261話:プロローグ
蛍光灯が明滅を繰り返す部屋で、そこにいた者たちは顔をしかめていた。それもそうであろう。同時展開していた作戦のどちらもが失敗に終わったのだから。現状、まともに作戦を成功させたのは、外部協力者であろう天才紫泉鮮葉だけであろう。
「不浄高天原」と名乗る集団。その中でも代表である京城二楽は、正直に言って、この先にどう動くかを悩んでいた。
この場にいるのは、代表たる京城二楽の他に、菜守に声をかけたリード・ナウレス、その他にファイス=ネウス、猪苗浮素、そして外部協力者の紫泉鮮葉である。正確に言うのならば、紫泉鮮葉はこの場にいないのかもしれないが。
「しかし、元々守りが硬いであろう椿家の菜守嬢は想定の範囲内だが、異界の神殺しの神までも失敗するとは予定外だな」
冷たい女性の声色は、その場の重苦しさを余計に重苦しくする。口調にも容赦がないが、彼女の性分がそういうものであろうと認識しているため、「不浄高天原」の面々が特に何かを不満に思うことはなかった。
「ええ、ですけども、まだ機会がないわけではないでしょう。鮮葉氏の開発した『隠蔽素子』によって、施設の隠蔽はできていますし、立ち回りでは不便ですが、主要施設を分散していますから、全てを一斉に見つかる可能性は低いでしょうし」
そのように言うのは、猪苗浮素という青年だった。浮素は剃毛しており、まさに坊主というようないでたち。言葉尻などから丁寧で柔らかそうな印象を受ける。
「確かに、あの技術のおかげで、という部分はあるな。そうでなければ我々はとっくに捕捉されてしまっているだろう。主要施設の分散も、今は効果的に機能している。一斉にバレて襲撃を受けるという可能性は低いだろう」
神から隠れ遂せるというのは、それ相応の技術がないと不可能である。それこそ、世界を見通す瞳を持つ神すらいる中で、それを防ぐのは、神に匹敵しうる技量が必要となる。それゆえに、紫泉鮮葉は神に匹敵しうるのではないかと思われる。
「それに、ナモリ・ツバキは守護されていますし、目的のXも保護されているようですが、それでも隙の突きようはありますからね」
ファイネスが言うXとは春谷伊花のことである。伊花の名前が判明するまでに仮として使っていた呼称であるが、ファイネスはいまだにこちらで呼んでいる。名前で呼ぶと妙な心積もりができるかもしれないから、できうる限り物と考えたいから、という彼の信条であろう。菜守に関しては、本命ではないからであろう。
「ああ、特に、椿菜守の方は、わかりやすい弱点もある。いくらでも隙が生まれるだろうが、問題は、春谷伊花という存在とその周囲の状況だろう。早めに確保できていればよかったのだが、柊家に保護されたのは失策だった。一般人ならば、どうとでも言いくるめられるが」
一般人ならば、最悪の手段として口封じという手法すらあるし、金を積めばどうとでもなるだろうが、「四木宗」にはそういった手が通じない。
「だが、いつまでも保護しておくわけにもいかないだろうし、それに、ずっと護衛をつけているわけではあるまい。
力を借りたら元の世界に返してやるとでも言えば応じる可能性もなくはない」
むろん、そのような甘言に食いつくほど愚かではないだろうが、可能性としてはないわけではない。
「それはそうだが、それでも、可能性は一気に狭まる」
騙くらかしてかどわかすことくらいならばいくらでもできるだろう。だが、それでも、「四木宗」の保護下にあるというのはそれだけで、その「いくらでも」の範囲を幾分狭めることになる。そも、「四木宗」が保護しているということは、その顔が、この出雲にいる「四木宗」の下にある舞を始め数多分野の人に顔を知られるということである。とかくこの出雲という都市において、その人物に何かをするということは、すぐにばれるだろう。
「そもそも、どうして春谷伊花を逃すことになったのか、というところを詳しく聞いておきたいのだがね。邪魔が入ったという程度の曖昧な情報よりも、正確な情報を共有し、どのような人物が邪魔をしているのか、というのを聞いておきたいところだ」
白衣の端を弄りながら鮮葉が詰まらなさそうに言った。正直、鮮葉にはどうでもいい話であったが、邪魔が入ったというのが妙に引っかかったのだ。「四木宗」の柊家が間に入っただけならば、「邪魔」などという言い方はせずに、「四木宗」と言っているだろう。だからこそ、それ以外の要素があったのではないか、とそんなわずかな可能性を考える。
「……」
僅かな沈黙の後、二楽が口を開く。別段、自身の失態が恥ずかしくて黙していたわけではない。まるですべてを見透かすかのような青年の瞳と物言いに、それを発現するかどうかためらい迷っていただけである。
「一人は『四木宗』の柊家、柊沙津姫だ。噂にたがわぬ心眼と判断力を持っていることは理解できた。だが、それよりももう一人、我々の行動を全て見抜いているかのような言動と、何より、見透かしたような瞳が特徴的な青年だった」
その言葉を聞いた鮮葉の脳裏には三人の顔がよぎる。その三人は、鮮葉が唯一と言っていいほど認めているわずかな人間である。文武両道で、免除生ではないのが不思議でしようがないと思っていたほどの逸材たち。
武に寄ってはいるものの、決して頭が悪いわけではない青葉雷司。文に寄っているものの、時折突飛で物理的な力技に出ることもある九鬼月乃。そして、どちらに寄っているわけでもなく、全てを見透かすように、突飛な発想とすさまじい行動力を持つ雪白煉夜。
その三人が、天才と称される鮮葉が唯一と言っていい認めた人間である。
三人の中で、煉夜だけが両方優れているとして異質に映るが、煉夜は異界を数百年生き抜いた経験と度量がある。むしろ、それら無くして、煉夜に並ぶ雷司や月乃の方が異質なのであろう。
「なるほど……、そうか」
静かにうなずく鮮葉。この時点では、まだ、情報として、その相手が三人の中の誰かという確証などない。ただの印象と心象だけ。そのうえ、鮮葉のテリトリーはいまだに、千葉の三鷹丘市であることには変わりない。それゆえに、拠点が同じである雷司と月乃の動向は把握している。だから、その二人が出雲にいるはずがないことは知っている。
そして、自身の印象と被る二楽の印象を偶然と片付けていいものか、と思った時に、この「出雲」という地にまつろう伝承を思い出した。
「『縁結びの地』たる出雲、か。それゆえに、このような縁が紡がれるというのならば、正直に言って、迷惑な話だ」
いくつかの可能性を基に、ある程度の仮説は組み立てた。そして、「縁結び」という性質が本当ならば、おそらくそうであろうという確信を得た。
「その青年は、おそらく、雪白煉夜だ。この青年であろう?」
鮮葉は、自身と直接リンクしている携帯端末に映像データを転写し、携帯端末にその映像を映しだした。
そこに映るのは、三鷹丘学園高等部の生徒会室と青葉雷司、九鬼月乃、そして、問題の雪白煉夜である。その映像を見た二楽は、目を見開き、うなずいた。
「確かに、彼だ。彼が、我々の邪魔をした青年だ。しかし、天才・紫泉鮮葉。なぜ、彼を知っている」
「私とて、元は学生だ。学生時代に後輩だったのがこいつだ。しかし、やはり厄介なものだな。幸いなのは、積極的に絡んできていない点だろうか。でなくては、すでに君たちの組織は壊滅しているだろう」
今までの経験則から行って、煉夜が……、あの三人が本気で行動をするというときには、迅速かつ異常な発想により、想定外の解決策が飛んでくる。だからこそ、予想が通じないという部分は、どんなに先を考えて作戦を構築しても崩されてしまうのだ。
「天才と称されるあなたがそういうのだから、それは本当なのかもしれない。だが、それほどまでに警戒する相手であるのにも関わらず、我々の誰も知らないほどの知名度というのはどいうことだろうか」
「不浄高天原」という組織は前もって、出雲で活動する以上、警戒すべき存在の下調べはしている。「四木宗」、「出雲大社」をはじめ、日本で名をとどろかす「魔導六家」や「チーム三鷹丘」、「京都司中八家」などについて、簡単には調べている。だが、やはり、出雲を中心に活動するということで「四木宗」、「出雲大社」の調査が主になることは間違いないだろうし、基本的に京都から外に出ない「京都司中八家」はほとんどといっていいほど調査されていない。また、ほとんど表に知られていない「神代・大日本護国組織」もまた同様に調査不足である。
「そもそもやつは、自分から事を起こすタイプの人間ではないからな。誰かが何かをしてから動く受動タイプの人間だ」
煉夜がもともと受動的な人間であったかと言うと否である。むしろ能動的に行動する人間であった。そうでなければ、向こうの世界で、獣狩りとして名をはせることはなく、そもそも今も生きていることはなかっただろう。そんな煉夜が受動的な行動に変わったのにはいくつか理由が存在する。
まず、一つに、向こうの世界では高額賞金首として指名手配されて、常に危険にさらされていた状況から、こちらの世界に戻り、安全性が一気に増したこと。次に、煉夜がこの世界に帰ってきた当初、魔法や陰陽術の類がないと思っていたこと。他にも、雷司や月乃が引っ張っていくタイプであったことなどの様々な要因が相まって煉夜は、自分から何か騒動を起こすようなことはなくなった。
ある意味、常識をわきまえていたのだろう。
「つまり、我々が事を起こした時こそ、本格的に動き出す、そういいたいのですか?」
浮素が、鮮葉の言いたいことをズバリと言ってのける。つまり、今から事を起こそうとしているため、障害はその分大きくなる可能性がある、と言っている。
「その程度で我々が止まるのならば、とっくに止まっている。障害が増えたことだけ念頭に置いて、それでも作戦の決行は揺るがないさ」




