191話:勝って兜の緒を締めよ
「山姥切ってのは、なんで山姥切って名前だか知っているか、キャステル」
唐突に、そう話を切り出されて、道中のキャステル・ジグレッドこと北大路夜風は、少女の姿を取る知人レオリーシュ・ルクスレーヴェとあだ名されていた存在に対して、微妙な顔をした。
「そりゃあ、山姥を切ったからじゃないのかしら。たいていそういうものでしょ?鬼切しかり。後はへし切みたく、へし切ったとかいうパターンもあるけれど、山姥切ったなんて造語聞いたこともないし」
夜風の回答は、彼女の望むものだったらしく、いやらし気ににやりと笑う。それに対して、やはり、夜風は眉根を寄せて、いやそうな顔をするのだった。
「そう、そうだろう。普通そう考えるよな。いやいや、キャステル、お前さんの考えをバカにするわけじゃないし、普通はそうだ。ただし、あの刀だけはちょいと変わってるんだよ」
そう言ってから、一息置いて、彼女は「じゃあ、山姥って具体的にどんな妖怪だか知ってるか?」と再びいう。日本の妖怪に明るいわけではない夜風だが、印象で一般に語られるところの山姥という妖についてはある程度分かる。
「山に住まう老婆の妖怪でしょう?人を食らうといわれている」
おおよその認識としてはこのようなところだろう。そして、それは間違いではなかった。この山姥切も、その妖怪である山姥……雷隠神社付近に住んでいたとされる山姥を切ったから山姥切と呼ばれるようになったといわれている。
「ああ、他の言い方だと鬼女とか鬼婆ってやつさ。そう、『鬼』だよ『鬼』」
鬼、とされるものは、古来より日本に数多く存在している。その一種ともされる山姥であるが、それがどうしたのだろうと、夜風は再び微妙な顔をした。
「山姥切ってのは、……『鬼刀・女切刃』っていう長義の刀だ。山姥を切るんじゃねぇ、山姥が切るんだよ」
腕、脚、腹、と刃返鋼が刺さり、全身に痛みを感じる檀。だが、それとは別に、手に持つ、それから脈動のような力が伝わってくる感覚があった。そう、檀の持つ刀こそが山姥切である。その山姥切に身を任せるかのように、檀は、体の感覚を手放した。
「あ~あ、手を出す気はなかったが、こうなりゃ、仕方ない。久々のシャバを楽しませてもらうか」
檀の口から発せられたそれは、檀の言葉ではない。
山姥の伝承は、日本各地に残っている。もっと言うならば、西洋圏でいうところの魔女伝説に近しいものがある。その正体に関しては様々な説があり、巫女であったり、鬼であったり、白人であったり、と一定しない。
日本各地といった通り、東北地方の伝承である遠野物語や山姥切の元となった長野、他にも四国など、一定するものではない。
しかし、少なくとも、この山姥切の元となったのは、鬼の子であった。鬼と人間の間に生まれた娘。鬼と人の子というのは、特異な存在であることが多い。いわば、半妖とされる類だが、謎の変異を起こしていることも多い。
山姥切の元となった娘、名を初。見た目はほとんど人間と変わらないが、なぜか、その土地の食物を豊かにするという力を持っていた。
後に初野姫として郷土信仰されるも、鬼の子というのが知られ、山奥に逃げることとなった。半端な信仰と鬼としての力から、結界のような地場が形成されて、人を惑わせていたという。それを退治しにやってきた男もまた、惑い、我を失い、初野姫を害そうとした。しかし、初野姫の力で、男は正気に戻る。
そして、男は、初野姫を嫁に向かい入れ、害そうとしたときの刀と一着の着物を渡す。「初」は「衣」に「刀」。献上品としてこれ以上のものはない。
しかし、鬼の子であった初野姫は、人とは年の取り方が異なったために、奇異の目で見られ、しだいに、その奇異の対象は男の方にも向くようになる。そして、男は殺されてしまうのだった。初野姫は、そのことに怒り嘆き苦しみ、角が生え、牙が生え、鬼のような姿を取り、男からもらった衣を着、刀を振り回し、周囲の町の人間を皆食らい、最後にその刃で自身を刺し、命を絶った。男にもらった衣はボロボロになり、鬼の姿で刀を振り回す。それを後の人は「山姥」と呼び、その刀を「山姥切」と呼んだ。
「邪魔だな……」
檀は……否、初野姫は、体に刺さった刃返鋼を無理やり引き抜いた。それに後取は唖然とする。それはそうだろう。そうそう抜けず、抜くには回復が邪魔をするという代物として作ったものを、簡単に抜き取られたのだから。
「馬鹿な、そう簡単に抜けるはずは……」
その様子に、初野姫はため息をつく。檀も後取もであるが、根本的に考え違いをしているのである。
「鬼の体を人の意識で動かそうとするからそう感じるだけで、鬼の意識で動かせば、蚊に刺された程度の感覚だよ」
痛いと思うから痛い、それは、病は気からと同じように、感覚に作用されるものである。檀は、生まれながらに、今と同様に多少の傷ならすぐに治る力を持っていたが、感覚的に、無意識で、他人が痛いと思うことは痛いのだ、という刷り込みがある。その有無が檀が人であり、初野姫が鬼であったところなのだろう。
そして、鬼と人が明確に分かたれたことにより、その差は歴然となる。ただの人間である後取と鬼と化した檀。ただの人間では、真の鬼に敵う道理もない。
決着はあっという間であった。刃返鋼をすべて打ち返して、一気に駆け抜け、その首へと山姥切を突き付ける。それを決定打に、西園寺後取は降参するほかなかった。
煉夜も南十字家とはすでに決着をつけていた。西園寺後取が降参し、西園寺派の家臣たちも煉夜に捉えられたまま、南十字家も惨敗、となると、もはや反抗勢力はないに等しかった。
後取を降参させた後に、檀は、すぐに元に戻った。山姥切に宿っていた初野姫の意思もすでに感じられない。
こうして、西園寺家の反乱は幕を閉じた、……かに思えた。しかし、
「油断大敵っちゅうやつや」
すべてが終わり一息つく檀の元に、大量の攻撃が降り注ぐ。すでに煉夜が迎撃態勢に入っていたが、その手を止めた。
「あ~、なんていやいいんだっけ?」
攻撃の直線状に一人の少女が現れる。大きな太刀を持つ少女は、レオリーシュ・ルクスレーヴェとあだ名されている存在だ。
「親父殿の言葉を借りるなら『勝って兜の緒を締めよ』ってやつだな」
言いながら、すべての攻撃を叩き落した。煉夜が手を止めたのは、彼女の出現を感知していたからである。
「な、なんや今の」
攻撃の主、南十字イリノは、驚愕のあまり、口をぽかんと開けるほかなかった。これ以上、予想外の人物が介入してくるとは想定していなかったのだろう。
「風魔の技、みたいだが、未熟だな。小太郎のやつには程遠い」
大きな太刀を鞘にしまい、煉夜の方を見る。鷹雄もそうであるが、あの段階で迎撃態勢に入っていたのは、彼女もわかっていた。
「それにしても面白いやつもいる。オレが敵だったらどうするつもりだったんだ?」
あのタイミングで、彼女が敵で、煉夜たちを抑えに行っていたならば、檀が攻撃を防ぐ術はなかっただろう。
「それならもっとうまい登場の仕方があるだろう。それにそうだったとしても、どうにかできたさ」
それは慢心ではない。現に、あのタイミング、あの位置ならば、どうにかすることも可能であっただろう。
「へえ、面白いことを言いやがる。名前はなんていう?」
煉夜は、名乗るかどうか、少し考えてから、名乗ることを決めた。一応、敵ではないと判断を下したのである。
「雪白、煉夜だ」
その言葉に、彼女は目を見開いた。聞いたことのある名前だったからである。そして、笑いながら言う。
「雪白……煉夜、ハッ、ヴィサリブルの言っていた野郎か。っと、悪いな名乗らずは礼儀を欠いてるな。【獅子王の獅子】レオリーシュ・ルクスレーヴェっていうものだ」
【獅子王の獅子】と名乗る少女。その由来は、手に持つ太刀、「神刀・獅子王」に由来するものだ。獅子王とは、平安時代の刀とされ、源頼政に下賜されたといわれている。獅子王は今、3振りあり、1振りは源頼政に下賜、1振りは宮浦神社、1振りは彼女の持つもの。これら3振りは同じであり別の刀である。
「いや、この場所、小田原城では、こう名乗った方がいいか。北条氏康ってな」
北条氏康。後北条氏の三代目当主とされる人物であり、「相模の獅子」とあだ名された人物である。
「ちょっと、獅子王君、安全を確保するために先行するって言って出てきたのに、老いていくのはひどくないかしら?」
氏康を慌てて追いかけてきたと思しき、北大路夜風が姿を見せる。北大路夜風の関係者である、ということは、信頼の度合いも一つか二つ上がるというものだ。
「その安全のために駆け付けたんだがなぁ、キャステル、お前、腕も勘も鈍ってるな」
「年中、あっちこっちふらついてるあなたに比べたらね」
互いに軽口をたたき合う様子は、友人のように見える。そして、さらなる来訪者が2名やってくる。――因縁の再会である。




