225話:紅条千奈という存在・其ノ弐
砂に満ちた世界が崩壊し、元の京都に戻ろうとしていた。その崩れ行く世界をテラスから見ながら、千奈は考えていた。これまでの人生というものを。
紅条千奈として生を受け、生きてきたこれまでの人生で、ずっと蟠るように感じていた感情、煉夜に対して、ずっと感じていたものがなんであったのか。
――その『カンジョー』を『恋』と呼ぶのかはずっとわからなかった。
恋と呼ぶには曖昧で、愛と呼ぶには自覚など足りず、どうにもそういった感情ではないと分かっていながらも、その感情をなんと呼称するのかがずっとわからなかった。
――でも、わかった。これは『恋』なんかじゃないって。
そして、それが「恋」と呼ばれるものではないことが、ようやくわかった。恋と呼ぶには不純で、愛と呼ぶには「彼自身」を見ていなかった。
――ずっと、思っていたんだって。でも、それはレンちゃんじゃなかった。
幼い頃、ずっと一緒にいた雪白煉夜という少年、その近くにいた理由は、無自覚ながらも強い魔力にひかれていたのだと。千奈は、ずっと、魔力を神殿に送っていたために、より多くの魔力を送るために、強い魔力を持つ者にひかれていた。もっとも、彼女にはそんな自覚はなかったのだろうが。
そして、今、京都で再会した彼に、惹かれるものを感じたのは、郷愁でも、約束でも、なんでもなく、昔から感じていた黄金に蓄えられていた得体のしれない魔力に近い雰囲気を感じ取り、埃国の頃を思い出していたからである。
――ずっと、想っていたんだ。あの人を。
紅条千奈は恋愛感情というものをすべて前世においてきた。だからこそ、彼女がいただいていた煉夜への感情は、決して恋愛感情にならない。
「死と宝石に愛された『紅条』の娘ですかい。しかも、ありゃ、紅条愛裏の血統……、お嬢のご友人は、凄いのと知り合いだったんですねぇ」
蒼い髪にサングラスをして、くわえタバコのチンピラ風の青年が、崩壊する世界のビルの上から、神殿の方を見て、そんな風に言う。
「レンヤは昔から、奇妙な女と縁を持つからな。……まあ、我もその中の一人か」
チンピラ風の青年の傍にいたのは、オレンジ色の髪をなびかせ、腰に長い刀を差した少女である。いつぞやのビルの上にいたメンツとしては、チョコレートよりも甘ったるい髪の少女が見当たらないが。
「お嬢は、奇妙というよりは珍妙でしょうに。まあ、時折、いますよね。まるで呪われてるかのように、会う女、会う女が『訳アリ』ってやつ」
それはまるで、自分に言っているかのような、自己嫌悪を感じながら、チンピラ風の青年は苦い顔で言った。
「お前よりはだいぶマシだろうがな。しかし、我がこちらに来ているときに限って、レンヤと【緑園の魔女】が共に活動しているというのは、当てつけか何かだろうかな」
運の悪さを嘆くように、オレンジ色の髪の少女はつぶやくが、特に悔やんでいるような様子はなく、どちらかと言えば、懐かしんでいるという面が強いようだった。
「しかし、紅条愛裏と言えば、紅条愛巫……いや、今は天龍寺愛巫か。あの天龍寺愛巫の曾祖母で、あの少女の血筋的には、おそらく、曾々祖母くらいだろうな。宝石魔術の達人と噂に聞いた覚えはあるが、陽光はどの程度知っているのだ?」
オレンジ色の髪の少女は、チンピラ風の青年に比べて、知識で劣っている自覚はあった。だからこそ、知恵袋のような扱いをすることもあるので、普通に問いかける。
「まあ、お嬢は、あまり縁がないタイプの魔女ですからねえ……。ただ、強さというよりは、あれは呪いの類が恐ろしいんですわ」
実際に目の当たりにしたことがあるかのような口調で、思い出すように青年は語る。あまり思い出したくはないようではあるが。
「宝石魔術ってのは、お嬢も見たことがあるでしょう。宝石ってのは、魔力を蓄えることができるって言われてるんで、魔術付与にも向いているって話もある」
宝石には、魔力を蓄えることができるとされるものが多くある。それゆえに、魔術を付与して扱うことは少なくない。宝石魔術と呼ばれる専門の魔術を得意とする家系もあり、研究もずっとされてきたものである。
「そんでもって、紅条の特性である『宝石と死』という2つの概念に、宝石魔術はぴったりなんすよ。宝石はそのまま宝石なんですが、特に愛裏が得意としたのは、宝石に『死の呪い』を付与したものなんす」
死の呪い、と呼ばれる類のものはいくつも存在しているが、紅条愛裏のそれは、もはや呪いというよりも、「死」という結果をもたらす運命操作の域にまで達していたもので、宝石にそれを込めることで、設置型の罠や宝石をばらまいた集団即死などのことも可能で、「死」という結果を与えることに特化した、非常に危険な魔術を使うことで有名だった。
「なるほど、そういった魔術師もいるものなのだな。魔術師の本質は研究者だとばかり思っていたが」
オレンジ色の髪の少女の中では、魔術を使う存在は研究者で、煉夜のような魔法剣士や魔法拳士のような存在が別に存在していると思っていた。
「いやぁ……、研究者の類もいないこともないですけど、正直、『魔法も使える化け物』と呼ばれる類が多すぎてっすね。『氷の女王』みたいに、剣も魔法も棒も忍術もなんでもござれってやつとか、『武神』のような歩く災害とか、そういったことを考えると、魔法や魔術ってのは一種の道具ですからねえ……。まあ、でも愛裏は珍しいタイプの魔術師ってのはまさしくそうなんすけどね」
タバコを地面に落として、靴でねじり潰しながら、青年はため息をついた。肩をすくめる様子は、どうにもいろいろと思うところがあるようであった。
「おっと、無駄話が過ぎたようでさぁ……。先方も早く来いって呼んでますよ」
「……のようだな。仕方がない、行くぞ、陽光」
その次の瞬間には、世界から掻き消えるように、ビルの上には、潰れたタバコ以外残っていなかった。
英国のある場所にある王立魔法学校の一室。高名な魔法使いとして知られている老人がいた。神秘の探求を続け、いくつもの魔法を生み出した魔法学の祖として知られる彼は、希国で生まれながら、世界各地を旅して、様々な魔法を習得して、研究していった。
その結果、王立魔法学校で教鞭をとるに至り、多くの弟子を輩出していた。現、「薔薇」も彼に魔法学を学んだことがある。それほどまでに有名な彼は、5月だというのに、自室で餅を焼いて食べていた。
餅は彼の好物であった。それに、そもそも日本人でもない彼にとって、餅は季節のものではなく、食べ物としか考えていなかった。
そんな彼が、餅を喉に詰まらせて、この日、この世を去る。
それ自体は、ただ単なる、日本でも正月などに間々見られる光景でしかなかった。だが、高名な魔法使いの彼は、それですまなかったのである。
「コルキス先生が亡くなった?!」
リズは研究室でその話を聞いた際に、思わず立ち上がってそんな風に驚いたという。だが、よく考えれば、もうじき3桁にもなろうという歳であったから、特に不思議はなかった。
「死因は、やはり老衰でしょうか。それとも、事故か病気でしょうか」
特に持病があったとは聞かなかったが、年も年なので、そうだと言われても不思議ではないので、とりあえず、思いついた死因を並べてみた。
「まあ、事故と言えば事故なんじゃない?」
と、あっけらかんというのは、リズの友人であるユキファナ・エンドであった。彼女もその魔法使いのことは知っていたし、幾度か教えを請うたことがある。
「餅を喉に詰まらせて、呼吸困難で死亡。まるで、日本の正月かって死因に、若干疑ったけど、その事実は間違いないみたいよ」
元日本人であるユキファナは、昔、日本にいた頃に正月のニュースで「餅はのどに詰まりやすいので、ゆっくりよく噛んで食べましょう」と言っていたことを思い出した。そら、そうだけれど、ニュースで言うということは余程、のどに詰まらせたという人が多いのだろうと当時思ったという。
「御餅、ですか。食べたことはないのですが、まあ、なんといえばいいのでしょうか」
正直、老衰や病死ならば「御歳が御歳でしたから、残念ですが」という風になっただろうし、殺人であれば「あれほど高名な魔法使いを手に掛けるとは、犯人は余程無知だったのでしょう」と怒るだろうが、「餅」が死因となれば、正直反応に困るというのがリズの感想であった。人が一人死んでいるので不謹慎な感想であるのだが、なんというか現実感がないのである。
「まあ、ただ、普通じゃないのよね、死因がってのじゃなくて、その後が」
微妙な感想を抱いていたリズは、ユキファナのその言葉で、一気に現実に引き戻される。普通ではない、ということは、何かしらの異常が見られたということである。
「その後、というと、あなたの専門からして、『魂』に異常が見られたということですか?」
リズは、ユキファナの言葉から、何に異常があったのかを推測した。そして、それはまさしく的中していた。
「ええ、正確には『魂』に異常が見られたんじゃなくて、『魂』がなかったことが異常だったんだけれどね」
魂というものは、普通、死した後、無に帰るか、いわゆる天国や地獄といったあの世に行くかのどちらかである。そのあたりは、世界によって異なるのだが、それはこの場合関係ない。
「普通の魂は、すぐに無に帰るし、残留しててもすぐに死神とかの類が持っていくんだけれど、先生ほどの魂なら、すぐに無に帰すことはないはずなのよ。それでもその場にないってことは、誰かが持ち去ったか、どこかに移動させられたってこと」
そもそもに、ユキファナは、目をつけていた。いずれ死したなら、自分が魂を冥界に導くと。それを横取りされた形になったことに非常に不満を覚えたのだ。
「では、その謎を解きたい、と?」
「ええもちろん」
次章予告
謎の神殿での一件を解決してから少し時間が流れ、時期は5月頭、ゴールデンウィーク。
陰陽師の修行をしていた煉夜の元に、英国から一本の電話が届く。
その電話は煉夜をある国へと導くものであった。
目指すは、スファムルドラ帝国四宝の最後の一つ。
リズとユキファナは、ある事件を抱えていたために、同行できないということで、煉夜の旅に同行するのは……
――第七幕 十六章 黄金週間編




