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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
凶星破断編
286/370

286話:神を殺す者たち・其ノ伍

 鳴雷殿の雷が、突如現れた暴風によって吹き飛ばされる。雷の結界が、塗り替えられるように形を変えていく。まるで、風の壁ができたかのように周囲を風が取り巻き、上空も足元も見えない何かに阻まれるかのように魔法陣が展開している。「鳴雷殿(なるいかずちのでん)――風塵界(ふうじんかい)」。暗転魔法の担い手の魔力変換資質が雷から風へと変わったことで、結界そのものも変質を起こした結果に出来上がったものである。


 そして、楓和菜は構えを取る。美月とは違い、彼女は、接近戦闘と魔法戦闘のどちらもハイレベルにこなす常人離れした存在である。独自に生み出した風門登龍拳法ふうもんとうりゅうけんぽうという体に風をまとわせた状態での格闘術を使用するほか、魔法も様々な種類を使える正真正銘化け物だ。


「さてっと、――風神化(クラス・アップ)


 すでに菩薩状態にまで引きあがっている浮素に合わせるように、彼女も「風神化(クラス・アップ)」をして、神格を降ろし、そこらの神では比べ物にならないほどの神気を放つ。


「九浄天神の風神……、あの九浄天神家ゆかりの風神の名前を持っている以上、その神格に疑いの余地はないのでしょうが、それでも、実際に目の当たりにすると、格の違いというか、神格の違いを感じられますね」


 楓和菜の異名にして、担う柱である「九浄天神の風神」であるが、「九浄天神」は、その名を冠する神社として神を祀るほどであり、その「九浄天神」の神と「九浄天神の風神」は異なる存在であるが、その「九浄天神」という名を冠することを許されている以上、その称号は、それだけの資格があるという証拠になるのである。

 数多の世界にあり、数多の世界で信仰されている多元の神に認められる、それがどれだけのことであるかを彼はよく知っていた。


「神格に違いなんてないわよ。ただ、背負っているものは、それだけ重いっていうのは理解しているけどね」


 風塵楓和菜という存在は、あらゆる世界において、風塵楓和菜として生まれる同率体としての運命を背負っている。それはすなわち、どの世界で生まれても「九浄天神の風神」という力を持って生まれることを運命づけられているということだ。

 それは、あらゆる世界における運命を収束することになる。それゆえに、彼女は数多の「九浄天神の風神」を背負っている。神格に違いはなくとも、その量に違いがある。だからこそ、風塵楓和菜は、並みの神を凌駕する神としての資質を有しているのだ。


「神が相手である以上、阿弥陀如来も許してくださるでしょう。

 ――涅槃境地……仏化」


 菩薩の先、本当の涅槃に至った状態である仏の力をその身に戻した浮素。それは、菩薩の力では、神と化した楓和菜には届かないからである。そして、相手が神であるならば、自身の直属の上司……という言い方も異なるが主人などに当たる阿弥陀如来も許すと判断し、仏に至った状態にまで、その力を戻したのである。


「御仏と戦うのは、流石に初めての経験ね」


 右腕を引き、左腕を胸の前で構える。風門登龍拳法ふうもんとうりゅうけんぽうにおける基礎の基礎、攻めの型、風碇(ふうてい)。この最初の型から様々な攻撃につなげるためのものである。


「凄まじい気迫。人の域を超え、神の域すらも……」


 そういいながらも、浮素は構えを取る。先ほどまでの少林拳の構えではなく、施無畏印と与願印である。大仏像などで一般的に知られている印相、その中でも施無畏印と与願印を同時に行っている大仏像では、牛久大仏などにもみられるものである。印相には様々な意味があるが、施無畏印は「恐れなくてよい」、与願印は「願いを叶え与える」という意味を持つ。この場合の、浮素の構えの意味としては、「全ての攻撃を受け止める」という意味に受け取ればよいだろう。施無畏印で相手に恐れを抱かせず、与願印の願いを叶えるという部分は相手の攻撃を受けるという意図になる。


「まずは、手始め、風門・絶衝發」


 風をまとった右腕が、身体の捻りとともに勢いよく伸び、接触と同時に風が解放される風門登龍拳法の攻撃型の基礎である。

 それを浮素はそのまま受ける。何もせずに、右腕が当たり、さらに風による都市一つを壊滅させるほどの衝撃が体を駆け巡る、が、まったくもってダメージはなかった。微動だにせず、ただ、それを受けるだけ。


「うっわぁ……堅った……」


 かつて、イガネアの死神……ユキファナ・エンドと戦った時に、楓和菜は「こういう戦いは大抵長引かない」、「最初の一撃で決着する」と言っていた。しかし、この場合は、その反対、いわば我慢比べである。


「三千大千世界を内包する仏に、都市を壊す程度の攻撃では傷一つ、いえ、痛み一つ与えられませんよ」


 それは挑発などではないのだろう。しかし、その言葉に、楓和菜はニッと口角を上げる。挑戦と受け取ったのだろう。


「風門・覇山功」


 風をまとわせた左肘による一撃と右手による一撃を合わせた複合技であり、本気の楓和菜が使った場合の威力は、世界1つを滅ぼす威力に匹敵するとされる。しかし、それも、浮素には効かない、が。


初継(つぎのて)・虎咆山衝」


 触れている拳から風を噴射し、相手との距離を無理やりこじ開けて、そこから、次の型へとつなぐ風門登龍拳法の繋型・継手。それも、継手は重ねるごとに風が重複し、威力が上がっていくという特徴を持つ。手を押し出す形で、風を押し出す技により、浮素の位置が動く。


ニ継(つぎ)・天魔崩楼」


 それを足でけり上げると同時に風で勢いよく上にあげ、天高く上がったところに、さらに別の技を叩き込む。


三継(にのつぎ)・風華湖乱」


 自身の回転を加えた跳び蹴りで、浮素をそのまま地面にたたきつける。


四継(みのつぎ)・天道百花『天拳』」


 それにさらに、世界を砕く拳を百発連続で叩き込む。流石に、この辺りからは、まったく痛みもない、とはいかないのか、浮素も苦悶の声をあげる。


五継(しのつぎ)・覇上後光天武『風燕』四狼月牙、六継(ごのつぎ)・四紋血漣『小暮』林衝天傑」


 その後も、ブーストをかけるように、徐々に威力の挙がっていく楓和菜の技を、かろうじて耐える浮素。七継(むつぎ)八継(なつぎ)九継(やつぎ)十継(くつぎ)十一継(とつぎ)と継手を重ねていく。

 風門登龍拳法における継手は、無限に重ねられるわけではない。徐々に大きく強くなる風と、そこから繰り出せる技の限界から、初継から十二継(といつぎ)までしか、継手は繋げられない。つまり、次の攻撃が、楓和菜のこの継手における、最後の攻撃。


十二継(といつぎ)風重(かざね)『絶』真桜(しんおう)!!」


 両の手で風を一点に集め寄せ、相手の中心に持っていき、一気に解き放つ風門登龍拳法の奥義の一つ。普通の相手ならば、……いや、ただの相手ならば十二継の前に決着がついているだろうが、それらを耐えうる相手でも、この継手を重ねた技であれば、身体の中心から貫くように伸び広がる風という名の刃に切り裂かれ、跡形も残らない。

 だが、それを、その一撃を、浮素は耐えて見せた。流石は神仏の領域だろう。だが、最初の攻撃では、傷一つついていなかったその身は、すでにあちこちから血を流し、ボロボロと言っても過言ではない。


光風(みつるかぜ)なしで、これほど、とは……」


 光風、それは、風門登龍拳法の神髄である。風門登龍拳法には、いくつかの型がある。攻めの型である風碇(ふうてい)、守りの型である風界(ふうがい)、繋ぎの型である継手(つぎて)、攻防一体の型である風雲(ふううん)、そして、全ての極致である最高の型である光風(みつるかぜ)。楓和菜が多用するのは風碇と継手であるため、他の型はあまり知られていないが、それでも一部では、その技について伝聞が残っている。曰く、一撃で世界群そのものを欠片も残さず消せる。曰く、その攻撃は見えない。曰く、絶対に避けることはできない。曰く……とそれらの話は、語られているものの、誇張された噂であろうと思うものも少なくはない。だが、その攻撃を実際に受けて、浮素はそれが誇張ではないことを悟った。


「さすがに、この結界程度じゃ、そんな大技使えないわ」


 肩をすくめる目の前の女性の規格外さに、改めて驚嘆する。その言葉を信じるのならば、仏に傷をつけた今までの攻撃は、彼女にとっては、大技でも何でもないのである。


「やはり、あなたが来てくださったのは、幸運でしたね」


 ボロボロの身体でどうにか立ち上がりながら、浮素はそう口にする。それは、あくまで本心であった。彼女と戦うことになったときには、自身に与えられる試練の重さにこそ、嘆いたものだが、それでも彼は最初から、「風塵楓和菜」という存在が現れたことに対しては、最悪であるが幸運であったと思っていたのだ。


「幸運……、ああ、地獄の釜の件かしら」


 さすがに、ここで攻撃を受けて喜んでいると誤解するほど楓和菜はとぼけていない。彼女がいうのは、椿礼守が捕らえられている装置のことである。


「ええ、そうです。やはり、あれが何かをご存じだったのですね」


 その言葉に、彼女は肩をすくめ、「まあね」とそっけなく返す。楓和菜にとってはあまりいい思い入れがあるものではないからだ。


「シルイデで1度、それ以外に何度が見る機会はあったのよ」


「シルイデ……、東業の……?!」


 むろんながら、楓和菜が知った一件のことを浮素も知っていた。しかし、それは、あくまで情報として、であるし、その一件に彼女が関わったという話は聞いていなかったために驚いたのだ。


「なるほど、あの件でならば納得できます」


 そううなずく彼に対して、楓和菜は微妙な顔をしていた。そこには、彼女にとっての疑問が残っていたからだ。


「それで、幸運っていうのは、どういう意味かしら。例え、いなかったとしても、て……いえ、今は今川氏鬼里ちゃんだったわね。彼女がいたならばどうとでもなったでしょう?」


 彼女の言葉に浮素はうなずいた。もちろん、四姫琳が千年神話浄土(スカーヴァティー)が動いていることを知っていたように、浮素も四姫琳がこの場にいることを知っていた。


「ええ、まあ、そうでしょうね。あの人は、神の血をつなぐ国主ですからね。地獄も天国もどちらにも干渉できたでしょうし、世界が滅ぶまでは、彼女が唯一の天と地をつなぎとめる楔でしたから」


 だが、だからこそ、四姫琳がいるならば、四姫琳が解決したであろうことが、彼にとっての楓和菜がいるといないでの違いなのである。


「ですが、あなたが……桜木迪佳がいたことで、それが変質しました。椿菜守さん自身が、椿礼守さんを救うという構図が出来上がったのです」


 侵入者が楓和菜であると分かった時点で、ナウレスともう1人、浮素と美月という構図はすでに出来上がっていた。そうなった以上、残る礼守を救出する役目は椿菜守が担うことも理解できたがゆえに、彼は「幸運である」と口にしたのだ。


「あんたが、礼守ちゃんだっけ、あの子を死なせないように立ちまわっていたのは納得できるんだけど、誰が助けたとか関係あるの?」


 もともとは、楓和菜……美月が来る予定などなかった。それゆえに、今回のことは計画されていたものではないはずである。


「ええ、ですから、本来は、そこはどうしようもなかったことが、椿菜守さんが直接助けられるという結果が得られたことが幸運なのです。そして、この『椿菜守さんが』という部分よりも、『椿礼守さんが助かった』ということに椿菜守さんが直接関わっていたということが大事なのですよ」


 本来、楓和菜が現れなかった場合ならば、助ける一切合切は四姫琳が行うことで、菜守が直接関わる可能性はかなり低くなる。


「礼守ちゃんが助かる……、椿菜守ちゃん……、加具土命……、地獄の釜……、地獄、地獄か、なるほどね」


 情報を元に彼女は、それらをつなぎ合わせ、浮素の言いたい意図を理解した。あまり納得のいく推理ではないが、ニュアンスは分かる、という程度のものであるが。


「日本神話における加具土命はイザナミの死因を作った存在だから神殺し、ということになっているけれど、日本神話では、その続きがあったわね」


 日本神話においては、その後にイザナミの死後、イザナギが黄泉の国にイザナミを生き返らせることを頼みに行く話がある。そして、イザナミは、死後の醜き姿を見られぬように、けっして覗かぬように、と頼むが、こと神話、昔話における男がそれを守った試しはなく、イザナギもそれにもれず覗いてしまい、これにより完全に決別してしまう。

 つまり、それによって、イザナミが生き返らないことが確定的になってしまったのである。


「この場合は、『神殺しの神』という概念を作るために、『礼守ちゃん』を『イザナミ』に当てて覚醒させようとしているわ。だから、」


 そう、菜守にとっての「イザナミ」に当たるのが礼守となる予定なのである。そして、『透一化』という美月が菜守に渡したアイテム。それに地獄の釜。


「ええ、そうです。地獄の釜、つまり地獄から『イザナミ』を復帰させるという事実を作るということは、『イザナミ』がよみがえるという、神話と反するものができます。そして、それは枷となりましょう」


 それは言葉遊びやおふざけのようなものだが、しっかりとした効力を持つ「枷」となるであろう。


「なるほど、加具土命の『神殺しの神』という概念は、あくまで『イザナミが死んだ』という事実から成り立つものであって、その後によみがえったのであるならば成立しないわけね。そして、その概念の否定というのは、菜守ちゃんの力の覚醒における枷になるわけか」


 死んだが生き返ったので死んでいない、という過程を無視した結果だけの話にはなるが、それでも、「神殺しの神」という事実を否定したということが、「神殺しの神」としての力が覚醒することを抑制するだけの枷となる、と浮素は考えたのだ。


「なるほどね、氏鬼里ちゃんでは、ただ、氏鬼里ちゃん自身が解放するだけだから、菜守ちゃんは関わらず、『認識』という結界が薄れるのね」


 これには、菜守が、礼守を地獄の釜から救ったという認識をしなくてはならない。ただ、訳も分からず救われたという事実だけでは成立しない。


「でも、そんな曖昧なもので、どの程度の効果が見込めるかしら」


 だから、それはかなり脆い認識による結界である。しかし、浮素には他にも勝算があった。


「ええ、だからこそ、椿菜守さんが直接救うという部分も大きな意味を持ちます。なぜならば、それは、神をよみがえらせたという事実、つまり、日本神話におけるイザナギとは違う選択を取った『イザナギ』という可能性の存在となるからです」


 つまりは、「神を蘇生させた神」という存在になり得た可能性の「イザナギ」の役割を菜守が背負うことになるのである。「神殺しの神」と「神を蘇生させる神」という、相反する存在が重なることで、相殺して、結果的に「神殺しの神」という概念を無力化できる。


「なるほど反対の概念をかけて、それを無力化するってわけね。なるほど、だからこそ、菜守が『直接』関わることが重要なのね」


 前半だけであるのならば、四姫琳に意味をよく説明させてから菜守の目の前で行えば成立しなくもないが、その場合は、「イザナギ」の役割が四姫琳になる。そうなると後半の考えは使えないことになる。だからこそ、菜守が直接関わって礼守を救うことに意味があるのだ。


「まあ、実際にそうなったのかどうかは、この暗転魔法を解けば分かることよね。そろそろ外も終わっているでしょうし、解きましょうか」


 そういうのと同時くらいに、「鳴雷殿(なるいかずちのでん)――風塵界(ふうじんかい)」が崩れ落ちた。

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