260話:出雲神話・四舞姫と神殺し・其ノ漆
深夜に「四光館」に戻ってきた菜守と詩央は、前日の夜に話していたように、自身の泊っている階と煉夜の泊っている階の間にある空間に向かっていた。煉夜は無視をして階段を使っていたが、実際は、その場所を知っているという認識を要にした「識結界」であり、神通力と魔法を基に作られた多重混合螺旋結界である。だが、それ自体は後付けの「結界」であり、そこにある「それ」によって、その前にすでに高度な隠蔽の魔法が使われていた。否、魔法というよりは、そういう「設定」というべきなのだろうか。
資格ありし者しか見えぬという「それ」がすでに高度な隠蔽なのであるから。【終焉の少女】が持つロキの如き技能である。
そして、その「資格ありし者」とは、煉夜や美衣のように世界が認めし者であったり、また、睦月や烈のようにその資格ありし者が力を使う場面を見た者であったりのことである。だが、この「四光館」の場合は、そこに神が重ね掛けした認識という要のせいで、その結界に歪みが生じている。そのため、この「四光館」の場合によっては、菜守や詩央のような「資格ありし者」以外にもそれが認識できてしまっている。
階段を下り、その先に見えたそれに、菜守は唖然とした。何とも不思議な感覚を誘発する場所であった。そこだけ別の世界であるかのような、奇妙な感覚が菜守の心を支配する。まるで、拒絶されているかのような、触れてはいけないという思いがどんどん強まる。
「これは、何……?」
かすれた声で詩央に問う菜守。それに対して、詩央は神妙な面持ちで、「それ」を見上げる。不可思議な存在であるそれに対して、自身が初めてこの場に立ち入ったときも、今の菜守と同様の様子であったことに若干苦笑いが浮かぶ。
「これは、かつて、このホテルができるよりもはるか以前からこの場所に存在したとされるものです。もともと、ここは宍道湖に面した山で、その山中にこれが祀られていたと言われています」
山と言ってもそれほど大きな山ではなかったそうであるが、この出雲大社に近く、宍道湖のほとりということで、普通ならば、相応に大きく祭り上げられるか、それともなかったことにするために微塵も残さないかのどちらかであろう。しかし、ここにこうして現存しているが、それに関する伝承を菜守は聞いたことがなかった。
祀られている以上、そういった伝承の類があれば、「舞」と関わるため菜守が知らないはずはない。そこらの民間伝承や地方ならともかく、この出雲なら絶対にと言っていいほどに知らないことはあり得ない。
「ただ、不可思議なのは、これに気づいたものは、江戸の世になるまで誰もいなかったというのです。そして、これに初めて気づいた人物こそ、時の柊家の鬼才でした。彼女がこれに気づき、そして、彼女の友人と、もう1人、旅の祈祷師がここに結界をつくり、『四木宗』がこれを認知し、守るために宿をつくり偽装したのが『四光館』の成り立ちとされています」
だが、その昔から、その山を切り崩すなどの行いがなく、立ち入れない場所とされていたことから、昔から存在していたのだろうという推測がされている。
「柊家の鬼才って言うと、あの、柊神美よね」
舞としての才と陰陽師としての才の両方を持ち合わせた鬼才、柊神美。鬼才という表現が正しく、異端であった。それゆえに、彼女は柊家を独立して新たに家を立ち上げたのだが、そんな異端な彼女であっても、舞の実力と陰陽師としての才、そして、たった1つの超常的な能力を持っていたことから「鬼才」として認められていた。
だからこそ、彼女が見つけた「それ」すらも異常であり、そうでありながらもそれを守る必要があるという彼女の意見は尊重されたのだろう。
「現在は、これの管理を、この『四光館』の主である出月家に任せていますが、そもそも出月家は、そういうものを生業にしていた一族というわけではありませんから、四木宗や魔導五門などが管理に協力しているのです」
出月家はそもそもにして、この出雲の一族ではなく、山梨県の一族であり、柊神美の縁ゆえ、この出雲に来て宿を建てたとされている。特別な力を持った一族などではなく、ただ、稀に霊媒体質を持って生まれる者がいるくらいである。それでも、管理を任せるのには理由がいくつかある。
まず、商才が純粋に優れているのだ。現在ある「四光館」の建設にしても、他のその他諸々にしても運用をうまく行い、形にする。そのため、「それ」を守るのに適しているとされた。そして、知っているのだ。決して明かしてはならぬことと、それを守る重要性を。だからこそ、他の世界では陰陽師のための施設の経営を任されている一族でもある。
「管理が出月で、大社の宮司さんと駿部のお方、それから四木宗と魔導五門でしょう。昨日言っていた鳳凰院のおっさんは何を担ってるの?」
菜守の問いかけ。確かに昨日、詩央は「それ」を知る者として「『四木宗』と大社の方々と鳳凰院殿」と名前をあげていた。
「鳳凰院殿は、管理面ではなく、これが何かを知る方ですね。一応、陰陽師としての肩書もありますから」
「陰陽師って、似非陰陽師でしょう、おっさんの場合」
鳳凰院秀海は、出雲に住まう高名な陰陽師ということになっているが、その実、菜守はまともに陰陽師として活動しているところを一度も見たことがなかった。約800年前から存命しているのではと噂されているものの、到底信じられないし、本業はどちらかと言えば、もっぱら趣味で行っている工学分野の研究者の方である。そのため、詩央ですら「一応」や「肩書もある」という表現を用いているのだ。
当人は、古風な「秀海」という名前を嫌っているのか、自己紹介するときには「秀海」と名乗り、大衆に浸透しているのは偏屈な研究者を自称する「火鳥秀海」なる胡散臭い人物というものである。
「よく知りませんが、正式な経緯で調査を依頼したそうですよ。しかも文献によると今から116年前とのことで」
そも、その文献を信頼するならば、116年前には確実に、「鳳凰院秀海」を名乗る男が実在したことになる。それも、出雲大社の文献と四木宗の資料、どちらもに記載されているため、正確さで言うのならば間違いないと思われる資料である。
しかし、「鳳凰院」なる姓を持ち、800年もの間生きている人間がいるならば、他の、……出雲大社や四木宗以外の文献にも表記があってしかるべきである。かくいう、そういった資料は、詩央の調査でも実在していた。
800年前、正確に言うのならば、その名前の明記があったものは823年前にさかのぼる。時の幕府に仕えた家臣の中に、その前が存在していたが、歴史研究家からは、豪族の末裔の類ではないかとされていた。特に「院」という名前が物議を交わす問題点であり、人によっては、後年にねつ造された文献なのではないか、などという場合もあった。
さらに、時代を経ても、同様の名前は、いたるところに出現しているが、特にこれといった記述があるわけでもなく、ただ、名前が見られる程度である。そのため、今「鳳凰院秀海」を名乗っている人物と、資料に点在する「鳳凰院秀海」が同一人物である証拠もない。
ただ、116年前に依頼を受けた「鳳凰院秀海」はまぎれもなく、今も詩央や菜守が面識のある「鳳凰院秀海」であることは間違いないとされている。それは、出雲大社と四木宗の資料が証明していた。
「まあ、あのおっさんが何才だろうとどうでもいいけど、それで『何かを知る』って言う話だけど、結局、これが何かは分かったの?」
いつからあるのか、ということはともかく、何のためにあって、何であるのか、という肝心の部分は説明されていない。
「鳳凰院殿曰く、『空間を繋げる役割を持っている』とのことですが、つながっている先は分からず、そもそも使用方法も分からないそうです。それに、本来ならば、限られた人間にしか見えず、その限られた人間でも使えるものは一握りであろう、と。」
この特殊な環境だからこそ、「それ」は見えているが、本来は見えないという事実に関しては秀海が見抜いていたことであるが、それ以上のことは分からないままであった。
「ということは、柊神美こそが、その限られた人間だったってわけね」
「鳳凰院殿の見解ではそういうことになっていますね。それがどの程度正しいのかはわかりませんけれどね。ですが、彼曰く『遊星に選ばれし者』とか『蓮華咲く者』とか、そのように評していました」
それがどういう意味を持つのか詩央には分らなかったが、それこそが資格のあるものを示しているのだろう。
「ゆうせいって何?
まあ、いいけど、その選ばれたやつってどんな人なのかしらね……」
遊星、それは、天文用語としては、惑星に同じとされる。「遊星に選ばれし者」を意訳するならば「星に選ばれた者」であろうか。
「さあ、そのあたりに関しては、鳳凰院殿もあまり分かっていないようですからね。ああ、でも、確か、このようなことも言っていましたね。
重要なのは『門』ではなく『燈籠』の方である、と」
次章予告
四木宗が一家、柊家を訪れた煉夜と水姫。そこで語られるのは柊家と雪白家のしきたり。
そして、動き出す「不浄高天原」。
事件の流れを左右するのは国立睦月、風神楓和菜、駿部四姫琳、そして雪白煉夜。
鍵を握るのは全ての神を否定する者、春谷伊花。
すべてを模倣しうる神を越えようと足掻く天才、紫泉鮮葉。
――因縁と再会が渦巻く出雲の縁結びは、事件を複雑にしていく。
――第八幕 十八章 因縁再会編




