265話:柊家への訪問・其ノ肆
一通り「不浄高天原」についての話が終わったタイミングで、部屋に深津姫が部屋に現れた。別にタイミングを計っていたわけではなく、偶然にも話が切れたタイミングであっただけであるが、タイミングはよかっただろう。
「あたくしは、柊深津姫と申します。以後、お見知りおきを」
深津姫が自己紹介をする。深津姫は、舞関係もあまり評価が高いわけではないため、水姫と会ったのも数回程度で、あまり面識がないと言っても過言ではない。
「初めまして、自分は雪白煉夜です」
と、簡便に挨拶を済ませた。しかしながら、煉夜は、「水姫と深津姫、似た名前だな」とそんなことをぼんやり考える程度であった。それを察したのか、奈柚姫が言う。
「水姫さんと深津姫さんの名前が似ているのには理由があるのですよ」
もっとも、似てしまったのは偶然であり、明確にかぶせたというわけではなく、似てしまったことに原因があるという意味であるが。
「柊家では代々、その名前に『姫』か『美』の漢字を使う風習があります。『奈柚姫』や『沙津姫』、『深津姫』と全員に『姫』の字が入っていますよね。その風習は雪白家にも引き継がれているのです」
しかし、確かに「水姫」は「姫」の字を冠しているが、男児の自分はともかく、火邑には「姫」も「美」も入っていないではないかと、思った。
「火邑さんに『姫』も『美』も入っていないのにも理由があるわ」
と、小声で水姫が煉夜にフォローを入れる。しかし、その具体的な部分を聞く前に、奈柚姫が話を続ける。
「そして、柊家では、宗家に『姫』、分家に『美』の字を入れる風習と宗家が3字、分家が2字という風習があります。この風習は前者がそのまま雪白家にも、後者は別の形で雪白家にも引き継がれています」
この例が「柊神美」のような分家で2字かつ「美」の字が入っている者や、雪白家の本家で「姫」の字が入っている「水姫」である。
「雪白家では、本家が『姫』、分家が『美』の字の風習をそのままに、名前を2字、諱を3字となっているの。私の場合は『水姫』の諱を『美朱姫』とされているわ」
この場合の「諱」とは、言うことをはばかられるな、いわば「隠し名」のような意味合いで使われている言葉である。
「火邑さんの場合は、風習に従うのならば『美』が授けられるのだけど、分家で、さらに次女でもあった彼女は、あなたの事件がなければ、陰陽道に足を踏み入れることなく、ほとんど一般人のような道をたどるはずだったから、風習の『美』も名前の方には入れず、諱にのみ入っているの。彼女の諱は『火邑美』よ」
雪白家の場合、本家の長子が存命かつ健康であり、さらに分家の長子も存命であるならば、分家の次子などは、ほとんど家に関わることがなくなる。無論、年齢によって「陰陽道」を明らかにする風習はあるので、陰陽道を全く知らずに、ということはないが、それでも、ほとんど一般人のような状態で世間に出ていくことになるだろう。そのため、火邑は世間一般に流れるとなると、雪白家の陰陽道の部分とは縁を切るという意味合いを込めて「美」の字をあえて名前に入れず、諱のみに入れたのである。
しかし、現在の雪白家の分家では、煉夜が行方不明となったことで、分家の長子が不在、あるいは死亡の恐れが出たため、次子の火邑にも陰陽道を継ぐ可能性が出てしまい、火邑が本格的に陰陽道の修行を受けている現状がある。
「また、雪白家にのみある風習として、陰陽道に通ずる『属性』を名前に入れるという風習もあるわ。もっとも、これらの風習が確立されたのは、2代目以降とされていて、初代の名前には『属性』は入っていないそうだけど」
初代、つまり、「雪白家のルーツ」である。真田繁や北大路夜風に言われたそれに、明確に近づいている。
「ええ、柊神美ですね。もっとも、彼女の諱には『属性』が入っていました。その名を取って、諱では『雪白火奈美』と名乗っていたようですがね」
「それで、あたくしと水姫さんの名前が似ているのは、雪白家が『属性』を名前に入れる関係上、『火』や『水』、『木』、『金』などの名前と『姫』を組み合わせることを考えると、必然的に『水姫』という名前は付けやすい名前でして、雪白家には何人か『水姫』という先代方がいたんですよね。
一方、柊家でも3字で『姫』を入れることを考えると似たような名前で姉が『沙津姫』と名付けられていたので、『津姫』につく名前となると、限られてしまうので被ってしまったというわけです」
雪白家の属性名縛りであると水姫、火姫、木姫、金姫などの名前が付けられることが多い。土姫がないのは、読みづらいからだろうというのと、雪白家に土を得意とする陰陽師が生まれにくいからであろう。
属性として多いのが、「水」であり、それゆえに「水姫」という名前が付けられることが多いのである。五行の属性的には、「水」と相剋、つまり水に強い属性である「土」が生まれることが少ない。「水」が相生の「木」や「水」が相剋の「火」は生まれやすい傾向にある。それゆえに「木連」や「煉夜」、「火邑」など、木、水、火が多い。
基本的に、「火」、「水」、「木」、「金」、「土」の五行の字をそのまま使うのは本家に多く、分家では煉夜のように「火部」や「さんずい」、「木偏」、「金偏」、「土偏」などの基本に何かを加えた文字を使う傾向にある。ただし、火邑は前述のように特殊な名前付けのため例外である。
「まあ、同い年で誕生日も近かったので、偶然ではありますが、互いに知る間もなく名付けてしまったのです」
ちなみに、この中では、沙津姫と煉夜が同い年、水姫と深津姫が同い年である。
ちなみに、沙津姫が煉夜を学生だから年下と判断したように、柊家とあまりかかわりのない分家の方の誕生日などはあまり柊家でも知られていない。むしろ、舞をやっている分、煉夜よりも火邑の方がまだ、柊家での知名度は高い。
「まあ、名前の風習というのは当家に限らず、どこの家でも習わしや縁起などの意味から、割多くの家で使われていますしね。椿家では、当主の『礼菜』は世襲ですが、『菜』の字や『礼』の字を子供に使うことが多いですしね」
菜守や菜守の妹の礼守のように椿家では「礼」、「菜」が多い。特に椿家は女人当主の家系なので、「菜」の字を当てることが多いだろう。
榎家では、闘舞というものがあるため武に重きを置く傾向があるが、「武だけでなく文も学べ」という意味を込めて「言偏」の漢字をその名前に入れる風習である。「詩央」の「詩」や、現当主「希説」の「説」の字がそれにあたる。
楸家は、あらゆる新しいものを取り入れていく流派であるため、風習にとらわれることがなく、そういった風習は特にない。
司中八家でも似たような風習がある家はいくつもある。
古くからある家では多くある風習なのであろう。文字や読みに特別な意味を持たせるというのは、まじない的にもよくあるものであるし、陰陽師などでは諱隠しである炎魔を艶魔、篠宮を四ノ宮などと本当の名前を隠すようなものは往々にある。名は体を表すという言葉通りに、名前を付けることでそれが影響を与えることは往々にある。
また「継承」を分かりやすく体現するという意味合いもある。徳川家が「家」の字を名に入れることが多かったり、足利家が「義」の字を名に入れることが多かったりと、それらは、家を継ぐことを大きく表している。
だからこそ、名前の風習は多く残っている。特に伝統や継承、血統や異能を持つ一族ではそれらが濃く、風習として現存するのだ。
「春谷さんの家もそういった習わしがあるのかと、わたしは思っていたんですがね」
と、沙津姫が言う。実際のところ、春谷伊花という名前も、習わしに近いのかもしれない。ただ、やはり、実験番号という意味合いが強いため、風習などではないと言える。
「えっと……、まあ、1から5という数字は『四神と麒麟』あるいは『四神と黄龍』という、中国の吉兆の証や『春夏秋冬と梅雨』という日本の四季、季節感を表す言葉などと重なるということで、春夏秋冬や四神に影響があるとされる風水的地形の名を記号的に当てはめたことで作った名前だったかと」
四神とは東西南北にそれぞれを司る吉兆の神獣を置いたもので、日本でも京都の平安京などが、この思想を基に作られたため、現在の京都にもこの四神による風水的考えが息づいている。東の青龍、西の白虎、北の玄武、南の朱雀。そして、それらに対応し、中央に黄龍あるいは麒麟が置かれる。東西南北と中央の5つである。
また、それら四神は季節神の一面も持つとされているが、その四季は、春夏秋冬に分かれ、それに加え、和歌や川柳などでも読まれるように梅雨という気候が存在する。本来ならば、四季において梅雨とは春と夏の間であり、夏に分類されることが多いが、それでも、梅雨という確固とした季を示す。ゆえに、春夏秋冬に梅雨の5つである。
春を「あずま」と当てるのもそれらに所以するものだ。
そして、青龍は川、白虎は道、玄武は山、朱雀は池など、京都の平安京では、四神相応として自然の地形を四神に当てはめたことから、地形と四神は強く結びつけられている。
それらに合わせ、記号的に谷、山、海、空、川が地形として伊花達には与えられた。
「まあ、家自体が新しいのですから、風習も何もないでしょうね」
新しいというのともまた、微妙に違うが、できたばかりの家であることは間違いない。これから先、伊花が生きて、誰かと子を生し、その家系が続くのであらば、そうなって初めて、春谷という家が成立する。その中で、「伊露波」歌の名付けや「花」の字を子供の名前に継承していくか否かで、そこに「習わし」が存在するかどうかが決まるのであろう。




