224話:紅条千奈という存在・其ノ一
黄金など、そう簡単に手に入るものではない。財力に物を言わせればどうにかなるかもしれないが、今求めているものは、魔力を溜めることができる異界の黄金で、それらは、当の昔に各地で掘り出されて、歴史的建造物に使われているものや歴史的価値のあるものに使われていることが多い。だからこそ、そう簡単に回収することはできない。
そうなれば、現在もなお、地中にある黄金がある、というわずかな可能性に掛けて探すしかなくなる。
煉夜は、そんな状況の中、千奈のことをジッと見る。それに気づいた千奈は、首を傾げた。だが、すぐに、変わった姿を観察しているだけだろう、と結論付ける。
「なあ、千奈。お前は、自分の主人が、お前とともにあるために黄金で、復活の時まで待ち続けるという状況をどう思っている。お前もそれを望んでいるのか、それとも、……」
そこまでの言葉を、遮るように千奈は口を開く。それは、すでに覚悟を決めているというような目であった。
「レンちゃん、それを聞くのは野暮ってやつよ。わたくしは、すでに、数千年も前から、とっくに覚悟を決めていたもの」
それを聞いた煉夜は、自身の胸元へと手を当てた。この状況、黄金をどうにかする方法を、彼は一つだけ知っていたからである。胸にかけたこぶしほどの大きさの宝石を握りしめて、その名前を告げる。
「――生じよ、[黄金秘宝]」
瞬間、事務室のような部屋は、一変、塗り替えられる。その空間の所有権が、ラムセス二世から奪い去られ、煉夜の世界へと切り替わる。
「これは……、限定結界というものか……?」
そうつぶやくラムセス二世。だが、それは異なる。ここは、煉夜とリタの世界である。そして、限定結界とは異なる、しかし、それに限りなく近い事象。
「これは、レンヤ君の幻想武装。でも、これって……」
【緑園の魔女】が周囲を見渡す中、突如、まばゆい山が現れる。財宝の山。それこそ、すなわち、商人リタが生涯を賭け集めた財であり、煉夜を買った財でもある。
「枝の死神、この金なら十分に素体となるか」
そういいながら、現れた煉夜が、枝の死神に向かって黄金の塊を放り投げる。思わず受け止めようとして、その重さに、枝の死神はぎょっとする。まさしく「黄金の塊」とでもいう物体に、目を見開かざるを得なかった。
「ああ、それ、かなり高かったんやけどな。ま、ゆうても、ただの『金』やから、そこまで高うなかったけど」
先ほどまでは存在していなかった少女の声。その場にいた誰の声でもないそれに、皆の注意が一気に集められる。商人として生き、商人として死んだ少女、リタ。
「初めまして、やな。まあ、名乗るほどのものでもないんやけど。金銀財宝を集めて死んだ、商人のリタゆうもんや」
財宝の山の上に座る少女は、身ぎれいとはとても言えない。商人として、人に会う以上、最低限、身支度はしているが、それでも最低限であった。飾り気もなく、本当に、儲けることだけを考えて生きてきた商人そのものである。
「商人……、じゃあ、この財は、商人のあなたが一生で稼いだものを具現化していると考えたらいいのかしら」
【緑園の魔女】はそういいながら、財の山をまじまじと見つめる。その言い方的には、一度でも得た財、つまり、一度得て、より高い額で売ったものなども含めて、リタが生涯に稼いだものを具現化しているという言い方である。
「本当に一生涯をかけて稼いだ額や。文字通り、死ぬ寸前まで持っとった私財すべて。まあ、死ぬ前に、その一生分で最大の買い物をしたせいで、死んだときはすかんぴんやったけど」
ここにある財宝は、リタが死したときに持っていたものであり、死したその場を再構築しているだけなので、妙な具現化などはしていない。
「ほう、商人が死の寸前に全額を賭けての買い物か。それも、これだけの財をすべて賭けて買うなど、土地か家か、はたまた人、であろうな」
金が掛かるものの代表と言えば、土地と人員である。そういう意味で土地か人と、ラムセス二世は言った。
「まあ、人といえや人やろな。そこでのほほんとしとる男を買うたんや。【魔女】等の次に高額な賞金かかっとったお尋ねもんの首と同じ額の財でや」
煉夜とリタがであったのは、クライスクラ新暦1277年のことであり、メアとの出会いから19年……約20年もの時が流れている。その20年の間に、煉夜は賞金首となり、クラリスと幾度かの戦闘を経て、悲しい別れをするなどのことがあるが、クラリスの件も1270年と、それから7年経った時期である。
賞金がかかってからかなりの時間が経ったこともあり、なぜ、その額で賞金をかけられたかなどはとうに忘れられたが、それでも、長く高額の賞金を懸け続けられており、また、20年の間に、獣狩りで生計を立てていたため、そちらの勇名もあり、煉夜はそれなりに有名になっていた。
そのため、そのほとぼりを覚ますためにも、一方にある魔王城を拠点にしようとして、【創生の魔女】とは別行動をしていた。2人とも有名なので、2人でいると目立つから、という理由であり、かつ、煉夜がだいぶマシになったので、1人でも大丈夫だろうと判断されたからであった。そうした中で、商人の護衛をしながら進むことで、身分を隠しながら一方へ向かっていた。その護衛相手がリタである。
そして、リタは「金持ち病」という通称で呼ばれる病気を患っており、結果として、一方を目前として命を落とす。その際に、持っていた全額で、煉夜の首を買ったのだった。
「のほほんとしてて悪かったな。それよりも、この金塊、使うぞ」
「そら、あんたのもんやから好きにしたらええけど、ちゃんと商売はせえよ」
それはつまり、きちんと対価を要求して、対等な取引をしろ、ということであろう。商人としては当然のことである。
「分かってる。じゃあ、またな」
「ほな、また」
そう言って掻き消える世界。気が付けば元の事務室のような空間に戻っていた。まるで夢だったかのような世界の書き換えに、白昼夢かと思うほどだった。
「まさか、これほどの黄金を所蔵しているとは……。ただの一国の騎士、というわけではないようだが」
確かに、ただの騎士ならば、あれほどの財をただ所持していることはないだろう。騎士である以上、領地があるのならば、領地の経営に、そうでないのならば、主人や国に渡していてもおかしくない。それでも、なお、個人であれを保有しているのは、煉夜が、あれを手にした時にはすでに騎士ではなかったからである。
「そうですね……、境遇としては、聖人モーセに近いでしょうか。もっとも、国を追い出された理由は、かの聖人と比べれば、もっとひどいものですが、それゆえに、世界中に高額で指名手配され、逃げ延びるような生活を続けておりました。そのような折、リタと出会い、あの財で買われたのですよ」
モーセは、埃国人を手に掛けたことで、国を追い出された。煉夜の場合は、もっと重罪を犯し、国を追い出された。その後、人々を導いたモーセと違い、煉夜は放浪しながら生きていたが。
「ほう……モーセのやつと同様、いや、もっと重い罪か。まあ、それもやつと同様に、事情があるのだろう。だから、あえては聞かぬ。それよりも、この黄金の対価に、何を欲する」
ラムセス二世の問いかけ。「対価」。手に入らないものという意味では、この黄金には計り知れない価値がある。それを踏まえて考えれば、途方もない対価を要求されても文句など言えないはずである。
「対価は、とてつもなく重いですよ。それこそ、神皇であろうと、誰であろうと、払うのは難しいかもしれないものです」
重い対価。それも「とてつもなく重い」と言ってのけるそれに、思わず息をのむ。何を要求されるのか、と。
「それは『変わらぬ愛』というものです。無論、あなたが千奈に注ぐ愛のことを指します」
「変わらぬ愛?それは今以上に、愛を注げということか?」
ラムセス二世の言葉に、煉夜は首を横に振る。
「人に言われて今以上に愛を注ぐなどということはおかしな話でしょう。それに重たすぎる愛というのは、人を変質させることすらあります。だからこそ今と変わらない愛情を求めているのですよ」
愛が人を変えてしまうということは往々にしてある。重たすぎる愛というのは、一転して憎悪に変わることもある。そうでなくとも、独占欲や支配欲から相手の自由を奪うことすらもあるのだ。
「変わらぬ愛などない、とも聞くがな。なるほど、確かに難しい要求であるな。ハッ、だが、我にとっては造作もないことよ」
そう言ってのけるラムセス二世。それは確かな自信と覚悟を持って発せられた言葉であった。
「魂の移動は、埃国神話の神に頼むつもりなのですよね。修復術式を仕込みたいので、できれば私自身で魂の移動もやりたいのですが」
魂の修復術式は、複雑なものであり、魂が移動する際に欠けた部分を補修するというのならば、移動自体も術式を組む当人が担当したほうが効率の良い付与が可能だろう。
「そうか、ならば頼む。神に頼むのは、あまり勧められたことではないのでな」
「私も神には神になのですけどね」
そういいながらも、枝の死神は、ラムセス二世の魂の状況を診察し始める。特殊な目を通じて、その魂の状況を把握するのだ。
「これは……、よくこのような状況で魂を維持できていますね。半壊……というよりも壊れた一部、というような……。ここまでひどい状態だと、修復術式よりも還元術式で魔力の一部を魂に変換して魂量数値に比例した分まで戻さないと難しいかもしれませんね」
枝の死神でも見たことがないほどに、酷い状態の魂であったために、当初の予定を変更して、術式の形を変化させる。
「黄金が見つかったということは、再び、しばらく眠りにつくのですよね」
千奈がラムセス二世へ向かって問いかけた。それに対して、笑いながらラムセス二世は千奈の頭をなでる。
「ああ、だが、これからは近くにある。この黄金は、お前が持て。そうすれば、常に一緒だと言えよう。それから、しばらくは、魂が安定するまで意識すら浮上できないだろうが、その時のために、お前にこれを与えておく」
撫でる手に一瞬、力がこもったような気がしたが、そこから、ラムセス二世の魔力がわずかに流れ込んでくるのが感じられた。




