268話:珍妙な訪問者・其ノ弐
もらった情報を元に捜索の指示を出すとして、奈柚姫は席を立った。それを好機と見たか、難しい話は勘弁とばかりに深津姫も席を立った。対価をもらうべく残っている睦月と、その対価の相手であるうえに勝手に話が進められて、自身の許可の一切関係なく睦月と会うことが決まっていた伊花、睦月が何かした時に止める役の煉夜、伊花の保護役である沙津姫、煉夜の保護役である水姫だけが部屋に残った。《八雲》はすでに戻している。
「それで、聞きたいことって言っていたけど……」
少しかげる表情のまま睦月に問う伊花。こうなったのなら、さっさと話してしまう方がいいだろうと思うものの、わざわざ話を聞かれるようなことは、伊花には1つしか思い当たらない。
赤天原陰陽局での研究について、である。と、いうよりも、それ以外について、伊花はほとんど何も知らないも同然なのである。だから、聞かれることと言えば、それしかない。だが、その研究の話はあまり思い出したくはないことでもあった。
「ああ、あなたが考えているような、研究の内容とかそういった仰々しいものじゃないわよ」
だが、その考えは、あっさりと否定されてしまった。でも、そうであるならば、自分に話せることなど何もない、と伊花はますます、目の前の睦月の考えが分からない。
「具体的に話す内容よりも、まず、条件の話をしましょう。こちらと話すことに対してこちらが支払う対価について、よ」
正直、伊花は特にほしいものがあるわけでもなかったので、対価、と言われても特に要らないからさっさと話す、という気分であった。だが、その気分も、対価を聞いて大きく変わる。
「対価は、あなたを元の世界、それも、えっと西野橙紫君、だったかしら。その彼の元まで帰してあげるわ」
その言葉に動揺しないはずもない。気づけば異界に放り出された状態であったのにも関わらず、それを元の世界に戻す、それも、知人の元まで。しかし、そこで気になるのは、なぜその名前を知っているのか、ということであった。
「西野君のことを知っているの?」
伊花が知り合った中で、伊花の「神殺しの神」を無力化することができる特異点的青年、西野橙紫。その名前と伊花との関係性をなぜ知っているのか、という疑問である。
「ええ、『混沌の因子』の1人だから、彼、意外に有名人なのよ。もっとも、それだけではなく、預言としてその関係を示されたからでもあるんだけどね」
そんな風に言うが、伊花は「混沌の因子」なる名前を初めて聞いたので、何を言っているのかあまり分からなかったが、少なくとも何かを知っているということだけは分かった。
「それで、あなたを元の世界に帰す対価として、あなたに聞きたい話の中身についてなんだけれど」
そこからが本題であった。煉夜や沙津姫、水姫もその言葉の中身に注目する。「不浄高天原」の拠点位置の情報や、伊花を元の場所に帰すなど、規格外の条件を持ってまで要求する内容とは一体何なのか、気になるのも無理はないだろう。
「『門』を探しているの。正確には『門と燈籠』なんだけれど」
その言葉に一番の動揺を見せたのは煉夜であった。「門」と「燈籠」、それは、煉夜にも覚えがあるからだ。
「えっと、門と燈籠……?」
むしろ、伊花はきょとんとしていた。自身の記憶にもあまり引っかかるところがないのだろう。思い返すが、「門」などいくらでもあるだろうし、「燈籠」と言われてもあまりピンとこなかった。
「ええ、赤天原陰陽局の中に、それがあったはずなの。場違いな雰囲気と共に」
そういわれて、ようやく伊花は思い当たるものがあった。かつて、研究所にいた頃に、地下の実験室付近に奇妙な扉を見つけて、その中に入ったときに、そこだけ周囲の空間が丸ごと異なるような、奇妙な場所に出て、その先に巨大な門と石の燈籠があったことを思い出す。
「え、ええ、第一研究所地下八層の東側廊下の突き当りにあったと思うけど」
それが一体何なのだろうか、と伊花は思う。簡単に入れたので、研究所でもそこまで重要なものと思っていないのだろうと思っていたため、特にこれと言って考えたこともなかった。だが、目の前の少女は、執拗に、破格の条件を出してまで聞き出そうとしている。だからこそ、困惑するしかなかった。
「なるほどね、ありがたい情報だわ。じゃあすぐに帰してあげる……と言いたいんだけど、あなたの『神殺しの神』の力に反しないように転移するには、ちょっと手間があって、数日待ってほしいのよね」
本来ならば、狙われている状況でもあるし、とっとと帰したいのだが、伊花は能力が能力だけに難しいのだ。世界を転移する際に、その異界にある神の類に干渉しないようにしなくてはならないからである。
鮮葉はそんなことをしていないため、普通に呼んだが……、そもそも、干渉することが目的の「不浄高天原」の頼みで呼んだのだから、干渉しないようにする必要性などなかったので当然である。
「待ってくれ、『門』と『燈籠』と言ったな。あれは、もしかして複数存在するものなのか?」
予想はついていた。すでに複数の「門」と「燈籠」を目にした。だが、それがどういうものなのか、なぜ存在しているのかなどは全く分かっていない。
「『あれは』って……、あなたも知って……、あなた、名前は?」
そういえば、名前を聞いていなかった、と思い、睦月は煉夜に名前を問う。正直、睦月の目的は伊花だけだったので、他の人物の名前などには興味がなかったのだ。だが、「門」と「燈籠」を知っているというからには、自身以外のメンバーが接触しようとしている「門」と「燈籠」を知る人物の1人なのではないか、と思った。
「雪白煉夜だ」
簡潔に、自身の名前を告げた煉夜に、睦月は理解する。その名前は確かに覚えがあった。舞魚の担当分ではあるものの、目の前に当人がいるのに、舞魚に任せる必要もないだろう。
「そう、あなたがクライスクラの『門』と『燈籠』を知るレンヤ・ユキシロだったのね。どおりで【国士無双】の『比類なき者』という性質を感じ取れるわけだわ」
クライスクラ、という単語に煉夜は目を見張る。目の前の少女は本物の類である、と。かつて、自身の親友も「クライスクラ」という言葉で、煉夜を信用させた。それと同じように、目の前の存在は間違いなく本物であると。
「ああ、だが、あの『門』と『燈籠』は、すでにもう1つ見つけている。だから気になっていたんだ。城の地下にあったあれが、なぜここにもあるのか、と。だが、今の話を聞いて分かった。他にも複数存在しているものなんだな。
教えてほしい。あれはいったい何なんだ?」
もう1つ、という言葉に、睦月は目を見開いた。目の前の青年は予想以上の人物なのかもしれないと、心中で驚嘆しながらも、説明をする。
「よく分かっていないよの。ただ、私の……私たちの大事な友人を助けるためには、あれが必要だということしか。こちらでも、あれが何かは知らない。ただ、部下の……あ~、元部下の愛する人の息子曰く、『奇跡を背負いし者』の象徴、『九つの燈籠』の一つ、と言っていたわ」
ややこしいが、関係的にほとんどつながりのない彼を称するには、そのような関係性になる。もっとも、煉夜には「あなたの親友の父」と表現すれば通じるのだが、その関係性を睦月が知るはずもない。
「九つの燈籠……?
門ではなく、『燈籠』なのか……?」
どう見ても門が本体であるようにしか見えないそれだが、「九つの燈籠」と表現される以上、重要なのは「燈籠」の方なのであろう。
「そう。本来ならば、九つの門と燈籠が並んでいるの。あの時みたいにね。それこそが、私のような【国士無双】……『比類なき者』と同じように『奇跡を背負いし者』という本質を持つあの子の力。【九蓮宝燈】と呼ばれる力の象徴」
【九蓮宝燈】。【国士無双】や【嶺上開花】などと同じように麻雀の役の名前であり、睦月達の力の名称でもある。英語では「九つの門」あるいは「天国への扉」と呼ばれる。また、別名としてあげられるものが「天衣無縫」や「紫気東来」である。
これらの言葉、「天衣無縫」はすなわち「自然である様」、「紫気東来」はすなわち「幸運とされる紫の気運が吉兆の東の方角から来る」という意味だ。それが意味するところの、この【九蓮宝燈】の役は「とても綺麗で自然な様」や「とても運がいい」という意味合いを持つ。それゆえに、「九蓮宝燈をあがったものは死ぬ」とされる噂もある。それは、そこで運を使い果たしたからだ。そういわれるほどに出る確率が低く、珍しい役である。
また「九つの門」は地獄の門に、「天国への扉」は天国の門に由来されると考えられるものであり、おおもとの「九蓮宝燈」は「九蓮灯」という照明器具とされる説や「宝蓮燈」という伝承があるが、その中に出てくる神通力を高めるとされる「宝蓮燈」とされる説もある。
古来中国では、仏教の伝来より「蓮」は極楽に咲いているとされ「五徳」という性質を持つとされる。「淤泥不染の徳」すなわち「汚い泥地に咲く蓮は泥にまみれても汚れずに綺麗な花を咲かす」、「一茎一花の徳」すなわち「一つの茎に一つの花しか咲かないことから心の曲がらぬもの、浮気をしないもの、まっすぐなもの」、「花果同時の徳」すなわち「花を咲かすと同時に果実もできるさまは、他の枯れ行く中で実をつける、つまり最盛を過ぎてから結果を残すのではなく、最盛に結果を残す」、「一花多果の徳」すなわち「一つの花に多くの果実が実るため、それは一つの花が多くの結果を残す、あるいは多くの子を残す」、「中虚外直の徳」すなわち「茎はいくつかの虚があれど外はまっすぐであり、失敗や喪失があってもまっすぐ生きること」、これらの「五徳」からも分かるように、中国では「蓮」を仏教での心の模範、「極楽へ至れる人の心の在り方」の見本としたとされる。
また「九」は、日本でこそ「苦」を連想されるとして、縁起の悪い数字とされることが多いが、中国では「ジュー」と読み「久」と読みが被ることから「九」には「永遠」や「長い間」という意味もかけて縁起のいい数字とされている。
そして「宝燈」とは、仏前に灯す明かり、「御明」とされるものであり、死者を弔う意味や奉るのに扱われるものである。
これらの「縁起のいい九の字」、「極楽への心の持ち方」、「仏前に灯す明かり」という意味を合わせるならば、「極楽浄土へ行ける」、「縁起がいい」という「天国への門」や「紫気東来」に近しい意味合いになる。
縁起が良く、滅多に出ない、それらはすなわち「奇跡」ということになる。それらの「奇跡」を背負いし者こそが【九蓮宝燈】という性質を表しているのである。
「【九蓮宝燈】……?」
煉夜はあまり麻雀を嗜むことはないため、その役の名前を聞いてもピンと来ていないようである。【国士無双】などならともかく、麻雀に縁がなければその程度であろう。




