243話:プロローグ・柊沙津姫の場合
舞において、古今東西、様々な道具が用いられてきた。奉納のために使われる刃のない剣や日舞などで使われる扇子などがその例だろうか。
その物を用いた舞に特化した一族が、この島根県に存在していた。日本における舞踊の総元締めともいわれる4家の中の1つ。柊家。
物を使った舞事において、柊家以上の存在はないとされるほどに完成された舞芸を行う一族であり、その関係上、神楽や演舞を始め、様々な舞の形に精通している。
その柊家の現当主、柊奈柚姫は、扇舞の最奥と名高き「扇姫」の称号と「六歌扇」の称号を持つ女性で、若くしてその称号を得たことから高い評価を得ている。もっとも、その「六歌扇」の称号に関しては、彼女より若くして得た者が3人いる。だが、「扇姫」の称号は今世ではほかならぬ彼女のみのものである。
その奈柚姫には、2人の娘がいる。柊沙津姫と柊深津姫。奈柚姫よりも若くして「六歌扇」の称号を得て、他の舞事においても才能の塊と評される沙津姫と剣舞のみに特化した深津姫。対称的な2人であるが、仲は良く、一緒に舞稽古に励んでいる。
そんな柊家には、ある問題があった。後継者問題である。実力的には、誰もが沙津姫を後継者として推して止まないのだが、柊家周囲の家々は、深津姫を後継者にするようにと、わかりやすくではないが、遠回しに推してくる。それは、別段、柊家の力を削ぐ目的ではないことを、柊家の面々が何より理解していた。
「沙津姫さんは、家を継ぐ気はあるのですよね」
朝の舞稽古を終え、朝食をとっているときに、奈柚姫は、そう話題を切り出した。夫の灯は、所用ですでに家を出ている。そのため、朝食の席には、奈柚姫と沙津姫と深津姫しかいない。
「ええ、まあ。というよりも、家を支えるという意味では、色々とわたしには過ぎた称号とはいえ、受けてしまったわたしが、家を継ぐのが正しい道であることは理解しています」
沙津姫当人の意思というよりも、柊家の発展と威光を示すという意味において、若くして「六歌扇」を継いだという話題性などから、沙津姫が継ぐことが望ましいということを理解しているから、ということである。
「まあ、あなたならばそういう考え方をするでしょう。しかし、本来ならば、そういう考え方でもって、あなたを当主に据えるのが通例なのですがね……」
そう、普通ならば、それが正解で、沙津姫を当主に据えて、さらに剣舞に才を持つ深津姫を剣舞のトップに置けば、柊家は安泰と言えた。だが、そうもいかない事情がある。
「やっぱり、あたくしを当主に、という一派がいるということですよね」
そういったのは深津姫である。深津姫の一人称、「あたくし」というものは、かなり砕けたしゃべり方であり、本来はこの場に似つかわしくないのだが、舞事の中には花柳界のものも含まれるため、そちらの口調が移ってしまったものである。
「ええ、特に泉屋さんや能桐さんのところがね」
今挙げた家々は、他の舞事の派閥ではなく、舞に関係している扇職人や着物問屋などの家である。そうした周りの支えがあって成り立っているのが舞であるため、ないがしろにはできない。
「顔立ちだけで、そんなに反対されても、わたしは困るんですけれどね。生来のものですからどうしようもないですし」
そして、その反対の理由は、今、沙津姫が言ったように「顔立ち」である。沙津姫の顔立ちにより、その家々は反対している。だが、それは、決して、沙津姫の顔の見目がどうだという話ではない。無論、舞事として人前に立つ以上、顔立ちが整っていることに越したことはない。幸い、家系的にもそうであるのか、沙津姫も深津姫も整った顔立ちをしていた。
だが、そうであるならば、なぜ沙津姫は当主になることを反対されているのか、という話である。
「柊家としては、そういった顔立ちだけで反対する気はないのですがね。それでも、あなたの顔立ちは『柊神美』によく似通っているのです」
かつて、柊家にいたとされる女性。柊神美。瞳の色や髪の色は異なるが、顔立ちは非常に沙津姫と似通っていることが特徴的だった。同じ血筋と考えれば、似ているのは当然と言えば当然なのだが、それでもあまりにも酷似しているために、少し騒動になったのだ。
「でも、その人が、家を独立して新しい家を作ったというだけで、沙津姫姉上が同じことをするとは限らないのではないですか?」
顔が似ているだけで、同じことをするなどという非科学的な話だけで、沙津姫を当主にしないなどというのは、馬鹿げた話にもほどがあるだろう。
「まあ、そうでしょうね。それに、その独立した家とて、完全に分離しているわけではなく、今でもつながりを持っていますし、きちんと舞芸をしている家系ですもの」
分離した家が、どこか別の場所で、完全に縁を切って、何か違うことをしているのならばまだしも、親戚としてつながりを持ち、さらに、その家でも舞稽古を行っているのだから、ほとんど分家のような扱いである。おそらく、この家の血が途絶えそうになったならば、向こうの家から養子をとるくらいにはつながりが残っている。
「ええ。わたしよりも年下で、なおかつ『六歌扇』ですもの。むしろ、わたしよりも才があるのでは、と思うほどにはきちんと舞っていると思います」
もっとも、沙津姫との年齢で言えば1歳しか違わないので、ほとんど差はないが、最年少記録を更新したのは言うまでもない。
「ええ、雪白水姫さんは、才ある子でしょうね。もっとも、これは身びいきなどではなく、才能で言えば、あなたの方が上でしょう」
奈柚姫は、「扇姫」という立場上、様々な舞での審査をすることもある。だからこそ、娘だからと贔屓することはない。娘たちも、それ以外も公平に判断する。その目で見ても、沙津姫は、間違いなく、親戚の水姫よりも才能があると言えた。
「ああ、そういえば、その水姫さんと、それからその従兄に当たる方が、今、こちらに来ているようで、明後日には顔を出すと言っていましたから、会う機会もあるでしょう」
その言葉に、沙津姫と深津姫はきょとんとする。それもそうだろう。こちらに用事で来るなど、ほとんどないようなものだ。しいて言うならば、出雲大社ぐらいのものだ。何日も滞在するケースは珍しい。
「仕事、でしょうか?」
単なる旅行であるのならば、すぐに顔を出せばいいし、そうでないのならば、複数日泊るのに、こちらの家に寄らない理由は、仕事だろうか、と思った。
「いえ、修学旅行だそうですよ」
だからこそ、その答えに、ますますきょとんとする。普通、修学旅行で親戚の家の近くに来たからと言って寄るだろうか。まあ、寄らないだろう。
「まあ、京都の学生が、こちらに修学旅行に来ることは、分かるのですが、わざわざ当家に寄る理由が何かありましたか?」
そうなれば、何か理由があって寄るのではないだろうか、と考えるのが普通であるが、このところ、奇妙な動きがあるという噂こそあるものの、舞の方でも、陰陽師の方でも大きな動きはないはずである。そうにもかかわらず、わざわざ寄るのには、何かあるのか、と変な勘繰りをするには十分であった。
「いえ、灯さんがいった言葉を真に受けたらしいのです。向こうの家は、かなり真面目な家柄ですからね。簡単に、『ぜひ寄ってください』といった言葉をも真に受けてしまうのでしょう」
沙津姫も深津姫も、自身の父の言動を思いだし、十分にあり得ることだ、と思うのであった。そして、そういった話でわざわざ修学旅行中に親戚の家に寄る羽目になった親戚に申し訳ない気持ちになった。
「ああ、話がそれてしまいましたが、そうですね、いつまでも今の話をしていても意味はないでしょう。それに、深津姫さんは、そろそろ学校のお時間でしょう」
深津姫は今年で高校3年生。卒業したら、就職などはせずに、柊家で本格的に舞に打ち込むことになる。一方の沙津姫は昨年卒業したので、今は、本格的に舞の稽古をしているところであった。
「沙津姫さん、今日は、少々応接間の掃除などがあるので、昼の稽古はお休みです」
深津姫が味噌汁を流し込んで、学校に行くために部屋を出る頃、話の矛先は、沙津姫に変わっていた。
「水姫さんと、その従兄の方をお迎えするためですよね。掃除でしたらわたしがやりますが」
そういう沙津姫であったが、奈柚姫は苦笑しながら、首を横に振った。掃除を沙津姫に任せると、妙なことになるのは経験から分かっている。
「あなたに掃除をさせると、いつの間にか畳が宙を舞っていることもありますからやめておきます」
前に客間の掃除を任せたときに、畳を干すと言って、畳をすべてはがしたのを、後で見た奈柚姫は目を疑ったものだ。
「あ、あれは、その、ちょっと興が乗ったといいますか、いい天気だったので……。いえ、それよりも、そうですね。昼に時間があるのでしたら、少し舞扇の調整にもっていこうと思います。長く舞をするようになって、鉛の重さが少し気になることが増えましたから」
舞扇とは、日本舞踊などで舞に使われる扇のことである。通常の扇とあまり変わらないが、舞に使用するため、回す、投げるなどにも対応するために、持ち手に鉛などが入っていることがある。
「そうですか。……そうですね、卒業して、本格的に舞うようになって数ヶ月経ちますから、そういうこともあるでしょう。でしたら、ついでに来客用の菓子類を買ってきていただけますか」
「わかりました。幸美水屋の菓子でいいですよね」
幸美水屋とは、高級和菓子店である。奈柚姫はそれ対してうなずいた。
昼過ぎ、沙津姫は、言葉通りに舞扇の調整のために、宍道湖の付近まで来ていた。舞扇の感覚を確かめるためということもあり、和服である。多少人目を集めるが、それはいつものことなので、彼女は気にしていなかった。人目を一々気にするようでは、人前で舞など踊れないだろう。
そうして歩いていると、若者の姿がちらほら見えることが分かった。中学生から高校生くらいの集団、それに対して、最初はあまり関心を持たなかったが、そういえば親戚が修学旅行で来ているというのだから、この若者たちは修学旅行生か、と妙な納得をする。
その集団から少し外れたところに、1人でたたずむ青年の姿があった。妙に視線を吸い寄せられる青年の姿に、沙津姫は気づけば、ふらりとそちらへ近寄っていた。
「こんにちは」
なぜ声をかけたのかも分からないが、何気なく、その青年に声をかける。青年は、一瞬、自分ではない誰かへの声掛けかと思ったものの、周囲に他の人がいないこともあり、いぶかし気に沙津姫の顔を見ながら挨拶を返す。
「こんにちは?」
語尾が少し疑問形だったのは、なぜ、という気持ちが強かったからだろう。
「修学旅行か何かですか?」
特に話題もなかったので、沙津姫は思っていたことを問う。それに対して、青年は、何かを考えるも、そのまま答える。
「まあ、そうだな。修学旅行中だな。しかし、どこかで会ったことがあったか?」
――柊沙津姫。彼女がこの時会った青年は、沙津姫の運命に影響を与えることになる。




