273話:動き出した敵・其ノ参
部屋に戻った煉夜と沙津姫は、気まずそうにしていた伊花と、それに苦笑していた睦月に現状の話をする。
「現在、椿菜守の妹、椿礼守が誘拐された。『不浄高天原』という組織は何やら焦っているらしいが、それでも、組織を分散して配置しているのが厄介だ。そこで、俺に支払ってもらう対価として、椿礼守の救出に力を貸してもらう、というのは可能だろうか」
単刀直入な話に、睦月はあっけらかんとした態度で「いいわよ」と答えた。これは、特に何も考えていないとか、そういうことではない。
「ただ、門のことは2ヶ所聞いたから、対価はもう1つ残っているわよ」
「……とりあえずは、1つ分ということで、もう1つはいつかに残しておくさ」
そんなやり取りをしながらも、睦月の心中は、微妙なところであった。しかし、伊花を元の世界に戻すのには時間がかかる以上、この世界に伊花を置いておいても大丈夫な環境のために、不安材料たる敵組織を壊滅させておくのは、心配事を1つ減らせるという意味ではラッキーであった。
それに、睦月の所見では、「不浄高天原」なる組織に警戒すべき人物は、そう多くない。だからこそ、煉夜と自分がいれば、どうにかなるだろうとは考えていた。
「それで、戦力は私とあなただけ、ということ?」
だから、そのように問いかけたのは、特に意味のない確認のような気分であったのだが、煉夜の口から出た名前は、睦月の度肝を抜くには十分であった。
「いや、協力してもらえるかは分からないが、雷刃美月という人に協力を仰いでいる」
その名前を聞いた瞬間の睦月は目を見開いて、口をぽかんと開けていたという表現がまさしくそのままの様であった。それもそのはずで、睦月でもその名前には聞き覚えがあった。
「雷刃美月って、あの風塵楓和菜じゃない!
よもやそんな大物の名前がこんなところで出てくるなんて思っていなかったわ。まあ、縁があると言えばあるのかしら。彼女もまた赤天原研究所の被験者の人格を持っているし、『神』の一角でもあるし」
魔法少女を引退して、主婦になって久しい睦月ですらも知っている「大物」と表現できる一人の名前が予想外に出てきたことで、睦月は若干興奮していた。
「やはり有名なのか……?
魔導五門だか魔導六家だかの高名は聞いているが」
煉夜は、あくまで、この世界での高名を色々と聞いていたが、それが他所の世界出身である睦月までもが知っているのは意外であると感じたのだ。
「ええ、まあ、彼女は同率体だし、その人格の幅から交友関係も広いしね。特に、青葉家とも縁をもっていたり、天翔鬼とも縁があると聞いたり、ケセドの蒼刃陽光やホドのキッカ・ラ・ヴァスティオンなどとも知人というしね」
見知った名前が挙がったことで、煉夜の眉根が吊り上がる。「ホド」なる通称が付くことは聞いたことがないが、それでも、その名前は間違いなく友人の名前であった。
「もう1人、どのくらい戦えるのか知らないが、駿部四姫琳という人物もいる」
キッカについて聞きたいことがないでもないが、今は、それを話している場合ではないだろうし、後に回すことにした。それよりも、もう1人、戦力になり得る人物をあげる。もっとも、実際に戦える人材であると聞いたわけではないので、煉夜は彼女の実力のほどを噂すら知らないのだが。
「駿部四姫琳……聞いたことがない名前ね。いえ、確か、神代・大日本護国組織に似たような……。ああ、あの今川氏鬼里ちゃんのことかしらね」
睦月が知り得る人間の中で、その名前に一番近い人間は、今名前を挙げた人物であった。駿部から駿府を連想し、今川につながるのは煉夜も同様の思考であったが、それ以上に、その人物の名前を知っていたというのが大きいだろう。
「よくは知らないけど、その名前も本名ではないそうだけど」
魔法少女時代やその後の主婦時代では、あまり大きな事件にかかわっておらず、せいぜい、暇つぶし程度の小さな事件がいくつかと後輩のために出張ったことが一件あった程度である。そんな睦月には、あまり関わりのない神代・大日本護国組織の情報はほとんど入ってきていない。そのため、知っていることは多くない。
「しかし、まあ、私とあなたはともかくとして、それに加えて、あの風塵楓和菜と神代・大日本護国組織の氏鬼里ちゃん。普通に考えれば過剰戦力でしょうけど」
睦月は、楓和菜……美月の実力はともかく、煉夜や氏鬼里の実力のほどは知らない。だが、煉夜は、【国士無双】の力を感じ取れる……すなわち同種の部類であることが判明している。それに、四姫琳に関しては、推定、今川氏鬼里だとするならば、どのような武器を持っているのかくらいは知っている。戦えないわけではないだろう。
そう考えるならば、たかが一世界の一組織を潰すのには、睦月と美月だけでも過剰戦力のように思える。
「それは、ただの組織なら、の話だろう。そもそもにして、神を殺そうとしている組織だ。隠し玉の一つや二つは考えておいた方がいい。少なくともリーダーが現人神である時点で、他もただの人間ではない可能性がそれなりにある」
煉夜の勘でしかないが、それなりに信憑性のあるものである。まず、感知の結果が正しいならば、礼守の誘拐に関わった人間もまた、首魁である京城二楽とは別の現人神であるのは間違いない。それに、神を殺そうとしている者たちだ。それなりに、「なにか」なければそんなことを決行しようとは思わないだろう。
「まあ、用心するのにこしたことはないでしょうし、分からない敵戦力に対して軽はずみに戦力差を推し量るのは愚行だというのは分かるんだけどね」
もっとも、睦月の場合は、事情が事情だけに、彼我の戦力差を量る術をあまり磨いてきていないという部分も大きいだろう。なぜならば、彼女が現役の頃に戦っていたのは、人ではなく悪鬼と呼ばれる怪物たちである。本来自然発生するはずのそれを、人為的に発生させていた組織とは戦ったものの、結局のところ基本的には、知能を有し、集団行動をとる知的生命体という相手とはあまり戦った経験がない。そうなると、結果的に、分かり切っている自身の実力と「一般的な暗躍する組織」という自身のバイアスがかかった仮定戦力との比較になる。
煉夜も獣を相手にしていたという点では近いが、煉夜の場合は、【創生の魔女】の付き合いで場所を移動したり、戦地に赴いていたりしたこと、神獣や超獣の中には高い知能を有するものもいたことなどから、睦月とは経験値が異なる。
「でも、私の感覚、あくまで私の知るところの感覚だけど、現人神とか半神の類って、それほど『攻撃』とかの面で突出した力を持っている印象はないのよね。どちらかと言えば『権能』や『神の力の一部』であったり、『神に近い存在』であったりするって印象があるから、どういう『力』を宿しているのかにもよるけど、何かしらの『現人神』以外の力を持っている可能性もあるわよね」
と、いいながら、自身の知るところの現人神を頭の中で浮かべる睦月であったが、頭に浮かべるうちに微妙な顔になった。
「あ~、いや、そうね。一概に決めつけられないわ。ヴァルヴァディアやネストラーゼなんて、リミットはあるけど、バリバリの攻撃系だったわ」
自身の部下の仲間に当たる語尾にやたら「ッス」をつける全裸の童女と意味不明な言動が目立つものの確かな芯を持つ信心高き少女を思い出しながらそういった。その2人は、生まれ持ちながら「呪腕」とされる神呪が受け継がれる神々の子孫。人の血が入った関係で、純粋な神とはならず、かといって人でもない。間の存在。そして、神の血を継ぎ、神の御力を「呪い」としてとはいえ宿し、神性を有するそれは、まさに半神ともいえる存在であることは間違いない。
「俺は、あまり、そういった存在とは縁がないがな。神の系統だとそれこそ神獣や、あとは神代・大日本護国組織の日之宮鳳奈くらいだ。だから、多くの現人神や半神の類がどういう存在なのかはよく知らないが、結局は『人ならざるもの』であることには違いない」
「あら、その発言はどうかと思うわよ。あくまで半分は『神』でも、もう半分は『人間』であったり、『人の身で神に近き力を発現』したり、あるいは『人であり、神から力を分け与えられ』たり、その出現の方法は様々あれど、完全な神にでもならない限りは、『人間』である部分が残っているんだから」
そもそもにいう、現人神とは一体何なのか、というならば、「人」でありながら「神」として信仰されて、「神となった人」である。「現」にある「人」でありながら「神」であるものである。
そうした信仰を受ける理由にはいくつか存在するが、やはり「神性」を有していることが多いだろう。そうした者たちの多くは、「神の子孫」であったり「聖人」と呼ばれる神に選ばれたものであったり、「神稚児」と呼ばれる生まれながらに奇跡を宿す存在であったり、「神童」と呼ばれる幼くして才に目覚めるものであったり、様々だが、共通しているのは、「常人ならざる」ということである。
睦月が、今、話していたのは、その「常人ならざる部分」というのが、どういった形で発現しているのか、ということである。
「神性ならば、そうやって讃えられることもあるだろうが、それが禍々しい力なら『人』とすら定義してもらえないだろう?
その方が余程酷いと思うがな。そもそも、得たのが神性だろうが悪魔の力だろうが、魔法少女だろうが、聖騎士だろうが、魔女だろうが聖女だろうが、さして変わらないものだと俺は思うんだがな。どれも、『常人ならざるもの』だ。一般人から見りゃ『人ではない』さ」
その言葉に、煉夜としては、さほど重い意味を込めたわけではない。だが、自身の記憶にちらつく、「聖女と呼ばれた彼女」のことがチラつくのも事実であった。
結局のところ、「人」とは突出したものを「異端」として見る。それが神聖であろうと、汚らわしかろうと、「異端」……あるいは「特別」視していることには変わりがない。「人とは違う」というそれを誉める文化もあれば、さげすむ文化もある。それが「現人神」であろうと「魔法少女」であろうと、「聖騎士」であろうと、「人と違う」以上、そこに違いはないだろう。
「まあ、そうでしょうね。しょせんは、私も、そしてあなたも、それに、風塵楓和菜であろうと、今川氏鬼里ちゃんであろうと、『普通』ではない存在だもの。もう、戻れない位置に立ってしまっている。
でもね、だからと言って、私たちは『人』なのよ。どんなに道を外れようとも、『人』として生まれた以上は、その根底に『人』というものが存在しているのよ。むしろ、そうでない存在は、それこそ『人』ではなくて『化物』か何かでしょうね」
「長く生きるとどうも、その『人』というのが何かっていうのが逆に分からなくなる」
「確かに、それはあるわね。でも、そんなものよ。長く生きて、いろんなものを見て、自分が『人』とは違うのだと、そんな風に思って、……でも、結局は変わらないのよ。自分が生まれたときに得たものが根底にあって、その考えの基準はきっと人間の物差しなのよ。だからこそ、やっぱり私もあなたも『人』なのよ」
数百年という時を生きてきた。その中でいくつもの人生を見た。人の生き死に、国の生き死に、獣の生き死に。
「まあ、だからと言って、現人神に対して同情なんてもんは持ち合わせないし、そもそも『神殺し』なんてものをやろうとするやつのことなんて分からないし、『人間』じゃないかもしれないけどね」
などという睦月に対して、煉夜は苦笑する。実を言えば、神殺しという行為自体は、煉夜の知人にもやろうとしていたものがいる。初芝小柴やユリファを含む、六人の魔女たちである。その事情を知っているからこそ、煉夜は苦笑するしかできなかったのだ。




