238話:静かなジュネーブの夜
煉夜たちは、ジュネーブの宿に泊まっていた。どうせロクに寝る予定はないため、ルアンヌと煉夜は同じ部屋である。もともと、夜に何か起きるとは思っていないが、一応の警戒が必要であるため、2人とも寝るつもりはなかったし、ルアンヌの関係者たちもそれを理解していた。さらにルアンヌの方は、瑞西の人間とのやり取りもあるため、確実に寝る時間などないだろう。
煉夜たちが、夜に何かが起こることはない、と考えている理由はいくつかある。まず、湖底に沈んでいるものをあげるには、船などが必要であるが、夜の遊覧船が終わって以降の時間での船の運航は非常に目立つ。そのため、すでにルアンヌ達が瑞西に入っているのにも関わらず、そんな無謀なことはしないだろうという推測。
さらに、月明かりだけでどうにかなるほど明るくはないため、湖底に何かするにしてもライトはそれなりに必要となる。街灯りがあるとはいえ、湖上や湖中で光があって目立たないはずがない。それこそ、一般人の要らない注目を集めるだけだ。
そうであるならば、一番危険だが、一番狙いやすい、そんな時間は、ルアンヌ達が湖底からスファムルドラの聖盾を引き上げる時である。その時こそが、最も危険だが、最もチャンスともいえる。
当然、警戒が一番厳しいが、その分、煉夜たちには湖底から引き揚げたもの、あるいは引き揚げ中のものを守るというリスクが生じる。隙は生まれやすいだろう。
そして引き上げた船ごと、あるいは、それはできずとも、少なくともスファムルドラの聖盾を沈められれば、ひとまず相手にとっては時間稼ぎができるというわけだ。
むろん、捨て駒での特攻で、湖底に永遠に沈めて、特攻したやつを切り捨てるという手段で、夜だろうが、一般人にバレようがお構いなしに攻撃してくるという可能性もないわけではない。そうする場合は、絶対に指示した自分たちまで捜査が及ばないという絶対の自信と情報隠蔽工作が必要となる。
しかし、それに関しては、ルアンヌの家での一件で、裏にいたことを見抜いていたような口ぶりで、実際見抜いていたのだが、そのような口ぶりで対応したため、それが広まっているのであれば、そのような強行には出づらい状況となっている。
「一通りの根回しはしましたけれども、どこまで意味があるやら。目下の危険な状況をかんがみスイスは連邦情報部から派遣してくるようですけれども」
そもそも、瑞西側にスパイがいないとも限らない現状で、信用できる人間は少ない。そういう意味では、誰が派遣されたところで、そう大差はないのだが。
「しかし、不審な魔力に関しては、俺の索敵でどうにかなるが、それ以外の手段で向こうが動いたときが一番問題だ」
別に相手が魔法使いとは限らない。それこそ、なんの魔法も使われていない爆弾などの類は煉夜でも感知するのが難しい。魔法で処理できないこともないが、発見はほとんど無理だろう。実際、道中で襲ってきた中には、魔法使い以外の狙撃手がいた。狙撃手は人間であるため、どうにか感知が可能だったが、それが単なる機械であった場合は、さすがの煉夜でも対応に困る。
「一応、爆発物などの類を製造できるような危険物が、最近に持ち込まれたような場所は確認させてありますけれども、万全とは言えませんし、スイス側で作られていたならば、それこそ、こちらの管轄外ですもの」
そもそも、そういった用途に使うものを作る場所が簡単に判明するのであれば、テロなど未然に防がれるはずなのである。
「ただの魔法、ただの爆弾なんて言う単品であれば、それなりに対処が楽だが、それらを組み合わされると、なかなか難しい」
煉夜は、今までの経験上、魔法と何かを組み合わせたものという相手と戦うような経験は少ない。それこそ、魔法と剣術とか、魔法と格闘術のようなオーソドックスなものならまだしも、魔法と銃や、魔法と機械といった近代兵器との応用に関しては、未経験もいいところである。そのため、米国などを中心に発展している魔法機械等の技術は、ある意味では煉夜の天敵でもある。MTTが用いていた発信機などもそうである。
「『科学の発展に何とか縋り付いた、衰えていく魔法の悪足掻き』などと揶揄する人もいるけれども、実際のところ、魔法と科学の融合というのは、ある種の進化。対処が難しいのは道理ともいえるかもしれません」
産業革命という大きな事象が、科学という知識さえあれば万人に開かれる地平を後押しし、世界は魔法を排し、科学という道を正道とした。魔法は邪道として、世界の隅に追いやられた。しかし、科学の発展に魔法という要素を組み込めるのであれば、それは新しい一つの形であることも確かである。
「まあ、魔法を学問、あるいは、一分野として考えている人間にしてみれば、魔法と科学を一緒くたにするのは、あまり気持ちのいいものではないのだろうけれどな」
リズの所属する王立魔法学校のような魔法を学問体系として教えている場所も確かに存在するし、魔法を神聖視する傾向もある。特に、古くから魔法を伝統としている一派には、そういった傾向が強いだろう。
英国のように、科学に頼らずとも、魔法が相応に整っている国は、魔法と科学の融合を好ましく思っていない場合が多い。
魔法と科学の共生という仕組みができたのは米国が発端であるが、米国がなぜ、そのようなことが出来たかと言えば、伝統から解放された新しい場所と新しい人々であったからである。
「あなたも魔法と科学を一緒にするのには反対なのでして?」
ルアンヌの問いかけに、煉夜は微妙な顔をした。それは、何とも言えないものだったからである。
「正直、そういった進化の仕方は断然ありだと思うぞ。そもそも、俺はどちらかと言えば、魔法を学問とかそういう見方をしていないからな。攻撃の手段、あるいは、生きていくための術として見ているから、より効率よく、より万人に向けて発展するのは当然のことだろうと思うし」
そう、煉夜が魔法を教わったのは、元々超大な魔力を有していたからであり、それを持ってメアにスファムルドラの魔法の手ほどきを受けたのは、騎士として生きていくためであり、その後、魔法を磨いていったのは、獣狩りとして魔獣、超獣、神獣と渡り合うためである。武器として使う以上、低コストで高い効果を得られるものが最も優れている。
そういった意味では、魔力の消費量を少なくして、より高い結果をもたらすのであれば、魔法と科学が共生していくことに対して、何ら忌避感は抱かない。
「それにしては、あまりいいと言いたい顔はしていないようですけれども?」
ルアンヌの言う通り、煉夜は、忌避感がないながらに、微妙な顔をしている。その理由が気になるのは当然だろう。
「いや、俺が正直、魔法一辺倒の人間だからな、その分野があまりにも発展すると、対処ができないのが煩わしいだろうな、と」
煉夜自身、その発展には忌避感がないが、それでも、煉夜は魔法だけの文明で生き抜いてきた人間である。それゆえに、魔法と科学が共になったものが発展すると、感知できず、対処もできない、そんな状況になるのではないか、という危機感がある。
「まあ、それは十分にある危険性でしょうね」
と、ルアンヌは簡単に言うが、煉夜は色々と考えていた。MTTの一件で発信機を知ったことを機に、色々と、である。現在は、さほど、研究が進んでいないからか、あまり脅威として具体的に何かがあるというわけではないが、進めば、裏だけではなく「表」としても脅威になり得るものなのである。
「まあ、現状、ただの銃火器程度ならば結界魔法でどうにかなるでしょうし、余程のことがない限り、大丈夫のはずですけれども」
そのルアンヌの言葉に、煉夜は眉根を寄せる。その内心は「妙なフラグ立てやがって」である。
翌朝、予想通り夜のうちの行動はなかったので、できるかぎり早めに行動したいと、ルアンヌは思っていた。手配した船やジュネーブ内への湖底で不審物が見つかったため遊覧船の運航中止の案内、レ・マン湖への接近禁止令など、様々なことはすでに連邦情報部が行っているようであった。
「シャロン殿、お久しぶりですね」
仏国語でそのように挨拶する男性。瑞西の公用語は独国語、仏国語、伊国語、ロマンシュ語の4つであり、ジュネーブなどがある西側は主に仏国語がつかわれている。そのため、瑞西の人間である彼が仏国語を堪能に話せることは何ら不思議ではない。
「あら、エクトル君。あなたが出てくるとは意外ですけれども、専門分野はこちらではないでしょうに」
エクトルと呼ばれた青年は、ルアンヌと知己があるようで、それでいて、瑞西の人間であるようだった。
「ええ、シャロン殿とある程度面識があると話が早いから、と上にせっつかれまして。それでそちらは?」
苦笑している青年が次に視線を向けたのは煉夜であった。本来、この場においてアジア圏の容姿をしている煉夜は不審に思われる、もしくは、侮られるのが常なのだが、この場においては、ルアンヌ・シャロンという人間が近くにいるというだけで反応がガラリと変わる。
あのルアンヌ・シャロンがそばにいることを許して、自分の話が聞こえる範囲においているということだけで、その人間は、ただの人間ではないということである。例え、どこかから派遣された護衛であろうと、ルアンヌならば護衛に適当な範囲を見定めつつ、話は聞かれない範囲に置く。
「ああ、雪白煉夜というものだ。英国王室エリザベス・■■■■・ローズ様の代理……というほど大仰なものではないが、ルアンヌさんに貸し出されている『もの』の護衛役という立場だ。よろしく頼む」
相手が瑞西側の人間ならば公的な対応をせざるを得ず、あまりリズの名前を出したくはないのだが、ルアンヌしか頼れる人間がいない今、ある程度の事情は瑞西側にも伝わっているはずなので、ここでは、そのまま英国王室という背後の虎をアピールしておくことにした。虎の威を借りる狐の狐としては、虎の存在をしっかりと伝えておかなくては意味がないからだ。
「私はエクトル・バロー。連邦情報部所属の情報員です。以後お見知りおきを」
差し出された手を握り合う。エクトルという青年は、どうにもいまいちパッとしない印象であると感じる煉夜であったが、しかし、その実、その瞳に何やら意思を感じるのも事実であった。魔力はほとんどないようだが、それでも、この仕事についている以上、何らかの特異な力があるのだろうか、とそんなことを思う。
「それでは、フランス側の使者ということで、お二人ともご乗船ください。狙われているのは分かっているので、警戒網はすでに敷いていますので」
タラップの方を示すエクトル。それに従い、煉夜とルアンヌは船に乗る。引き揚げ作業のために用意されたのは、クレーンのついた船である。船には屋根などはなく、甲板に引き上げる予定であった。すでに不審物があったためと情報が流れているためヘリコプターなどによる民間放送局のカメラの眼がある恐れがあるが、仏国との国境であるため、何があるか分からないからという理由で、連邦情報部がすでに各局に根回しをしている。仏国側も同様で、ルアンヌがすでに根回し済みだ。
そうして、いよいよ、船が出航の時を迎える。




