263話:柊家への訪問・其ノ弐
戸を開けた奈柚姫の目に映ったのは、自身のよく知る孝乃と水姫、そして、初対面である煉夜であった。そして、その姿を見た瞬間に、奈柚姫は自身でも珍しいことを自覚しながら、思わず顔をこわばらせた。
それは感覚的なものであるが、奈柚姫はこれまでの生で、多くの神や神遣者、陰陽師、……様々な人々との知己を得た。それらの経験は蓄積され、初対面でもそれとなくその人物の人となりを感じ取れるようになっていた。それはあくまで超常的な能力などではなく、本当に、経験からの「何となく」という感覚的なものであるが、それでも、その勘は、何より自身が信じられる「武器」でもあった。
その勘が、煉夜を見た瞬間に告げたのは、「異常」という感想であった。つい先日、娘が連れ帰った春谷伊花を見ても「異常」という感想は浮かんだが、それはなんというか、神を相手にしているときのような、そういった「異常」さであったのだが、目の前の人物には、それとも違う、理解できるが根本的にずれているかのような「歪み」が気持ち悪くすら思えるほどであった。
見た目と年齢の乖離、感覚の乖離、経験の乖離、精神の達観性の乖離、挙げればキリがないほどに、常人とのズレが感覚的に伝わり、「異常」の度合いが際立つ。
今まで出会った中にも見た目と年齢がかけ離れているような人物はそれなりにいた。神遣者などには、そういった人も多く、駿部四姫琳もその例であろうと奈柚姫は理解していた。だが、それだけではなく、感覚……死生観であったり、生きるための感覚であったり、物事に対する尺度そのものが自身のそれとは限りなくかけ離れているようにも感じられた。それだけならば、駿部四姫琳のような知った例がある故、ここまで驚かなかっただろうが、それ以上に、濃密な経験と精神的に自身よりも達観しているのではないかというような感覚が、表にはっきりと見えていることが異常であった。
駿部四姫琳は、まだ、半神半人のようなものであるため、それがあっても「おかしくない」ということを理解できる。だが、目の前の青年は、その出生も含め、自身の常識が通用する範囲で生まれ育ち、それでいて、今の目の前に存在している感覚と「大きくずれている」ということが余計に「異常」であった。まるで、中身だけは別のものが入り込んでいるのではないか、と、思ってしまいたくなるほどに。
「孝乃さん、ご苦労様でした。この後は、いつものように」
「はい、門下生たちの指導に当たります。では、ごゆるりと御歓談を」
こわばらせた顔を瞬時にいつもの顔にすり替えて、奈柚姫は孝乃に指示を出す。いつものことであるため理解している孝乃は、その指示を聞き終わる前にすることを把握し、答えた。
そして、視線は再び煉夜へと向けられる。この時、水姫は「珍しい」と感じた。普段、木連などと共に、奈柚姫に会っても、大抵の場合、その視線は自身の方へ向けられている。だが、今回は、そうではなく、隣の人物へと向けられていた。これが、煉夜に舞の才能があるのならば、まだわかる。だが、そうでなく視線を向けられるということは、「奈柚姫の琴線に触れる何かが煉夜にあるのだ」と、水姫は思った。
「お久しぶりですね、水姫さん。それから、初めまして、雪白煉夜さん。柊家当主の柊奈柚姫と言います」
視線が一切、水姫に移らず、煉夜に向けられたまま奈柚姫は挨拶をした。それは、警戒心からか、それとも、未知との遭遇によるものか、煉夜から視線が動かせなかったゆえである。
「初めまして、京都司中八家雪白家分家長男、雪白煉夜と申します」
そして、水姫はその視線が向けられなかったことを考えていたため、いつもとは違い煉夜の方が先に挨拶をした。その挨拶も、あいにくと煉夜は、未だに和の作法になれていないため、騎士の礼儀での挨拶であったが。一応、和の作法も家では習っているものだが、やはり騎士時代に体になじむまでスパルタで教え込まれた作法が未だに、煉夜の中では残り続けている。
「お久しぶりです、本日はお世話になります」
その煉夜の後に、水姫も挨拶をする。そこで初めて、明確に奈柚姫の視線は水姫に移った。だが、意識はいまだに煉夜の方へ向いているのが、普段、明確にその視線と意識を向けられている水姫には分かった。
「灯さんが軽はずみに言ったせいで、修学旅行中にすみません」
実際のところ、それは奈柚姫の本心であろう。舞事で数年に一度は出会う水姫にわざわざ家に来いということはないし、親戚として、それほど深いつながりがあるわけでもなく、数百年前に分家から派生した一族など、ほとんど別の家である。
「いえ、舞の世界に身を置く者として、柊家を訪ねることは、自身にとってもいい影響になるので」
頭を下げながら、水姫はそのように言った。これもまた本心である。もっとも、奈柚姫が苦手な水姫からすれば、あまり行きたくない場所であることには違いないが、それでも、やはり、舞……特に扇舞の名門たる柊家に行くのは当然、いい影響があるだろう。
それから、視線が再び、煉夜の方へ向かい、奈柚姫は、どこか試すかのように、あるいは、確認するかのように、煉夜に問いかけた。
「煉夜さんは、舞事も嗜んでいるわけではないでしょうし、迷惑でしたでしょう?」
迷惑か迷惑でないか、と言われれば、迷惑ではあったが、しかし、チャンスであると思っていたことも確かであった。
そもそも、煉夜は、舞事、特に日本で行われているような日本舞踊や神楽などのような踊りは、小学生の頃に習ったソーラン節と盆踊りぐらいであろう。それもほとんど忘れているので、まったく踊れないと言っても過言ではない。
だが、「舞」ではなく「ダンス」ならば、踊れないことはない。騎士として、そして、メアの聖騎士として過ごしていた中では、教養としてダンスの稽古も受けているし、それを数百年の生活の中で全く使わなかったか、と言うと、そういうことはなく、幾度か踊る機会があったので、完全に忘却しているというようなことはない。
しかし、この柊家に来たのは、そのようなダンスとは全く関係なく、「雪白家の最初」というものについて知るため、という部分が大きい。
「いえ、迷惑ではありません。知りたいこともありましたから」
その言葉に、奈柚姫も水姫もピクリと肩を震わせた。水姫は、特にこれと言って煉夜から知りたいことがあったなどということは聞いていなかったから、奈柚姫は、その発言の真意が気になってのことである。
「知りたいこと、というのは?」
だからだろうか、若干いぶかし気に、奈柚姫は、煉夜に聞く。それに対して、煉夜は特に気にした様子もなく、そのまま答える。それには、水姫がうまく口を滑らしてくれるかもしれないという願望もわずかに含んでいた。
「ええ、『雪白家のルーツ』というものが少し気になっていましてね」
雪白家のルーツ、そう言われて、奈柚姫の頭に浮かんだのは、自身の娘とよく似通った顔をした一人の女性の顔であった。
「それは、柊神美のことが知りたい、ということですか?」
その名前は、煉夜にとって初めて聞いたものであった。だが、それが間違いなく何かにつながると、そう確信するだけの何かがあった。特に、「かなみ」という名前。雪白家の陰陽術の霊祓いに使う札の詠唱、「椿、榎、楸、そして我が祖、柊。四木の宗に連なりし【カナミ】の名において、汝を封ずる」。それにおいても、四木宗とそして「かなみ」という名前が登場している。
「そうですね」
だからこそ、確信をもってうなずいた。それを聞いて、奈柚姫はそこにどういう意図があるのかを考える。この異質な存在が、何を思い、何を考え、この場にいるのか。だが、いくら頭を回したところで答えは出ない。
「分かりました。……いつまでも玄関で立ち話するのもなんですので、どうぞおあがりください」
少し問答が長くなったな、と思い、奈柚姫はそこで一度話を区切り、家に上がるように言った。流石に、いつまでも玄関口で立ったまま長話するのはよくないだろうという常識的な判断である。
煉夜と水姫が柊家を訪問している頃、《八雲》は、巨大な剣を背負った少女、国立睦月と共に、出雲の端にある場所にいた。昨夜の話の真偽、すなわち、国立睦月が敵の拠点を本当に知っているのか、ということについての確認である。
全て明かしたのでは、聞くだけ聞いて約束が果たされないことも考えて、比較的に近い拠点の1つを見せ、睦月の握っているカードが本物であることを《八雲》に確認させている。
そして、それは間違いなく、魔法とも陰陽術とも違う力で隠蔽されていた。それを確認した《八雲》は、少なくともそのことをだけでも知らせるべきであるし、睦月をどうするか、ということも含め話す必要があると判断した。
「主様が貴様と会うかどうかはともかくとして、今から主様の元へ向かうが、ついてくるか?
おそらく、目的の人物も主様の近くにいるはずだ」
《八雲》の言葉に睦月は、少し考えてから、うなずいた。例え、すぐに会えるような状況ではない可能性があるにしろ、近くまで行けるのは十分にありがたい。特に、神獣付きだ。いろいろと手続きを踏むよりは、ずいぶんとショートカットできるだろう。
「しかし、貴様、会ってどうするつもりだ。門と燈籠とやらの場所を問おうにも、素直に話すとも限らないだろう」
睦月は、その言葉にため息を吐く。もちろん、そのあたりは想定している。そして、今の状況だからこそ、簡単に切れる手札もある。
「簡単な話、こちらからも相手が欲しがるものを提供する、というだけのことよ。まあ、もっとも、すぐに、というのが可能ではないから、もったいぶられる可能性はあるけども、絶対に食いつく切り札があるから、その交渉はあなたとの交渉よりも万倍楽よ」
小さな狐と大剣を背負った奇抜な少女は空に浮かびながら、そんな風に話をする。その様子は、まるで、……。




