270話:珍妙な訪問者・其ノ肆
睦月がその理由を語った後、しばらくの沈黙が続いたが、それを打ち崩す形で、奈柚姫が戻ってきた。もっとも、戻ってきたと言っても、話の輪に加わるためではなかったので、戻るというよりは、呼びに来たという表現が正しいのだろうか。
呼ばれたのは、沙津姫ではなく、水姫であった。水姫と煉夜が協力をするということについて、木連を含めて、少し話が入り組んできたので、説明に加わってほしいとのことである。実際のところ、木連は水姫と煉夜を貸すことを既に了承しているし、おおよその状況も伝わっているのだが、それでも、奈柚姫という当事者に近い人間を交えての説明は、その説明の精度が段違いである。それから、木連の方はもう1つ目的があった。
それは、奈柚姫から見た「雪白煉夜」について聞くためである。だが、それを問えるだけの発言権は木連にはない、と木連自身は思っている。だからこそ、この機会に、説明という形の中で、その部分に触れられたらという打算目的で水姫、奈柚姫の話を聞きたいと。
奈柚姫側としても、木連のバックアップはつゆほども期待していないが、陰陽師という政府とのパイプが、出雲と政府のパイプの他にもう1つできるのはありがたいことであった。いざというときに、神託がない以上政府は動かせない出雲に対して、陰陽師側からもアプローチをかけられるのはうれしい誤算であった。敵のアジトもつかめている以上、神託なしにも動かせるような手掛かりを得られそうであるが、それを出雲経由で送るのは「神託がない」という盾を使われる可能性もあった。
そうして、部屋に残ったのは、沙津姫と伊花、睦月と煉夜であった。せっかく空気が変わったので、と煉夜は睦月に話しかける。
「君があれらを探している理由は俺も理解した。だから、それを見た場所などの情報を与えるのはやぶさかではない」
そもそも、知っていたところで、いや、知っているだけではどうにもならない情報である。煉夜にとっては、城で見たものがホテルにもあった理由が解明されたので、割合、それ以上の興味があるわけでもなかった。知りたいというのならば教えるのは構わない。
「それは助かるわ。それで、2つ知っていると言っていたわね。私たちの把握する限りでは、クライスクラの1つを知っているという予言だったのだけれど」
睦月が予言をもらったタイミングが、この世界でのどのタイミングに当たるのかは微妙であるが、少なくとも、煉夜が「四光館」で門と燈籠を発見するよりも前であることは間違いないだろう。だから、その時点では、煉夜が知っていたのは1つだけである。
「もう1つを見つけたのはつい最近のことだ。今、俺が宿泊しているホテルの上階との間にある空間に存在していた。そのあたりは、自分よりも沙津姫様の方がお詳しいのでは?」
と、沙津姫に話を振る。それでようやく、彼女たちの言う「門」と「燈籠」というのが、自身の知っている「それ」であることに結び付いた沙津姫は、簡単に説明する。
「ええ、あれにも実は、柊神美が関わっているとされています。もともとは山に在ったとされるそれは、本来、多くの人には認識できないものだったそうですが、柊神美はそれを見ることが出来た、と。そして、友人の協力を得て、それを多くの人が見られるようにして、管理しているのが我々ですね」
ここにおいても、再び名前が登場した柊神美。おおよその説明は、詩央が菜守にした説明と同じものである。省略されている部分や、家によって伝わり方にも差があるが。
「なるほどね。それと、もう1つがクライスクラにあるものというわけ」
納得したようにうなずく睦月。そして、しばらくうなずいた後に、煉夜に向かって、人差し指を立てながら言う。
「2つ。2つだけ、私が……いえ、私たちができる限りの対価を払うわ。2ヶ所の情報を教えてもらうんだもの。当然のことだわ。春谷伊花に元の世界に戻るという対価を払うように、あなたにも相応の対価を払うわ」
そういわれた煉夜は、非常に微妙な顔をしていた。正直なところ、それほど大きく、彼女たちに頼みたいことはなかった。だが、1つだけ、これは、と思うところはあった。
「春谷さんを元の世界に戻す、と言ったが、俺を別の世界に連れていくというのはできるのか?」
それに対して、睦月は「うーん」と微妙な声を出した。それはそうだろう。
「それは難しいと思うわ。春谷伊花という存在は、元々この世界ではなく、別の世界にあったわ、それこそ、戻したときに神に影響が出るような存在であろうが、元の世界とのパスというのは生きているの」
伊花は「元の世界に戻る」というつまり、正常に戻すという行為を行っているわけだが、煉夜の場合はそれが異なる。
「あなたの場合は、この世界が生まれでしょう。パスがあるならまだしも」
そういう睦月に対して、煉夜は自身の手の甲を見る。それは「聖紋」である。つまるところ、【創生の魔女】との契約、というパスが存在するのではないか、という考え。
「あなたのパスは、あらゆるものが『レイキュリア=マイシュ・タルードの異術』でリセットされているから、元の世界との名残があったとしても、それは、世界とのリンクではなくて、別の『何か』が繋げているに過ぎないわ」
レイキュリア=マイシュ・タルードの異術なる奇矯な名前に、煉夜は微妙な顔をしたが、それに対して、睦月は、
「『マシュタロスの外法』や『イシュタルの異法』なんかの方がもしかしたら馴染みがあるかもしれないけどね」
と、付け加えた。煉夜や沙友里がこの世界に戻された理由、「マシュタロスの外法」である。それにより、契約等はリセットされた、と睦月は語る。
「そもそも、『概念』を司る『アレ』が、世界に現れた『異物』を『除去』して、『再構成』する際に余計な情報を取っ払って正しい形、正しい在り方に戻すためのものだもの」
その世界に対して本来存在しない扱いのもの、「異物」を元の世界に戻そうとするプログラムのようなものであろうか。もっとも、稲荷一休のように、その隙間を縫って入ってしまい、対象外になるような人間も往々にしているのだが。
「つまりは、向こうに戻ることはできないってことなのか?」
煉夜の問いかけに対して、睦月は、神妙な顔で首を横に振る。
「絶対に行くことができないというわけではないわ。それこそ、同じように行くことはできるでしょうけど、そうすると、再び『異物』扱いかもしれないから、まあ、『時空渡り』の力を使っていくのが一番いいんじゃないかしら」
行くことができないわけではない、という言葉に安心したが、それと同時に、聞き馴染みのない単語が出てきた。
「『時空渡り』ってのはなんだ。その力を使うと、『異物』にはならないのか?」
当然の疑問であろう。煉夜や沙友里のような「異物」扱いをされるものばかりの中で、されない、というのがどういうことなのか。
「『時空渡り』の三家よ。本来、1つの世界から外に出て、世界を渡るっていうのは、言った通り『レイキュリア=マイシュ・タルードの異術』に引っかかるわ。でも、それに引っかからない例外的力を持った存在がいたの。代表的なのは、時空間統括管理局のトップの逆月とかだけど、それを一族の力としていた3つの家があったの。それが『時空渡り』ってわけ」
知らない単語について言及したいところもあった煉夜であるが、今の優先事項は「時空渡り」の方であるとしてスルーした。
「それこそが、いわゆる一列、二木、三縞のこと。もっとも、公に血が存続しているのは三縞だけだけどね」
だからこそ、先ほど睦月は『一族の力としていた』と過去形で話したのである。「輪廻の三縞」と語り継がれる「時空渡り」の力。それはかつて一列にも二木にも宿っていたものである。
「公に、ということは、公ではない私的には存続しているってことなのか?」
そう、睦月は「公に」という言葉を使った。そうである以上、秘密裡にその血が存続しているのは間違いないだろう。
「ええ、まあね。もっとも、二木なんかは、血として遺伝するような存続とは違って、稀に隔世遺伝で急に力を持つ者が現れる程度だし、一列は血としての存続は完全に途絶えたけれどもね」
睦月も、その存在を直接確認したわけではないが、そうした人間が少なからずいるという話は聞いてい
た。例えば、アオヨ・シィ・レファリスのような。だが、例外も少なからずいる。二木という名を継承している例外も。
「私の部下……、あ~元部下で後輩に、愛藤愛美っていう子がいるんだけど、その子が熱を入れてる青葉って一族の子がいてね。その一族が主に使っているんだけれど、『龍神の扉』っていうものがあるのよ。それもまた『時空渡り』の一種ね。おそらく『一列』の系列の力でしょうけど、それがどうしてあるのか、私は知らないけどね」
そこで、見知った苗字が出てきて、煉夜は驚いた、ということもなかった。「青葉」という苗字は一般的な苗字であり、かつ、何しろ自身の親友は、煉夜が異界に行ったことを父から聞いた情報で知っていたという。「クライスクラ」という名前も用いたことから、親友の家が、異界について知っていることは間違いなかった。だからこそ、「時空渡り」なる力を身近に置いているのは、驚くというよりも、納得するほうに軍配があがる。煉夜のように巻き込まれるのではなく、自身で、それも好きなように異界に行ける方法を持っているというのは、当然のことなのだろう。
「その青葉の一族なら俺も知っている。今度、雷司か裕華にでも『龍神の扉』のことを聞くことにしよう」
それと、未だに噂に聴けど直接の知己がない、雷司の父にも興味があるのは間違いないことであった。もともとは「クライスクラ」について知っているという点でも興味を抱いていたが、それ以上に、京都司中八家を始め、英国や仏国でもその名がとどろいていることから、やはり、会ってみたいと思うのは自然なことであろう。
「それで、2つの対価、何が欲しいかしら」
改めて、要求について考えようとした、その時、煉夜の知覚域の端で、何かが起こったのを感知する。




