019話:初芝重工社長令嬢誘拐事件其ノ参
そして運命の日は来た。幻獣緑猛弩亀・ガベルドーバが根洞冬眠に入ってから3日目の昼。煌々と照り付ける日差しに、気が滅入るような暑さ、視界を遮るほどの砂塵舞う砂漠。まるで険しい試練を自然が与えているかのような常人には厳しい環境。だが、此処にいる3人の人間は、それぞれ常人ならざる超常の存在だった。
神に反逆した愚かな魔女と民に言われる彼女、数多な龍を屠り民草を救うキッカ、幻獣を狩ることを生業として生活費を稼ぐ賞金首のレンヤ。
それぞれが異常な存在だけに、それすらも相手取る幻獣の強さと言うものがよくわかるだろう。ただ、彼女は本気を出せていなかった。砂漠、あまりにも水が不足した環境で植物を生やすというのは自然の摂理に逆らうもの。自然を操る彼女であるからこそ、それを行うには多大な魔力を消耗しなくてはならなかった。特に目の前のあの巨体に対抗するべき魔法ともなればかなり難しい。そして、本気を出せていないのは彼女だけではなかった。龍族相手ではないキッカもまた万全に力を振るっているわけではないし、レンヤもまた……。
だが、それでも目の前の幻獣、ガベルドーバを排さなくてはならない。このような危険な存在を放っておいたならこの周辺地域は壊滅するだろう。いくら辺境で人が居ないとしても通る人間も住む人間もいないわけではない。それを犠牲にしていいわけがない。それゆえに3人はその力を振るうのだ。
ガベルドーバの沈む周辺の地面が徐々に盛り上がり始めたことで彼女達は、その目覚めを察した。前もって準備をしていただけに、すぐに対応できた。そして、レンヤは状況を見て覚悟を決めるのだった。
(場合によってはアレを使わざるを得ないか……。クラリス)
一瞬、氷林の方を見たレンヤだったが、すぐさま目の前に対峙するガベルドーバへと目を向けた。そして、レンヤは彼女に声をかける。
「【緑園の魔女】、水があれば多少なりとも魔法は使いやすくなるか?」
その言葉に彼女は頷くほかなかった。しかし、空は雲一つない快晴。雨が降りそうな雰囲気もなければ、聖剣使いのレンヤが魔法を使えるとも思っていなかった彼女とキッカは何をする気だ、と思った。だが、レンヤは背にかける聖剣から手を離し、ガベルドーバへ向けてまっすぐに手を伸ばし、唱う。
「【我が主が名を持って告げる――
霊脈の底、悪辣なる神の血、深き眠り、
六の願い、八の守護、導き手は我が主の心の中、
――天より落つのは月空の涙、すなわち『創生』の水】」
瞬間、ガベルドーバの周囲に天から海が落ちてきたのではなかと思わんばかりの水が流れ落ちる。彼女はその魔法を知っていた。それだけにその驚きようは大きなものだった。
「【創生の魔法】……?!なんでレンヤ君が!」
【創生の魔女】、それは【緑園の魔女】である彼女と同じ6人の魔女の1人。その魔法を使えるのは特殊な人間のみだったはずなのだ。それを彼は使って見せた。だが、そこまで思考してから彼女は、考えるのを辞めた。なぜなら、これはレンヤが作ったチャンスなのだから。このチャンスを無碍にするのは愚かなことだ。だから彼女は魔法を放つ。
「【我が名を持って告げる――
霊脈の底、悪辣なる神の血、深き眠り、
六の願い、八の守護、導き手は我が心の中、
――緑は天を覆い、風は嵐となりて、砂は岩となりて、それは自然が楽園を生む一つの過程、すなわち『緑園』への第一歩】」
地面から籠となるように植物が天へとのびる。地面は砂が水に濡れたのを固め堅い地盤に、そして、砂嵐の風は嵐に変貌しガベルドーバを襲う。どのくらいダメージが与えられるか、倒せるか、とそんなことを思った時だった、籠と嵐でよく見えない空間に、奇怪な閃光が迸る。そして、それがそのままレンヤを襲った。速すぎる一撃、光の速さで迫る攻撃に気付いたのは彼女だけだった。
「レンヤ君っ!」
レンヤに閃光が届く寸前、彼女はレンヤを範囲の外へと突き飛ばす。覚悟はできていた。死しても、また生を受けるのだから。彼女がかつてキララ・タナートだったように、今はキーラ・ウルテラであるように。だから、
「――おい【緑園の魔女】ッ!」
レンヤの悲鳴にも似た叫びが周囲にこだまする。彼女は笑った。最期の時だというのに柔和に、レンヤに笑いかけた。
「――じゃあね、レンヤ君。これでお別れだよ……」
溶け逝く記憶、バラバラに消し飛びそうな身体、それらを感じながら彼女はそう言った。そして、そのまま消え逝く。
「くそがッ!俺は、また……、過去を封じたために未来を……失うのかッ!」
煉夜の悲痛な叫び、彼女の視界に涙をこぼした彼と、その胸元で寒々しい濃紫の光を放つ宝石が目に入った。そして、レンヤはその宝石に手をかける。
「だから、もう、俺は決めた!キッカ、巻き込まれるなよッ!行くぞッ、クラリス」
彼女の意識はそのまま消える。ただ、ただただ、極寒の冷気に導かれるように、感じたことのないほどの冷たさと共に。
そして、彼女は意識を取り戻す。長い長い記憶の夢から覚めても、まだ目の前は真っ暗だった。ただ、近づいてきている、それでもまだ少し遠い位置にある気配には気づいていた。彼が来ればこの事件は解決してくれるだろう、と彼女は思った。助けられるお姫様を気取るのも悪くはない、と思いながらも、魔女がお姫様と言うタマではないか、と苦笑した。そして、手に魔力を纏わせ、手錠を引きちぎる。手が自由になれば後は目と口と足を自由にする。そして、自分が引っ越しトラックの荷台に居ることが分かると、彼女は魔力の纏った手で壁を殴り壊す。いくら魔法を扱う魔女と言えど、この程度の壁ならば壊すことは可能だ。
淡く緑色を纏う髪を靡かせながら、彼女は、壁の壊れる音を聞いて寄ってきた誘拐犯を昏倒させていく。あくまで殺しはしないだろう。
そして、全ての誘拐犯を昏倒させたあと、魔力を解いて少し歩くと、駆け寄る足音が聞こえてくる。彼女は一瞬身構えたが、その足音と共によく知った声が聞こえてきたので、安堵すると同時に、やはりあの子は少し抜けている、と思う。馬鹿やアホではなく「お馬鹿」や「間抜け」と言う表現がされそうな子だ。
「お・ふ・て・ん・ちゃ~ん!助けに来たよぉ~!」
敵地でそんなことを叫ぶあの子に、たぶん彼は呆れているだろうと、彼女は思った。実際その通り、彼はあきれ果てていたが、敵が来ないことも不思議に思っていた。
「火邑ちゃん、こっちだよ」
彼女はささやかに火邑に声をかける。火邑は彼女……小柴を見つけるなり駆け寄ってきた。小柴は微笑む。
「ありがと、火邑ちゃん、助けに来てくれて」
(そして、――ありがとう、レンヤ君)
彼女の胸の蟠りはすっかり解けていた。彼女の記憶のレンヤ・ユキシロと目の前の雪白煉夜は僅かな成長を除いて一緒だったからだ。もう、何もかもが分かる。
「おい、おふてんちゃん、誘拐犯はどうしたんだ?」
彼が話しかけてきた、その事実だけで小柴の頬は緩みそうになる。なんて単純何だろうか、と小柴は自分でも思ってしまった。
「ああ、それなら向こうで伸びていますよ。皆さんお揃いで」
あっけらかんとにっこり言ってのける彼女に、流石の彼、煉夜も驚いた顔をしていた。そんな煉夜に向かって彼女は冗談っぽく言う。
「大丈夫ですよ、お兄さん。お兄さんもご存じのとおり、わたし、こう見えても強いので」
「いや、知らんが」
煉夜とのやりとりににやけそうになるのを抑えながら、小柴は言う。今ある幸せをかみしめながら、煉夜を実感するように。
「いいえ、知っているはずです。わたしの強さも弱さも、ね」
その笑みは、まるであの時の、2日目の夜のキッカと同じ悪戯っ子のような笑顔をしていた。からかっているような真剣なような、そんな顔を。
「……覚えがないんだが、なんのことだ?」
「さて、何のことでしょうね」
うふふ、と笑いながら、小柴ははぐらかす。まるで煉夜を手玉に取ろうとするように。煉夜も煉夜で言い知れぬなつかしさのようなものを感じていた。それが何か分からないままに。
そして、それを近くのビルの屋上から見る影があった。ゴシックロリータ調の衣服に身を包み、その腰には身の丈よりも遥かに長い大太刀が下がっている。黒と白が基調の服に対して、髪の色がよく映えていた。その近くには、もう1人、別の影がある。
「お嬢、会わなくていいのかい、古い友人何だろう?」
もう1つの影、黒いスーツに、サングラスをかけて、ボサついた頭をした一昔前のチンピラ風の男。くわえているタバコからは煙が上がっている。その煙を睨みつけてから、その男を胡散臭そうに見る。
「昔から我は、陽光、其方のことを嫌っておる。それを知っていて、わざわざ我の前に顔を出すのだから其方はつくづく酔狂な奴だ」
嫌味ったらしく言う少女に対して、もう1人の方は、やれやれとでも言いたげに肩を竦めて、おどけた口調で言う。
「昔からと言うほどの長い付き合いはないし、顔を出すのはオジキから頼まれてっからだよ。特に、頭の固いお嬢のことを、な」
それ以外のことも頼まれている、とも言いたげな彼は、下の煉夜や火邑、小柴たちを見て、興味深そうにサングラスの奥の眼を光らせる。
「ほぉ、こいつはおでれぇた。魂を器に移し替えているってこたぁ、お嬢、ありゃ、世にも珍しい……」
何かを言おうとする彼を少女が止める。そして、皮肉な笑みを浮かべて、彼に言い放つ。
「別段珍しくはない、とも言えないが、最近は頻発しているらしい。もしかしたら、その辺を探せばいくらか湧いて出るほどに、な。特に京は霊脈なんかがしっかりとした魔力のたまり場、それが人にどう影響を与えるかなど分からぬからな。ここじゃなければ、三鷹丘でも探すといいさ」
そう言って、彼女は笑う。そして、小柴たちの方を見て、心で思うこともある。それはいろいろと押し殺した感情だ。
(ふ、生き返るならば、そう言ってほしかったな【緑園の魔女】。我の親友よ)
オレンジ色の髪を靡かせて、彼女は屋上に佇む。心に思う大事な友人たちを眺めながら。




