262話:柊家への訪問・其ノ一
出雲の中心部に位置する柊家は、その威風堂々たる外観から、ある意味観光地のような扱いも受けている。その広さはかなりの広さであるが、その多くが、居住部分ではなく、舞の稽古場である。柊家の門下に入っている門下生を始め、多くの者が稽古のために訪れるため、家の者が個人的に使う稽古場も含め、3ヶ所の稽古場が敷地内に存在する。
稽古場には常に人が行き交っており、特に舞扇などを使う柊家では、物の扱いや作法にいたるまで厳しい修行が課せられる。もっとも、扇舞以外の剣舞や鈴舞も同様に厳しいのだが。
現状の当主である「扇姫」柊奈柚姫を筆頭に、扇舞に関しては、この柊家を置いて他にないとされている人材がそろっている。「六歌扇」とされる6人の扇舞を行うもののうち、柊家の門下は3人である。
もっとも、それは時代に寄りけりで、これでも少ない方であり、時代によっては6人全員が柊家門下になることも多い。
今代では、九浄天神に連なる一族の巫女としての修練を積んでいる九浄神梨と立原美静。古い家柄と国鎮めの舞を嗜む近衛由衣菜。これら3人の傑出した逸材がいるために、珍しく柊家の門下が3人だけになっているのだ。
実際のところ、九浄天神に連なる九浄、辰祓、立原、天津音、天神などの家で「扇舞」をするものはあまりいないのだが、神梨は母方の祖母が「扇舞」を嗜んでいたため、美静は九浄天神と合わせ、「辰を鎮める舞」として扇を翼に、槍を胴に見立てた「見立て舞」をやっていたため「扇舞」を学んでいる。「国鎮めの舞」を嗜む近衛家では、扇を波や風に見立て、それを鎮める「見立て舞」である。
舞において、「見立て」とは一般的な技法であり、「扇舞」においては、「舞扇」をあらゆるものに見立てることが多いが、この「見立て」には重要な意味がある。先にあげたように「鎮めの舞」とされるものは、国鎮めであるならば、国造りの神に、辰を鎮める舞ならば龍にと言ったように、奉納する相手によって変わり、その内容を明確に決定するものである。
もっとも、柊家における「扇舞」というのは、そういった奉納のための「扇舞」というよりも「日本舞踊」としての「扇舞」に近いものである。例えば、舞扇を揺らすさまを蝶々に見立てたり、風に見立てたり、笛に見立てたり、そういった楽しませる、見せるための見立てである。無論、神楽……奉納のための見立て舞も行っているが。
そういった事情から、やはり、この柊家では、扇舞を修めるべく、多くのものが集うのは必然とも言えた。扇舞ほどではないが、剣舞や鈴舞もかなりの人数の門下生がいる。
柊家では、……というよりも四木宗ではといった方がいいかもしれないが、その門下生の数に対して内弟子は存在しない。正確には存在しないわけではないのだが、この場合は、四木宗の4家の家に住み込みで舞事を学ぶような内弟子は存在しないという意味である。
遠方から習いに来ているような門下生には、近くの貸家を与えている。人数が多いうえ、この地域で有名な四木宗であるために、不動産にも顔が利き、門下生には賃料の何割かの負担もしている。
内弟子がいない理由としては、日本舞踊や舞を習いに来ている中には一般人も多く存在するためである。舞を納める以上、神との親和性などから陰陽師や魔法使いとしての才能を持つ人物は多くいる舞の世界であるが、それでも割合としては、一般人の方が多く、そういった観点で見るならば、陰陽師紛いの話なども流れ込んでくる四木宗において、一般人を内弟子にすることは難しく、そうである以上、一般人でないからと内弟子にしたのでは不平等であるため、全体的に内弟子は取らないことになっている。
そのため、基本的に柊家の居住空間において暮らしているのは、柊奈柚姫と柊灯の夫妻と、その娘に当たる柊沙津姫、深津姫の4人である。しかしながら、学生である深津姫以外は、多忙を極めており、祭事の仕切りや仕事の依頼を受ける運営面を灯が、稽古や派遣、修行の面倒等の舞事面を奈柚姫が、実際に現地での仕事などは沙津姫が行っており、4人全員が家に居合わせることは極めてまれなことである。
今回の来訪に際しても、言い出しっぺにも関わらず、灯は「不浄高天原」の問題などでの出雲と四木宗のつなぎ役になっているため、本日、というよりもこれから数日は家に帰れない状況だろう。
そういうわけで、他の修学旅行生よりも早めに四光館を出た煉夜と水姫は、門下生行き交う柊家の門にたどり着いた。ほぼすべての門下生が通いのため、必然的に、数時間ごとの稽古のローテーションを組んでいたとしても、時間によっては多くの門下生が行き交うことになるのは必然だろう。
昨日、風塵楓和菜……もとい、雷刃美月と会ったことで、結果的に水姫や雪枝への期間報告はかなり遅くなった。それゆえに、水姫は若干、いや、かなり呆れていたが、それでも、柊家への訪問というものは、現在出雲で起こっている内情を知ること、そして、そこから秘されている雪白煉夜という人物の一端を知れるきっかけになるのではないかという考えから、水姫はその呆れを呑み込まざるを得なかった。
水姫はかねてから疑問がある。初めて出会った時は、西洋かぶれの青年というイメージしかなかったが、沙友里の一件やその他不可解な点の積み重ね、そして、春休みの雪姫の話など、それらを総合してみても、「雪白煉夜には秘密がある」という結論に達するのは当然である。そして、それは水姫の父の木連も同様に感じていた疑問であった。
そして、出雲の事件に関わる煉夜に、間近で関わるのならば、その秘密の一端でも見ることができるのではないだろうか、と考えたのも無理はない。
門前には、一人の女性が立っていた。妙齢の女性で、その和装はとても似合っている。その女性は、煉夜と水姫を見ると、声をかける。
「おはようございます。本日ご来訪予定の雪白水姫様と雪白煉夜様でいらっしゃいますね。私は柊家扇舞師範の三尋木孝乃と申します。柊家の玄関口までの案内を任されております」
孝乃は頭を下げる。それに対して、水姫は、若干驚いたような顔をして、頭を下げた。煉夜も合わせて頭を下げる。
「初めまして。あなたが、あの三尋木さんでしたか。雪白水姫です。こちらは、従兄の雪白煉夜。よろしくお願いします」
煉夜は頭を下げながら、水姫が素直に頭を下げるなんて珍しいと思った。立場上、あまりそういった場面を見ない煉夜であるが、この場合は、相手が相手であるため素直に、というよりもただ単に敬い頭を下げた。
三尋木孝乃は、柊家扇舞師範と名乗っているが、その実、元々は「六歌扇」の審査を務めるほどの舞の実力者であった。現在は、審査員の立場、役員の立場を降りて柊家の師範を務めている。水姫や沙津姫が「六歌扇」になる頃には、すでに立場を降りていたため面識がないのだ。
「いえ、『六歌扇』の雪白水姫さんのお噂はかねがねうかがっています。こちらこそよろしくお願いします。できうるならば、奈柚姫様との御歓談の後にお時間に余裕などがありましたら門下生たちに舞の披露でもしていただけたら、と」
孝乃にしては図々しい物言いであり、客にそういったことを頼むとは何事だ、と怒鳴られてもおかしくはないのだが、元より柊家で舞う予定があったことは、煉夜を除き、予想できることであった。
というのも、陰陽師を主体とする雪白家よりも舞事を主体とする柊家の方が、当然のことながら設備は十全に整っており、その差は天と地ほどとまでは言わないが、かなり大きな差があることは事実である。そのような場所で舞えるというのは、水姫にとってもやはり良い経験になるのである。
だが、柊家にとっては親戚である立場の水姫が、「舞わせてほしい」と頼むのはなかなかに難しい。もちろんのことながら、奈柚姫も沙津姫も快諾するだろうが、それでも、家という立場が付く以上難しい。ただの挨拶関係などにおいては「六歌扇」として対等であっても、やはり、こういうところでは一歩引いてしまう。
だからこそ、孝乃から言い出して、舞いやすい環境を整えているのだ。それを分かったからこそ、水姫は言う。
「ええ、時間に余裕があれば、是非」
おそらくは奈柚姫が遠回しに孝乃に言っていたのだろうと水姫は納得したが、実際のところ、その通りである。
門下生の列を抜けて、水姫と煉夜は、孝乃の後に続くように敷地内を歩いていく。広大な敷地であるものの、水姫も煉夜もそれほど驚くことはなかった。そのあたりは、京都司中八家にも似たような規模の家はあるし、驚くほどではないのだろう。
「案内と言いましても、この敷地内とは言え、そう遠いわけではないですので」
と、孝乃が言うように、すでに、稽古場はいくつか見えているし、肝心の居住空間も見えている。玄関は、門下生が間違えて入らないように遠めに配置されているが、それでも迷うほどひねた位置にはない。
言葉通りに、5分もかかっていないうちに玄関は見えている。稽古場の入り口とは違い、ピロティのようになって、奥まったところにあるため、パッと見では分かりづらい。だが、そもそも、来客があるときには門のインターホンを使うし、事前に連絡がある場合は今日のように案内役をつける。ぶしつけな来訪者でもない限り、困るようなことはない。
そうして、玄関口に着くと、孝乃が戸を軽く叩く。木戸が軽い音を立てた。木戸は、反りなどが出て隙間風が出やすいのだが、加工や手入れもきちんとされているのだろう。その戸のノックの前からそこにいたのだろう。さほど間を置かずに、戸が開かれる。




