018話:初芝重工社長令嬢誘拐事件其ノ弐
彼女の言葉に彼は以外にも冷静だった。魔女、この世界では特別な言葉である。恐怖の象徴にして最悪の化身、諸悪の根源とされる存在。そんな彼女を彼……レンヤは一切畏れなかった。見るものが見れば異様だと彼のことを表するだろう。まるで価値観が根本的に異なっているかのようなそんな様子がレンヤからは感じられた。
「そうかい、【緑園の魔女】。じゃあ、さて、あの化け物と対面と行くが、魔女なら戦えるよな?」
レンヤはそう言って彼女に微笑みかける。彼女にとっては初めての感覚……ではない。よく似た経験をかつてしていた。そして納得する。
(ステラの思いは……こういう感覚だったのかな)
友人のことを思い浮かべながら、彼女はレンヤに対して言葉を返す。無論、向かってくる幻獣に対して構えながら。
「もちろん。レンヤ君こそ、わたしの攻撃に巻き込まれないようにね」
そんな強気なことを言って微笑む。心地いい雰囲気に彼女は思わず笑みがこぼれていることに自分で驚いていた。
そこに巨大な幻獣の前を、刀を構えて走る少女の姿が見えてくる。砂漠の砂の中でも目立つ炎のような淡いオレンジ色をしている。まるで人形の様に端正で可愛らしい顔立ち。大きな青い眼。そして、その身に似合わない大ぶりの大太刀。
「チッ、龍種じゃないとこのザマかッ!」
そんな風に少女は独り言ちる。そしてそのまま少女はレンヤと彼女の元へと駆け寄るや否や早口に捲し立てる。
「その風体、男の方は獣狩りのレンヤ、女の方は【緑園の魔女】と見た。我はキッカ・ラ・ヴァスティオンと申す。手を貸してくれんか?」
見た目に合わない古風な喋りをする少女。その少女の名前を聞いた瞬間にレンヤは悟った。レンヤも聞いたことのある名前だったのだ。
「龍殺しのヴァスティオンか!」
龍、当の昔に絶滅寸前になった稀少な幻獣。中には神獣にまでなっているものも少なくない。だが、その絶対数が少なく出会うことはないという。だが、それだけにであったが最期、もう生きては帰れないと言われる魔女と並んで畏れられる、いや、魔女よりも数が多いだけに場所によっては魔女よりも畏れられる恐怖の象徴。
「ヴァスティオン……、あのラ・ヴァスティオンの血脈……、ヴィフィオ・ラ・ヴァスティオンの末裔?」
そして、彼女にもその名は感慨深いものであった。そして、その名ならば龍殺しの異名にも得心が行くというものだった。襲い来る龍を何度も退け討ち取ることが出来るのは、世界でも有数の龍殺しの一族だからだろう。
「いいぜ、手を貸す……が、流石にあの大きさ相手は初めてだ」
レンヤが迫りくる巨大な化け物に対してそう言った。彼女もつられてその巨体を見る。神獣銀猛雷狗よりも巨大で、まるで見た目はカメのような体躯だが、かなり速い。厄介な相手だと彼女は唸る。
「幻獣緑猛弩亀か……、厄介だな」
鞘から抜いた聖剣アストルティを構えるレンヤ。その剣を見たキッカはやや驚いたような顔で言う。
「その剣、スファムルドラの聖剣か?」
スファムルドラと言う名前も彼女の頭に引っかかったが、今はそちらに気をまわしている余裕はなかった。だから、彼女は己の中にある魔力を活性化させる。
「【我が名を持って告げる――
霊脈の底、悪辣なる神の血、深き眠り、
六の願い、八の守護、導き手は我が心の中、
――緑の手は地中より伸びて、その地に縛り付ける】」
彼女の魔法は、幻獣緑猛弩亀・ガベルドーバの周囲から無数の蔦にも似た植物を生やし、ガベルドーバの身体を縛っていく。
「これが【緑園の魔女】の魔法か」
ただ蔦を生やすくらいならその辺の魔法使いでも不可能ではない。だが、これは規模が違う上に、ガベルドーバをも封じる強靭な蔦などそうそう生やせない。そして見る者が見れば、その蔦一本一本に濃い魔力が込められているのが分かるだろう。
「ふむ、全ての自然を操る、と言うのは伊達ではない、と言うことか」
その言葉の意味が分からず彼女は首を傾げたが、レンヤの方は眉根を寄せた。語源の問題だろう。
「おい、キッカ、お前、なんで『伊達じゃない』って言葉を知っているんだよ。まさか……」
そのことをレンヤが問いただそうとしたとき、ガベルドーバがその口を大きく開いた。魔力の流動が起こる。レンヤは問答をしている場合じゃないと悟って、アストルティを構えなおす。そして巨大な魔力の流動は、ガベルドーバの口から魔力を纏った泥の塊として吐き出される。
「ちっ、アストルティ!」
レンヤが聖剣アストルディに魔力を込めると、金色の光が天までのびんばかりに大きくなる。そして、そのままガベルドーバの放つ泥の塊事、ガベルドーバを一刀両断した。まるで、一撃必殺、あっけなく幻獣は倒れた。
「思ったより、弱いな……」
レンヤが剣を鞘に納めたと同時くらいに、キッカが叫ぶ。
「まだだッ!」
その緊張感のある鋭い声にレンヤは、再び臨戦態勢に引き戻される。超大な魔力の奔流。真っ二つになったガベルドーバの身体が縫合されるようにくっついて元通りになってしまった。
「おいおいおい、瞬間回復……いや、だったら頭も心臓も同時に潰したら復活しないだろ。なんだ?」
レンヤは何が起こったのか分からずに驚くが、彼女には何が起こったのかが分かった。だからこそ、注意を促す。
「復元術式。それもあの規模となると、あの幻獣……神の手先かも」
彼女は「神の手先」と表現した。魔女が神に反逆する存在だというのはよく知られている。それゆえにレンヤもキッカも不思議には思わなかった。
「だが、ガベルドーバは何体もいるだろ?それが全部神様に改造手術された化け物だってのか?」
彼女は「改造手術……?」と首を傾げた。なお、ガベルドーバは神が創った神造生物の1体ではあるものの普通の神獣や魔獣、幻獣と同様に生殖可能であるため複数いるのは不思議ではない。ただ、今、彼女たちの目の前にいるのはその原体とも言うべき最初の個体であることは間違いないだろう。
「とにかく、なんであれ、あれをやっつけるには大規模な魔法で一気に消滅させるしかないんじゃないかな?」
彼女は言う。だが、それこそ、あの氷林を作ったような大規模なものでなくては話にもならないだろう。先ほどと同じ結果が目に見えている。
「そんな大規模なの誰が使えるんだよ」
レンヤはそんな愚痴を漏らす。難しいだろう。少なくとも魔女でも、龍殺しでも難しい。
「せめて魔女が2人いれば……」
そんなことを彼女が言った。魔女……6人しかいない超常の存在。2人いれば、ガベルドーバを殺すのはたやすいだろう。
「ん、奴の様子がおかしい」
ごちゃごちゃと話していると、ガベルドーバは徐々に地中に潜っていった。まるで根を張るかのように。それこそがガベルドーバの習性の1つ、根洞冬眠。中にその身を埋めて力をつけるために数日眠るものである。寝ている間は硬い部分のみが地面の上に出ているため攻撃はほとんど通らない上に、地面ごと消し飛ばすような魔法を使っても復元してしまう。とても厄介な魔物なのである。対処方法は、放置して逃げて、その後誰かが被害に遭うことに目をつぶるか、目を覚ますまで待って強い状態のガベルドーバを倒すかの二択、そうキッカは語る。
「つまり、しばらくは、敵は動かないってことだよな。どのくらいなんだ、キッカ」
レンヤはその日数を聞く。その目に逃亡の意思は微塵も感じられなかった。彼女は確信する、レンヤはこのまま戦い続けるのだと。
「分からないが、獣狩り、主が付けた傷の大きさ、あれを考えると、2、3日は寝たままであろうか」
刀の鍔を鳴らすキッカもまた、逃走の意思はないようだった。彼女は負けず嫌いたちだなぁ、などと思いながらも自身も逃げる気はなかった。
「じゃあ、持久戦、かな」
そうして彼女たちは共の時間を過ごすことになる。身の上話を話したり、戦いの記憶を話したり、様々なことを通じて3人は絆を深めていく。
「キッカは、ラ・ヴァスティオンの出、だよね。あの家なら許嫁とかが居てもおかしくないと思いますけど、恋愛とかはどうなの?」
2日目も暮れて、月が見下ろす中、そのような話になった。まるで中学生や高校生の修学旅行みたいな話だが、それだけ緊張がほぐれていると思えばいいことなのだろうか。その質問に対して、キッカは彼女に答える。
「【緑園の魔女】、其方の知るラ・ヴァスティオンと我の知るラ・ヴァスティオンが同じとは限らぬが、まあ、許嫁とも言えなくもないものはいるだろうな。そも、我がホドになったのも……彼奴がそうあるのも運命とやらの所為かもしれんが」
キッカは肩を竦めてそう言った。彼女は、その言葉の半分も意味が分からず首を傾げたが、とりあえず許嫁がいる、と言う程度の認識にすることにした。そして、キッカはあまり見せない人の悪い笑みを浮かべて彼女に聞き返す。
「そう言う其方はどうなのだ。魔女ならば誑かした男の数など数えきれぬか?」
悪戯気味笑うキッカに、顔を赤くして否定する彼女。分かっていてからかっているのであろう。普段はそんなことをしないキッカが珍しくそこまで許せると思ったのだ。
「誑かしたことなんて一度もないよ!」
激昂する彼女に対してキッカは優しく笑う。そして、まるで彼女の心を覗いたかのようにキッカは言うのだった。
「レンヤのことが好きなのだろう?」
その言葉に思わず顔を真っ赤にしてしまった時点で、既に語るまでもないのだろう。だからキッカは続けて言う。
「此度の戦は熾烈を極める。我とて無事で済むかは分からぬ。それは其方も、そしてあの男も同じことだろう。それゆえに先に言うが、もし我が死した場合は、この刀を墓標として欲しい。そして、もし其方が死に、我とあの男が生き残ったら、我は其方に代わりあの男が死なぬように見守ろう。そして、其方とあの男が死したら共に墓に埋めよう。全員が没したら、その時はその時、どうだろうか」
そんな死亡フラグ満載のことを言うキッカ。この場にレンヤが居れば「なんだその死亡フラグ臭のする言葉は」と呆れていただろう。




