177話:幕間・それぞれの春休み(稲荷)
京都司中八家は仲が悪い、という基本的なことは変わらないが、何事にも例外は存在する。例えば、娘が同じところに嫁いだ市原家、冥院寺家、明津灘家はともに仲は悪くない。もともと、市原家と明津灘家は交流があり、娘同士も知り合いであったことなども関係している。
かつての司中八家である天城寺家のように、他家との関係を完全に断ち切っている家もあり、天姫谷家も当主の気性が荒かったため、交流を絶っていたが、ある事情で、当主が山籠もりし、気性の荒さも消え、他家との交流が増えた例もある。
それらの中で、最も多くの司中八家と交流を持っているのが稲荷家である。これには、様々な事情があるが、大きくは2つ。
1つは、稲荷家が神社系列の一族であるからである。現行の司中八家でほかに神社系列なのは市原家のみだ。その市原家も古い先祖に立原家があるという程度で、そこまで深く神社系列というわけではない。
そして、もう1つ、こちらのほうが大きいが、稲荷一休という存在である。古くにあり、途絶えた陰陽術を復活させ、新しい陰陽術を生み出した、現代陰陽術の祖というべき稲荷一休は、その復活させた技術を余すところなく他の家々に教えている。他の家々が理解できているかはともかくとして、その恩義は大きい。
そうした事情もあり、あらゆる司中八家からの仕事と神社として仕事、そして司中八家の仕事とやることの多い稲荷家であるが、もう1つ関わりとして他の家々と違うことがある。
それは、魔導五門とのかかわりである。正確には魔導六家とのかかわりというべきだろう。
式神召喚の陣を作り上げたのが他ならぬ稲荷家と、そして魔導五門の土御門家及び炎魔家であるのだから。それ以前からも、神社ということで魔導五門とのかかわりは深いのだが、そこで確固たるものにしたというところだろう。
「やあ、九十九ちゃん、八翔さんいる?」
この夜、稲荷家を訪ねてきたのも、その魔導五門の人間であった。ややオレンジ色の茶髪に赤みを帯びた黒い瞳。
「あら、笑火さん、すみません、父は今、表稼業中でいないんですよ。言伝なら預かっておきますが?」
炎魔笑火。炎魔家現当主である炎魔火弥の娘で、彼女の特異体質こそ受け継がなかったものの、一族の火の性質と「炎海航路」、「夜死炉火」という奇特な力を生まれ持った魔術師である。
「そっか、なら仕方ない。いろいろと渡すものがあるから、とりあえず、上がらせてもらってもいいかな?」
ここで拒否する理由もないので、当然ながら、九十九は彼女を家に上げる。彼女たちの付き合いもだいぶ長いので、当然、八千代や七雲も知り合いである。
「どうぞ、上がっていってください。それにしても最近は、ずいぶんとご無沙汰でしたね」
煉夜が初めて来たときに通されたのと同じ応接間へと向かいながら、世間話程度に九十九が話を振る。
「ああ、まあ、最近はだいぶ忙しかったからね。風塵家の当主が行方不明だから、それでいろいろとね。母さんや空葉さん、塚佐さん、史乃さん、流さんと、現状の魔導六家当主全員が話し合いだとか捜索だとかしていたから」
風塵楓和菜は、ユキファナ・エンドとの一件以来、行方不明である。そのため、幼馴染で何かと仲の良かった現当主の面々があわただしかったので、その下の代も同様にあわただしくなっていた。
「そういう九十九ちゃんは、何かいいことでもあったかな?前にあったときよりも晴れやかな顔してるけど」
前に九十九と笑火があったのは、昨年のことであり、そのころは、まだ真鈴の一件が片付いておらずストレスがたまりにたまっていた時期であり、それが態度にも表れていたのだろう。
「ええ、胸につかえていた問題が解決しましたから。これで万事滞りなく家が継げるというものです」
おそらく、真鈴が見つからないままに、当主を継ぎ、その仕事をこなしていたならば、それをしながらも真鈴探しをして、その果てにストレスと過労で倒れていただろう。そういった意味では、高校を卒業するまでに真鈴の件が片付いたのは運がよかっただろう。
「へえ、胸のつかえが、ねえ。まあ、詳しく詮索する気はないけど、九十九ちゃんは抱え込むタイプだから、それが解決したならよかったよ」
さすがに付き合いが長いだけあって、九十九の性格もよく知っている笑火であるが、それでも互いのプライベートというのは尊重する。九十九は、若干であるが秘密主義的面を持っている。それは恩恵によって人の知りえない情報を持っていることも原因としてはあるのだろうが、あまり踏み込んだ話をしない。だからこそ、笑火もそこに踏み込もうとはしなかったのだ。
「あれ、笑火さん、来てたんだ」
あくびをしながら、ぼさぼさの髪とだぼだぼのシャツで、夜だというのに今起きたかのような風貌の八千代があいさつをする。春休みで完全にだらけ切っている。
「やあ、八千代ちゃん。八千代ちゃんとは、もうかれこれ一年ぶりくらいだっけ?」
九十九と笑火は、仕事の関係で会うことも多いが、まだ正式に仕事を継いでいない八千代は、対外的な仕事はあまりないので、笑火と会うのは、笑火が家に来た時か、逆に、炎魔の屋敷に遊びに行ったときくらいである。
「そうだね、えっと……、去年の2月に会ったのが最後じゃない?」
九十九は笑火に対して敬語を使うが、八千代は使わない。それは、九十九は仕事として会うことが多いため仕事相手、八千代はプライベートでしか会わないため親戚のお姉さん、とそのようにそれぞれが見ているからであろう。
「そだ、今、あたし、火の陰陽術を鍛えてるんだけどさ、笑火さん、今度、コツとか教えてくれない?」
生来、稲荷家の陰陽師というのは、召喚の式を得意とするものが多いとされている。しかし、召喚だけではない、というのが事実である。事実、稲荷一休は、多くの陰陽術が扱えるほどに様々な力にたけていた。
今の稲荷家に流れている血には、大まかに2種類ある。稲荷古来の召喚術に対する適性の血と稲荷一休のすべてに対する適性の血である。むろん、それが開花せしめたのは、一休の器があってこそである。
だからこそ、稲荷八千代には火と風という性質だけが受け継がれたのである。召喚の才が抜け落ちた分、その才の伸びしろは非常に大きい。その反面、稲荷家は召喚を主体としてきたがために、それを育てるノウハウが不足している。
「火?召喚系統じゃなくて、そっちに進むことにしたわけ、どういう風の吹き回しなの?」
上に九十九、下に七雲と才あるものに挟まれた八千代が、懸命に努力をしていたことを笑火は知っていた。だが、それは、稲荷家の召喚系統の術式であったはずである。それを属性系統の火に切り替えたというのは意外だった。
また、火という属性に、笑火自身、思い入れがあるのも事実である。炎魔という名前が示す通り、魔導五門がそれぞれ五行を司る中で、炎魔家は火を司っている。八千代が笑火に指導を頼んだのもそのあたりが関係しているのだろう。
「まあ、いろいろとね、アドバイスっていうか……、まあ、あたしの才能は火と風だっていうやつがいたから、本当にそっちを強くしてアッと言わせてやろうと思ってね」
これまた、意外な言葉に、笑火は目を丸くした。もともと、八千代は、内弁慶なところがあるが、外向きにはあまり強い態度は示さない。だが、そんな彼女がアッと言わせたい、などというとは意外であると感じた。
「へえ、でも、あくまで魔術師だからね、炎魔は。陰陽術はそんなに得意じゃないんだ。まあ、それでも同じ系統だから教えられることは教えるけど」
陰陽術と魔術とでは、使う回路や考え方が異なる場合があり、すべてを教えるということはできないが、それでも基礎くらいならば笑火が教えられるだろう。
そんな話をしながら、応接間に通される笑火。雰囲気はいつもと変わらないが、どことなく、それについて問いかけようとしたとき、背筋が凍るような気配の出現を感じた。
「――ッ!」
普通ではない、それは、笑火、九十九ともに感じ取ったものだった。八千代だけは、それがわからなかったようだが、霊気の震えは感じた。
(なんだ、これは……。前に対面した牛魔王なんかよりも、ずっと……)
笑火は、自身の体が震えているのを感じていた。恐怖か、それとも警戒か。己でわからぬままに、体が震えていた。
「笑火さん、これは、いったい何が……?」
九十九が問いかけるが、あいにく、笑火は、それにこたえられるほど冷静な状況ではなかった。そこに転がり込むように現れたのは、七雲。
「つくお姉ちゃん、お外に、なんか!!」
七雲の大きな声で、笑火も我に返る。七雲の目は、笑火も知っていた。指摘こそしていなかったが、七雲の才は認めていた。
「そっか、七雲ちゃんは、魔力に過敏だったね。まあ、あれだけ大きな魔力が出現すれば……いや、出現しかければ、魔力に敏感な人は誰でもこうなるか」
そう、それは普通の反応であるはずだった。少なくとも、魔力がわかる人間ならこうなるという範囲。しかし、それは七雲が次のことを言うまで、である。
「巨大なドーンってのと、2つの金色のドーンってのが、向こうにあるの!」
2つの金色、それは、あの魔力以外に2つ、魔力が……それもこの京都からすら感知できるほどの魔力があることを示していた。だが、素人ではない笑火が、わかっていない。七雲の目には、笑火の感知以上の何かが移りこんでいるのだ。
「金色の、ドーン……?」
七雲の言葉はあまり要領を得ないが、しかし、九十九にはいくつかわかるものがあった。だからこそ、ため息をつく。
「はぁ……、もう、また煉夜君、か。もう、今度はどこで何をやってるやら」
そんな風に言いながら、この状況で、司中八家としてすべきことを考え始める九十九。おそらく煉夜がかかわっている、そんなことを念頭に置きながら、笑火に話を始める。
「笑火さん、あの巨大な気配の出どころがどのあたりかわかります?現状がどうなっているのかはわからないですけど事後処理にしろ、現在進行形にしろ、隠ぺい等は政府に要請しなくてはいけませんから」
その物言いに、笑火は眉根を寄せた。隠ぺい等、と九十九は言った。しかし、通常ならば、この状況で、解決のために連絡をするはずである。まるで解決しているか、解決することが決まっているかのようであった。
「隠ぺいだけでいいの?」
だからこそ、簡素にそう問いかける。それに対して、九十九は笑って答える。
「彼に解決できないなら、この辺にいるだれが行ったってどうにもなりませんよ。それに、2つ、ということは、最低、彼に並ぶだけの誰かがそこにいるということです。それなら、まあ、大丈夫でしょう」
あまりに自信満々といった九十九の答えに、笑火は思わずあっけにとられた。こんな九十九を今まで見たことがない。
「彼って、誰の事?」
「さぁって、だれでしょうね?」
薄ら笑みを浮かべ、笑火の追及を適当に流す九十九。その雰囲気に、笑火は飲まれつつも、九十九に言われた通り、行動を開始するのだった。




