281話:プロローグ
出雲の外れにある不浄高天原の拠点の1つ。古びた学校のような外観をした鉄筋コンクリート造の建物。だいぶ前に使われるのをやめたのだろう、と思わせるほど外観は汚く、窓の破損や外壁の一部が崩れていることからも分かる。長年、雨風にさらされていたのだろう。コンクリートが割れた部分のむき出しになった鉄筋がさび付き、崩壊していた。
雑草も生い茂り、一階の窓高くらいまでは伸びきっており、入口すらもどこか分からないほどであった。
本当にこのようなところが拠点になっているのか、と思うほどであるが、その隠蔽を無駄にするほどの、多くの人が、周囲に散っているのを感じて、間違いなくそうなのだろう、と睦月は判断する。
「流石に、お粗末すぎて、罠なんじゃないかって思っちゃうんだけれど」
とつぶやく睦月に、ため息を吐いて「まったくだ」とでも言いたげな顔をした美月が、がっかりとした口調で答えた。
「お粗末、というよりも、正規の訓練も受けていない烏合の衆のようだな。オレとしては、その中でも、1つだけ一際異質な気配が気になるところだが」
その言葉の通り、睦月と美月が知覚できる範囲において、そこそこの反応が1つと、奇妙と評す反応が1つ、後は烏合の衆と言ったところであった。
不浄高天原の中で、主要なメンバーとされる者で、こちらにいるのはリード・ナウレスと猪苗浮素の2名であり、その反応は、その2人のことを指すものであるが、どちらとも面識のない彼女たちはそれを知らない。
「なんか小細工されてるみたいだけど、風塵……じゃなくて、美月さんなら、容易に壊せるわよね?」
当然ながら、拠点であるのにも関わらず、何の対応をしていないということはないわけで、拠点の周囲には結界が張り巡らされているようであった。それも、普通の結界ではないようであったが、そのあたりを睦月と美月は探求しない質であった。
煉夜などは、こういう時に、それが何であるのかを確かめるタイプであるが、彼女たちは、知らないなら、それでもいいや、というような感性で生きている。というよりも、そうでもない限り、数多の世界を渡り歩くことはできないのだろう。
「任せろ」
そういいながら、彼女は乱雑に手を振りかざした。その瞬間に、巨大な稲光が轟音を伴って、拠点にぶつかる。雷、というよりは、魔力の塊をぶつけただけであろうが、元々の魔力変換資質が「雷」の彼女は、ただの魔力の塊が雷の爆弾のようなものである。
「ちょ、ちょっ、ちょぉお!」
詩央が変な声で叫ぶ奇怪な存在になっているが、横で見ていた菜守も同じ気持ちであった。そもそも生来、魔術師や陰陽師ではない彼女たちは、本格的な魔法を見るのもほとんどはじめてに近かったが、それでも、予想をはるかに凌駕する威力の攻撃が、手をかざしただけで舞い落ち、拠点を半壊させるようすは、かなりの衝撃だったのだろう。
口を開けたり閉じたりを繰り返す詩央、それと同じ反応をしたい菜守であったが、妹のことが頭をよぎり、慌てるように美月にすがる。
「れ、礼守に当たったらどうするんですか?!」
と、いうよりも、あんなものが降ってきたら、当たったら以前に、近くにいただけで大惨事である。そんな風にすがる菜守に対して、美月はため息を吐いて、わざとらしく「やれやれ」と口にしてから、菜守に言葉を返す。
「オレとて、それくらいの分別はつく。当たっていないし、当たったとしても少し痺れる程度だ。魔力の爆散で、ぶつかった壁自体は消し飛んでいるから破片が当たったということもないはずだし、あくまで結界破りと入口づくりが目的だ」
そもそも、美月が撃ったのは、ほとんど人のいない場所であり、それは、あくまで、結界の処理をするため、ということと、警戒されている入口から入るような馬鹿正直さはいらないと、入口を別に作るためであり、敵を倒すためではない。それに、美月の中では、ほとんど力を入れていない、ほんの少しの威力なので、当たっても死なない程度である。
「というわけで、入口もできたし、美月さんとわたしで1人ずつ抱えて入ろうかしら」
屋上部分を破壊して、入口を急造したので、あの位置まで跳べない菜守や詩央は、ここにいるか、睦月達が運ぶかのどちらかとなる。そもそも、学校建築における天井高さは3メートルを下回ってはならないと決められている。単純計算で階高を3メートルとしても、この学校のような建物は3階建てなので、9メートル。床厚や床材などの関係でもう少し高くなり10メートル以上ある。それも最低限の高さの場合であり、実際はもっと高いこの建物を前に、それを跳べるような人間は限られる。
特に陰陽師でもない、菜守や詩央は無理であろう。もう少し低ければ、詩央ならどうにか跳べる可能性はあった。だが、この高さは流石に彼女でも届かない。この場に待機させて、むざむざと敵にさらわれるよりは、連れていくのが正道だろう。
この程度ならわけもないと言わんばかりに、ひょいと抱えて、跳びあがる睦月と美月。睦月は身体強化などの魔法は一切使っていない。そもそもに【国士無双】の力で膂力は常人の比ではない、それこそ、他に並ぶものがいないという「国士無双」の文字通りの身体能力を持っている。この状態で強化でもかけようものなら、力加減も分からず、跳びすぎるだろう。美月の場合は、素の魔力変換資質が雷であるために、脚に魔力を込めると速度と距離が抱えている人間の耐えられないものになるので、雷で生成される魔力を風に変換するという荒業で、かなり損失の多い方法で跳びあがっている。
そうして着地したのは、半壊した教室であった。机などはすでにまとめられていたのか、教室の後ろの方に積み上げられていた。
「さて、と。こちらに向かってきている敵がいるけれど、どれも雑兵と言った風情かしら」
事態の確認をするためだろうか、かなりの人数が睦月達の元、正確には、突如半壊した部屋に向かって、人が集まってきていた。
「正面突破するか、それとも、逆側に跳ぶか、だな」
それらの敵を正面から押しつぶすことは容易であるが、敵にみすみす侵入を喧伝することになる上、位置まで特定されるというおまけつきだ。そうなると、このまま屋上に跳びあがり、部屋の位置とは対極の位置から侵入すれば、裏はかけるだろう。
「まあ、ここは、普通に行きましょ」
「だろうな」
ここで、普通の人間の「普通」ならば、戦闘を避ける、つまり、対極の位置に向かうのが「普通」であろうと、菜守も詩央も思ったのだが、睦月は背負っていた剣を構え、美月も簡単な構えを取っていた。それはすなわち、「正面突破」を意味する。
「やっぱりわたし等みたいなタイプは正面突破が無難よね」
「まどろっこしいのは性に合わないからな」
どちらも性格的に似たタイプであるためにこの意見の一致が出たのだろう。そして、敵が来る方向へ向かって、思いっきり剣を振るう睦月。その一撃は鉄筋コンクリートすらも砕け壊す。いくら長年の放置で劣化していたとはいえ、そう簡単に崩せるものではないのだが、それを剣の性能と自力の高さで実現しているあたり、魔法少女でありながら、完全な前衛の性質であろう。
そして、その攻撃で討ち漏らした敵を美月が魔力の塊を放って昏倒させている。美月が魔法を使わないのは、単純に、威力が高すぎるためである。魔力変換資質が雷であり、かつ、雷の魔法しか使えない雷刃美月という人格は、さらに、入御雷と雷神としての性質上、雷の魔法が第六龍人種のそれに匹敵するほどの威力であり、ようは本気を出せば世界を滅ぼせるほどの威力を持っている。
それを使う分には手加減ができるが、周囲の自衛できない一般人を巻き込まないように使うのは、極限まで力を抑える必要がある。そんなことをするならば、魔力の塊を投げた方が余程早い。
「神殺しを狙う組織にしては、ずいぶんと弱いわね」
「この手の輩は、どうせ、神に見限られたと思い、集まった烏合の衆だ。信念もなければ、本当に神殺しができるかさえどうでもいい。拠り所となり、自分を庇護してくれる存在さえいればそれでいいのさ。だから、弱い」
いくつもの世界に生まれ、渡り歩いた風塵楓和菜の知見から、大体のところ、そのようなものだという美月。
神を殺すという反宗教的なことをしておきながら、それを行う人を崇める宗教的なことでもある矛盾した存在「不浄高天原」。実態を考えるならば、カルト集団のようなものであろう。もっとも、そのリーダーが半分は神であることを考えるとあながち宗教としても間違いではないのかもしれないが、目的は世界滅亡。救いもなければ未来もない。救世と罪を雪ぐこと、人を導くことを原則とした宗教とは全く逆の思想であるが。
「でも、神を殺してどうするつもりなのでしょうかね。舞を通じて、神々と触れ合っている感覚上、あの方々は、世界を広く見渡しています。祀られている場所だけではなく、本当にあらゆる場所で。ですから見守ってくださっていると思うんですが」
詩央や菜守、舞事を嗜み、奉納する者たちは、神と触れ合う。その頻度が高くなるほど、舞事への適性が高いほど、神との距離は近くなり、神気も感じられるようになる。
「見守ることと、救いを差し伸べることは違うということだよ。神とて、全ての人間を救うことはできない。人間の生き死にや、その人間の生き方にまで干渉してしまえば、それはもはや祝福ではなく呪いだ。力を与えることはあっても、直接干渉した時点で、それは神失格の行いだろうから仕方のないことではあるがな」
それは、ここにはいない京城二楽に直接力を貸したアングルトォスにも刺さる言葉ではあったが、それを意識してのことではないだろう。
「でも、神代・大日本護国組織にも神々は多くいると聞きくけど、干渉してますよね」
菜守は一応、守られている側なので、睦月の容姿が幼く、美月は同い年くらいの外見であろうとも、一応、敬語を遣っていた。かなり砕けてはいるが。
「あれは、上の神連中は基本的に動かないが、まあ、下の神は、いわゆる国津神などに類するものや土地神のようなものだしな。そもそもに一つの世界の統治をやめて、あらゆる世界における日本に類する場所を守るなどという時点で、神を辞めている……というよりも、神よりも上の位置に行っている存在だ。例外というやつだよ」
この世全てを見渡すことができるものなど、そういない。それゆえに、神というものは、その世界を見守り、ルールを作る。神代・大日本護国組織は、その枠を超えている時点で、すでに、そこに属す神は、「その世界を見守り、ルールを作る」という理から外れた神ではない神である。神ではないなら失格も何もないということであろう。
「そもそも、神失格とはいえ、実際にそれを行う神は少なくない。恩恵や恩寵、奇跡として形を表すのは、まだ神としての自覚はあるだろうが、実際に神が干渉して、人の理を変え、導く例は、幾多の世界で山ほどある事例だ。オレも何度もそういった手合いは見てきたし、それそのものがあらかじめ悠久聖典に記されたことであるケースも間々あるほどだ」
出雲大社で煉夜たちと対面しているアングルトォスが、その例の1人に該当するだろうが、アングルトォスの場合は、別の世界の人間に過干渉しているのであって、自身の世界の人間を贔屓しているわけではない。
「それはそうと、次が来たわよ」
途中から話に入らずに、敵の位置と動きを探っていた睦月が、次の敵が来るのを告げる。
「位置とルートは決まったか?」
「ええ、もちろん」




