285話:神を殺す者たち・其ノ肆
世界が揺れるような感覚が浮素を襲うが、それは「鳴雷殿」そのものが、帯電を始めたからだ。空間そのものが雷によって編まれている結界だけに、浮素に逃げ場はない。しいて上げるとするならば、この空間そのものからの脱出のみが、唯一の逃げ場だが、彼の実力だと逃げ出す前に雷に打たれてしまうだけ。つまり、この場において、ここから無事にでるためには、目の前の雷刃美月という女性を倒すか、説得するほかない。しかし、彼は知っている。雷刃美月が説得に応じるような性格ではない、と。そうなれば、彼女が満足するまで戦うほかに、浮素の逃げ道はない。
もとより選択肢は一つ。ならば、全力を持って彼女に認められるだけの戦いをする、これ以外の方法はない。
そう思いながら、浮素は構える。ナウレスからしたら独特の構えに見えた彼の構えは、少林拳の構えである。少林拳、多々、少林寺拳法と混同されることがあるが、少林寺拳法とは日本生まれの武術であり、根本的に少林拳とは別のものである。少林拳は、その始まりや伝わる地域で複数の拳派があるが、浮素のそれは、残念ながらそこまで深く入り込んだものではない。師から軽く教わった程度であるため、自身の拳派なども知らず、ただ、少林拳であるということしか浮素も知らないのだ。
それに対して、美月は、魔力の塊を大量に放つ。ただの魔力の塊であるが、しかし、魔力変換資質により、もはや雷撃を放たれているのと変わらない。それを彼は、あえて躱さなかった。
だが、その行動も美月はすでに読んでいる。彼の性質から、そのような行動に出るであろうと、それを考えたうえでの魔力による絨毯爆撃であったのだから。
「――捻って貫け、螺雷」
超短文の詠唱による魔法。美月において、雷属性の魔法の詠唱というのは、魔力変換資質により、あってないようなものであるが、この詠唱は、それをより効率よく放つ意味で用いられる。つまり、他の魔法使いが放つ同種の魔法よりもはるかに高威力かつ高速でその魔法は飛来する。
秒速150キロメートルに近いそれを、放たれてから避けるなどという、到底人間にはできないそれを、浮素は、何とかやってのける。魔法が直線状に放たれたから可能だったというのもあるのだろう。
「やはり、このくらいの魔法になると避けなければまずいか」
そういったのは美月である。浮素は、多くの攻撃を避けずに受け止めていた。それは、彼の能力、というよりも、性質であろうか。涅槃に至るまでに積み上げた試練や苦難を耐えるほどの人間として研鑽を積んだ彼は、多くの物理的耐性、精神的耐性を得ている。それらの結果、彼は、多くの攻撃に対して、「耐えることができる」という性質を得ているのだ。
あくまで「耐えることができる」というだけで効いていないわけではない。限りなく高い耐性を持っているというだけで、ダメージを無くしているわけではないのだ。そのため、蓄積される攻撃も効くし、その耐久限界を超える一撃は躱さなくてはならない。美月の「螺雷」を避けたのは、その貫通力が肉体の耐久限界を超えかねないものであると瞬時に理解したためである。
「――八条なぞって昼の月、
――二閃転じて雷光、
――一光広がり焦土と化す、
――雷天地雷」
さらに、詠唱を省力した魔法を放ち、浮素の周囲を雷光が囲んだ。まるで天と地を雷がつないだまま話さないかのような、そんな状況に、浮素は自身の耐性を活かして、そのまま無理矢理突破しようとして気づく。雷の網の様に展開していた電撃が、地面に帯電して、徐々に範囲を広げている。「地雷」という言葉の意味通り、踏んだら、その雷撃が体を通り抜けるだろう。
「――涅槃境地」
生身での突破は不可能と判断し、自身の上役の存在からは滅多に使うなと言われていたうえ、彼自身も使う気は毛頭なかったそれを使う。
自身の中の【力場】を解放し、その力を数段上……本来の力へと戻す力、「涅槃境地」により、浮素は自身を菩薩の状態へと強制的に戻すものである。仏教における涅槃にいたったものは、「仏」とされ、その前の位を「菩薩」とし、つまり「涅槃に至った」のに「菩薩」というのはおかしいのだが、この場合は、言葉通りの意味ではない。
この「涅槃境地」は、睦月で言うところの「加護結晶化」や愛美の言う「上位転身」と同じものである。それを「千年神話浄土」では「涅槃境地」と言い現わしているに過ぎない。
「ようやく本気で来たか。面白い、こちらもようやく全力で行けるというものだ」
彼が雷の地雷を避けながら、雷の壁とでもいうべき天と地をつなぐ雷を無理やり突破している間に、美月は魔法を詠唱する。
「――雲上を駆ける星々、
――雲海を巡る雷光、
――雲下を荒れる大海、
――雲界より響く雷鳴、
――雲を縦に走る雷迅、
――黒雲は世界を闇に落とし、
――暗雲は波乱を孕む。
――銀天雲海河大落雷」
世界そのものを滅ぼす第六龍人種の雷に匹敵する大規模魔法を、たったの1人に向けて放つ。蟻にミサイルを使うかのような無駄の多い攻撃に見えるが、仏が管理できる世界は1つの三千大千世界である。涅槃に至った存在である浮素も同等の力を持つ。つまり、1つの仏国土を持つ相手に、たった1つの世界を滅ぼせる程度の攻撃ならば、オーバーアタックどころか、児戯にも等しい一撃だろう。もっとも、現在は1段階の「涅槃境地」により菩薩の域、児戯とまではいかないが、浮素にとっては、それなりの攻撃程度の扱いである。
もっとも、それが本当に、ただ、1つの世界を滅ぼせる程度の雷撃であるのならば、であるが。
「破っ!!」
その気迫と苦難を乗り越えた胆力で、その一撃を止めようとする浮素であるが、その瞬間に、浮素の動きは止められる。まるでおもりが意識ごと下へと引っ張るように、全ての動きが抑制される。
「うぐっ……」
行動の抑制により、当然に美月の魔法をもろに食らう彼は、思わず膝を地面につける。そして、今の一撃がなぜ止められなかったのか、それを浮素は理解していた。
「六白双鎖の雷神、その特性、ですか……」
雷神……風神雷神にはそれぞれ特性がある。彼女の「六白双鎖の雷神」にも当然、その特性は存在する。「追打」、「束縛」が主だった性質であろう。行動の抑制は、「麻痺」と「束縛」が合わさったものであり、雷の性質に「束縛」という彼女の雷神としての特性が加わった結果だ。そして、それこそが浮素が彼女を避けたかった理由でもある。
浮素の高い物理、精神耐性はあるが、「束縛」のような相手の動きを制限するものに対する耐性はあまりない。むしろ動かないで耐えるという状況から、彼自身には余計に効果がある性質である。そして、「追打」。同じ攻撃、同じ効果が繰り返される。1度目を防いでも2度、3度と繰り返されることがある特性。普通の魔法使い程度ならば、浮素も気にしないが、世界を滅ぼすほどの魔法が2度、3度と詠唱も間もなく襲い来るのを防ぐのは難しい。
「やはり知っているか。まあ、そうだろうな。三歩威桜の雷神、田多野辺入鹿と三外無巫の風神、水無月奈央姫の2人とともに学んでいたのだったらなおさらか」
現在確認されている4人の風神、水無月奈央姫、篠宮無双、風塵楓和菜、桜吹桃華と現在確認されている3人の雷神、田多野辺入鹿、篠宮無双、雷刃美月。もっとも、風神に関しては、もう1人、《チーム三鷹丘》が十数年前には、その存在の出現を知っていたという五条天韻の風神がすでに存在しているが、公になっていないためカウントされていない。
「ええ、そして、あの2人の特性ならばどうにかなるのですが、流石にあなたのそれとは相性が悪いですね……」
慣れ親しんでいるから、というだけではなく、本当に相性として、彼が知己のある2人は戦いやすいのだ。もっとも、あくまで戦いやすいというだけで、圧倒できるほどに差があるわけではないし、場合によっては負けることもある。あくまで相性の良し悪しだけで言うなら、良いというだけの話だ。
「オレと相性が悪いと文句を言うのなら、さっきからうずうずしているあいつと代わってやろうか」
その言葉に、浮素の顔はひきつった。それがどういう意味で、何を意味しているのかが分かるからだ。そして、そちらの方が彼にしては勘弁願いたいものである。
「ずっと代われ代われとうるさくてな、少し前に中途半端に戦ったせいでフラストレーションがたまっているようでな、鳴雷殿なら多少は本気でやってもいいだろうと」
本気で言っているのか、と思いながらも、それが本気なのはよく分かっていた浮素は、瞬間的に、構えなおし、距離を取る。雷刃美月を相手にするのと、その人を相手にするのでは、勝手が違いすぎるゆえに、距離を取らねば、一瞬で決着を付けられると判断したのだ。
そして、その考えは間違っていない。
「いやぁ~、美月があの子とした約束だったから、手を出す気はなかったんだけど、君なら話は別だからね」
構えも崩れそうなほどの突風が、いや、暴風が吹きすさぶ。それは、嵐の出現かのような存在。そして、本来ならば手を出す気はなかったと彼女が言っているように、それは事実なのだろう。美月と煉夜の約束だったから、彼女は手を出す気はなかった。だが、それはあくまで「不浄高天原」という敵との戦いに関する約束であって、今、目の前の浮素は「千年神話浄土」。そして、戦いではなく、あくまでその様子を見てあげているだけである。さらに、彼女も彼の師とは知己がある。
だからこそ、彼女は今、ここに現れた。
「風塵、楓和菜……さん」
美月の主人格であり、そして、彼女もまた風神の力を持つ存在である。そして、美月以上の戦闘狂、なのであった。




