180話:夜の帳が落ちる時――覚悟のあり方
英気を養うべく、それぞれがそれぞれの時間を過ごし、そして、一日が過ぎようとしていた。煉夜は、感じる焦燥を押し殺し、夕暮れから星空に変わろうとする空模様を見ていた。別段、星が好きなわけではない。ただ、見上げて、息を吐くだけ。
あいにくの空模様。星もあまり見えない曇り空。その雲海の奥に、宝石のように散らばる星を思いながら、煉夜は胸元の宝石を握りしめた。
制約という名の蓋をして、目をそらし、覚悟を遠ざけてきた自分との決別は、もう済ませた。――覚悟を決めた。
向こうの世界でも、この世界でも、制約として、使うことを封じながらも、幾度となく、力を使ってきた。それは、もしかするならば、もう一度、会いたかったからなのではないか、そんな風に、自身で答えを導いた。
――クラリス・フォン・ドグラム。
――リタ。
――イスカ・リオン。
――アンリエット=ヴィルネスとイルヴァ。
そして、――メア・エリアナ・スファムルドラ。
煉夜が愛し、煉夜を愛し、そして、無残にも散っていた女性たち。ここに含めるのならば、もう1人、
――【緑園の魔女】キーラ・ウルテラ。
愛した女性をその魂に押し込み、己と一体とし続ける、それは禁忌に触れる異端の行為。そもそも、魂の容量や幻想武装の宝石の大きさから、普通は不可能な所業だった。しかし、それを可能にするまでの魂量数値を持ち、そして、スファムルドラ帝国に伝わる普通足りえない幻想武装の宝石を得た彼は、それを可能にしてしまった。
その常識の埒外的偶然は、おそらく神すらも意図したものではなかっただろう。そういった意味では、獣狩りのレンヤという存在そのものが偶然の産物であるともいえた。
何せ、初めて神獣を倒したのは、クラリスの幻想武装による氷結である。しかして、どこまでを偶然と呼ぶかは、神のみぞ知ることなのだろう。
煉夜の魂に宿っているのは6人の女性、そして、それらは6の属性として割り振られている。クラリスが水、アンリエットとイルヴァが火、リタが土、というように、である。この属性の割り振りというのもあくまで便宜上、魂の中で混濁しないように、というだけのことだ。クラリスの水こそ正確であるものの、黄金を土と置いたリタや燃え盛る館を火と置いたアンリエットとイルヴァなどに無理があるのは、そのためだ。
そして、彼女たち6人は、共通していることと、ある1人だけ他の5人と異なること、というものがある。
煉夜が、普段から[結晶氷龍]を使うのにも、それが関係していた。[黄金秘宝]や[炎々赤館]、そしてイスカの幻想武装もそうであるが、武器ではない。無理やり属性に当てはめたものである。だが、そこは関係ない。クラリスを含め、リタ、アンリエット、イルヴァ、イスカ、この5人の幻想武装は、煉夜が普段から使うことができるものであった。
武装としてはクラリス、日常やどのような幻想武装か聞かれた時のごまかしにはアンリエットとイルヴァ、そのほかリタやイスカも適宜使うことができる。
しかし、ただ一人、メア・エリアナ・スファムルドラを宿した幻想武装だけは、使うことができていないのだ。
英国で、リズが、「今のレンヤ様の御心持ちでは、もう一面が表層に出て呑まれます」といっていたように、覚悟なくしてそれを使えば、御しきることはできない。
そう、メア以外の5人とメアの決定的な違いは死因であった。
クラリスは、煉夜との決闘の最中に神獣銀猛雷狗にやられて死亡した。
リタは、有害な金属による金持ち病を患い、病死した。
アンリエットとイルヴァは館を襲いに来た野盗に殴られ、刺され、抉られ、焼かれ、死亡した。
そうして、皆、煉夜に看取られて、その魂とともにあることを許し、幻想武装となったのである。
しかし、メアだけは違う。メアだけは、その例外であり、そして、不完全といってもいい状態でもある。メアの死因こそが、煉夜が魔女にも並ぶ高額な賞金が懸けられた理由でもあり、始まりでもあった。
メアと再び会うというのは、それだけで「覚悟」しなければならないことである。制約という名前の蓋で押し込めていたそれと向き合わなくてはならない。そう思ったからこそ、今日、「覚悟」を決めたのだった。
おそらく、一撃だけであろう。この日、使うことができるのは、きっと。だが、それでも、煉夜は、それを使う。
そうやって覚悟を決めた煉夜とは別に、ある覚悟を決めたものがもう一人いた。皐月鷹雄と呼ばれている男だった。
彼には、借り物の力と称する力が多くある。だが、それとは別に、彼自身の力も当然ある。彼が英国にいたころは、借り物の力を使わずに、自身の力で生き抜いていた。むろん、今が手を抜いて自身の力を使っていない、というわけではない。
その力は、あまりにも強大過ぎたのだ。とても人に使うべき力ではない。かつては戦争であった。それゆえに万全に振るったが、今は、違う。
檀には借りがある。しかし、この日本という情勢を考えれば、むやみに殺していいはずがなかった。
だが、此度の相手は、人に非ず、獣で或る。故に、其の力を解き放つことも考えた。
それはある種の覚悟でもある。この日本で、その力を解き放つという「覚悟」。それは、彼にとって大きな意味を持つ。
彼も、おそらく、煉夜と同様に、一撃かぎりになるであろう。その剣を振るうことができるのは。
皐月鷹雄という男は、自身を「太陽である」と評した。そして、「月」と呼ぶべき対の存在がいることも認めていた。太陽と月。昼と夜。光と闇。それらは対極の存在であるとされる。
皐月鷹雄が太陽であれば、あの迦具夜姫の末裔は紛うことなき月であろう。対。
されど、鷹雄は、気づいてしまった。雪白煉夜の中には、「太陽」と「月」が同時に存在しているということに。それを光と闇という言い方に置き換えるならば、奇しくも第二典神醒存在が言っていたことと同じことである。
古来より、対の力を両方使えるというのは、異質であり、異端であり、そして、それは、バランスが崩れていることの象徴であった。鳳泉夜空のように。
――その片鱗を見てみたいと、思ってしまった。
それは、単なる好奇心ではなく、可能性を知りたかったからである。だからこそ、きっと、この一件が片付いたとき、彼は、煉夜に一つだけ頼みごとをするだろう。
だが、それもこれも、この一夜を乗り越えられれば、の話である。
夜の帳が落ち、そして、いよいよ運命の夜が始まる。煉夜と鷹雄は、大森家から離れた森の中にいた。
超大な神獣を相手に、大森家を壊されないため、そして、煉夜の力で壊さないため、という処置ではあるが、それも気休め程度だ。本当に激戦になれば、この足柄山地はおろか、神奈川県、そして関東地方、日本そのものすら危うい。
煉夜の手にはスファムルドラの聖剣アストルティが握られている。一方の鷹雄の手にも剣が握られていた。
今までの戦闘で、鷹雄が見せてきたのは槍であった。しかし、今回は剣。正直に言えば、あまりよくない。煉夜が[結晶氷龍]を使うと、周囲を凍らせながらの戦闘になる。その際、槍による投擲で攻撃するのが望ましいのだが、鷹雄はあえて、その剣を選んだ。
分類でいえば、大剣という分類なのだろう。煉夜の持つアストルティよりも一回り大きい剣であった。銀色に光り放つそれは、煉夜の金色と対をなすようにも見える。
あいにく、借り物なうえに偽物なそれは、それでも十分な力を秘めていた。これで、今日、神獣金猛獅鷲が出てこない、という可能性も煉夜たちの持つ情報だけでは十分にあり得るのだが、煉夜は感じていた。今日である、と。
ほとんど勘でしかないそれは、それでも如実に彼の脳を、心を刺激していた。
決戦の時は近い。おそらく、血を流しあい、果てるまで戦う、そう、それは決戦というよりも血戦となるだろう。この一夜の血戦が、すべてを決める。
次章予告
――獣の声が世界に響く。
現れる金色の神獣。それに立ち向かうは、2人の男。血みどろの戦が始まる。
そして、西園寺・南十字両家は、同時に檀と宮の殺害に動き出していた。それを阻むのは豹変者と守護者。明かされる「禁黄」と宮の力。すべての事件は終わりに向かう。
――ここにあるは太陽か、月か
――東西南北の家がここにしのぎを削る
――第六幕 十三章 一夜血戦編




