258話:出雲神話・四舞姫と神殺し・其ノ陸
出雲大社は、古くより杵築大社として親しまれてきた日本において古くから存在する神社である。杵築とは杵築大神のことを指し、それすなわち大国主神である。その名称からも分かるように、出雲大社で祀られているのは「大国主神」である。
因幡の白兎などにも登場する有名な神である大国主神であるが、この出雲の地に神々が集う場所としての伝承は、神々の世界を治めるという逸話ゆえであるが、それが縁結びに発展したのは、江戸以降のことであり、明確にそれが形になったのは、もっと近年になってからである。
しかしながら、神々の地としての高天原と長年つながっていたのは事実であり、大国主神がそこに関わっていたのも事実である。
この出雲という地はそれゆえに「縁」というものが非常に結び付きの強い土地柄である。結びつくということは、すなわち、つながり合うということである。
コンピュータウイルスが、メインコンピュータを媒介して、つながった多くのコンピュータに蔓延するように、大国主神、あるいは高天原を中心に、そこからつながった多くの地の神に連鎖的に影響を及ぼすことは不可能ではない。
もう1つ重要なのは、春谷伊花が「神殺しの神」であるということである。ただの「神殺し」ならば、また、話が変わっただろう。椿菜守にしても「加具土命」という神の力、すなわち大義的に見れば「神殺しの神」の力を持っている。もっとも「加具土命」は「火の神」であるから「神を殺してしまった」という存在であり、「神を殺す神」あるいは「神を殺すための神」であるわけではない。
高天原とは、すなわち「神の世界」である。天国と言い換えてもいいのかもしれないが、概念的に言えば、「神々の住まう土地」ということであり、そこに足を踏み入れることができるのは、通常、神のみである。神という存在に効果的な力を持つ「神殺し」であったとしても、それは変わらない。あるいは、多くの神獣を倒した煉夜もあるいは「神殺し」の1人に近い素質を持っているかもしれないが、そんな煉夜でも「天上の国」へ足を踏み入れるのは難しい。
だが、「神殺しの神」は、つまるところ「神」なのである。神であるのならば、高天原にすら行くことは不可能ではないだろう。
そして、この仮説が事実であるのならば、その「神々の住まう土地」に対する脅威はかなりのものであり、それを神々が認知していないはずがない。千年神話浄土と呼ばれる存在が動いている旨は、四姫琳が知っている。だが、それだけで済むのだろうか、と疑念はある。
あるいは、この場にいる「雪白煉夜」という存在、そして、上司である二階堂扇に呼ばれた四姫琳自身が、すでに神々の計算の中には組み込まれているのではないか、という頭の痛くなるような考え事が浮かぶ。
実際、四姫琳すら把握していないが、この地には4人の例外が存在する。煉夜、四姫琳、そして、問題は残りの2人である。どれほどの異常事態が起ころうとも、確かに、それだけの面々がいればどうにかなるだろう。
だが、煉夜がこのタイミングでここにいたのは偶然でしかない。この出雲に、偶然ではなく必然的に駆け付けたのは、四姫琳と、そして、国立睦月という存在だけであった。煉夜ともう1人は、本当に偶然、この場に居合わせたに過ぎない。だが、それゆえに、この状況は、神すらも予測していない事態へと発展する可能性を大いに秘めている。
「もしも、……もしも神殺しが実際に行われたとしたら、この世界から神が消えることになります。そうなると、世界が大いに乱れる可能性がある、というだけではなく、世界の理にひびが入り、世界そのものの崩壊を招きかねません」
四姫琳は、実際に世界が滅びゆくさまを見てきた。それゆえに、知っている。世界が侵食され、神々が見放した世界がどうなったのかを。だから、神がいなくなるということは、世界の崩壊を意味するといっても過言ではない。
むろん、日本だけならば、小さなひびかもしれないが、それでもその小さなひびから世界が滅ぶ可能性だってある。
「世界が崩壊する、か……」
「ええ、それも、緩やかに狂うように壊れるのです。だから、最初は気づかない。だけれども、確かに滅ぶ、それが恐ろしい」
4つの世界の滅びを見て、さらに数多の世界の滅んだ後を見た四姫琳は、その恐ろしさを、身をもって感じている。
「ですが、今のままだと後手に回ることになりますよね。敵がどこにいるのかさえつかめれば別ですけど、それが掴めないなら、向こうが出てくるまで待たなくてはならないですから」
星子が言う。確かにその通りであり、敵がどこにいるかわからない今、できることは伊花と菜守を守るということだけになる。
「そのあたりは敵の手が巧妙ですね。一応、気配を探っては見ましたが、普通の気配の消し方ではないようで、おそらく拠点を周辺に何らかの措置を施しているのでしょう。それも、術の類ではない結界かバリアとでも言いましょうか」
煉夜でも探知できないほどの隠蔽性を持つというのは考えられない。そうなると、科学技術で魔法や陰陽術を再現しているのだろう、と煉夜は思った。少なくともそれができるだけの天才が向こうにはいる。
「あなたが見つけられないのでしたら、ここにいる人には誰も分からないと思いますが、どうしましょうか」
煉夜の知覚範囲を知っている沙津姫ならば、煉夜が見つけられないということの異常性が分かる。
「そうですね。少し式を使って範囲と探し方を変えてみましょう。幸い、そういったこともできる式を連れていますから」
そういいながら式札を出す。煉夜の契約する式神、《八雲》である。九尾の狐には、その尾にそれぞれ力を宿すという。もっとも、基本的に煉夜が感知できない敵などを感知してもらう「3本目」である追跡以外は使うことがあまりないのが現状であるが。
こと「追跡」に関しては、環境しだいでは煉夜以上の能力を発揮するが、それは神獣であり祀神の一種だからでもあるだろう。それゆえに、自然環境や狐神信仰、稲荷信仰の強い地では無類の感知領域を持つ。それは、「神域」を共有し、テリトリーを広めているからである。
煉夜の住まう京都では、稲荷信仰の総本山ともいえる伏見稲荷大社があるが、この出雲では《八雲》の感知はその半分くらいには広がるだろう。
島根県には、太鼓谷稲成神社という神社があり、日本三大稲荷や日本五大稲荷に名前が挙げられることもある神社がある。多くの稲荷神社の中で、「稲荷」ではなく「稲成」という表記を用いている珍しい神社。しかし、位置を考えるのならば、鳥取県寄りの出雲に対して、この太鼓谷稲成神社がある津和野町は山口県寄りであり、この出雲からでは《八雲》の信仰に影響を与える範囲ではない。
だが、出雲大社はかねてから言うように、高天原とつながり、かつ多くの神が集う場所である。そのため、万全とまではならないものの、その神々への信仰は《八雲》の信仰に加算される。
「深い感知の式となると、幻獣か神獣の類ですか」
感知にもさまざまあることは、四姫琳がよく知っている。「神域」と魔力探知と魔法による探知と陰陽術の索敵がそれぞれ別のものであり、別の形であることから分かるように、それでいて、式神としてその力を保有するのは人型か幻獣や超獣、神獣のような高位の存在である。そして、大抵の人型の式では、煉夜の感知能力を超えることはない。だから、幻獣や超獣、神獣の類ではないか、という予想が出るのは当然であった。
「ええ。――来てくれ《八雲》」
呼び出した《八雲》。「神域」の中という空間でありながら、悠然と神気を放ち現れる姿は神秘的であった。
「これは、……九尾の狐っ……。神獣の中でも特に知名度の高い、格の高い存在ですか」
四姫琳は驚愕する。沙津姫は親戚であるため、流石に煉夜が九尾の狐を召喚したことは知っていた。だが、それでもその神気に呑まれかけるほどに荘厳な雰囲気を放つ。
いわゆる稲荷信仰は、仏教の荼枳尼天信仰と混同されがちであり、かつ、祀られているのは白狐や天狐であり、九尾の狐はあくまで中国由来の吉兆の存在である瑞獣や妲己、玉藻の前のような人を誑かす悪として扱われる存在である。
それでも古来より、鳳凰や麒麟などと同じように瑞獣として信仰されるそれは狐神信仰に多くの影響を与え、稲荷信仰にも影響を与えているため、まさしく「神」なる「獣」である。
「主様、大体の話はすでに知るところです。『不浄高天原』なるもの達の居場所を探ればよいのですね」
すでに話を知っているとして、どういった目的で呼ばれたのかも明確に理解している《八雲》。それに対して、煉夜は若干申し訳なさそうに言う。
「いつもすまない。頼めるか?」
「それ自体は、構いませんが、主様の領域や出雲の『神域』をかいくぐるほどの手合いとなれば、時間はそれなりにかかるでしょう」
あくまで神々の「神域」を借りる形となる《八雲》は、出雲の神の「神域」と《八雲》自身の探知範囲を足した範囲を知ることができるとはいえ、その出雲の神々が知覚できていないならば、《八雲》の分を足したところで感知するのは難しいだろう。
「構わないさ。だが、後手には回りたくない。できるかぎり早めで頼む」
伊花と菜守に守りが集中している間は、そう簡単に手を出してくるとは思えないが、それでも、いつまでも膠着状態というわけではないだろう。そうなったときに、相手よりも早く行動できるように、相手の場所をつかんでおきたい。伊花はともかく、菜守は居場所が特定されやすいうえ、伊花も保護するとなれば場所は限られる。相手がこちらの場所を理解しているのに、こちらが相手の場所を知らないのは不利なことこの上ないだろう。
「分かりました。されど、怪しい場所を見極めることくらいは可能ですが、本格的に調べるのは主様も伴わないと難しいかと」
「だろうな。だから、少なくとも怪しい場所の選定だけで大丈夫だ。後は、……出雲か四木宗の方で調べる人員くらいは出していただけるんでしょう?」
煉夜の問いかけに宮司と詩央はうなずいた。星子はすでに、それに割く人員の算段を考えていたし、沙津姫も沙津姫でどこから人を引っ張ってくるかを練っていた。




