272話:動き出した敵・其ノ弐
「すでに、敵拠点と思われる場所に人が向かっていたのが幸いして、礼守さんがとらわれるであろう場所と、首魁がいるであろう場所は予想がついています」
奈柚姫の早い動きというのは敵の動向について、どう動くかということに関するものであった。しかし、煉夜は違う。
「いえ、そうではなく、椿菜守です。この場合、恐らく、敵は菜守に来るように指示を出すでしょう。ですから、なんとしてでも、その前に連絡を取り付けて、『椿礼守の奪還を確約する』というのを条件に、こちらに合流させるべきでしょう」
煉夜の場合は、「菜守に対する早い動き」であった。敵が狙っているであろう、菜守をこのままにしておくのは危険すぎる。そして、こちらが「礼守の奪還を確約」しない限りは、単身で乗り込むような性格であることは、煉夜が理解しているが、煉夜以上に「四木宗」の面々の方が理解しているだろう。
「確かに。ですが、『確約』をしてしまっていいのですか」
既に、菜守との連絡をつけるために電話をしながら、うなずく沙津姫であったが、「確約」という言葉に引っかかった。それは「四木宗」としての立場上、どうしても、菜守を引き渡さなくては礼守の命が危ないとなったときでも、礼守を犠牲に世界を救う選択をしなくてはならないと、最悪の事態を覚悟しているがゆえであった。その状況で、菜守相手に「確約」してしまっていいのか、そういう疑問である。
「むしろ、『確約』しないことには、菜守自身、『四木宗』の人間である以上、いざというときに『四木宗』がどういう判断を下すかは理解しているでしょう。だからこそ、『絶対に助ける』としない限りは、恐らく、彼女は単身で乗り込むでしょうね」
それこそ、その可能性は十分に高い。だからこそ、煉夜は「早く動いた方がいい」と言っているのである。
「つながりました。どうやら、まだ、何事も起こしていないようです」
相手に聞こえないようにしながら、そのように言う沙津姫。菜守の若干無鉄砲なところは昔から知っているので、すでに飛び出しているのではないか、というような思いもあった。
「沙津姫さんも止める気だとしたら、分かってるでしょう。あたしが簡単には止まらないってこと」
沙津姫が、自身を止めるために電話をかけてきたのだと判断して、菜守は電話の向こうにそう声を飛ばした。「沙津姫さん『も』」とあるのは、当然ながら、同じ部屋にいる詩央が全力で止めにかかっているからであろう。
「菜守、いいか、よく聞け」
しかし、菜守の電話に応えたのは、予想していた沙津姫とは別の人物であった。その人物が誰かはすぐに理解した。そして、だからこその驚きもあってだろうか、菜守の勢いが一瞬緩まった。
「な、何よ。何を誰に言われたって、あたしは、行くわよ」
動揺からか、若干言葉が淀む菜守であったが、それを意にせず、煉夜は、それを遮るように言葉をぶつける。
「椿礼守は必ず助ける。約束しよう。いや、確約しよう。だから、お前の妹を救うために、一度、こちら……柊家に合流してくれないか」
その言葉に、菜守は、動揺し、うなずこうとした。だが、それを心の奥で「甘言だ。自分の身を確保して、いざというときは礼守を切り捨てるに違いない」という思いがブレーキをかけた。
「甘い言葉で惑わそうたって、そうはいかないわよ。あたしが合流した時点で、第一の目的が果たされたも同然。いざというときは、礼守を切り捨てるに違いないわ。あたしだって馬鹿じゃないもの。現状、向こうの余剰戦力も分からないし、どんな切り札があるかもわからない。目的も予想の段階ではっきりしているわけではない。そんな状況で、『確約』できるはずがないもの」
まさに、正論であった。相手のことが分からなさ過ぎて、どういう状況になるかもわからない。そんな状況で「確約」できるはずがない。だが、
「それはここにいるのが『四木宗』と『出雲』だけだった場合の話だ」
と、煉夜はその正論を切って捨てた。おそらく、「四木宗」と「出雲」だけだったならば、その通り「確約」はできなかっただろう。そう、その時点で、詰んでいたのだ。だが、ここには「雪白煉夜」が存在した。
「じゃあ、あんたがいれば絶対に礼守が助かると『確約』できるわけ!」
怒鳴るような、いや、実際に怒鳴っているのだろう。その菜守の声に対して、煉夜はあくまで冷静に言葉を返す。
「いいや。例え、俺が居ようとも『確約』はできないだろうな」
その瞬間、菜守の頭は一気に沸騰状態から下がり、冷静な状態になる。というよりも、意味が分からず困惑した、という方が正しいだろうか。
「ちょ、ちょっと待って、どういうこと?
意味が分からないんだけど。結局『確約』できないってこと?」
煉夜が何を言っているのか分からないという様子で、電話の向こうで声を漏らす菜守に対して、煉夜は断言する。
「いや、何度も言うようで悪いが、椿礼守の救出は『確約』する」
何を言っているのだ、と思い、言葉を返そうとした菜守だったが、言葉を発する前に、煉夜が言葉をつづけた。
「そもそも、『四木宗』と『出雲』、そして俺という戦力だけでは、それを確約することができない。おそらく、救助と本命を叩く2部隊に分けた時点で、どちらか各個撃破されて終わるのがオチだ。少なくとも、俺が居る方はどうにかなるだろうが、それ以外が物量で押されて終わる」
それは、自身の力を自慢してのことではなく、単純な推測に過ぎない。物量が来ても、魔法でどうにかなる煉夜は、時間稼ぎが可能だろう。だが、もう片方が撃破されて、そのまま煉夜のいる方も潰しに来る、あるいは、菜守や伊花を狙うことになれば、結局、煉夜がどちらを担当したところでも、結果的に負けになる。
煉夜が救出につけば、礼守は救出できても、結果的に菜守や伊花の護衛ができず、そちらの本命に手が出されて負け、煉夜が敵を潰す方に言っても、礼守が救出できず、結局菜守は単身で敵に乗り込み、負け。
「だが、それはあくまで特筆戦力が俺しかいない場合の話だ。幸い、現在面白い商談を持ちかけられていた最中でな。1人は確保できたも同然だ。そして、もう1人当てがいる。さらに、『出雲』には駿部さんがいるだろう。だからこそ、戦力を分散してもどうにかなるだけの当てができた。だから『確約』している」
もちろん、商談というのは、睦月との「対価」のことである。煉夜と睦月、そして、四姫琳と……。これだけの戦力があるのならば、戦力を分散したところで、撃破される可能性はほとんどない。だからこそ、煉夜は「確約」という言葉を使うことが出来た。
「……信じていいのね」
念押しするような菜守の言葉に、煉夜は「ああ、大丈夫だ」と即答した。そして、物はついでと言わんばかりに言葉を付け足す。
「合流に際し、護衛が必要になるだろうし、そういった意味でも、そして、俺が先ほど言った当ての一つという意味でも、『四光館』での俺の部屋の2つ上の部屋に宿を取っている女性に声をかけて連れてきてくれ。雷刃美月という人だ。俺の名前と『気分はどうですか』と俺が言っていたとでも伝えてくれ」
そう、最後の戦力の当て、頼ったら負けのような気もしていたが、そうこう言っている場合ではないので、頼らざるを得ない雷刃美月。
「気分はどうって……、まあ、いいわ。分かった、あなたを信用して、合流するわ。でも、わかっているわよね」
「ああ、分かっている」
この分かっているか、というのは、約束を破ったらどうなるか分かっているな、という暗に脅しであるのだが、それを分かったうえで煉夜は簡単に流して見せた。
そして、そこで通話は終了される。電話を沙津姫に返しながら、煉夜は奈柚姫に向き合った。奈柚姫もそれに応じるように視線をあげる。
「独断の形ですが、何とか、菜守が単騎で敵地に突っ込むという事態は避けました。合流の場所を勝手に柊家にしてしまったのも申し訳ありません。極力、移動が減った方が、こちらに有利かと思いまして。実際のところ、下手に救助にいって、人質に何かされるようなことを避けるために、せいぜい威力偵察どまりでお願いします。それから、できれば、柊家に駿部さんを呼べないか聞いてみてください。こちらはこちらで、戦力の当てに、改めて交渉を頼むことにしますので」
煉夜の言葉の中で、重要な部分だけ抜き出して、自身のやるべきことを確認しながら、その合理を確認して、奈柚姫は、自身での決断を出す。
「いえ、それが現状の最適解でしょう。むしろ、『四木宗』である我々の立場では絶対にできなかった交渉でした。この家を合流地点に置いたのも間違いではないでしょうし、事後承諾とはいえ、時間がなかった状況ですから許可します。出雲の偵察の方にも変なことはせずに偵察に専念するように指示は先に出していますが、改めて釘を刺しますし、宮司さんに連絡を入れて、駿部の方にも連絡をしておきます。
そちらは、そちらでやることをお願いしますね」
煉夜の言葉に1つ1つ返しながら、すでに行っていることの報告や煉夜の誉めるべき点などをあげて、自身のやるべきことを再確認しながら、煉夜の方にもやるべきことをやれと指示を出した。そのあたりは、長年、人を指揮する立場にある奈柚姫だからこそ、理解と可否と指示をまとめてできたのだろう。
「分かりました。では、失礼します。沙津姫様、先ほどの部屋に戻りましょう。春谷さんと、そして、肝心の彼女との話をしなくてはいけませんから」
「はい、分かっていますよ。では、お先に失礼します」
そういいながら2人が部屋から出ていく。部屋に残されたのは、あれこれやることを考える奈柚姫と、話に全く入っていけなかった水姫、そして、無言でそれを聞いていた木連であった。
「今、事が起こり始めていますので、いざというときは、政府への根回し、お願いできますよね」
突然、奈柚姫から話を振られた木連であったが、すでに煉夜が入ってきて、話を始めたあたりで、何かが起こったのを察して、大体動けるようには準備をしていた。
「はい、大丈夫です」
と、用意していた返事を返した木連に対して、そのくらい真面目な木連なら用意しているだろうという判断をしていた奈柚姫はうなずきながら言う。
「では、今から別への連絡などがありますので、一度通話を切ります。もしかしたら、また、電話をかけることがあるかもしれませんが、その時は」
「ええ、分かっています」
その時というのは、政府への連絡が必要な時か、あるいは、全て解決したときであろう、ということを理解しながら、木連は電話が切れるのを待った。




