230話:異界の盾と英国の秘宝
屋敷に通された煉夜を出迎えたのは、一人のメイドであった。独特の雰囲気をまとう彼女は、ルアンヌとは、また違った感じの美しさを持っていた。しかし、仏国人とは少し違う雰囲気だったので、そのメイドはこの国の人間ではないのだろうと煉夜は思った。
メイドはただペコリと頭を下げるだけであった。黒髪ではあるもの、その色合いは緑にも見えるような髪色。瞳は、青みがかかっている。アジア系ではない。
「この子は、カヌラ。仕えて、もう8年になるかしら」
カヌラと呼ばれたメイドは、寡黙なのか、と思いきや、仏国語があまり堪能ではないようであった。8年も仕えていて、それはあまりにも不便ではなかろうか、とは思うが。
「カヌラ、か。よろしく頼む」
手を差し出した煉夜に、カヌラは驚くように目を見開いた。当然ながら、多言語理解の魔法で、カヌラの最も分かる言語で煉夜の言葉が聞こえたのだから。
「お客様は、島の言葉を話せるのですか?」
カヌラが自国の言葉で話し始めたのを見て、ルアンヌが驚いた。ルアンヌからしてみればフランス語で話している煉夜が、カヌラと言葉を交わしているのだから、驚くのも当然である。ルアンヌは、まず、「翻訳魔法」が使われている可能性を疑ったが、翻訳するというのは、つまり、相手の認識に依存する。だから、魔法をかけられていない以上、煉夜が使っているのは「翻訳魔法」ではないことになる。だとするならば、考えられるのは一つだった。
「多言語理解の魔法……?!」
超高度な魔法として存在が知られている中で可能性があるのはそれであろう。ムッシュアオバのように、様々な言語を習得した、とも思えなかった。
「ああ、そうだよ。それにしても、……呪術師をわざわざメイドとして雇っているのは、何か理由があるのか?」
むろん、この呪術師というのは、カヌラである。煉夜は経験上、この手の呪術師の類を見抜くことができる……わけではなく、呪術師は独特の匂いがあるというだけである。
「カヌラは元々、ある島の巫女だったのだけれども、事情があってメイドとして雇うことになったの」
カヌラの故郷は、小さな島であった。外との交流はほとんどなく、島内だけで全てを完結させていた。そして、だからこそ、国の人間も、諸外国も、その島に干渉するようなことはなかった。だが、10年ほど昔に、その島で、世界を滅ぼそうとするほどの大きな魔力を感知したことがきっかけとなり、大規模な儀式が行われていることが判明、仏国や英国を含む5か国でその対処に当たることとなったのである。
当初、儀式の中止を呼び掛けるだけで、大きな行動をとらなかった5か国であるが、結果的に先住民族は儀式を辞めずに反抗して、特使を生贄に捧げようとしたために、戦闘となり、結果的に、その多くが捉えられたか、死亡することとなる。
そんな中、唯一、儀式の中止にうなずき、降伏していたのが、カヌラであり、結果として、仏国が儀式再発防止のための監視という名目で預かり、様々な場所を経由し、この家に来たのであった。
「なるほどな。だから、仏国の魔法とは別の系統の呪術師、というわけか」
カヌラの素質は非常に高いが、それゆえに、管理が必要となった。ここに来たのは、押し付けのようなものであったが、それでもルアンヌは、カヌラを引き受けたのであった。
そんな話をしながらも、屋敷の一室に入る煉夜たち。きれいに片づけられた部屋であった。日頃から手入れが行き届いているのだろう。煉夜は持ってきた荷物を床に置いた。
「さあ、それでは、本題に入りましょうか。いつまでも世間話をしているほど悠長ではないはずなのだから」
椅子に座り、カヌラにお茶を出すように指示しながら、ルアンヌはそういった。確かに、話が早いことに越したことはないだろう。
「まず、レ・マン湖に沈んでいるものだが、それを俺とリズはこう呼んでいる。『スファムルドラの聖盾』と」
その名前を聞いても、特に引っかかるようなところがなかったのだろう。ルアンヌは眉を上げるだけで、特にこれといった反応はなかった。
「英国に伝わっている秘宝、今はルアンヌさんが預かっている、それを俺とリズは『スファムルドラの聖杖』と呼ぶ。いや、これに関しては、俺とリズだけではなく、そういうものだと、英国王室に伝わっているといった方がいいか」
その時、初めてルアンヌの中で、今、手に持つ英国王室の秘宝を預かった正確な理由が判明した。これまでルアンヌは、あくまで、レ・マン湖の湖底で見つかったものを持ち逃げしたり、無理に奪ったりしないということを誓うような、証拠のような役割だと思っていたが、それそのものに、きちんと意味があったのだと。
「つまり、湖底に沈んでいるものは、……英国王室ゆかりのものだと、そう思っても……?」
別段、他に部屋の中に誰かいるわけでもないし、盗聴防止の魔法はかかっているが、それでも、思わず声を潜めて、誰かに聞かれないように、視線をさまよわせながら問う。
なぜなら、レ・マン湖の湖底に英国王室ゆかりの宝が沈んでいるなど、あまり公にしてはいい内容ではないからだ。
「正確には、どうなのかがわからないな。俺も王室内部の人間ではないからな」
と、そんな風に言う煉夜に、ルアンヌは、確かにその通りだ、と思うと同時に大きな疑問が沸きあがる。どうあっても、煉夜と英国王室の「縁」がわからないのだ。外国の一般人が、英国の秘宝をそうそう見る機会はないだろう。
「……MTTの一件でリズと知り合ったと、確か言っていましたけれども、それだけで、今回の一件に抜擢されるとも思えない。……あの時に、何があったのか、聞いても?」
グラジャールの輝きという組織があったことは、スパイを送っていたのだから、仏国側でも認識していたし、ある程度、その件での情報も入っていた。だが、その中に、特に、英国王室の秘宝にまつわるような話はなかったはずなのである。
せいぜい、日本で、主力の一人が負けて捕まったこと、その後、英国でグループが瓦解、残党もほとんどなく、英国にはほとんど打撃がなかったということくらいであった。
「あ~、いや、これに関しては、政治的材料になるし」
一方の煉夜は、直接、英国王室の秘宝であるスファムルドラの聖杖を見る機会があった、というよりも、直接持っているが、しかし、それは魔法盗賊ギブンに奪われたからである。「英国王室の管理の甘さ」や「警備体制がなっていない」として政治的に叩く材料には、十分に成り得るものである。だから、煉夜は言うのを渋ったのだが、
「誓って、それで英国と交渉することはない、と断言したら聞かせてもらえると考えても?」
煉夜は考える。ルアンヌはリズが信用している人間の一人であることは間違いないだろう。だが、あくまで国の違う人間である。リズが煉夜によく連絡しているのは、個人的なものというのもあるが、あくまで、日本という国が遠く、そして、魔法などにおいて大きく劣っている国だという認識だからである。
英国と仏国は因縁もあり、そして、非常に近い。だからこそ、煉夜ですら、その言葉を信用していいのか、悩ましいところであった。だが、話さなければルアンヌは納得することがないだろう。つまり、関係の不和も続く。
「分かった。一応、誓約書を書くことが前提だ。俺個人との誓約書だと、履行されない可能性もあるから、英国から派遣された護衛という立場を考え、俺を代理として、英国王室との誓約書ということにしてもらう」
できるかぎりの保険を掛ける必要があると考えた煉夜は、あくまで、折れる最低条件として、そのようなものを持ちかけた。ルアンヌも、当然、口約束で済むとは思っていなかったし、変に反論して、話を渋られてしまったら、謎が謎のままで一生涯分からないままになる可能性は避けたかった。それは、ただ謎を残したくないというのではなく、リズが持つ、謎の交友関係に関して、少しでも知っておきたかったからである。
それに、誓約書の相手を煉夜自身ではなく、英国王室にしたのは、無理はあるがきちんと考えている、とルアンヌは判断した。一国に対して、外国の一般人の誓約書など、本来はあってはならないが、なかったことになどいくらでもできる。だが、代理とは言え、国同士のまで持ち上げられたのならば、反故にするのは難しい。もっとも、この場合、煉夜に「英国の代理」としての顕現があるかと問われたら微妙なラインなので、あくまで、破りにくさが少し上がっただけである。だが、それでも十分に意味を持つ。
「さて、何から話すか。……MTTの一件で、リズ達が日本に来ていた際に襲われた、ということは把握しているだろうが、俺が、リズとアーサーにあったのは、その時だ。敵の攻撃が厳しく、リズとアーサーが二手に分かれて行動せざるを得ず、それでも、リズの魔力が限界近かった時に、偶然会って、助けたのがきっかけだな」
リズが限界近くまで追い込まれた、という時点で、どれだけ激しい追撃があったのかがうかがえたが、そこが本題ではないので、ルアンヌは特に口を出さずに黙っていた。
「まあ、その際に、敵を倒したはいいが、色々と問題が残って、俺も英国について行って、MTTとの一件に蹴りをつけることになった。が、その前に、ある問題が起きた」
それが本題か、と話の流れから悟るルアンヌは、その話の続きを待つ。一方、煉夜もじらす気などはな到底ないので、そのまま話す。
「英国王室の秘宝、スファムルドラの聖杖ミストルティが魔法盗賊によって盗まれてしまった。そこで、MTTの一件について、日本から報告が来るまでの間、俺と、その秘宝の鑑定に来ていた市原裕華で協力して取り返しに行った、ということで、スファムルドラの聖杖の存在を知ったんだ」
ようやく、煉夜が、スファムルドラの聖杖のことを知った、という経緯までは結びついた。だが、そこから先が問題だ。
「もし、そこで、秘宝を知ったとしても、それが抜擢される理由になるとは思えないのですけれども」
たかが、それだけの理由で、選ばれるというのはどう考えてもおかしい。ただし、普通は、という言葉が前につくが。
「ああ、だろうな。だが、そこには、いくつかの『因果』、……運命といってもいいものが介在していた」
その仰々しい物言いは、煉夜にとっては、ハッタリに過ぎないのだが、ルアンヌは、思わず固唾をのんだ。
「空港であったときに、俺は、『スファムルドラの聖杖』を感知することができる、といったのを覚えているか?」
さすがに、つい先ほど、とまではいかないが、少し前のことなので、それを忘れるほどルアンヌも記憶力が悪いわけではない。特に、変装を見破られた理由の一つであるのだから、印象的に記憶に焼き付いていた。
「確かに、そう言っていたと記憶しているけれども」
言われてみて、ルアンヌは、初めて疑問に思った。本当に感知することが可能なのか、と。確かに、魔道具の類であろうし、特有の魔力もあるだろうが、それだけで、感知できるようなチャチな管理が秘宝にしてあるはずもない。
「ああ、だからこそ、俺はここに呼ばれたんだよ。リズの代理として」




