267話:珍妙な訪問者・其ノ一
煉夜は、自身でも感じたことのない不思議な感覚に目を見張るしかなかった。感じているものが何なのかが全く分からない。ただ分かることは、魔力でも霊力でも、神気でも瘴気でもない、それ以外の強大な力であるということだけだった。
そこからつながるように、その存在の魔力のキャパシティも見えてくる。魔力感知で引っかかっていないのは、ただ単に、それが魔力を極限まで抑え込んでいるからなのだろう。そして、その、ただただ強大な力に、煉夜は思わず息をのむ。
かつて、向こうの世界で神獣を前にした時だって、これほどの圧は感じなかった。まるで、その力に「比類するものなどいない」とするかのような力の質が、久々に煉夜の闘気をはじけさせる。
「この、気配は……、一体……」
かすれるような声で、西方の空を見上げる。無論、家の中にいるため外は見えないし、距離的にも、姿が見えることはなかっただろう。
「気配、ですか……?
わたしには何も。春谷さんも何も感じ取っていないようですし」
沙津姫が煉夜の様子を見ながらそういった。伊花もうなずく。2人の知覚域に、特に気を引くような何かがかかってはいない。これは、相手の隠蔽力が高いとか、そういった話ではない。
ただ単に、煉夜にしか感じ取れない、同質の性質がひかれ合い結果的に、煉夜にのみ、その強大な力が圧力となって感じられているだけである。それも、その気配のすぐ近くにいる自身の式神すら感じ取れないほどに、それにひかれている。
そして、近づいてきている気配に、思わず胸元の宝石を握りこむほどに、それに対して警戒をする。その警戒の具合を見て、思わず沙津姫や奈柚姫の額にも汗が流れた。
気配が前触れなく消え、そして、自身の背後に現れたのが分かった瞬間に、煉夜は「流転の氷龍」を呼び出し、その背後へと振りぬいていた。冷気が部屋を駆け巡る中、その水の宝具たる強大な力をいなしたのは、煉夜の身長ほどはある大剣であった。
「あらら、転移すらも気取れる猛者がいたかぁ。ごめんごめん、怪しい者じゃないから」
と、のたまう少女は、どう考えても怪しかった。だが、煉夜はその傍らにいる自身の式神を見て、自身の焦りに気づき、「流転の氷龍」をしまい込んだ。
その結果、金属の甲高い音と駆け巡る冷気だけがその場に残り、当人同士以外は何が起きたのかも理解できていなかった。
「何者だ……?
転移の類、それも魔法じゃないな……」
魔法による転移ならば、その兆候で、煉夜はもっと早く気づいていた。だが、そうではなく、突然背後に現れたのだ。
「【力場】での短距離転移よ。あいにく様、身分には反して、ガチの戦士タイプだから、魔法よりもこっちの方が得意なの」
そういいながらも、転身の一部であるロングブーツだけを解除する。流石に家に土足で上がるほどマナーがなっていないわけではない。
「っと、それで、何者か、っていう質問だったわね。
初めまして、国立睦月よ。本当なら、この九尾ちゃんの主に連絡を取ってから来るはずだったのだけれど、この家にある結界に阻害されて、この子の念話が届かなかったみたいなのよね。神的念話も春谷伊花の『神殺しの神』たる力によって無力化されるし」
これは事実である。《八雲》と煉夜のパスは直接的なものであるが、「不浄高天原」に備え強化した柊家の結界に阻まれ、感知はともかく通信系の呪術が通らなくなってしまった。しかし、そうなった場合でも、《八雲》には神獣としての、神託たる念話能力があった。だが、それも伊花の力で歪められた神域に対しては届かず、結果として、直接出向くしかなくなってしまった。その結果、伊花と会いたいという睦月の願いは、契約の成立前に叶ってしまう形となってしまった。
「急な来訪になってしまったことは詫びるわ。それで、少し話を聞いてほしいのだけれど、この九尾ちゃんの主はどなた?」
あくまでひょうひょうとして、睦月は簡単に話を進める。その質問の答えは半ば分かっていた。神獣を従えるとなると、それなりの力が必要になる。この中で、それだけの力があるのは、1人だけであった。正確には、ただ単なる力で言うのならば、伊花も含まれるが、伊花には神獣との相性が致命的に悪いため除外される。
「俺だ、……が、いきなりやってきて、『話を聞いてほしい』、と言われてもな。ここは俺の家ではないし、今の状況だけ見れば、君はただの不法侵入者でしかない」
それは、つまり、煉夜に話を通す前に、話を通す相手がいるだろう、ということを暗に言っているのである。それは普通に考えての最低限の礼儀であろう。
「あら、そうなの。この中で一番年長者はあなただから、あなたに通すのが筋かとも思ったんだけれど、この家の主は、そちらの方ね」
さらりと、煉夜が見た目通りの年齢ではないことを理解しているように発言したことに、煉夜は驚いたが、目の前の少女も見た目通りの年齢ではない組であることは感覚的に理解できたから、分かる者には分かるのだろう、と納得した。
「初めまして、国立睦月と言います。ああ、見た目は12歳というか、永遠の12歳ではあるけれど、こう見えてそれなりに長く生きている異界の人間なのですけれども、今回は商談というか相談というかを持ってきました。これに関しては。あなた方にも悪い話ではないと思うので、とりあえず勝手に家に入ったことはお詫びしますけれど、できれば話だけでも聞いてくれませんか」
一応、敬語を遣いながらも不遜な態度で、彼女は奈柚姫に話しかける。一方の奈柚姫はというと、異常な、あるいは珍妙な目の前の客に苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。だが、それでも、この非常識の塊のような少女は、この趨勢を左右しうる存在であると判断できるだけの自信があった。
「非常識の塊みたいな人ですね。いいでしょう。当家へ不法に侵入したことに関しては咎めません。ですが、せめてその大きくて物騒なものは部屋の外に置いておいてください。それが最低限の条件です」
無論、大きくて物騒なものとは、煉夜の「流転の氷龍」すらもいなしたレーティアの加護を体現した第十二世界原石の結晶、大剣・ファルメノスのことである。
「まあ、それもそうね。本当ならば転身……『加護結晶化』を解きたいところなんだけど、あいにくそういうわけにもいかないもので、廊下に立てかけさせてもらうわ」
言っていることの半分以上も分からないまま、彼女の行動に流される。廊下に放り出された大剣。状況も、言葉も、ほとんど理解できないままに、事態だけが進行する。
「さて、本来なら、こちらの目的は達成されたも同然なんだけど、そんな卑怯な真似みたいなことをするのは性分じゃないので、一応、九尾ちゃんに提示した条件をそのまま伝えるわよ。
こちらの要求は、『春谷伊花と会うこと』、こちらの対価は『敵組織のアジトの位置』よ」
先ほども奈柚姫に対して「あなた方にも悪い話ではないと思う」というのが嘘ではないことが明らかになる。しかし、そうなると当然の疑問がわく。
「そのアジトの位置が本当だという証拠がないのなら信用できませんが、その程度は分かっているのですよね」
あくまで、煉夜と話しているつもりであった睦月であったが、沙津姫からの疑問については、当然されるものだと思っていたし、解決済みである。
「ええ、当然の疑問ね。でも、それを確証にするために、さっきまで九尾ちゃんと敵の拠点の一か所を視察していたの。こちらの情報が正しいのかどうかの証拠のためにね」
あくまで一か所に過ぎないが、それでも確定情報1つと不確定ながら可能性の高い情報が複数もらえるわけである。それも、春谷伊花と合わせるだけで。条件としては破格過ぎるだろう。
「確かに、こちらにとっては『悪い話ではない』どころか、ありがたい話ではあるが、条件が破格過ぎる。疑いたくもなるだろう」
あまりにも破格過ぎる条件に、疑いたくなるのは当然のこと。罠とも思えないが、そのような条件で狙うたくらみが見えない。
「そうね、なんだっけ、『不浄高天原』だっけ、それの一員かも、とか、罠にはめるために、とか、春谷伊花と会って攫うのが目的じゃないのか、とか、色々と思うところがあるとは思うわ。
でもね、破格に思えるかもしれないけど、それだけ、こちらとしては春谷伊花と会って話すことが重要なのよ。あなたたちが探しているしょうもないたくらみをしている一派のアジトなんかよりもね」
そう、これは純然たる「価値観の相違」に他ならない。煉夜たちにとっては「不浄高天原の拠点」というのは非常に重要な情報であるが、睦月にとっては興味のないことであるし、そもそもに、伊花に会って話を聞くということは、今やらなくてはならないことへの最も重要なことである。
「なるほど、分かった。しかし、春谷さんに何かするようであったら……」
「分かってるわよ。そもそも、情報を聞きたいだけで、何かするつもりはないわ。その情報を聞くのにもちゃんと対価を出すつもりだし」
まだ、完全に信用できるとしたわけではないため、伊花に何かするようであるならば叩ききるぞ、という趣旨の発言であり、睦月もそれをきちんと理解していた。
「地図をちょうだい。拠点であろう場所を全てマークするから。もっとも、中にはダミーが混じってる可能性があるから、絶対に正しいとは思わないでね。九尾ちゃんと見た場所は違う印付けておくから、そこへ人を送るなら慎重に」
元リーダーゆえか、リーダー気質なのか、指示をてきぱきと出す睦月。こうして、敵の拠点が1日にしてほとんど明かされることとなった。無論、この後、調査を行って確信をもってこそ、明かされたと初めて言えるのだろうが。




