233話:幻視の館と愚か者たち
煉夜は肩をすくめて、これから行おうとしている作戦の内容をルアンヌに伝えることにした。もとより話す気ではあった。というよりも、これはルアンヌの協力なしには成り立たないものであったので、当然話さざるを得ない。
「特段難しいことはない。この屋敷を、もう一つ、そのゴルフ場に作り出す。そこにうろついているやつらを集めて一網打尽。まあ、それなりに大規模にはなるがな」
そんな風にあっけらかんという煉夜に対して、ルアンヌの顔は、まさに「何を言っているんだこいつは」というような顔であった。
しかしながら、煉夜は正気かつ本気であった。実際のところ、他に方法はいくらでもあるだろうが、ルアンヌに実力を示し、かつ、解決するのならば、多少のインパクトが必要となると考えた。
「作るって、それほどの魔法を使えば気づかれるでしょう。それに、時間がかかるはずですもの。こんなひっ迫した状況で、そんなことが可能とは」
とても思えない、と言いたげなルアンヌに対して、煉夜は、静かに息を吐いて、手の甲に聖紋を浮かび上がらせる。確かに、煉夜でも無詠唱のスファムルドラ式魔法で、瞬時に、この敷地を再現するのは不可能だ。だが、煉夜には、もう1つ魔法の種類がある。
「【我が主が名を持って告げる――
霊脈の底、悪辣なる神の血、深き眠り、
六の願い、八の守護、
導き手は我が主の心の中、
――幻想は現実に侵食し、空想を具現化する想像、すなわち『創生』の■■】」
【創生】の魔法、それは、煉夜と【創生の魔女】だけが持つ固有の魔法。それを使えば、魔力の消耗こそ激しいが、その程度のことは簡単にできる。ましてや、家の中まで緻密に再現する必要がない分、それほど細かい魔力操作がない。
「とりあえず、外見は作った。後は、魔法で誘導するだけだ」
そういいながら、フィンガースナップを鳴らす。それだけで、すでに捕捉していた敵とその裏にいる人間、全てに簡単な誘導魔法をかける。簡単で単純、だからこそバレにくい魔法。さらに、もう一回鳴らして、この家の敷地に認識阻害の魔法をかける。
「さて、準備は完了だ。これだけ大掛かりな措置をしても、大抵は、英国王室の秘宝を守るための措置でどうにか通るだろう?」
国家間の摩擦を考えれば、これくらいのことは、なんてことのないことだろう。英国王室の秘宝を預かっているというのは、それだけ重い。だからこそ、ルアンヌ達には「守るためにできるかぎりのことをした」という大義名分がある。
「準備が完了した、とは、もしかしてゴルフ場に、もう?」
ルアンヌが目をぱちくりとさせながら、確認をしてきた。何か詠唱していたことだけは確認できたが、しかし、たかが数行の詠唱。あんなもので、提案してきたことが実現するとは、とてもではないが思えなかった。それは、一般的な魔法使いとしての視点も含めて、の意見である。
「秘匿魔力による念話、来ているみたいだな」
煉夜が何かを答える前に、ルアンヌの元には、緊急時以外使用するなと言われていた秘匿回線による魔力念話が届いていた。隠ぺいの魔法を八重に掛け、その上、機械通信も混ぜて、極力魔力を薄めた、魔力盗聴対策万全の念話であるが、煉夜はそのテリトリーに入った魔法ならどれだけ隠ぺいしていても分かってしまう。
(ルアンヌ様、膨大な魔力によって、一瞬でシャロン家の敷地と同じものがゴルフ場に形成されました。監視していた不審者たちも、全員がそちらの敷地に向かっています)
驚いて声も出ない、というのはこういう時に使うのだろう、とルアンヌは初めて思った。どれだけの魔力があっても、魔法の構築とは一瞬にして成るものではない。それは魔法使いとして、多少腕に覚えがあるルアンヌが一番理解していた。
魔法とは万能の力と思われがちだが、そのすべてに理論を伴ったものであり、それは、すなわち、万能でも何でもないということである。ただ、その理論があまり解明していないだけでなく、あらゆる解釈があるというおまけ付きであるが。
だからこそ、リズと初めて会って、あの無詠唱でありながら効果的な魔法を見たときに受けた衝撃は相当なものであった。だが、それでも、無詠唱の限界を突破したわけではないと、ルアンヌは思っていた。
もっとも、リズが見せた魔法は、かなり限定的な範囲にまで威力を落としたものであったが、それでも、まだ理解がおよぶ範囲であった。
だが、これは違う。まるで、全く違う理の魔法を使っているかのようで、理解の及ばない、普通の魔法と乖離した「何か」であると感じたのだ。
これが日本の魔法であるというのならば、日本はここまで衰退していないだろう。だからこそ、これは、この「レンヤ・ユキシロ」という人間の個人技能であることは分かる。だが、それ以上に、これだけの力を持った存在が、他の国においてリズおよび英国にしか知られていないということが恐ろしい。
ミスターアオバと称される日本人は、類まれなる力を持っていたが、それでも、その驚異的な力は、すぐに世界に露見し、だからこそ、今では世界に認められているのだ。だが、「レンヤ・ユキシロ」という全く名前が知られていないにも関わらず、それに匹敵する技能を持つ存在は、不可解でしかなかった。日本が秘匿しているにしては、こうして簡単に仏国にまで派遣されている時点で矛盾が生じる。
つまるところ、「レンヤ・ユキシロ」の真価を知っているのは、国の単位では「リズ」という存在だけである。日本でも、その力は知られていない。
だが、ルアンヌはその力を知ってしまった。「知ってしまった」ということが、この先において、大きな意味を持つのではないか、と、それは英国の次に、仏国が知ったということに意味があるのではないか、ということだ。
「これ以上に驚くことはないと思いたいのだけれども、これでもまだ、底は見せていないのでしょうから、正直に言って『怖い』としか言えないのだけれど」
ミスターアオバやリズといった、特異な存在が生まれた際に、世界中が裏で取り合いを始めた。特にミスターアオバは、日本出身とはいえ無所属。勧誘の嵐であったが、結果としてどこにもなびかなかった。彼の妻の一人は英国人であるし、それ以外にも日本人以外が妻としていることがおかしくない存在であったが、それでも、取り入るのではなく、取り込まれてしまうので、結果的に彼は「どこにも属さない」を条件に、活動が成り立っている。むろん《チーム三鷹丘》という組織に属していることは周知であるが、その組織自体、どこにあるとも知れず、何をしているとも知れないものである。
リズに関しては、英国王室に生まれているために、すでに英国に所属していることになるが、その力の一端でも借りられれば、と躍起になって婚約の申し込みが世界中から殺到する結果になった。それは裏からも表からも、である。その結果として、未だに、リズの婚約者は未定のまま。彼女のドレスと対で作られる婚約者用のスーツもリズがオーダーした仮のサイズのままである。
そして、その2人に関係あり、匹敵する存在である「レンヤ・ユキシロ」。彼も下手すれば世界が取り合う人材になる。その人材と、早い時期に知己を得たのは、仏国にとって幸運なのか、それとも……。
「別に、取って食いやしないんだから怖がることはないだろ。俺の敵になりたいっていうんだったら別だけど。それよりも、不審者たちは、いつでも捕らえられるようにできているが、裏で手を引いているやつらはどうする。捕らえることも可能だが、泳がせるか?」
その敵になる可能性が全くないのならばいいのだが、と思いながら、ルアンヌは、少し考える。そして、結論を出す。
「まず、捕らえて、回収しにったら難癖付けられるはずだもの、それは却下。捕縛して放置しても、こちらから手を出したと気づかれなくても、別のやつらが『何者かがその近辺の家で、こんなことをした。危険だから増員しよう』と言われるだけだから却下。そうなると、泳がせて、こちらに来るのを待つのが得策ということ」
むしろ、「昨日、侵入者があっただろう」と言い出すのを待った方が、その裏にいた者たちを突っぱねるのにも苦労がないだろう。
「不審者の捕縛に成功しても、向こうが監視を切らないようなら、監視先を幻覚魔法に挿げかえることもできるが、どうする?」
泳がせるには、とりあえず捕まったとしても侵入者を口実にできる、と我先に監視をやめて接触してくれば、簡単にあしらえるが、監視を続けて、ゴルフ場に作った偽物であるとバレれば、接触してこず野放しになる。
「そこまでしなくとも、向こうは安心しきっていると思うから大丈夫だと思うんだけれどもね」
裏で手を引く者たちは、監視がばれているとさえ思っていないだろう、とルアンヌは思っていた。だが、警戒するに越したことはないだろう。
「まあ、一応、そういう準備もある、ということだけは覚えておけばいいさ」
まだ、不審者を捕らえたわけでもないし、裏で糸を引いている者たちが動き出したわけでもない。そんな状況で、どうするもこうするもないだろう、と煉夜はそんな風に言った。
「まあ、今夜を乗り切れば、こんな手の込んだことをしなくても、直接突っかかってくるような奴等ばかりになるだろうから、そっちの方が楽なんだけどな」
煉夜としては、正直、このようなちまちました工作じみたものは苦手で、集団で襲ってくる敵をまとめて片付ける方が万倍楽であると思っている。そもそも、彼は「獣狩り」の異名を名乗っている時期の方が、騎士でいた時期よりも圧倒的に長い。騎士道精神なるものも確かにあるが、それはあくまで「騎士」を名乗っているときに限定される。
相手がまとめてかかってくるのならば、それをすべて吹き飛ばす、そんな荒くれものな性分の方がずっとあっているのだ。
そもそもに、煉夜や【創生の魔女】を狙う賞金稼ぎというのは、基本的に複数人で組んで、賞金を山分けすることを主にした組織である。【魔女】やその眷属は、1人で勝てるような存在ではない、と周知されているために、そういった集団で襲ってくるケースの方が当然多い。明確に1人だけを敵にするということはあまりなかったのだ。
「否定はしないけれどもね」
肩をすくめるルアンヌ。彼女も正直、こういった駆け引きは、必要だからやっているだけで、好きでやっているわけではない。そもそも政治家としてはあまり向いていない性分である。しかし、彼女の貴族家系の末裔だからと、言うのは、人の前に立たざるを得ない出自である。本人の意思に関係なく、彼女は、政治にかかわることを余儀なくされたのだ。
「さて、そろそろ、バカなネズミたちが罠のチーズにかぶりつく、か」




