259話:神、纏いし風、暴虐となりて……
出雲大社での話を終えた煉夜は、1人、タクシーで「四光館」へと戻る。当然ながら、すでに学校でレンタルしたバスは修学旅行生たちを乗せて「四光館」についた後だった。タクシーに関しては、出雲大社側が煉夜のために手配してくれ、料金も出雲大社が払うことになっていたので、特にこれといったこともなく、まっすぐに戻っていった。
同じホテルに宿泊している菜守と詩央であるが、詩央が宮司や他の四木宗を含め、これからについて話し合うため、一緒に帰るなどということもなかった。
そうしてロビーに着いた煉夜であったが、すでに時間的には夕食の時間であるためか、修学旅行生の姿はなく、教師たちもいなかった。まあ、何時に来るかわからない煉夜を待っていろというのも酷な話であるし、修学旅行中に別件で離脱した煉夜の責任であろう。
幸い、煉夜は一人部屋であるし、部屋に直接夕食を注文することもできる。後で雪枝などには戻ってきた報告をすべきだろうが、夕食の席に顔を出すのもいろいろと面倒であるし、とりあえず部屋に戻ろう、そう思い、エレベーターの方へ向かう。
そんな時であった、頬をなでる異様な風と電気を本能が感じ取ったのは。
知っているけれど、知らない、そんな気配に、煉夜は思わず飛び退いた。自身の感覚を異常なまでに刺激する圧倒的な存在。それでいて、知っているようで知らない、そんな異常さ、それを含めて、本能が危険だと告げた。
「む……?」
チョコレートのように甘ったるい茶色の髪を長い三つ編みでまとめ、べっ甲飴のような茶色い瞳を緑色の縁のサングラスで覆った女性。時期的には気が早いであろうノースリーブの黒いワンピースをまとい、胸元のおかしをモチーフにしたアクセサリーが目を引く。羽織るものを忘れたのか、腕をさすっているようにも見えた、その女性は、近づき難い雰囲気をまとっていたが、煉夜の方を見てそんな風に小さく声を漏らした。
「お前は、確か……。そうだ、美里亞の知人、だったか?」
その言葉で、煉夜の脳裏に、目の前の人物が誰であるかについて、色々と思考が巡り、そして、思い出す。
「岩波美里亞……さん……?」
容姿、というよりも纏う雰囲気が別人のそれであったために気が付かなかったが、よく見れば煉夜が以前に会った女性によく似ていた。
「ああ、まあ、確かにそうでもあるが、雷刃美月というものだ」
雷刃美月。そう名乗る女性。姫毬が言っていたように、風塵楓和菜にはいくつか名前がある。正確には人格というべきなのかもしれないが。
岩波美里亞、桜木迪佳、雷刃美月、秋海左葉、富嶽七七風、遠近北鳴など数多名前を持つ。
「雷刃美月さん、ですか。なるほど、ご存知の様ですが、雪白煉夜と言います」
一応、自己紹介をした煉夜。それに対して、美月はあまり興味なさげであった。元来、性格的に人に関心を持たない質であるからであろうか、人の名前もあまり覚えることはない。
「しかし、この出雲という地にお前のような異質がいるのは、あまりお勧めしない、というよりも、オレも待ち合わせが終わったならばさっさと消えたいくらいだ。どうにも神殺しの気配が漂っているからな」
この出雲に漂っている異常な気配、それに、伊花の放つ異様な領域。それらを加味して、雷刃美月は、「神殺し」の気配と称したのである。
「ええ、どうにも面倒なことが起きているようで、『不浄高天原』なる組織が動いていて、神殺しをしようとしているみたいですね。春谷さんという『神殺し』の力を持った人を連れてきているようですから、それで神殺しの気配が漂っているんでしょう」
煉夜の簡単な説明に、美月は眉根を寄せた。「神殺し」、そして、「春谷」、その名前に聞き覚えがあるから、正確には、聞き覚えのある人格があるからである。
「神殺しの春谷というと、赤天原の第一の研究『神殺しの神』か。なるほど、夏山や秋海のように名前を与えられた被験体ならば、あの力も納得できるものだ」
春谷と同様に、第一から第五の研究まで、全ての被験体には仮の名前を与えられている。
第一の研究に対して、春谷の姓と「伊露波」と「花」という名前を。第二の研究に対して、夏山の姓と「|ABC」と「海」という名前を。第三の研究に対して、秋海の姓と「上下左右」と「葉」という名前を。第四の研究に対して、冬空の姓と「壱弐参肆」と「雪」という名前を。第五の研究に対して、霖河の姓と「五十音」と「雨」という名前を。それぞれ与えられ、生み出されたのである。
風塵楓和菜の人格の一つ、秋海左葉もその中の一人である。それゆえに、一部の知識を共有した雷刃美月は、「春谷」の姓とその研究の内容を知っていたのである。
「しかし、神殺しの神、か。本当に面倒な上に、相性最悪だな」
美月はため息を吐きながら、ロビーの天井を仰ぎ見る。そう、風塵楓和菜と雷刃美月にとって、神殺しというのは相性的には最悪の存在である。
「相性……?
神の力をお持ちで……、ああ、そういえば、龍太郎が『九浄天神の風神』と言っていましたけど、それ由来ですか」
よく知らない煉夜ではあるが、それでも事前にある程度の情報は聞いている。その一つが、「風神」というワードであり、神殺しに直結するとするならば、その単語であろう。
「ああ、その通りだ。オレの六白双鎖の雷神や楓和菜の九浄天神の風神も『神』である以上、神殺しは必然的に天敵となる」
風神雷神は、それぞれに九つ存在するとされる神なる力であり、風神はこの時代において4人存在が確認されており、雷神は3人のみ確認されている。
「風神雷神というと風神雷神図屛風とかの存在と同じようなものですか?」
風神雷神と言われて、一般的に思い浮かぶのは建仁寺のあの図柄であろう。煉夜も例外ではなく、それが思い浮かんでいた。
「一般的な風神雷神のそれとは異なる概念だ。雷神、いわゆるインドラやゼウス、武御雷なども含むそれや、風神とされるシナツヒコのようなそれでもない。とある神話世界を基にした十八の風神雷神が元になっている。それゆえに、一人に風神雷神がどちらも宿ることはないとされている」
もっとも、現在確認されている風神と雷神は2人が同じ人物であるということなので、ありえないことが起きているのだが、それはあまり知られていない。
「では、美月さんは例外ということで二神を宿しているということですか?」
「いや、正確に言えば楓和菜が風神でオレが雷神、2人ともいえるからな。オレが把握する限りでは1人だけだな、どちらもその身に宿している例外は」
あくまで、美月や楓和菜の認識では、多含心理で分けた人格というよりも、あくまで個人とするならば、二神を1人宿していることにはならない。それゆえに、彼女たちが定義する上では例外は1人だけである。
「風神と雷神は通常、反する精神性を有しており、絶対に1つの人格に2つ存在することはあり得ないはずだが、ただ1人だけは、その身に、オレのような人格を分けてもおらず宿していた。四神乱姫の風神にして四龍星破の雷神、篠宮無双。もっとも、その女は魔法をあまり使わなかったから、その異名はほとんど知られることがなく、『武神』というその生き様を表した通称の方が通りのいい名だけれどもな」
それは最強の武神にして三神の一柱の名前であった。もっとも、煉夜は知らぬ名であり、それがどういった人物なのかもわかっていなかったが。
「まあ、いいか。火弥が来るまでの僅かな暇つぶしだ。もし、大きな厄介ごとが起きたならば、オレや楓和菜を呼べ。気分次第だが、手を貸してやろう」
あくまで、気分次第だが、と念押しする彼女は、若干微笑んでいるようにも見えた。頼る機会があるかどうかわからないが、煉夜は小さくうなずいた。なぜか、頼ったら負けのような気がした。
地面と切っ先がすり合って不快な音を立てる。それを気にした様子もなく、彼女は歩く。ただ一人の女性を探して。分かりやすい神殺しの気配があり、それこそが探し求めている女性がいる証であることも分かっていた。
だが、その近くにいくつもの気配があることも分かっていた。特に、自身の【比類なき者】と同質の何かがこの出雲にいることに。
それゆえに、なかなかに接触できないまま、その女性の周辺を探ることしかできなかった。だが、だからこそ、分かったこともある。
複数の気配が守護するように動く中、不気味な気配が蠢いていること、そして、それを探る、神獣のような気配もあったこと。そして、神獣は、そのままに彼女の前に姿を現した。
美しい毛並みの狐。だが、それ以上に異常な九つの尾に目が行くのは必然だろうか。
「貴様、人ならざるものか……」
「あら、心外ね。あくまでも、人間ではあるわよ。普通の人間ではないのは認めるけれど。それよりも、あなたが求めている存在なら、どこにいるのかは大体わかるけれど、教えてあげましょうか、条件付きで。どう、悪くない取引でしょう、神獣ちゃん」
彼女は幾度か神獣やそれに類する存在に会ったことがある。もっとも、それ以上の存在、世界の終焉と呼ぶべき存在にも4度ほど会ったことがあるので、今更神獣程度で驚くようなまともな精神はしていない。
「条件……」
いぶかしむように彼女を見上げる神獣。それを前に、彼女は不敵に笑うのだった。
「ええ、探しているの、門と燈籠の場所を知る存在、春谷伊花という少女を。彼女に会って話を聞くことができるのならば、彼女の周辺にいた怪しい連中の場所を教えてあげる」




