219話:スフィンクスの問掛・其ノ弐
紅条千奈が、神皇の奥方とされる人物の器である、という事実を知って、しばらく唖然としていた煉夜であったが、その状況を呑み込み、そして、何となく、様々なことが氷解していくような感覚に陥った。
「なるほど、あいつの魔力が常に一定だったのは、その関係だな……」
煉夜は、千奈の魔力が常に一定になっており、触れた瞬間に、魔力がどこかに飛ばされたような感覚になったことを思い出していた。それも、何か関係があるのだろう、と。
「奥方は、常に、『信仰』として自身の魔力をファラオに注ぎ続けていたのだ。ファラオが力を蓄え、復活することができるように、と。もっとも、肉体が復活する前に、小神殿が見つかったことで、それまでにため込んだ魔力を使い、ここまで来たようであるが」
千奈は、常に魔力を、神殿に送り続けていた。無自覚だろうと、それは、行われていたのである。そして、それを聞いた【緑園の魔女】はハッとした表情で記憶を振り返る。
「アブ・シンベル神殿近くで新しく見つかった小神殿。そう、あれがそうだったのね。なるほど、通りでわたしに縁が結ばれるわけだわ。実際にあそこに足を運んでいるもの」
そして、扉を開き、魔力を放出させたのも【緑園の魔女】である。春休みに千奈が、何かをしたわけでもないのに、倒れてしまったと言っていたのは、神殿にたまっていた魔力が解き放たれたのに引っ張られ、体中の魔力を神殿に持っていかれたからである。
「ということは、今回の発端は、件の黄金像ね。そういうこと、おかしいとは思っていたのよ。他のどの国をも差し置いて、この日本に来るっていうのも含めてね」
その流れでくれば、【緑園の魔女】は、何が原因、というか、何に神皇が宿っていたのかも理解できる。
「さて、ピラミッドの試練を突破し、このようなところまできた愚かしくも強き者よ。貴様らには、このスフィンクスの試練、『知恵の試練』を受けてもらう」
スフィンクスがそんなことを言い出したので、3人ともいぶかし気な顔をした。それを見た……顔がないので、見ているのかはわからないが、それを感じ取ったであろうスフィンクスは言う。
「なぜそのような顔をする。ピラミッドの試練……『忍耐の試練』と『勇気の試練』を突破したからこそ、ここにいるのではないか。であるならば、第一の番人、アメミットや第二の番人、ピラミッドから概要を聞いているはずであろう」
煉夜たちは、突破こそしたものの、その方法は、ほとんど無理やりに近いものであり、そういった説明等もすっ飛ばしたものであった。
「まあ、いい。この試練は、スフィンクスの問いかけに答えることができたならば、この先へと……ファラオへの謁見を許そう」
スフィンクスの問いかけ、と言われれば、有名な逸話があることは、ここにいる3人ともが知っていた。
「スフィンクスの質問というと、答えが人間の、あの問題のことですか?」
枝の死神が、そんな風に首を傾げた。その話は、有名なものである。ただし、それ以上を知っているのは、煉夜と【緑園の魔女】である。
「確かに、それはスフィンクスの有名な話だけれど、ごあいにく様、このスフィンクスではないのよ」
【緑園の魔女】がため息でもつきたげに、肩をすくめながら言った。それに付け加えるように、煉夜も言葉を続ける。
「まあ、ギリシア神話に出てくるスフィンクスは、獅子の体に、人間の女の上半身がくっついてる化け物だったしな。どちらかと言えば、ケンタウルスとかそういうのに近い見た目だったし、人を食らう化け物だ」
オイディプスの話に登場するスフィンクスは「スピンクス」と女性系であるように、人間の女性の上半身に鷲の翼があり獅子の体についたものだったとされる。
「埃国のスフィンクスというのは、強いものの象徴である獅子に、偉大な神と同一の存在である神皇の顔をつけたもので、向こうの化け物とはまるで違う存在よ。そもそも、このスフィンクスという名前すら、昔、そう使われていたものではないし。なんていう名前か分からないから、似たような存在であったギリシア神話のスフィンクスを名前として当てがっただけの風評被害も甚だしいものよ」
同じようにスフィンクスと称すから、混同してしまいがちだが、発祥が全く異なる地域の全く別のものであるため、決して同じではない。つまり、エジプトのスフィンクスが、「朝は四つ足、昼は二つ足、夜は三つ足、これなぁんだ?」などという問いかけはしない。
「まあ、それでもあえて『スフィンクスの問いかけ』というということは、それにひっかけてあるのは確かだろうがな」
そうでなければ、わざわざ「スフィンクスの問いかけ」などということはなく「この謎を解ければ」などと言えばいいだけの話である。
「貴様ら、その知識、驚嘆せしものであるが、問いかけは問いかけである。その問いかけの内容は、『ファラオの名は何か』である。無論、この先にいるファラオのことであり、他のファラオではない。そして、この解答権は1人1人に作用するものである。そして、同じ答えを使うことは許されない。ファラオはおっしゃられた。『我が名を知らぬものに会う価値などない』と」
埃国の歴史に強い【緑園の魔女】はその答えを既に導いていた。されど、残りの煉夜と枝の死神がわかるかどうか、そこが難しいところであった。
「なるほどな、それで、答える義理はあるのか?そのままお前を倒す、ということもできるが……」
少し考えるものの、煉夜は「ツタンカーメンとクレオパトラ」くらいしか答えられないな、と判断し、答えず突破する方法を考えた。
「倒したところで、ここからは出られない。答えを口にすることが、ここを出る鍵となるだけだ。むしろ、扉を失って永遠に閉じ込められるだけである」
つまりは、ここを出るには、3つ別の解答を用意しなくてはならないのである。【緑園の魔女】ならばそれも可能である。
「ちなみに、ここで相談するというのはいいのかしら?」
だからこそ、直接教えれば、すぐにでも終わる。埃国の神皇というのは、いくつか名前を持っているものである。だからこそ、その無数の名前を3つ程度なら、すぐにでも答えられるというものである。
「ならぬ。これより、ファラオの名を解答の時以外に口にすることはならぬ。それ以外の相談であれば構わぬ」
しかし、それが完全に封じられている。ヒントを与えてどうにかなるようなものではない。人名というのは、ヒントを与えられても難しいものである。例えば、「か」から始まるや「き」で終わるといわれても、「かつき」、「かずき」など、いくらでも出てくる。ましてや、それなりに長い名前である。
「名前……、意識……、あ!」
だが、そこで【緑園の魔女】はあることをひらめいた。少なくとも、煉夜には、それを伝えることができるという方法を。
「まず、わたしから答えるけどいいかしら」
そうと決まれば行動は早かった。【緑園の魔女】はスフィンクスに問う。それに対して、スフィンクスは「よかろう」と答えた。
「『ウセルマアトラー・セテプエンラー』」
簡潔に、その名前だけを告げた。これは、その神皇の即位名であった。それを聞いたスフィンクスは言う。
「正解だ。『ウセルマアトラー・セテプエンラー』はファラオが名である」
「え?」
スフィンクスの言葉にかぶるように、煉夜がそう声をもらした。そして、しばらく考えるように、黙り込んでから、煉夜は、その名前を口に出す。
「『ラーのマアトは強く、ラーに選ばれし者』」
煉夜の解答も正解であったようで、スフィンクスは、【緑園の魔女】が答えた時と同じように言葉を返した。
「……、えっと、確か……、そう、『ラムセス二世』ですね」
そして、それに続くように、枝の死神は解答する。彼女に関しては、煉夜の解答を聞いて、別の名前を知っていることに気づいただけであるが。
「3名とも正解だ。貴様らはファラオへの謁見の権利があると見なそう」
そういいながら、スフィンクスは消え、空間の歪みのようなものが現れる。どうやら、突破できたようだ、と煉夜はホッと胸をなでおろす。
「しかし、よく解答できましたね。おかげで私は助かりましたが、即位名でその名前を連想できるほどに知識があったんですか?」
枝の死神が、そんな風に煉夜に問いかける。無論、そんなはずもなかった。先に言ったように、煉夜が知っている埃国の著名な名前など「ツタンカーメンとクレオパトラ」くらいなのである。
「いや、これは【緑園の魔女】がうまくやっただけだ。正直、あれがなけりゃ、ダメだっただろうな」
あっけらかんという煉夜に、枝の死神は、「は?」と思わず声を漏らした。そもそもにして、魔法を使っているような気配もなかったのに、どうやって伝えたのか。
「『ウセルマアトラー・セテプエンラー』というのは『ラーの正義は力強く、ラーに選ばれた者』という意味の言葉なのよ。でも、レンヤ君は多言語理解の魔法がかかっているから、この言葉を、わたしの中で一番理解しやすい形、『オジマンディアス』として聞き取るの。だから、レンヤ君はスフィンクスが繰り返したときにわたしの言った名前と別の名前が聞こえて戸惑ったのよ」
多言語理解の魔法とは、相手の言語を煉夜が理解しやすい形で得るものである。ただし、そう言われても理解できないものに関しては、相手の中での理解しやすい形で伝わることが多い。
例えば、ギリシア語を知らなくても翻訳されたものが理解できるわけだが、それでも意味の通じないものは、相手の中の理解しやすい形で翻訳される。複数の意味を持つ言葉なども翻訳されるのは、その場合の相手の「最適」が作用するからである。
だからこそ、「ウセルマアトラー・セテプエンラー」を直訳すれば、「ラーの正義は力強く、ラーに選ばれた者」と訳されるわけだが、人名であることは前提として存在するわけであり、それを人名として訳されるときに、【緑園の魔女】の「最適」である「オジマンディアス」が煉夜に聞こえた。
一方、スフィンクスの中での「ウセルマアトラー・セテプエンラー」の「最適」は「ウセルマアトラー・セテプエンラー」であるため、そのまま聞こえたのだ。
ここから、煉夜は、多言語理解の魔法のことを悟り、「オジマンディアス」の名前を答えたのである。
そして、それを聞いて、枝の死神が「ラムセス二世」というもう1つの名前を答えることで試練を突破できた、というわけだ。




