247話:出雲神話・四舞姫と神殺し・其ノ一
煉夜は彼女を知覚したときから認識していたが、ようやく沙津姫にも知覚できる範囲に複数の怪しい気配が侵入したのだろう。そちらに目を向けながら、沙津姫は女性に問う。
「あらあら、さらに物騒なことに、変な集団までやってきましたが、あなたのお客さん?」
沙津姫の問いかけに、呆然としながらうなずく女性。しかし、すぐに正気に戻ったようで、きょろきょろとあたりを見回した。どうやら、煉夜たちを巻き込んでしまうと思ったようである。そんな様子に、沙津姫は微笑んだ。
「あなた、お名前は?」
その問いかけに、女性は、一瞬戸惑いながらも、しどろもどろに答える。
「え、あ、春谷伊花、です」
その口ごもり方に、本名かどうか疑わしいところもあったが、どことなく、嘘はないように思えたため、そこに不要に口を挟むことはなかった。しかし、この位置だと、他の修学旅行生も巻き込む恐れがある。だから沙津姫は視線で、煉夜に意思を伝える。そのアイコンタクトを正しく受け取った煉夜は、未だに尻餅をついたままの伊花をすっと抱え上げた。
「わあっ!」
それに対して驚きの声をあげる伊花だが、それに説明する間もなく、着物でありながら、さらりと走る沙津姫の後をついて走る。本来、着物を着て走るということは難しく、よほど着物を着慣れていないと難しい。通常、着物を着て走るときは、裾をまくり上げて、両手で持ったり、帯に挟んだりするのだが、沙津姫はそういうことをせずに器用に走っている。器用に、もしくは、奇妙にだろうか。
「それで、沙津姫様、どこまで行くんですか?」
軽々と伊花を抱えて沙津姫と並走する煉夜。それに対して、沙津姫は軽く驚いていた。なぜならば、沙津姫の速度は、普通ではなかったからだ。とても着物を着ているとは思えない。いや、洋服だったところで、普通ではない。
舞をする関係で、常人以上の身体能力を持ち、奉納の影響と霊力による半ば仙術と同等の身体強化で沙津姫は、そこらの陰陽師ならば凌駕するほどの身体能力がある。それに余裕をもって合わせられるとは思っていなかった。
「そうですね、もう少し先に、駐車場があります。この時期ならば、そこまで人が多いということはないでしょうし、そちらですね」
宍道湖周辺が観光地化した影響で、人目につかないところまで行くのが難しい環境である。だが、それでもある程度の人目は覚悟するものの、あの場所よりは幾分マシだろう。
「そのようですね……。もっとも、あの感じからすると、先回りというか、別動隊のようなものがすでに待機しているようですが」
沙津姫よりも広い知覚範囲を持つ煉夜は、すでに、その駐車場というものが知覚範囲に入っていた。確かに一般人はいないようである。だが、いないのは一般人だけで、敵はいるようであった。
「どうやら『領域』はあなたの方が広いようですね」
沙津姫の言う「領域」というのは、煉夜の言う知覚域と同じようなものである。いわば、自身の「知ることのできる範囲」のことであり、また、類義語に神の知ることのできる範囲である「神域」があり、彼女たちは、その「神域」で奉納をすることが仕事なのである。
「ええ、まあ。ですが、春谷さんも、同じくらいの知覚域をお持ちのようでし、沙津姫様の知覚域も当家の水姫様と同等ですから、そこらの陰陽師など手も足も出ないでしょう」
水姫の知覚域というのは、実際のところ、相応に広い。それは、周囲の霊力を広げて知覚できるからである。もっとも、煉夜や沙津姫、伊花のような魔力による能動的な探知ではなく、霊力を操るという「自分の外にあるもの」を扱う一行程を挟む受動的な探知であるため、常に広いというわけではないが。
「それでもあなたの方が広いことは事実ではありませんか。それにしても、春谷さんもどうようというのはどうして」
自身の知覚範囲を判断された基準は、先ほどのやり取りの際であることは察しがついていたし、同じ家で修行をしている水姫のことならば知っていてもおかしくないだろうが、一度も知覚範囲について触れていない伊花の知覚範囲を知っている理由が分からない。
「知覚域って言われても……、確かに、把握はできるけど」
そう、把握はできるが、それは知覚などとは違う。彼女に付与された「力」の一部でしかない。
「なるほど、索敵の術などの類ではなく、むしろ『神域』などに近い類の何か、か。いや、似てはいるが、逆だろうが」
煉夜の言う「神域」というのは、沙津姫のいう「神域」とは異なり、神の権能範囲、神の領分の類である。
「……っ?!」
驚愕の顔をする伊花であるが、それについて言及する間もなく、その件の駐車場についてしまう。駐車場の広さはさほど大きくないが、それでも25台は停められるであろう広さであった。
その駐車場には、黒塗りの車が数台停まっており、それ以外には何も停まっていない。代わりに、ぞろぞろと怪しい男たちが群れを成していた。煉夜たちを追ってきた男たちを含めれば、30人よりも多い。その駐車場にいる男たちの先頭に立っているのは、伊花に話しかけてきた京城二楽という男であった。
「おや、抱えられているとは、これはこれは。しかし、青年、その女性をこちらに引き渡してもらえないだろうか」
それは煉夜に投げかけられた言葉であった。その胡散臭い男に眉根を寄せる沙津姫。だが、煉夜は別の感想を抱いていた。
「神児や現人神の類か、それにしては、いかにも逆と呼ぶべき、春谷さんを欲しがるとは珍妙な。抹消が目的とも思えないが……」
その発言に二楽は、顔をひきつらせた。なぜそうも、相手の核心に無神経で迫るのだ、とそれに対しても眉根を寄せる沙津姫であったが、煉夜は特に意識をしていない。そもそも、煉夜は、人を気遣う程度のことはできるが、見ず知らずの人物にまで気を遣うほど余裕のある人生を送ってきてはいない。
「君はどうやら、少し変わった存在のようだ。我々の計画にない不確定因子のようだな。ふむ、計画の練り直しが必要か……。まあいい、並行しているリード君の方しだいで動きも変わるだろう。これは追加報酬が必要そうだ」
わざとらしく肩をすくめた二楽は、その内心を見せないように、必死に取り繕う。余裕を見せなくては、部下を統率するという立場に疑念が生じかねない。
「本格的に、天才紫泉鮮葉に協力してもらわなくては」
その名前に、煉夜は「なるほど」とつぶやいた。追加報酬云々と言っていることから、鮮葉と二楽を名乗る男が協力関係にあっても仲間ではない、金銭で成り立っている関係なのであることは察しがついた。
「現人神に紫泉鮮葉……、春谷伊花さん……、出雲。そういうことか、何となく大筋が見えてきたな。そうなると、鮮葉の目的は、……『人の上』ということか」
煉夜はここにきて、ようやく、相手が伊花を求める理由に察しがついた。この場に小柴がいれば、自分がどっちの立場にいたかも変わってきた気がする、とそう思いながらも、その方法や対価も分からない以上、結局変わらないか、と結論付けた。
「しかし、大それたことを考えるな。日本は皮切りなのか、日本だけを狙っているのかは知らないが、下手をすれば、世界中から狙われるというのに」
二楽は、忌々し気な顔をして、それから、苦々し気な顔に変え、煉夜たちを挟む形で来ていた男たちにも分かるように手を掲げながら指示を出す。
「引かせてもらおう。だが、いずれ再び見えることもあるかもしれない。その時は覚悟してもらおう」
そういいながら、車に乗り込み、去っていく男たち。それに対して煉夜は、魔法の一発でもお見舞いでもしてやろうかと思ったが、わざわざ、無駄なことをする必要もないだろう、と撃つのをやめた。
「しかし、あのような輩の活動を許すとは、出雲の監視網は意外と緩いのですか?」
その問いかけは、沙津姫に向けられたものであった。それに対して、沙津姫は苦い顔をする。正直な話をすると、出雲を中心とした神域であるため、監視網は薄い。その代わりとして、神が見守っている。つまり、神の目の届く範囲の霊的監視網は日本でも京都や東京……江戸以上に強いが、それ以外の監視網は、かなり薄い。通常、出雲に関わるものは、それが好意的でも悪意的でも、大なり小なり霊的要素を持つ者だ。大抵、そういう存在の特徴としては、規模が小さく、科学的技術を用いないことが多い。だが、今回に関しては、それなりの規模で、車なども使用していた。つまり、出雲の監視網に引っかかりにくい存在であることが予想されるのだ。
「捉えていないことはないのだと思います。出雲大社に御座す神々や高天原に御座せられる神々の中には、人界を把握するのに長けた神や人界での異変に対処することを専門にした神も存在すると聞いていますから」
出雲大社はあくまで、神々が集う地であって、常に多くの神、日本中の神がいるわけではないが、高天原とつながる場所の1つでもある。
この場合の高天原とは、天国などではなく、神なるもののいる地という大雑把なものと捉えているものであり、その「つながる場所」は、日本の各地に点在している。奈良県にある御所市高天や宮崎県の高千穂、茨城県の多賀郡など、高天原があったとされる地は、それぞれ「つながる場所」であった。その他にも多く存在し、神々は、底を中心に、人々を導いたとされる。文明が進むにつれ、その「つながり」を弱めていったため、今もなお、密接につながっているのは、神々が集う地である出雲や主要な各所くらいである。
そのため、この出雲を中心に、高天原にある神々の目は、特に強く光っている。出雲に何か危害を加えようとすれば、多くの神がそれを知るところとなるはずなのである。
「それでも彼らが動いているということは、すでに何か手を打っているのか、それとも、手を打つまでもないという判断なのか、それは分かりませんが」
少なくとも神が何も対応をしないとは考えられない。だから、何らかしらの対応があるか、それとも対応をしなくても事態が収まる案件であると考えるのが自然であった。
「なるほど、今は様子を見るほかない、ということでしょうか。分かりました。とりあえず、春谷さんの安全確保は必要でしょうが、自分は、出雲に明るくありません。お手数をお掛けしますが、沙津姫様にお願いせざるを得ないかと」
それに対して、抱えられた伊花を見て、その状況や格好等を見ても、今この場で放り出すわけにはいかない。特に、四木宗の一族たる沙津姫が、この地で起こっている困りごとを放り出すというのは、個人的な立場だけではなく、世間的な立場としても無理なことである。
「そうですね。分かりました。彼女のことは、わたしがどうにかします。その代わり、明後日、あなたが推測しているであろう、彼らのことを教えてください。あなたにも予定はあるでしょうし、明後日、当家に来ることはすでに知っていますから、その際で構いません。おそらく、あなたの知っていることは、この事態の解決にも役立つでしょう」
「大したことを知っているわけではありませんが、役に立つのであればいくらでも話しますよ」
こともなげに言う煉夜に対して、沙津姫は半ば呆れ、半ば胡散臭げな顔をしたが、それでも、それ以上言及することはなく、煉夜の人間性について、そうであると納得することで、自身を納得させた。




