174話:幕間・それぞれの春休み(千奈)
ふとした拍子につかれていることがある。特にこれといって激しい運動や疲れるような行動をした覚えがないにも関わらず、である。しかしながら、自分が常にスマートフォンを触っているし、姿勢が悪いのも自覚していたから、そういったところから疲れが来ているのだろうと、特に気にしていなかった。
だが、今回は、少し違う。どっと気が抜けるように、意識を奪われた。まるで自分の全身から根こそぎ明け渡したかのように。
「ってことがあったんだけどさー、ビョウキかなー」
そんな風にのんきに友達に連絡するあたり、彼女の性格を表しているような気もする。特に物事を重く受け止めないという点において、彼女は相当だ。
「はぁ?それダイジョブなん?千奈ってばいつも無理……してないけど」
紅条千奈に友人は多いが、プライベートな話をするのは2人だけだ。もっとも、その友人は悪友と評するのにふさわしいだろうが。正直、悪い噂は絶えない2人である。
「ええー、とったん、いくらほんとのことだからって言っちゃダメだよ。チナっちももしかしたら疲れるようなことしてるかもしんないしー」
千奈と呼ぶほうが、六佐十迦、チナっちと呼ぶほうが遠海桃瀬。2人とも援助交際から万引きから、様々なうわさが立てられている。それとつるむ千奈も自然とそんなうわさが立つ、かに思えたが、幸いに千奈はそこまで変なうわさが立つようなことがない。
なぜなら、2人は事実だが、千奈に関しては無実だからだ。常に一緒、というわけではないが、休みの日もほとんど一緒に行動している十迦と桃瀬とは違い、千奈は週に一日は絶対に休まないと次の週にはひどい頭痛と倦怠感が襲うのだ。
そういう事情もあり、無理をしていないともいわれるのは納得のいくことであった。そして、その千奈がいない日、いない時間に、2人は援助交際をしている。万引きは無実であるが、万引き紛いのことはやっている。とことん悪友である。
「でもアタシらが徹夜でヤって、そんあと学校行っても倒れたことないし」
十迦があっけらかんという。ちなみに、この状況は、3人で顔を合わせているわけではなく、SNSアプリで同時に通話しているだけだ。
「それはとったんが途中でトぶからでしょ。その点モモは正真正銘徹夜でヤれるけど」
この手の話題になると、いつも千奈は置いてけぼりになる。別に千奈としては貞操観念が非常に強いということはない。その辺は、この2人とつるんでいることからもわかるだろう。
「にしても、千奈も早くヤったほうがいいと思うんだけどなー、あの、なんつったっけ、幼馴染も転校してきたんしょ?」
その十迦の発言に、思わず息が詰まり、むせ返りそうになる千奈。煉夜が幼馴染だということは伝えてある。
「ちょ、レンちゃんとはそういうんじゃないって!」
そもそも、千奈にとっては、あくまで幼馴染である。極幼少期に結婚の約束などをした覚えはあるが、もはや時効としている。
「そ、そだ、そんなことよりカダイ終わったの?」
話を逸らすために千奈はそんな風に話を逸らす。ちなみに、学年が変わっても春休みに課題がないのは変わらない。しかし、ある場合は除くのだ。
成績不良による進級困難と思われる場合。一応、まじめに授業を受けて、数学と理科だけなら成績のいい千奈はともかく、十迦も桃瀬も、どちらも学校をサボタージュ気味なうえに、成績がすこぶる悪い。
だからこそ、春休み中の補習と課題で何とか進級させるための試みである。学校側としても進級できない生徒を出すというのは外聞が悪い。だからこそ行っているのだが、
「ちょ、千奈、せっかく忘れてんのに」
「そうそう、あんなのやんなくていーの」
もっとも、彼女たちのように、それすらも出ないしやらないという生徒も一定数いる。
私立山科第三高校は、私立というだけあって、受験時期は、公立の高校よりも早い。だからすべり止めとして受ける学生は一定数いる。山科第三高校は、進学校というわけではないし、可もなく不可もなくというレベルの学力であり、学力に自信がない中学生の多くが山科第二高校か第三高校を受験する。
女子ならば私立九白井高校という手もあるが、山の中にあるため通いづらく、また、普通科と理数学科、外語学科との学力差による学内ヒエラルキーという問題もあり、すべり止め受験は少ない。
そうして、本命に落ちた生徒がそれなりにいるため、どうしてもやる気が出ないという生徒はいる。そのほかにも、二年生の勉強についていけなくなって、だんだんやる気がなくなるということもある。
そもそも、進学校ではないという時点で、有名大学に行くのは難しく、就職するか、そこそこの大学に進むかである。推薦もそうそうもらえるものではない。もっとも、この代に関しては、推薦をもらえる水姫と煉夜が揃って推薦を受けないので若干チャンスが広がっているが、それでも狭い枠には変わりない。
しかし、十迦や桃瀬のように、完全に女子高生としても逸脱した遊び惚けは珍しいタイプである。そもそも高校に入らなければよかったのだから。まあ、彼女たちが高校に入った理由はいくつかあり、一つが千奈が進学したこと、他にも「JK」という肩書はそれなりに遊びに効力を持つこと、近所の目を気にして、などだ。
「えー、でも、こんどサボったら、マジでリューネン確定って言ってなかった?」
さすがに学力が足りず、補習も来ないような生徒を進級させるわけにはいかないため、そうなればもう一度二年生をやる、つまり留年になるだろう。
「あー、それは大丈夫だよ、チナっち。もう数学以外のセンセは落としてるから」
「そそ、あとは、あのババアだけなんだよねー。どうすっかな?」
とにかくまともに勉強する気がないような2人に、千奈はため息をつく。幸い、数学は得意な教科であった。
「仕方ないから、カダイは手伝うよ。もう」
ため息を交えながら、千奈がそういうと、それを待っていたかのように、2人は笑う。付き合いの長さから、こうなることは分かっていたのだ。
「しゃー、マジ神。さっすが千奈神!」
しかし、その言葉に、千奈は微妙な顔をする。「神」という呼称があまり好きではないからだ。
「まぁーアタシは、神じゃないけどね」
神とは主であり、自分が主ではない、などという宗教染みた考えが浮かんで、千奈は首を振った。
「んなことはどうでもいいってチナっち。そんなことよりも、とったんは手伝ってもらってもどうにもならないんじゃない?」
どんぐりの背比べでしかないが、桃瀬は比較的勉強ができる。しかし、十迦は部活と遊びしか頭にない。ちなみに、十迦はスポーツ推薦による入試なのですべり止めとかではない。走ればエースだが、あまり出ないので部員たちからは倦厭されがち。
「んなことないっての。桃瀬こそ、髪いじってバッカだから気づいたら終わってないーって泣きついてもしんねーし」
桃瀬は幼少期からずっと水泳をやっているせいで、髪が塩素で傷んでしまっている。そのため、丹念に手入れしないとボサつきが取れないのだ。
「もぅ、2人ともケンカばっかしてると手伝わないよ」
さすがに、補習や課題の話は分が悪いのか、十迦が話題を変えようと、懸命に別の話を持ち出す。
「あ、ああ、ああ、そうそう、千奈、知ってる?」
「知らない」
そんな風に、どうにか課題の話から方向転換する。次の話題は、新学期についてだった。
「現社でさ、毎年、あれが出るらしいよ。どっかの博物館の展示を見て感想書くってやつ。正直めんどいけど、それやったらテストがそれなりでも成績上がるらしいよ。ま、就職するから関係ないんだけど」
就職と成績が全く結びつかないというわけではないが、基本的には入社試験と数度にわたる面接で合否が決まる。面接の際に話題に出されることはあっても、どのような内容を学んできたのか程度で、成績が悪いからどうこうというのはあまりない。だからこそ、十迦と桃瀬はあまり関係ないと割り切っている。
「へぇ、そうなんだ。でも、あそこの展示って、ちょうどゴールデンウィークのころに変わるんでしょ?」
正直、進路をあまり考えていない千奈にとっては、成績を上げておくことには越したことがない。推薦入試には、成績がかかわってくるからだ。もっとも、千奈の成績では、3年前期がすべて5でも推薦はもらえないが。
「あー、なんだっけ、前にヤった古美術商のおっさんが言ってたわ。新しい仮設展示は、黄金の像だったか何だったかって」
桃瀬が記憶にある知識を開示した。それからもいろいろと話は尽きない。自分に分が悪い話題が来たら方向転換し、それを繰り返す。
そうやって笑いながら、夜は更けていく。
太陽とは偉大なるものである。そして、太陽をはじめ、様々な自然現象は、太古に神としてあがめたたえられた。それら神の名を刻み、神の子とされた者たちがいる。
「……ようやく、か。長かった。長かったが、もうじき、たどり着く」
それは黄金の像だった。カタカタと音を立て、動く様子は、呪われているといわれたら間違いなく信じるであろう。
黄金と黄金はひかれあう。黄金の像は、黄金の国へと導かれる。それまで、あと約一か月である。
「余は、決してお前を手放さぬ。お前の信仰を、この数千年受け続けた。それゆえに……」
流れはすでに生まれた。ハトホルが冥界に導かず、環の中へと導いたのも、すでに小神殿を築いた時から決まっていたことである。
黄金は今、目の前に……。その金色の輝きとともに世界を染める日は、徐々に近づいているのだった。




