252話:出雲神話・四舞姫と神殺し・其ノ弐
自身の部屋のある階へ戻った菜守は、扉を開けて、奥にいる人物に話しかけながら廊下を進む。その奥にいるのは当然ながら、榎詩央である。
「詩央さん、今戻ったよ~」
間延びした口調で言う菜守に若干呆れたような顔で詩央は、菜守の方を見ていた。
昼間にナウレスに襲撃を受けた菜守と、それを助けた詩央であったが、しばらくの戦闘の後、ナウレスには結果的に逃げられてしまった。そして、詩央を知っていたこと、また、菜守のことを明確に狙っていたことから、家の場所なども相手に知られていると考え、そうなると、菜守を一人で家に帰すのはまずいと判断し、詩央が五十二代目椿礼菜に話をつけて、一時的な避難場所として、この「四光館」に泊まることにしたのであった。
当初は、家のいざこざで嫌になった菜守が、詩央を巻き込んでの家出みたいなものではないかと疑った五十二代目礼菜であったが、詩央の性格は知っていたし、そのようなことに協力するはずもないことから、その話を受け入れ、「四光館」への宿泊を許可した。
そうした経緯もあって、セキュリティの高い上の部屋……VIPルームを確保したのは、ナウレスたちのような不審人物との接触を避けるためであって、豪華さを求めてのことではない。
そうだというのに、菜守は、「せっかくだからお風呂は大きい方がいい」と言って、下の浴場まで入りに行ったので、呆れていた。詩央はその間に、色々と今回の件を報告して、情報収集を行っていたため同行していない。
「全く、菜守ちゃんは相変わらずなんですから。あなたが狙われているという自覚をもって行動してください」
24歳と四木宗の次世代の中では最年長の彼女は、多くの人間を年下であろうと「さん」付けするが、沙津姫、深津姫、菜守、礼守、星子だけは例外的に「ちゃん」をつけて呼んでいる。よく共に行動して、その中でも最年長であったため、姉のような立ち位置であるから、そのような呼称になっているのだろう。
「そんなこと言ったって、『四光館』のセキュリティなら大丈夫でしょ。一応、貸し切り状態で、ちょっと入っただけだし、誰にも会わないルートだしね」
修学旅行生が使わない時間帯に、一時だけ貸し切って、さっと入ったので、本当に誰にも会わないルートである。ただし、間違えて降りた階にいた煉夜は除く。
「そうですけど、警戒は必要だという話ですよ」
「いっつも警戒してたらいざというときにダメになるよ。気を抜ける時に抜いとかないと」
慎重気質の詩央と楽天家の菜守は、性格的には逆であり、足して2で割るのがちょうどよいくらいの塩梅である。それでも、仲がいいのは、気が合うからだろう。
「そういえば、詩央さん。雪白煉夜って名前に聞き覚えある?」
つい先ほど、下の階で耳にした名前について、自身は知らなかったが、自分よりも早く高校を卒業して、長い時間業界の人間として活動している詩央ならば聞き覚えがあるのではないか、と思い訪ねてみた。
「雪白、煉夜、ですか?
聞いたことはあります。確か、柊家の数代前の方から分岐した京都の陰陽師一族にいる方だと思います。雪白家の御息女である『六歌扇』の水姫さんの従兄にあたる分家の長男だったかと。でも、それがどうかしました?」
闘舞……武闘演舞を専門とする彼女は、陰陽師などとも交流があるため、京都司中八家の内情にも多少は詳しい。そうはいっても外様の人間であるため、明確な話までは知らない。
「いや、さっき下の階にいたから」
その言葉に、詩央は困惑する。その心情を表すならば「誰にも会わないルートっていったじゃないですか」である。
「間違えて、1階下で降りちゃってさ。その時に偶然会ったんだよね。まあ、あんまり関りないだろうし、あたしの顔も知らなかったしね」
煉夜の反応を見るに、嘘をついているようには見えなかったし、嘘を吐く理由もなかったことから、菜守はそれが事実であると判断した。
「大丈夫なんですか、それ。菜守ちゃんは、その人のこと知っているわけじゃないんだから、本当のことかもわからないのに」
楽天的な菜守はそう判断したが、実際に煉夜に会ったわけでもないし、話だけ聞いた詩央は大丈夫なのかと心配する。
「まあ、大丈夫でしょ。雰囲気が、なんというか、駿部の『お方』と同じ感じがしたし」
そういう菜守に対して、詩央は、なんとも言えない表情をした。菜守がそう呼ぶ人を、詩央もよく知っている。だが、その人と似ているというのは、逆に胡散臭いようにも思える。
「菜守ちゃんがそういうのだったら、おそらくその感覚は間違いないのでしょうけど、しかし、駿部のあの方は、特殊な方ですからね……」
詩央も菜守に秘められた超常的力は理解している。それが未だ無自覚なことも含めて。だが、先天的な感覚においては、それが何よりもにじみ出ている。特に、彼女が「お方」という表現を用いているようなことも先天的な感覚がそうさせているのだろう。だから、その目が煉夜を、「お方」と同質というのならば、それはおそらくそうに違いないのだろう。
「まあ、変わっているよね。なんていうか、近いようで遠いような、そんな雰囲気っていうか、なんていうか」
その言葉に、詩央は苦笑しかできない。常人であれば、その人を見て「近い」という言葉は絶対に出ない。明らかに、人離れしている雰囲気をまとっている。人より上位の何かであると言われた方が納得できるほどの高貴さを持っている。
「それで、結局、その雪白煉夜という人がどうしたんですか。普段なら、そういった話を振ってくることもないじゃないですか」
そういわれてみると、自身でそういった話を振ることはないな、と菜守は思った。だが、彼については、なぜだか知っておいた方がいいような、そんな気がしたのだ。
「うーん、なんて言ったらいいのかな。直感っていう以外に言い方が思いつかない」
菜守の心情を表す最も的確な言葉、「直感」。それ以外に表現方法が思いつかなかったのだ。なぜならば、本当に、そういった感覚にのみ従っていて、特に理由といった理由も思い浮かばなかったからである。
「まあ、菜守ちゃんの直感は信用できますから、今、話したことは間違いではないはずですけど。それにしても、今、この出雲で何かが起きようとしているようですし。先ほど、四木宗として4つの家に本日の件を通達したところ、柊家でも同様の男たちに追われている女性を保護したという話がありました」
あくまで簡易な情報だけなので、そこに煉夜が関与したような情報はなく、そういったことがあったという簡潔な報告であった。
「そうなると、あたしを含めて、何らかの狙われる要因があるっていうことよね」
しかも、柊家が保護したということは、狙われたのは、柊家の人間ではない。それに、残り2家の話ならば詩央は、その名前を出すだろう。ということは、狙われたのは「四木宗」ではなく、椿菜守個人であり、かつ、その保護された女性個人であるということ。
「どうなんでしょう。まあ、明日、出雲大社でそれらについて、家々での報告をして、協議するとのことなので、明日は午後から出雲大社行きが決定しましたし、そこで何かが分かればいいですね」
四木宗として、2家から同様の不審な集団が確認された報告があっては、早急にこの地で何が起きているのか調べ、進退を出雲の神に尋ねなくてはならない。
「出雲大社ね……。あそこ、なんか妙に疎外感があって嫌なのよね。まあ、あたしが舞を趣味でやっているからなのかもしれないけど」
本来、舞を神へ奉納するために訪れる菜守だが、行くたびに、拒絶感ではなく、疎外感を覚えるので、あまり積極的に訪れたいとは思わない。
「大社は神々の神域ですからね。本来なら、巫女や舞者は相性がいいはずなんですけれどもね……」
いわば神の遣いと呼ばれる存在に当たるため、英国などでは神遣者などとされることもある神とつながる要素を持つ者。つまり、神と親和性が高い存在であることが、舞を納めるのに必要な素養である。
「それにしても明日、出雲大社に集合ってことは、下よね」
「ええ、そうでしょう。上は許可が出ていないでしょうし。仮に上を出すならば、色々と手続きが面倒なことになるはずで、明日というのは不可能ですから」
ため息を吐く菜守。それを見ながら、詩央は苦笑した。そして、「上下」の話で思い出す。
「ああ、そういえば、菜守ちゃんも高校を卒業したところでしたっけ」
「え、急に何よ。そうだけど」
唐突とも言える話題振りに、菜守は首をかしげる。それが今ここで関係のある話なのかどうか、というのも疑問であった。だが、詩央が関係のない話をするはずもない。
「ええ、そろそろ、この部屋の下にあるものについて、話しておこうと思いまして」
詩央が目を向けるのは床。しかし、普通に考えれば、下にあるのは、下の部屋であることは間違いない。
「下って下の階じゃなくて、何かあるってこと?」
「ええ、この部屋の下には、とあるものがあるのです。上の階とこの階の間には、少し特殊なものがありますが、この下ほどではありません。そして、それを知っているのは、『四木宗』と大社の方々と鳳凰院殿くらいです」
そう、それ以外に知る者はいない。ただし、この世界においては、である。魔導六家の炎魔家などは、この世界とは違う「四光館」などでの陰陽師施設などを把握しているが、この「四光館」の設立経緯はかなり特殊である。
「今から下について教えるには、それなりに時間がかかりそうですし、明日、大社から帰ってきた後でお教えしましょう。幸い、この部屋は数日間の宿泊予定で泊まっていますし、あの輩が明日の協議一日でどうこうなるとも思えませんから、しばらく椿家には寄らない方がいいでしょうし」
もともと、この部屋を逃げ場にした時点で、数日間は確保している。出雲でそう長い期間、妙な活動ができるとは思えないが、それでも、1日2日でことが済むとも思っていない。




