213話:目を覚ませば砂の国・其ノ弐
その日、目を覚ましたのは、いつも通りにけたたましい目覚ましが鳴ったからであった。外見は子供子供と揶揄されるが、年相応に大人なので、それなりにお酒を飲んで寝ることもある彼女は、その日も同じように熟睡し、目覚ましアラームによって目を覚ます、いつもの通りの日常を送り出そうとしていた。
なお、酒類を買う際は、特定の店舗しか利用しないことにしている。もはや、年齢確認をされることに慣れきっているが、稀に、年齢確認にまでいかないこともあるため、常連として浸透している場所でしか買わないのだ。
そうして、若干、散らかった部屋で、顔を洗って、朝食のパンを準備しながら、カーテンを開ける。晴れ渡る空、そして、舞い踊る砂。
思わず、目を点にする。異常気象かと思って、テレビの電源を入れるも、特に何もないかのように全国の天気が表示されていた。
何度か外の様子を確認して、彼女は思う。「夢かぁ……、寝よ」と。しかし、当然のことながら、夢ではない。
ふと、窓から空を見上げると、天には黒い渦が見えた。そして、彼女は、それを知っているような気がする。深きところに存在する冥府。サンガネルの砂漠の地下深くに存在したその場所によく似た気配。
死を司る存在のいる気配が漂っていた。それを認識した瞬間、自身の中の「自分ではない何か」が表層に浮き上がる。
赤い殻が生まれ、それを破った先にいたのは、子供ではなく大人。燃えるような赤い髪に、輝ける銀色の瞳。虹色ではないのは、この度の顕現に「勝ちたい」という意思が介在しなかったためだろう。
焔藤雪枝……、あるいは、枝の死神は、冥界の気に中てられ、いぶかし気に空を見上げる。おそらくは、他の誰にも見えないであろう、冥府への穴は、それでも確かに、ある場所の上空にぽっかり開いていた。
死の気配は、人に良くない影響を与える。だから、彼女は、その場所……京都タワーがあったはずの場所を目指して動き始めた。
京都タワーのあった場所に建つ不思議な建造物は、異彩を放っていたが、それを気にするものはほとんどいなかった。それが当たり前のものであると認識しているからである。人々にとって、それはただの神殿に他ならない。
埃国において、神殿というものは、神を祀る場所ということは確かにそうであるが、それ以上の意味を持つ場合が多い。古代の埃国では、その地を支配するものは、神の名を名乗ったり、名前の一部に入れたりすることが多く、それはすなわち、神と同一の存在であることを証明していた。それゆえに、離れた手の届かぬ神を祀ろう場所というだけではなく、目の前にいる神のいる場所でもあったのだ。
その神殿なる奇妙な建造物の前に、煉夜が到着するまで、さほど時間はかからなかった。魔力で強化された足では、市内などさほど時間はかからない。ましてや、屋根の上を伝っていったので、さほど大きな障害などなくそのまま、たどり着いた。
砂埃がひどかったが、煉夜には大して苦にならないため、ただまっすぐ進んだだけである。
「さて、と、奇妙な建物だが、こいつが原因……ってわけではなさそうだな」
そんな風に煉夜が呟いた通りに、この建造物が原因というわけではない。それをどう判断したかと言えば、往々にして結界には起点が存在する。通常、その起点を壊すことで、その暗転魔法を破ることができ、一種の対暗転魔法の定石ともいえた。
普通は、魔法の発動者が起点となることが多いが、場合によっては、起点となる「もの」を用意することもある。宝石であったり、文字であったり、場所であったり、それは場合によって様々だが、一つ、どうしようもない特徴としては、魔力を放出せざるを得ないということである。
結界とは、張り続けるものである。そのため、常に魔力の消費が伴う。場合によっては、その限りではないが、通常はそうである。
例えば、稲荷家周辺の結界は、土地の霊力に依存しているため、いわば、土地が常に張り続けているものである。
つまり、物でも人でも、それ自体が魔力を放つ。このような規模になれば、その発動の魔力を隠すのを併用することはほとんど不可能といってもいい。
ただ、建物の中の魔力が、なぜか見通せない。だから、一概に、これが原因ではないと断言はできないのだが、煉夜としては、この中にある何かが原因であると考えた。
だから、どう攻め落とすかと考えていると、近づいてくる気配を感じた。かなりの速度で迫ってくるその気配は、見知ったものだったのでその方向を見やった。
「レンヤ君……!」
【緑園の魔女】こと初芝小柴。彼女のことを煉夜は「おふてんちゃん」と呼んでいるが、今日は、向こうが「お兄さん」ではなく「レンヤ君」と呼んでいるので「【緑園の魔女】」と呼ぶことを決めた。
「よぉ、やっぱり無事だったか……。そうなると、高い魔力を持っているから無事なのか、それとも、向こうの世界を知っているから無事なのか……」
そう言って、煉夜は幾人かの顔を思い浮かべる。煉夜と同様に別の世界にいっていた入神沙友里、どうにもいろいろと規格外なミスターアオバこと市原裕華、高い魔力という意味では英国で折り紙付きだった焔藤雪枝。
しかし、煉夜の知っている知識だと、裕華は春休み前から見確めの儀がある頃まで、京都を空けると聞いている。そうなると、沙友里と雪枝がどうなのか、という部分である。
「おそらく、だけど、……特には関係ないと思うの。レンヤ君は、どうしてだか分からないけど、わたしは今回の件に縁があるはずだから」
埃国、それで小柴が思い浮かぶのは春休みのことである。特に、アブ・シンベル神殿知覚に新しく発見されたという小神殿の遺跡は、かなり濃密な魔力がたまっていた。それを解放したことと、今回の一件がどうにも彼女にはつながっているような気がしたのだ。
「縁がある……か……。悪いが、俺はさっぱりだ。むしろ埃国とは、本当に何の縁もないと思うぞ」
どう考えても、煉夜には埃国との接点が出ない。そもそも、有名なピラミッドやスフィンクスなんかは、どうあっても知るものだが、それ以上となると、煉夜は知るきっかけが特に思い浮かばなかった。せいぜい、雷司の家にあったカードバトルをする漫画の終盤に出てきたくらいのものだ。
「……もし、あれがそうだとしたら、そういう縁が?でも、そんなわずかな可能性で」
煉夜の返答を聞いた【緑園の魔女】は、少し考えるようにぶつぶつとつぶやき出す。しかし、どうにも確証が得られないようで、わずかな沈黙ができる。
「レンヤ君。埃国の金ってどこから来たか知ってる?」
そんな前後の文脈をぶった切った言葉が、沈黙の果てに返ってきたのだった。急に何の話だ、と思ったが、煉夜は素直に答える。
「いや、知らない」
ツタンカーメンの黄金のマスクとかそういったものは、煉夜も知識としてあるので、埃国に金があることは知っているが、それがどこから来たかなど調べようとは思わなかった。
「一説によると、ナイル川に堆積していた砂金を集めたものだそうなの。でも、いくら広いナイル川で、その上から下まで集めつくしたとしても、紀元前5000年ころからあったとされる国。それにしては金がありすぎるとは思わない?」
ナイル川の砂金という説は、千奈たちも博物館で話していたようにポピュラーなものである。そして、ナイル川が地中海につながっているとしても、どれだけ堆積していたというのか。どこから流れてきたのか。あらゆる疑問がつきまとう。
「だが、砂金ってのはいわゆる金を集める方法としては有名だろ。ゴールドラッシュだって発端は砂金の発見だ」
煉夜の指すゴールドラッシュとは、米国のカルフォルニアでのゴールドラッシュのことである。アメリカン川で砂金が発見されたことがきっかけに、一獲千金を目指して多くの人が集まったことをゴールドラッシュといい……のちのゴールドラッシュと分けるためにカルフォルニア・ゴールドラッシュと呼ばれることもある。
「まあ、そもそも、鉱石としての金は発見しづらいからね。砂金となると、川が余計なものを流してくれて、また、金として堆積しやすいので……という話はあまり重要じゃないの」
そう、正直な話、金の見つけ方はどうでもよかったのである。【緑園の魔女】は、ある一つの仮説を説明すべく、煉夜にこの話をしたのだ。
「レンヤ君は、『アル・グレン王国』って知ってる?」
その王国は、この世界の王国ではなく、別の世界に存在したものである。その名前を聞いた煉夜は、しばし、考えてから答える。
「ユリファが言っていたことがあった気がする。かつての大戦でほとんど何も残らないくらい消えた国ってくらいしか知らないが」
「うん、そう。あの大戦争の戦地に近かったから仕方がないんだけどね。そのアル・グレン王国はね、鉱石産業が盛んだったの」
煉夜がいたのは、その大戦の終結から1000年以上後の世界であるため、当時のことは聞き伝う程度でしかない。
「特に、魔力の込められる宝石。幻想武装のものとは違って、ただ単純に魔力を込められる、というだけなんだけど、その需要は計り知れなかったわ。ぶっちゃけ消し飛んだのもそこにある宝石にありったけ魔力を込めて起爆剤にしたのが要因の一つだとは思うけれど」
大戦争は勇者や魔王のような外野も含めて、大乱戦になっていた。その一つの合図というか、仕掛けとして【虹色の魔女】が仕掛けたのが、その爆破である。ただ、それはあくまで、倉庫にあったものを爆破しただけであり、その程度なら国が半壊する程度で済んだだろう。
「レンヤ君は英国で見た鎧とか、それから……スファムルドラの聖杖を覚えているかな?」
また、話題が切り替わる。それに対して、煉夜はうなずいた。さすがに、まだ数ヶ月である。特に聖杖は、煉夜とも切り離せない話であった。
「実は、大戦争には、スファムルドラ帝国も参加していてね、その時にスファムルドラの聖杖とスファムルドラの聖■は行方不明になったの。他にもシュヴェネザの槍とかね」
そう、行方不明になったはずだった。それが、この世界で確認されている。そこまでたどり着いたとき、煉夜は、この話題の意味が分かった。




