025話:冥院寺家訪問其ノ弐
相田きいの護衛を任された女性、帝矛弥は、目の前で何が起こっているのかが理解できなかった。脳が理解を拒むほどの力の奔流が目の前に唐突に現れた。目を瞑ろうにも瞼が動かない。目を伏せようにも眼球が動かない。何もかも体が止まっていた。
この奔流の直前、矛弥は自分の戦っていた青年が、胸元で何かを握ったことまでは理解していた。だが、そこから先の理解が及ばない。理解不能な何かが起こっている。矛弥は自分の仕えている家の次女の夫ならばこの異常事態も理解できるのだろうか、と場違いなことを考えるほかなかった。
一瞬、奔流の奥に、何かが見えた。それは赤い執事服を着た青年の様に見えた様な気がした。さらにその奥に赤いメイドと赤い女が見えた様な気がしたが、一瞬過ぎて幻覚と言われれば納得するほどに儚い認識だった。
どのくらいの時間の奔流だったのか、矛弥には永遠の様に感じたそれは、現実としては一瞬の出来事だった。全てが収まったそこには元のままの煉夜が立っているだけ。そして、煉夜は未だ動けずにいる矛弥に対して言う。
「俺はこれだけの魔力を持っているし、霊力もそこそこ操れる。魔法も儀式とか生贄とかそう言うのは得意じゃないというか、知らない。俺が使える魔法の中にはそう言う人を生贄にするものとかは無いからな」
煉夜の声を聴いて、やっと自分の意思を取り戻した矛弥は、全てを理解した。当然のことながら煉夜の言葉に納得する。彼我の戦力差を理解していながら、それは測り切れていなかったということに少し恥じる。目の前の青年は矛弥の理解を越えた域にいたのだ。
「疑って申し訳ありません。ここのところの司中八家の動きを見ると、どうにも信じがたく」
頭を下げる矛弥。それに対して煉夜は苦笑した。それと同時に「ここのところの司中八家の動き」と言う言葉に眉根を寄せる。
「司中八家の動き、っていうのは……?」
煉夜の問いかけに矛弥は頭を下げたまま、しばし沈黙してから、静かに口を開く。重い口から出たのは、いまだに疑惑も籠っている言葉。
「実は、最近天城寺家の動きがおかしく、また、天城寺家によって、霊力に高い素質を持つ一般人が誘拐される事件が多発しているようなのです」
そして、それに他の家が関与していないとも限らない、と。しかし、矛弥としても個の可能性は低いと判断していた。天城寺家が他家と協力する可能性は極めて低い、が皆無ではないということである。
「天城寺家が……?じゃあ、もしかしておふてんちゃんの誘拐も、そこが狙い……?」
煉夜は小柴の誘拐事件にもその誘拐が関わっているのではないか、と考えた。しかし、それを矛弥は否定する。
「ああ、彼女の誘拐ですか。それは関係ありませんよ。いえ、正確には関係があるけど直接の関与はないというところですかね。そもそも、彼女には霊力を扱う力がほとんどないということは司中八家の共通認識です。高い魔力はありましたが、魔法も習わねば使えないでしょうし、それらのことから天城寺家が彼女を狙ったということはありません」
断言する矛弥。それには確信があった。調査もそこそこ進行しているがためにそこには間違いないだろう。
「だが、関連はあるんだろう?どういうことだ」
天城寺家は関わっていない、それが事実であれば関連性など無いはずだが、矛弥は関連があるといったのだ。
「彼女の誘拐に関しては、模倣犯と言うより便乗犯と言うべきでしょうかね。あちこちで誘拐が頻発していることに対しての便乗です。誘拐事件に関しては、今、冥院寺家が報道を抑えていますが、徐々に隠し切れなくなるでしょう。速く天城寺家の件を解決したい、と言うのが天城寺家の現当主夫人の考えですね。わたしは狙われる恐れのある相田さんの護衛を請け負っています」
煉夜は納得したと同時に頭の片隅に引っかかるものを感じた。天城寺家の動きがおかしいというのは明津灘家でも聞いていた話であるが、その他に市原家で聞いた話なども含めて、もしかしてと言う推測が成り立っていく。
「全ては天城寺家から始まったのか?動きがおかしいと明津灘家では言っていたが、それはおそらく誘拐事件の話だろう。そして、霊力の高い人を誘拐している。これが市原家で話していた魔力の異常な流れにつながっている。召喚術式で霊力は賄っているが魔力を使うことは知らず魔力をどこかから補っている。
この賄われている霊力は誘拐してきた人の霊力だとする。じゃあ、補うための魔力はどこから……。そうか、サユリの来たマシュタロスの外法の穴だ。あれが向こうにつながっているなら、より濃密な魔力が空気中に漂っている向こうから勝手に持ってくるだろう。まるで水が多い方から少ない方に流れるように。なら、一度あいた穴を辿るように無理やり上空に穴をあけて下に降ろしているっていう仮説も成り立つ。後は何をどう召喚するのか、だよな。式神なら霊力だけで足りるはず」
煉夜は自分の口から考えていることが漏れているのにも気づかずに推理をした。今まで得た情報が全部繋がっていくかのような感覚があるが、それでも足りない部分がある。
「まるで、彼の様、ですね」
矛弥はその煉夜の様子を見て、現当主夫人の妹の夫を思い浮かべた。その強さ、その知能、その風格、全てが逸脱した青年を。
「ん、何か言ったか?」
煉夜はほとんど聞いていなかったが、矛弥が何か言ったのを察知して、推理を中断して矛弥の方を見た。
「いえ、なんでも……。とりあえず、わたしは帝矛弥。冥院寺家に仕える執事を生業としています」
矛弥は自己紹介をしていないことに気付き、一応名乗る。もはや疑いなど微塵もなかった。自分が育てたと言っても過言でない冥院寺家次女青葉律姫の夫に似ている彼ならば信用に値すると直感したのだ。
「執事、ねぇ……。ふぅん?」
どうにも執事と聞くと値踏みするような目で見たくなる煉夜だったが、女性の執事と言うのは見たことがなかった。
「興味がおありですか、赤い執事さん」
先ほど見た幻影を元に矛弥はそう言った。それに対して、「見られていたのか」と苦笑しながら、煉夜は言う。
「赤い執事は辞めてくれ。ア……あの女が好きだった色と言うだけだ」
何かを言いかけて言いよどんだ彼はあの女と言う曖昧な表現で濁した。そして、煉夜は、気になったことを聞く。
「その冥院寺家に仕える執事がなぜ相田きいと言う少女を護衛する?あの少女は、冥院寺家の人間、と言うようには見えなかったが?」
普通、他家や一般人に司中八家の人間がそこまで保護に回るということもないと煉夜は考えていた。
「律姫様に頼まれていたのですよ。元は律姫様の夫が偶然見つけたようですが、遠い地で暮らすお二人ではあの子を守れなかったので、頼まれました」
煉夜は、変わり者もいるのだな、と納得した。別段その行為に問題はなさそうなので、煉夜は次の質問をする。
「では、司中八家で召喚の儀式に最も詳しいのはどの家だ?」
少なくとも最近司中八家を知った煉夜よりも司中八家に詳しいであろう矛弥に、煉夜は問いかけた。
「は……?召喚、ですか?」
あまりにも唐突な質問過ぎたのか、矛弥はキョトンとした顔で固まってしまった。煉夜は頭の中で完結させるあまり、前後関係を無視することが間々あり、よく注意されていた。
「ああ、召喚だ。おそらく、天城寺家は何かを召喚しようとしている。だとするならば、召喚するために、そこが狙われたか、協力している可能性は十分にある」
煉夜はそう断言した。矛弥は少し考えてから、1つの候補を上げてみる。
「おそらく、可能性があるとすれば、稲荷家ではないかと……」
稲荷家、天狐の名がさすように、古来より狐を信仰してきた。そして、それは狐を召喚し仕えることを目的としたものであり、現在の式神召喚の儀の基礎となる部分は稲荷家と魔導五門の土御門家、炎魔家によって創られたものである。それゆえに、司中八家の中で最も召喚に精通しているのは稲荷家であろう。
「稲荷家、か」
ちょっとした因縁というか、関わりのある稲荷家、特に八千代がいるのであまり訪ねたくはない、と言うのが煉夜の心情だった。
「はい、【天狐】の稲荷家です。稲荷家ならば、おそらくは。そうでなければ、魔導五門に聞くことになるでしょう」
そこには煉夜が初めて聞く単語が耳に飛び込んできて、眉根を寄せた。魔導五門、それは煉夜が知らない言葉であった。
「魔導五門、ってなんだ?」
矛弥はその質問に対して曖昧な笑みを浮かべた。何と説明すればいいのかを考えているのだ。そして、
「魔導五門と言うのは京都に古くからある陰陽師の一族です。中には例外的に魔法と呼ばれる概念に近いものを扱う存在もいますが。現在、京都にあるのは土御門家、炎魔家、風塵家、水素家、木也家の5つです。これに雷導寺家を加えて魔導六家と呼ぶ場合もあります」
煉夜はこれまで司中八家の1つである雪白家で過ごしてきたが、その名を一切聞かなかった。話を聞くからには司中八家とつながりも深そうであり、疑問に思う。
「おそらく、聞いたことがなかったのは、雪白家の人間だからでしょう。京都を中心に居を構えているとはいえ、魔導五門は主に外担当。京都の中を制する司中八家とはあまり交流がありません。ただ、風塵家の当代、風塵楓和菜様には気を付けておいたほうがいいかもしれません。超常の存在の1人でしょうし」
風神楓和菜。風と雷と言う分野に関しては、たとえ天導家や雷道寺家であろうと他の追随を許さないほどの力を持つとされる存在。風だけで言えば、原初の風にして終焉の風を司る者には勝てないが。
「分かった、気にかけておこう」
煉夜はそう言ったが、相手の顔も姿も分からないので気にかけようがなかった。
「さて、と、行きたくはないが、次は稲荷家でも訪問してみようかね」




