271話:動き出した敵・其ノ一
煉夜が柊家で睦月と話している頃、奈柚姫と水姫、そして、電話の向こうの木連は会話を進めていた。すでに奈柚姫は出雲と四木宗に、椿菜守の関係者に手が及ぶ可能性の示唆と拠点の可能性がある場所の割り出しが済み、先遣隊の派遣についての話を済ませた後であった。そのため、至急の案件は一段落した状況である。
「つまり、出雲では、『神殺しの神』なる力により、神々に被害を及ぼそうと考える輩がおり、その敵対の中心に煉夜も深くかかわっているということでしょうか」
木連の言葉。敵対の中心に関わっているというよりは、煉夜が、それをはっきりとさせたという部分が強いだろうか。だが、敵に煉夜の知人が協力していることは間違いないし、敵も煉夜のことを認識している可能性は十分にある。もう、無関係とはいえない状況であるというのは事実であろう。
「ええ。もっとも、彼が積極的に関わっているというよりも、事件が彼を引き寄せているようなものでしょうがね」
これは、奈柚姫の本心であると同時に、煉夜へのフォローのつもりである。積極的に面倒ごとを起こしているわけではない、という最低限のフォローであろう。
「……引き寄せる、とは、それはそういう気質を煉夜が持っていると、いえ……、そもそも、柊家では煉夜をどう見ましたか」
あまり踏み込んで話を聞く気はなかったが、それでも、向こうから煉夜についての話題を出したので、それに合わせて踏み込んでみた。
「そうですね。……正直に言わせてもらうのならば、『異物』。あるいは『異質』でしょうか。彼は、あらゆる部分がずば抜けて異常でありながらも、普通の感性も持ち合わせている。その齟齬が『奇妙』であり、そして、常人ならざる部分なのでしょう」
正直に、とはいうものの、奈柚姫はかなり控えめな表現をしている方である。しかし、木連は、正直に言って微妙な気持ちであった。武田信姫や似鳥雪姫、灰野鳥尾、奈柚姫の評価、英国からの依頼、その点だけで言えば、「異常」と評価されるのはまさに正しい。
さらに、雪姫の言う「稲荷一休に師事を受けた」という発言。それが事実だとするならば、「異質」なのも事実だろう。
「実は、煉夜については、雪白家でも分からないことが多く、しかし、当家以外の人間が一様にして、奈柚姫殿と同じように評価しているのです。例えば、武田家の長である武田信姫は『絶対に敵わない』と評し、雷隠神社の筆頭巫女である似鳥雪姫嬢は『稲荷一休に師事を受けた』とも『本質は陰陽師でも魔法使いでもない』と評し、私の友人である灰野鳥尾は『神か悪魔の寵愛を受けている』と評していました。そのうえ、英国から直接煉夜に対して依頼が来たこともあります。その後、政府を通して、当家に『英国』と『仏国』と『瑞国』より秘密裡の感謝状が届くほどに、何かに貢献したのは確かです」
それを聞いた奈柚姫は、「なるほど」とうなずいた。それはおそらく、自身の娘、沙津姫のように、彼の一端を知り評価するものなのだろう、と判断したのだ。
「彼の本質がどうであり、どういった力を持っているというようなことは分かりませんが、柊家の、いえ、柊奈柚姫としての評価は『異質』というものですが、他の司中八家の方の所見は違うようですからね。椿菜守曰く『駿部のお方と似た気質』と、その駿部の方曰く『人を見抜く恩恵を持つ』と。今挙げた2人はどちらも、『神の気質』を持つ人間です。菜守の言を取るならば、そちらの言う『神や悪魔の寵愛』というのも分からなくはありません」
もっとも、これらの評価に関しては、沙津姫からの又聞きであり、沙津姫も菜守の発言は詩央からの又聞きであるため、実際にそういう評価であったという断言は奈柚姫にはできないのだが、そのあたりは言及しない。
「神の寵愛……。しかし、子供の折の煉夜にはそういった素振りは見られなかったという。どちらかと言えば、ごく普通の子供、いや、中でも中の上から中の下くらいであったと、弟からは聞いています」
子供の頃の煉夜は、どちらかと言うと、そこまで頭がよくなかった。もっとも、私立の難関校で、進学校である三鷹丘学園高等部にはギリギリとはいえ自力で受かっているので、まったくのバカというわけでもないのだが。どこまで鵜呑みにしていい話かは微妙であるが、幼馴染であった千奈ですら、「昔からどこか抜けていた」と評するくらいにはとぼけていたのだろう。
「それでは、その平凡な子供が、『異質』な彼に変わったきっかけのようなものがあったのではないのですか。そうでもなく、突然そんな風に変わったのだったら、それは別人に成り代わられている、と考えた方が自然なほどですよ」
そう、契機はあるはず。そうでなくては、おかしい。生まれた時から「異端」であるのならばともかく、生まれが「平凡」であり、普通に歩み、「異質」に変質を起こすことはあり得ない。だから、そこには何らかの「契機」があるはずである。
「それは……」
言いよどむ木連。特に言いたくないとかそのようなことを考えたわけではなかった。だが、思いつくことは一つだけであった。
「3ヶ月。私も直接その時に分家に関わっていたわけではありませんから、正確な日数は分かりませんが、彼は約3ヶ月の間、行方不明になっていた、と聞いています。それが故意によるものか、意図せぬものかは不明ですが、その3ヶ月間の記憶と、それ以前の記憶の一部を失った、とも」
これは、煉夜の証言をベースにしたものであるため、記憶がないと言っているが、実際のところ、3ヶ月間の記憶はある。しかし、その前の記憶が一部失われているというのは、ある意味では事実である。千奈のことすらもおぼろげになるほど、長い期間、向こうにいた影響である。
「記憶喪失……、それが、どの程度のものなのかにも寄りますが、相手に成り代わるなどというのに、記憶喪失などというのは、格好の状況であるとは思いますけど、そもそも、成り代わったところで、メリットがあるわけでもないでしょうしね」
雪白家の分家長男、という立場に成り代わったところでほとんど利益はない。せいぜい、陰陽術について教わる機会があるくらいで、ほとんど、本家の手伝いや雑用が回ってくるだけである。
「ええ、それに、彼の記憶喪失というのも、3ヶ月間の記憶は本当にさっぱり無いようですが、失われた一部の記憶というのも、それこそ、高校生が小学生の頃のことをどれだけ覚えているのか、という点で考えれば、十分に覚えていなくても普通と言える範囲だったみたいですしね」
当然のことながら、行方不明から戻ってきた後、簡単に警察等での取り調べ、というよりも本当に本人であり、どのようなことがあって、事件性の有無や怪我の有無などを調査された。それで、間違いなく本人だとされている。その当たりは、自身の過去や火邑とのエピソード、自身の部屋についての話など、他人が本人から教わって覚えていられる範囲を超えた質問を幾度かされた結果である。
「ただ、それを考えるならば、その3ヶ月の間に、神の寵愛を受け、稲荷一休と知己を持ち、陰陽術を習い、それでいて陰陽術とも魔術とも違う別の力を本質に持つようになった、ということになりますが、流石に、それはおかしいでしょうね。どれだけ才能があろうとも、たったの3ヶ月で凡人から異質に育つわけがありません」
それは、長年、舞事の指導者として先頭に立ってきた奈柚姫だからこそ、断言できることであった。才ある者は多くみてきたが、それでも、その才を十全に発揮させるまでは、かなり時間を有した。しかし、煉夜のそれは、熟練と言ってもいい気質をまとっている。明らかに、3ヶ月という時間では説明ができない。
「考え得るならば、似鳥雪姫の言が嘘であるか、それとも、弟たちの目の届かぬところで稲荷一休殿の指導を受けていたか、あるいは、奈柚姫殿の言の通り3ヶ月の間に本当に指導を受けたのか、それは分からないですが、やはり『異質』というのが所見ですか?」
そもそも、煉夜が稲荷一休に指導を受けることができる可能性はほとんどない。なぜならば、煉夜が陰陽師の修行ができるようになる頃にはすでに一休は行方不明になってから時間がかなり経っている。
「ええ、あくまで一言で言うのなら、ですがね」
煉夜を表現する言葉を一言で言うのならば「異質」。では、一言でないのならば、と言われても、奈柚姫は答えられないだろう。なぜならば、その「異質」さが「異常」なまでに絡み合っているからである。そのため、とてもではないが、「異質」を表現する言葉を、言葉としてうまく表現することは叶わないだろう。
「っと、失礼。出雲から連絡が入りました」
と、木連に断りを入れながら、電話を受け取る。話を切り替えるのにはちょうど良かったのだろう。奈柚姫はその電話を取り、しかし、電話の向こうから聞こえてくる話に眉根を寄せた。
それとほぼ同時くらいだろう。廊下から少し慌ただし気な足音が聞こえてきたのは。足音は2人分。部屋までの案内の沙津姫と、奈柚姫に話がある煉夜である。
「御歓談中申し訳ありませんが、至急、耳に入れておいた方がいいと判断しました。今、椿家で大きなゆらぎがありました。おそらく何か起きたのではないかと」
ドアを開けるなり煉夜がそういった。奈柚姫は出雲からかかってきた電話を切り、煉夜に向かう。
「ええ、タイミングは最悪でした。たった今、椿家が襲撃に遭い、椿礼守さんが攫われました。一応、警戒するように人員を割いたのですが、増員が間に合わずに」
もっとも、これは、人員の身分を確かめるように選定するのにも時間を要したためであり、一概に、出雲の警戒に非があるわけではないだろう。
「予想以上に相手の動きが早かったですね。何か、相手にとっても、タイミングを急がないといけない理由というのがあるのかもしれません」
そもそもに、急がなくていいのならば、いつでもチャンスがあるのだが、このような厳重警戒の中動いたということは、それなりに理由があると言っているようなものである。
「あるいは、ただ単に増員されるという情報をつかんで、その前に行動しただけかもしれませんが、どちらにせよ、動いたというのは大きいですね。しかし、こうなると、こちらも早く動いた方がいいでしょう」
それにうなずく奈柚姫であったが、この場合の煉夜の「早く動いた方がいい」と奈柚姫の思う「早く動いた方がいい」は別のことについてであった。




