280話:出雲大社にて・其ノ伍
「【腐食、混沌、腐敗、混迷、不浄、混濁】」
二楽の口から紡がれたのは不可解な言語。少なくとも、煉夜以外の誰にも、その言葉の意味を理解できるものはいなかっただろう。その煉夜も何かの詠唱であり、その言葉を発していることは分かっても、それがどういった効果をもたらす魔法なのかは理解できなかった。少なくとも、この世界の言語ではない、それを発しきる前に攻撃しようと、煉夜は「流転の氷龍」を振るうが、二楽から湧き上がるように蠢く黒い瘴気のようなものに阻まれた。
「結界……、いや、違う。なんだ、これは……」
それは、神気に限りなく近い、それでいて、真逆のような力。だが、それでも、伊花のような「神殺しの神」の力とも異なる、別の何かであった。その力は、
「魔性、神性とは対になる……神と正反対の力だよ」
魔性ではなく、魔性と二楽はいった。その力の名前に、思わず反応したのは、弓でファイスを抑えていた四姫琳であった。それもそのはずであろう。その力を持つ者は、2人以外に存在しないはずなのだから。
神性と対になる魔性とは、あらゆる世界に生まれる「神」の量に対してのバランスを取るために造られたものであり、それを唯一宿すことができるものは【終焉の少女】と名付けられた。特に、今代の【終焉の少女】はマリア・ルーンヘクサと呼ばれる少女であり、そして、「チーム三鷹丘」の関係者でもある。
そして、もう1人、その力を宿したものがいる。そう、唯一宿すことができるもの、と先に【終焉の少女】の名をあげたが、その例外もいる。「黒騎士」と呼ばれる存在。
【終焉の少女】と「黒騎士」。この2人だけが、「魔性」を宿し得るものである。
だが、その力を宿す存在が、目の前に事実として現れた。
「もっとも、これは、我が力の一部に無理やり植え付けたものでしかないがね」
それは、二楽ではなかった。いや、二楽ではあるのだろう。しかし、それを二楽と言い切ることはできなかった。
「なるほど、神、だな」
と煉夜が言う。それはあくまで感覚的なものであった。これまで、鳳奈であったり、神獣であったりと対峙してきた、その感覚が明瞭に告げている。目の前のあれは神である、と。そう、現人神や神稚児などではなく、「神」だと。
「ほう、よく分かるものだ。その通り、我は神、アングルトォス。この世界に滅亡をもたらすものだ」
アングルトォスと名乗る神。滅亡をもたらす。四姫琳は思う。
(上の警戒していたのは、これ、でしょうか。京城二楽の中身が日本のものではないかもしれないとは、まさか、上はこの神のことを知っていたということ……?)
彼女の上役である二階堂扇は二楽を「中身がそうとは限らない」と日本人ではない可能性を言及していたうえ、この一件に関わるように言ってきたのは【凍れる森の魔女】と、さらにその上にいる人間。各師団長に格差はない。そうなると、例外的に師団として秘匿されている第零師団か、リーダー、副リーダーの誰かということになる。そして、それが関われと言ったということは、それらの誰かが、このアングルトォスなる神の存在を知っていなければ不可能だろう。
「二楽の中に先天的にあった神の血とは別の、後付けで二楽に入った神の類だな。なるほど、自身の力以上の神の力が入り、それを使ったことで、寿命がすり減ったのか」
もともと、二楽は、神子として生まれた。そうである以上、半分は神の力を宿しているものの、それは、神そのものを宿していたわけではない。あくまで神に類する力をその身に宿していた人間である。だが、そこに、神そのものが入り込んで、その神そのものの力を使っていたならば、それは、半神半人の範疇を越えた神の力を行使することに他ならない。その行為に何の代償もかからないはずなどない。
つまりは、それが、二楽の肉体の限界を早める結果につながったのだろう、と煉夜は推測した。
「ああ、その通りだ。だが、勘違いしないでもらいたいのは、決して、我が無理矢理この肉体を奪い、我の力を使ったわけではない。この肉体……京城二楽が望んだから、我はこうしてここにある」
寿命が縮んだのも、それは二楽の意思であり、アングルトォスの強制ではない、という意味であろう。
「つまり、異国の神であるあなたは、京城二楽に力を貸しているということですか?」
沙津姫の言葉に、アングルトォスは眉を上げ、うすら寒い笑みを浮かべる。
「それは違うな。まず我は異国の神ではなく、異界の神であり、そして、我は決して、この肉体に力を貸しているわけではない。我は我の目的のため、京城二楽は京城二楽の目的のため、それぞれの目的のために協力しているに過ぎない」
異界の神と名乗るアングルトォス。確かに、煉夜の知る限りでは、アングルトォスなる神の名前は聞いたことがない。もっとも、煉夜が知らないだけという可能性もあるが。しかし、この場合は、目の前の存在が、そうだと言っているのだから、恐らく事実なのだろうと、煉夜はあっさりと納得した。
そして、目的のために協力しているということにも煉夜は納得がいく。と、いうよりもそうでなくてはおかしな部分がある。何せ、二楽の目的は「神を殺す」ことなのである。それに神が手を貸すだろうか。つまりは、この異界の神アングルトォスには、その「神を殺す」ということに何らかのメリットがあるはずだ。それこそ、自分が死ぬことになるとしても、それで得られる何かがある。
「異世界のことにまで絡んでくるとは、神様ってのは随分暇なようだな」
煉夜が皮肉げにそういうが、特にその言葉を気にするでもなく、アングルトォスはいう。
「我など所詮は、数多いる神の中の一柱に過ぎない。暇なのも当然であろう。特に破壊神とその十一の徒が軒並み滅んで以降、我の役目などなくなったのだからな」
アングルトォスにもその世界において神としてあがめられる以上、役割を持っていた。だが、その役割は、すでに失われたも同然。そうなれば異界に干渉してきてもおかしくはないだろう。
「暇になったからといって気軽に世界を滅ぼされても困るんだがな」
もはや、困るとかいう次元の話ではないのだが、それでも煉夜はあくまでそういった。それに対してアングルトォスは微妙な顔をしていた。
「安心しろ、この世界に干渉を始めたのは暇になる前からだ」
事実、彼が京城二楽と会ったのは、今からかなり昔のことであった。もっとも、その頃も暇と言えば日まであったのだが、役割は当然あった。
「何に安心をしろと……?」
そういいながらも、「流転の氷龍」をいつでも振るえるように、再度構えなおす煉夜。それが分かっているのだろう、アングルトォスが神の力を放つ。
先ほどの二楽の雷など比ではないほどの強大な力が黒い雷となって煉夜へと向かう。それを煉夜は一言で乱した。
「――流転せよ」
直線状に放たれた雷の軌道が、込められた神気が、纏う魔性が、ことごとく乱れ、ねじれ、霧散する。「流転の氷龍」の効果、「常に動き続ける」により、直線軌道から動かされ、神気の動きと魔性の動きがばらけ、乱れて、結果として霧散した。
「何が起きた……」
それに動揺した瞬間に、一瞬で間合いを詰めた煉夜が、氷を伴う一撃を振るう。それを寸でのところで避け、再び、雷を撃ちだそうとするが、己と煉夜の間に生み出された氷の壁に阻まれる。
「その神器の力か……。全くもって、神器というのは馬鹿げている!」
神としての立場で言うならば、人間に与える側であったが、それを実際に目の当たりにしてみると、本当に人間には過ぎた力であると実感する。もっとも、そうしたものを与えるから神としてあがめられるのであり、そして、与えることによって、人類を守るという役割がある以上、「人間に過ぎた力」であるのは当たり前であるのだが。
「馬鹿げた力でもないと、その辺の一般人である俺は、神様やら、神の力を持つ人間やらには敵わないもんでな」
その物言いに「嘘つけ」と敵味方共に思ったが、それを口に出すものはいなかった。おもに「こんな一般人がいてたまるか」という思いであろう。
「ふん、その馬鹿げた力以上の馬鹿げた力を持っているようだがな。全く、妙な神に好かれているようだ。もっとも、『神殺しの神』の気配を察知してか、今は遠のいているようだが」
煉夜としては、神に好かれている自覚などないし、ましてや、神といえば、神獣や、そして、魔女の敵である神というイメージが強い。だからこそ、何のことかわからないというような思いを抱いたのは本心であろう。
「神というのは、立場にもよるが、我などのように、世界を導く側に立っていたものや、あるいは、世界を滅びに導く側に立つ者もいる。しかし、お前を好いている神は余程だ。神の中には、世界を導くために、神器を与えたり、恩寵を与えたりすることもあるが、お前のそれは『呪い』に近いだろう」
かつて、このアングルトォスという神も、また、人を導く側に立っていた。破壊神を封じ、その監視の役割を持つアングルトォスは、封印を破壊しようとするものに対処すべく、人に恩恵や恩寵という形で力を貸すこともある。しかし、そうした与える立場のアングルトォスから見て、煉夜が神に受けている恩寵は、もはや呪いの域にあると、そう思えるほど重いものであった。
「よくもまあ、それで今まで生きていられたものだ。いや、生きてきたからこそ、超常の徒となったのだろうが」
敵でありながらも思わず感心するアングルトォス。しかし、その自覚は煉夜にはない。いや、自覚がないからこそ、生き抜くことができたとも言えようか。柊美神と名乗る歪な神の恩寵を、知らないからこそ、ここまで生き、そして行き着いた。
「神だの、何だのはよくわからないが、俺は、ただ、生きてきた。全部、背負って生きてきただけの、ただの一般人だ」
そう、彼は、全てを背負って生きてきた。それがどれほど重いことかは、経験してきた煉夜にしかわからないことであろう。そして、人は、大なり小なり、背負って生きるものである。その重さは、その人自身にしかわからず、それゆえに平等である。だからこそ、彼は、あえて、自分を「一般人」と評したのだ。
次章予告
出雲大社にて、アングルトォスや不浄高天原と戦闘を開始した煉夜たち。
それと同じころ、不浄高天原の拠点で、礼守奪還を行っていた菜守たちもまた、戦闘へと突入する。
不浄高天原の過去、それぞれが集った理由。
そして、京城二楽の目的とは……。
さらに、動き出す紫泉鮮葉。彼女が作り出すのは……。
訪れる「神殺しの神」との戦い。その後に待つのは……。
――魔神アングルトォスの目的とは……。
――第八幕 十九章 凶星破断編




