266話:柊家への訪問・其ノ伍
一通り、そのような会話をしてから、ようやく話は本題に入ろうとしていた。柊家、あるいは、雪白家の話、名前や風習についての話は、ある意味、この本題の前置きのような部分であろう。
「さて、それで、『雪白家のルーツ』……柊神美についての話を聞きたいということでしたね。ですが、正直なところ、彼女は分家の人間でしたし、早くに独立したので、雪白家ほど資料はないので、煉夜さんの聞きたいことが聞けるのかどうかは分かりませんが、可能な限りお話しましょう」
柊家において、舞事においても、そして、陰陽師としても異質なほどに天才であった、彼女については、柊家においてもあまり資料は残っていない。理由はいくつかある。
「まず、柊神美ですが、彼女が生きていたのは、今からさかのぼるとそれなりに昔のこと、江戸時代頃になります。もっとも、江戸時代、といっても200年ほどあるのですが、江戸時代の中でも、綱吉公の頃ですね」
徳川綱吉、江戸幕府五代目であり、有名な話は生類憐みの令であろうか。こと、このころとなると、赤穂事件などがあった時代でもある。
「柊家において、鬼才あるいは異才と呼ばれたのが柊神美でした。あまり外聞のいい呼び名ではありませんが、後世では『柊のおてんば姫』などと揶揄されることもあります」
その「柊のおてんば姫」というあだ名は、かつて、姫毬も信姫との会話中に出していたものである。
「そんな柊神美ですが、彼女が芸名で名乗っていたのが『雪白火奈美』だったのです。この『雪白』の由来は、よくわかっていませんが、彼女の髪色や肌などに所以していたのでは、とされています。もっとも、それが事実かどうかも分かりませんが」
沙津姫の髪の色や瞳の色が、神美とは異なると奈柚姫が言っていたように、彼女の髪色は黒や茶色ではなく、江戸時代でも異質な髪色と瞳色をしていたという。
「彼女は、長い銀色の髪に赤い瞳をしていたとされています。それに、白い肌も。しかし、いわゆる現代ではアルビノと呼ばれるそれですと、先天的にメラニンの欠乏によりなるものですが、そうなると、紫外線による皮膚の損傷などがあるのですが、神美にはそういったことは一切なく、日の光を浴びても平気であったようですし、異端視されるはずの容姿でありながらも、異才とされていたのはあくまで舞の才能や陰陽師としての才であったり、持っていたとされる文献にも一切記載されていない何かであったり、外見が異端視されていたような記述はないのです」
先天性白皮症と医学的に呼ばれるアルビノであるが、それは、生まれ持ってメラニンが欠乏していることで起こるものである。メラニンが紫外線から身を守っているため、それが欠乏することは、日の光から紫外線の影響をもろに受け、日焼けによる炎症を起こしかねない。
むろん、人によって程度は変わるが、それでも、炎天下の中、舞を踊り続けたという話も残る神美がアルビノであったという可能性は低くなる。
そして、何より、アルビノに多いのは、その存在の神聖視、あるいは、異端視である。海外などでも往々にして見られる話であるが、その白さから、通常の人間とは違うと思い込んでしまい、そこに神聖さを見出したり、あるいは、逆に異端だとさげすんだりする。日本でも神聖視された例はあるが、その逆もしかりであろう。
どのような扱いであろうと、それだけ目立つ容貌ならば、その扱いに関する文献が残っているはずであるが、容姿について触れた文献はあっても、それ以上の扱いや周囲の認識などに関する記述はなかった。
「その彼女の雪のように白い肌、雪のように白い髪を持って、彼女は『雪白』と名乗ったのではないか、と柊家の文献にはあります」
もっとも文献に、そう記載されているだけで、事実がどうであるのかは、神美自身にしかわからないものであろう。
「彼女に関しては、異才、鬼才など、その才能を示す言葉は多くあれど、その詳細を記したものはほとんどありません。何をもってそう呼ばれたのか、なぜ天才ではなく異才や鬼才だったのか、そういった根幹の部分は何一つ開示されなかったのです」
天才と称さずに異才や鬼才と称すからには、「異なる部分」や「鬼」と称する部分があるはずなのである。鬼才とは人離れした異質な才能を持つ者であり、異才も異質な才能を持つ者を示している。つまるところ、柊神美とは異質な存在であったということは間違いない。
「それに、おかしな点がいくつもあります。まず、写真の技術が日本に持ち込まれたのは1850年頃、つまり、江戸時代でもいわゆる幕末と呼ばれる時代なのですが、なぜか、柊神美と友人が写っている写真が複数見つかっているのです」
徳川綱吉公が治めた時代は1680年頃からのことである。写真の伝来まで160年ほどあり、普及までを考えると更に先だろう。つまり、その時代にない技術を持っていたことになる。そもそも本格的に写真というものが、物に定着させる点まで含めて生まれたのは1827年にとられた写真が初だとされている。
つまり1680年代に写真があったとするならば、それはオーパーツに他ならない。
「その写真自体は、当家には1枚しかなく、他の写真は雪白家か、どこかの家に流れたと聞きますが、蔵の奥にしまっているため、現状見せるのは難しいですね。ただ、神美の顔は、沙津姫さんとよく似ているのです。写真に写った顔立ちは間違いなく、沙津姫さんと瓜二つと言っていいほどには」
その写真に写っているのが、もしかして神美ではなく、他の柊家の人間なのではないか、ということもあるが、写真の人物の髪色や瞳色は間違いなく神美の伝聞にあるものと一致する。
「写真を柊神美が写ったものと断定する材料は、写真の人物の容姿だけではなく、その写真に写る他の人物も含めてですね。柊神美には、よく行動する友人が2人いたとされています。しかし、2人とも、江戸での元禄地震で姿を消したとされており、文献に残されている人物と容姿が一致するのです。偶然にしては重なりすぎますし、かといって、家系図や文献などを総ざらいしても、柊神美の生きた時間に誤りはありません」
つまり、何らかの特殊な技術でもない限り、「写真が残っている」などということはあり得ないのだが、それがあり得てしまっている。
「他にも、彼女の話にはおかしな部分がいくつもあり、鎖国中の日本において外来語をいくつか使用していたり、いくつかの文献にある『常人ならざる力を持ってかの地を支配した』という文がありますが、京都を含め、彼女の領土と言えるような場所がないことであったり、彼女の記述に関しては解明できていない謎が多いのです」
解明できていないというよりも、そのまま読み解くにはおかしいという点が多すぎて、納得できていないというべきであろうか。
「その不明な点の多い彼女でしたが、舞の才と陰陽師の才は、先ほども申し上げた通り、異才や鬼才と称される部類でした。つまりは、この柊家の発展に役立つ人間であると思われていたわけです。
しかし、彼女は、突然にも若き身空で、自ら柊家を出て京都で陰陽師の一門を開きました。それが後の『雪白家』です。『雪白家』の異名が【日舞】であるのも、日本舞踊の一族、柊家から分かたれたからという部分が大きいのでしょう」
基本的に柊家では、「血筋」というものを優遇し、宗家を優先し、分家を予備的扱いするのが常であった。いや、これは柊家、というくくりというよりも基本的な家というべきであろうか。
そうなったときに、分家筋の柊神美は異才でありながらも、あくまで分家であった。だから、宗家の世継ぎが生まれない場合、あるいは、亡くなり、その跡継ぎもいない場合にのみ、宗家の養子となり当主を継ぐ可能性はあっただろう。そもそも、分家だからと言って、冷遇されていたわけでもない。
ただ、彼女は、家を出た。それがどのように思ってのことだったのかは、彼女自身しか知らないことであろうが、それでも、柊家を出て、京都で陰陽師の家を開き、そこで芸名の「雪白」を名乗り、「雪白火奈美」として陰陽師になった。
「これが、当家で分かる限りの『雪白家の始まり』、柊神美についてのお話です。これより先の、『雪白火奈美』としての彼女の生き様に関しては、当家よりもそちらの家の方が詳しいでしょうし、柊家は、その当初は雪白家と疎遠でして、本当にそれから先の話はほとんど知らないのです。今のように親戚関係として縁を取り戻したのはだいぶ先ですから」
縁を戻したのも雪白家側からである。そもそも、何の後ろ盾もなく陰陽師として大成したのは、偏に鬼才である柊神美があってこそであり、それ以降の代が凡才やただの天才であったならば、維持するのはつらく、衰退がはじまるだろう。特に、江戸から明治に移るにかけて、神仏分離などの政府事業や外国人の流入、それらにより陰陽術は衰退を極めていく時代である。そうした中で、雪白家が後ろ盾にできた家は、血のつながりのある中で最も安定して勢力を維持している柊家の他になかった。それゆえに、縁を戻したというよりは、戻さざるを得なかったのだ。
「なる……ほど……」
かみしめるようにつぶやく煉夜。その脳裏には、何か考えがまとまりそうになっていた。だが、決定的なピースが足りない。それが分からないからこそ、まとまらずに宙に浮いている。あと1つ、ピースがあれば埋まるのかもしれないが、そのピースがとてつもなく巨大である。
知りたいことの核となる部分の周りだけが断片的に埋まり、肝心の核の部分が抜け落ちているかのような、言い知れぬ歯切れの悪い感覚。
複数の人物が今まで、煉夜に「雪白家のルーツ」について言及していた。だからこそ、これで終わりではないのではないか、と煉夜が思うのも無理はない。今得た情報を知ったからと言って、これと言って大きな進展があったわけではないのがその証拠だろう。確実に、皆が言うからには、そこに何かがあると、煉夜は思う。
「貴重なお話をありがとうございました」
頭を下げながら、そう言葉を返す煉夜に、奈柚姫は、「何をもってこの話を聞こうと思ったのでしょうか」と問おうとしたが、それよりも前に、煉夜がバッと顔をあげた。まるで、何かの気配を感じたかのように。
だが、その場にいる水姫も奈柚姫も深津姫も、ましてや、知覚域の広い沙津姫や伊花でさえ、それに気づいたような素振りはない。だが、煉夜の中には、間違いなくその気配の強大さに危険信号が鳴っていた。




