聞いて、もうため息も出ないという顔をしながら答える。
「特に何も。これと言って面白いこともありませんし、消失世界の遺産の情報も入っていませんね」
彼女はここ数年、いろんな世界を仕事で動き回っており、特にこれと言って面白いことなどなく、淡々と仕事をこなしているだけだった。
「そうか、つまらんなぁ」
「定職にもつかずふらふらしているジョンとは違いますから」
散り散りに行動している「箱庭の小宇宙」であるが、本当に何もしていないのは、フィリップ・ジョンくらいのもので、それぞれ、仕事をしている。
「おいおい、俺だって定職に就いてたんだぜ」
と、そんなことを言うものだから、彼女は思わず目を丸くして、一瞬、聞き間違いかと思って、わずかに考えるが、どう考えても聞き間違いではなかった。
「定職に……、あなたが……?」
「そ、定職に、俺が」
信じられないとばかりに、口を何度もパクパクと金魚のように開け閉めしていた四姫琳であった。
「まあ、ヤバかったんで、適当な理由付けて雲隠れしたがな」
その言葉を聞いて、安心すると同時に、「またか」という気持ちになり、ため息を吐きながら、ジョンをからかうように言う。
「また何かやらかしたんですか」
「ちげぇよ、今回は俺がやらかしたわけじゃない。それに、俺はあいつを間違っているとは思わない。ありゃ、よくあるすれ違いみたいなもんだな。まあ、それで国一つが崩壊の危機に陥っちゃ、よくあるとも言えんが」
何の話だ、と思い、彼女は、からかうのを辞めて、真剣に彼の言葉に耳を傾ける。
「何、ちょっと、真面目な、そうさな……ありゃ、理想の騎士ってやつなんだろう。忠誠を誓い、いかなる時も支えると誓った騎士。そう、スファムルドラ帝国最後の聖騎士、レンヤ・ユキシロっていうやつがいてな」
そうして、彼は、喜々として煉夜について語りだした。恩恵の話や騎士になった経緯、そして、その最後まで含めて。




