218話:スフィンクスの問掛・其ノ一
石を、かけている部分にはめ込むのは、そう時間がかからなかった。すでに、場所は、枝の死神によって把握しているし、はめ込むものも煉夜が作っているから、最短の道で、手早く終わらせることが可能だった。
「ここで最後か……」
そう言って、確認している限り、最後の場所に、石をはめ込んだ。その瞬間、ガゴンと大きな音がして、ダンジョン全体が揺れ始める。天井と外壁が崩れ始めた瞬間に、煉夜たちはピラミッドの外へと追い出された。
「おお……、見事に、崩れてくな。てか、これなら、最初にぶっ壊しても変わらなかったんじゃないか……?」
そんな風に、崩れ行くピラミッドを見ながらつぶやいた。だが、ただ崩れるだけではなかった。
「ていうか、ただ崩れてるというより、なんか、崩れながら、うごめいてくっついてない?」
ピラミッドを構成していた石たちが、集まって、まるでゴーレムのように、人の形になっていく。巨大な人の形になっていくのを見上げながら、煉夜はため息を吐く。
「こういうのも、ある種定番ではあるが、……戦隊ものとかそういう日曜日の朝にやっている系列の」
呪いのピラミッドの定番というよりは、子供向けヒーロー番組における定番のようであった。しかし、一応、この空間を脱する鍵ではあるようであった。
「あの心臓部にある魔力の塊が、この空間の出口につながる魔力ってことか?なら、とっとと、あのデカブツを叩き潰そうぜ」
そう言いながら、煉夜は、聖剣アストルティに魔力を込める。黄金の光を放つそれを振るった瞬間、巨大な人型のゴーレムの足は切り飛ばされた。まるでだるま落としのように、そのまま胴体部が落下する。
「さすがね、レンヤ君。まあ、大きさは幻獣並みでも、強さがこれじゃ、こうなるのは当然かもしれないけど」
確かに、大きさだけで言えば、緑猛弩亀に匹敵しそうなほどであったが、すべての幻獣や超獣、神獣が大きいわけではないので、一概には言えない。緑猛弩亀は、幻獣の中でも大きい部類である。
「さて、と、残りも切るとするか」
煉夜は、軽々と光を伸ばして、ゴーレムの腹部、両腕部、頭部を立て続けに切り飛ばす。そうして、残った胸部の石が崩れて、空間に裂け目を生み出した。
「なぜか、正式な攻略法ではない気がしてやまないのですが」
そんな風に、枝の死神がいうが、残りの2人は、特に聞く耳を持たずに、空間の裂け目に向かって歩き出している。
そうして、ピラミッドの空間を抜けた先にあったのは……あるいは、いたのは、というべきか、大きな怪物である。――スフィンクス。そう呼ばれる存在がそこにあった。ただ、一般的にそう呼ばれるものとは異なる部分も存在する。
「顔のないスフィンクス、だと……」
煉夜は、目の前にあるそれに対して、忌々し気につぶやいた。目の前にあるのは、いわゆるスフィンクスであるのだが、ライオンの体とネメスという頭にかぶるものはあるが、肝心の顔がなかった。
「レンヤ君、大丈夫よ。これは、レンヤ君の思ってるのとは違うものだから」
【緑園の魔女】は苦笑する。正直なところ、顔がないスフィンクスといえば、あるものの化身をされるワードを思い起こさせる。
「あくまであれは『顔のない黒いスフィンクス』でしょう?これは黒くないわ」
顔のない黒いスフィンクス。それはナイアルラトホッテプの別の名前、あるいは化身とされるものである。
クトゥルフ神話と呼ばれる、ある意味では最も新しい神話に登場する外なる神の一柱。ナイアルラトホッテプとは、無貌の髪とされ、いくつもの名前と顔を持つという。顔のない黒いスフィンクスや這いよる混沌など様々な名前があり、古代のエジプトで信仰されていたという話も神話では語られている。
「第六神話世界の欠片から生まれた最も新しい神話、ですか。私は詳しくないのでわかりませんが、では、このスフィンクスの顔がないのはなぜなのでしょうか」
スフィンクスは、一般的に獅子の体に、人の顔を持つとされている。しかし、現に目の前のスフィンクスと思しき存在には顔がない。
「それは、このスフィンクスの元になった神皇が生きている……あるいは、そうとは限らないにしても、魂が召されていないということでしょうね」
スフィンクスの顔は、一般的に周知されているもの以外にも顔が存在する。本来は神皇の顔を彫っていたので、言い方としては逆かもしれないが。一般的に広く知られているのは、ギザのピラミッド近くにあるギザの大スフィンクスの顔であろう。ナポレオンが破壊したとか、してないとか言われているそのスフィンクスであるが、その顔はアメン=ラーの顔が彫られたものである。アメン=ラーは、偉大なる神皇として、すべての神々の主とされるようになり、以降のスフィンクスには彼の顔が刻まれるようになった。
だが、本質的には、スフィンクスと神皇の顔を持つものであるため、目の前のスフィンクスは、その神皇の顔が彫られていないので顔がないのだと思われる。
「その通り、我が顔は、ファラオの顔が刻まれるはずのもの。しかし、ファラオは、現在、この神殿の上で、奥方とともにいるはずだ」
まるで脳に響くかのように声が響いた。それは目の前のスフィンクスのものだったのだろう。
「神皇と奥方……?正室ってことかしら。古代エジプトにおいて、子供がきちんと育つ可能性は低かったから、正室も側室も子供を産めや増やせやの時代だったはずだし」
神皇は基本的に男性である。女性が務めることがないわけではないが、有名なクレオパトラなどの数少ない女性神皇を除き、ほとんど男性であったため、医療が発達していない以上、子供が必ずしもきちんと育つという保証もないことから、血筋を絶やさないために、多くの子供が求められるのは必然であり、そのために正室以外に側室を幾人か囲うのも、時代を考えればおかしな話ではないと言えた。
「ああ、その通りである。ファラオは、死する前に、ハトホル神に頼んでいたのだ」
ハトホル神は、諸説あるが、基本的には、美と愛、そして豊穣を司るといわれている女神である。牝牛の顔を持つとされており、癒す力を持つともされている。
エジプトの神話において、冥界を司るとされることが多いのは、犬やジャッカルの顔を持つとされるアヌビス神であるが、ハトホル神も同様に、死者を冥界に導くとされたり、死者を守る女神とされたりすることがある。
「いつの日か、その肉体が復活せし時に、妻の魂もまた、肉体へ導くように、と。しかし、約束が果たされる前に、ファラオの奥方の体はバラバラにされてしまい、よみがえることは不可能になってしまったのだ」
スフィンクスの言葉に、枝の死神が眉根を寄せた。「肉体が復活するときに魂を戻す」などというのは、死神の領分のことである。冥界に携わる女神という意味では、ハトホル神も死神と言えなくはないのだろうが、問題はそこではない。
「肉体が、復活する……?」
死して、魂が抜けた後に、肉体は朽ちる。どうにか劣化を抑える方法も考えられているが、一般的には、朽ちて果てるものである。肉体ごと復活するような、まさに「奇跡」と呼べる事象はそうそうない。
「ミイラのことよ。ミイラっていうのは、ただ単に、死体を安置するっていうのとは違うの」
【緑園の魔女】が、枝の死神の疑問に答えるように話す。いわゆるミイラというものは、死体を、防腐薬などを使い、さらに包帯で巻くことによって風化などを防ぐことで、肉体を維持するものである。先ほども出たアヌビス神が、死者の魂が、生前罪を犯していないか天秤で決め、罪があった、重かった場合は、来世で復活することができなくなる。
肉体の保存というのは、魂が戻ることを考えて、いずれ、来世で復活するという意味で去れているものである。それゆえに、いずれ、復活する肉体であるが、そのうちのいくつかは、研究のためにであったり、環境のせいであったりで、失われてしまうことがある。
スフィンクスの言う奥方という人物も、また、ミイラが失われてしまった存在なのであろうと、【緑園の魔女】は言う。
「そう、そして、破壊された肉体に変わり、ハトホル神は、その魂を、最も近き器に移した。その者を、チナ・クジョウという」
そして、そこに来て、煉夜は、初めて、自分が来た理由という部分に結び付くのだった。黄金が原因ではなかった。あるいは、そこにも原因はあったのかもしれない。だが、それ以上に、紅条千奈という人物との「縁」。それこそが、煉夜がここにいる理由であった。
「馬鹿なことを……、いくら器が近かろうとも、魂を移して、それがまともに機能するはずなど……」
呆然とする煉夜とは別に、枝の死神がそうつぶやいた。
転生、そう呼ばれるものが、事実としてありえないわけではない。実例で言えば、何より、ここにいる【緑園の魔女】という存在こそが、その最たる例であるのだから。しかし、ながら、【緑園の魔女】は、世界のシステムとして、そういう存在と定義されている。それはいわば、規模こそ小さいものの「終焉の少女」などと同じ仕組みである。だからこそ、そう生まれるべくして生まれた体に、入るべくして魂が入るため、元々の魂が消えるなどということはなく、それらに、元の魂などというものは存在しない。
だが、紅条千奈の場合は違う。もともと、紅条千奈として生まれているのであって、神皇の奥方なる存在の器だけが生まれたわけではない。そして、通常ならば、魂量数値などで示されるように、魂の器が元の魂の分と転生分の魂の両方を許容できるキャパシティがなければ、どちらもの魂もが崩壊するような結末が目に見えている。
だが、紅条千奈という人物は、その器を、すなわち、人の魂が2つ入るだけの器をもって生まれた、「天性」の存在であった。もしくは、三鷹丘という土地柄に影響された、という可能性がないわけではないが、彼女は天性の魔力と魂の器を持って生まれて、「神皇の奥方」とされる人物の魂をその身に押し込めることに成功してしまったのだ。
「それは、ある意味、ファラオの神としての天運であったと言えるだろう。まさしく『ラーに選ばれし者』という名にふさわしき方である」




