192話:獅子と虎と龍と……?
――群雄割拠の戦国時代。関東の中でも優勢を誇る後北条氏。無論、突出して強いわけではない。周囲も強いものが多く、それでも優勢を誇っていたのは、「上手かった」という、ただそれだけであった。
北条早雲から始まる後北条氏の系譜で、上手さで人一倍巧妙であったのは、「北条氏康」であろう。
「獅子王君が北条氏康っていうのは、初耳なんだけれど本当なの?」
北大路夜風は、そんな風に自身の知人に聞いた。夜風にとって、氏康は【獅子王の獅子】と呼ばれた仲間でしかないのだ。正確には、かつてのリーダー、【霧山の天狗】クシャルデ・コンコータの直属の配下なので、プライベートな付き合いまではないが、それでも人となりを知るくらいには交流があった。
「あくまで一世界でのことで、全世界の北条氏康がオレってわけではないがな。証拠も一応、ある」
そう言いながら、氏康は隊服を脱ぎ捨てる。彼女らの着る隊服は、いわば学ランのような形状の服であり、上に来ているのを脱ぐのはそう面倒なことではない。しかし、問題なのは、氏康がその下に何も来ていないことである。半裸の少女の絵図が出来上がる。まあ、本人が特に気にしていないうえ、女性の割合が多く、残りの男性としても妻帯者であった鷹雄やその手のことにはめっぽう強い煉夜が妙な反応をすることもないので、そのまま話が進む。
「大森のもんなら、これでわかるだろ?」
そう言いながら、背中に魔力を集中する氏康。そこには「禄寿応穏」の印のようなものと後北条氏の家紋である「三つ盛鱗」が浮かび上がっていた。
「あれは……『禄寿応穏』!」
「禄寿応穏」とは、後北条氏で使われた虎の印章である。意味は様々な推察がされているが、民草への宣言のようなものであるともされる。その証が氏康の背中に、家紋とともに浮かび上がる。その意味を檀は知っていた。
「間違いなく、北条の……、北条家の直系であり、かつ、家を継ぐ資格を得た者」
後北条氏において、その次の代を継ぐにあたり、その体に家紋と「禄寿応穏」を授かる。かの時代において、氏康が他の武将たちとも戦えたのは偏に、この「禄寿応穏」のおかげといっても間違いではなかった。
甲斐の虎には「御旗盾無」が、越後の龍には「毘沙門天」が、というように、戦国時代において、戦国武将の家柄というのは陰陽師との結びつきが非常に強かった。一廉の将ともなれば、その家のお家流があった時代である。尾張の織田が弱卒と言われたのもそこが原因である。尾張は、周囲と比べて、その家柄に陰陽師との結びつきが少なかったのである。
そして、後北条氏における力こそが「禄寿応穏」というものだ。
禄寿とは「福禄寿」における「福」である子宝を除く、「禄」である財産と「寿」である長寿。「応」が応えるという意味であり、「穏」が落ち着くことである。「財産と長寿が落ち着くように応える」という意味であり、これを民に約束するという風にとらえられていることが多いが、それだけではなく、自身に約束をすることで、後北条氏の長い繁栄を誓ったものでもあった。
もっとも、氏康は、息子にこれを継がせることなく、この世界から消え去ったため、病によって死去したこととなり、後北条氏は終わりを告げたのであるが。
「そういうことだ。まあ、オレが北条の人間であり、かつ、その血統である証明にはなったろう?」
そう言って上着を羽織る。周囲には沈黙が流れるだけであった。この人物が言っていることが本当だとしたら、どうすればいいのか、そう考えるものや、はたまた、言っていることが超次元的過ぎて困惑しているものなど、理由は様々だが、結果として訪れたのは沈黙だ。
そんな折、煉夜の知覚域に、見知った気配が飛び込んでくるのがわかった。領分、というよりも治める土地柄的に隣であることは煉夜も知っていたが、このタイミングで飛び込んでくる理由は何か、それを迷い、微妙な顔をした。
そして、その場の沈黙をかき消すように、ひとりの女性が現れる。珍しく制服でも全裸でもなく、一般的な格好をしていた。
「だぁ~、もう、なんだってワタシがわざわざこんなところまで……」
そんな文句を言いながらも、現れた女性こそ、武田家当主である武田信姫であった。そして、彼女は、煉夜を見かけると、ため息を吐いた。
「信姫、お前がわざわざ顔を出すなんて思わなかったが、何の用だ?」
先ほどまでの静寂が破られた影響か、ほとんどが信姫と、そして会話をする煉夜に目線が引き寄せられる。
「あいにくとワタシだって来るつもりはなかったわ。県境を見張らせるくらいで済ませるつもりだったんだけれどね……、ご先祖様が」
煉夜に対して、微妙な空気なのは、三ツ者が持ってきた彼の過去に関する情報のせいだろうか。そして、「ご先祖様」という言葉で、煉夜は、信姫の登場理由がようやくわかったのだった。
「ああ、そういえば、お前の力はそういう力だったな」
煉夜の言う力とは「御旗盾無」という武田家の式札を元に呼び出される式神のことである。源氏に伝わる鎧であった盾無に宿る、源氏たちの成れの果て。そして、その中には、ある人物も含まれる。
「なんじゃ、ずいぶんと奇妙な姿になったのう、氏康」
信姫の背後に浮かぶ、赤い甲冑の武将。それを見て、氏康は、にんまりと笑い、ガハハハとおじさん臭い笑い声をあげて、武将に言う。
「久しいなあ、晴信殿。元気そうじゃないか」
死人に対して「元気そう」という氏康のそれは、天然か、わざとか、おそらく後者であった。それに対して、晴信と呼ばれた人物は言う。
「ふん、病死したというのは嘘だとは思っていたが、そのような姿になっているとは思わんかったわい。いや、奇病でその姿になったんか?」
むろん、軽口の冗談であり、本当に奇病で少女の姿になったとは、彼も思っていない。晴信こと、武田信玄。病死、あるいは、暗殺されたといわれている戦国武将にして、その強さは「甲斐の虎」と言われた人物である。
「死人が2人。八幡神が気になってきてみれば、ここは地獄の底だったのかのう?」
知覚域に突然、何かが現れ、煉夜ですら反応ができなかった。それは日傘をさした上品な雰囲気を漂わせる少女であった。煉夜と、そして鷹雄にすらも気づかれずに、この周辺に入り込むことができるのは尋常ではない。
「なんじゃ、毘沙門天。当代のは随分可愛らしい依り代じゃないかのう」
毘沙門天。八幡神と並ぶ武神である。知名度で言えば、ダントツでこちらの方が上であり、仏教由来の武神として有名である。他にも財宝なども司っているとされる。別の呼び方として「多聞天」というものも存在している。
かつて、「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信こと長尾景虎は、その毘沙門天の生まれ変わりを自称したとされており、出家癖があったとされるほどの仏教徒である。
「かつての景虎殿も女子であったが、そこまで華奢では無かったろうに」
そんな氏康の言葉の通りであった。
長尾景虎は、女性説がある。理由としては小柄だったことや子供がいないことなど、いくつかある。小柄、というのも、後世に残された書物の中には偉丈夫とするものもあったが、小柄とするものがいくつかあり、鎧からも身長は当時の平均以下であったとされることからきているものである。また、子供がいないというのは、子供がすべて養子であったことが原因であるが、仏教徒あったため、五戒の一つを守ったということも考えられるが、他の五戒を守っていないため物議をかもしている部分でもあった。
少なくとも、この世界においては、女性説の通り女性であった。毘沙門天の依り代として、長尾氏に生まれた少女に軍神が憑いたのである。
「戦の形が変わったのでな、そう大柄である必要もなくなったのだ」
世界中における戦いの形が、個の武から軍の武に変わったからである。銃をはじめとした新しい武器の形。かつて神話の時代は、神が最大の力を持ち個の武を誇り、大規模な攻撃を持っていた。それが人間の時代では個の武として、どれだけ鍛えたかが戦いの決め手となる時代となり、そして、今は武器の時代である。どれだけ早く武器を放つか、どれだけ早く当てるかが結果を左右し、ボタンを押す、あるいは引き金を引く、それだけで鍛えていないものが簡単に勝者となれる時代。そして、それをどれだけ集められるかの軍の時代である。それまでの一騎当千の個を重視する形から、数がいればいいという軍を重視する形へのシフトが毘沙門天の依り代に影響を与えている。
「世知辛い世の中、というよりは、つまらない世の中じゃのう」
この中での唯一の死者である信玄が、当時と比べてそういった。「つまらない」とそういった、人が簡単に死ぬ世界であることを。
「確かに、それは言えてるな。オレもいろんなところを見て回ったが、やはり人同士で殺り合わん世界はどれもつまらん。当たっても食らいつく、死にかけても食らいつく、死に物狂いで食らいつく、そういったもんが全部なくなって、当たりゃ死ぬ。そしたら全部が恐怖に挿げ変わる。熱も何もあったもんじゃねえな」
それは戦国時代を生き抜いた「侍」ゆえの感覚か、「武士」ゆえの矜持か、「戦馬鹿」ゆえの無謀か。なんにせよ、彼らは異質であった。
戦いというのは、殺し合いであり、それゆえに楽しむという感覚なぞが生まれるはずもないのだ。しかし、彼らは違う。侍と呼ばれる人種は、異なる。戦国時代という約130年間、あるいは、侍が生まれて以後、日本という島国で戦い続けた人種は、戦いそのものの認識が大きく異なる。
今でこそ、平和ボケだのといわれる時代ではあるが、朝廷や幕府というものが存在している中で、幾多数多の戦いを繰り返した侍とは、鬼と変わらぬ。
切り合いを好み、戦術を使い、土地を奪い、物を奪い、すべてを治めるべく戦い続けた。
獅子も虎も龍も、あるいは魔王や鬼ですらも、侍と名乗り、争い続けたのだ。
だが、それに近い感性を持つ者が2人ばかりいる。1人は皐月鷹雄である。彼は、蛮族やあるいは裏切り者たちと戦い続けた。その後もいろいろな場所でいろいろな戦いを目にしてきた。そんな彼もまた、騎士道というものを持つゆえに、今の戦いを好まない。
そして、雪白煉夜。彼もまた、そういった戦いに身を投じてきた。魔法などという大きなものもあるが、いわばそれを戦国時代の種子島こと火縄銃に置き換えた程度の認識でいいだろう。その場合、魔女たちだけ戦国時代にミサイルを携帯しているようなものであるが。我流の剣で切り結び、数多の敵たちと下していた煉夜も、現代武器の戦争をあまり好まないだろう。




