173話:幕間・それぞれの春休み(火邑)
「ホムラちゃん、準備できた?」
大き目のバッグから荷物を漁る雪白火邑に、扉を開けて部屋を覗いた相田きいが、そんな風に話しかけた。火邑は、今、相田家に泊まりに来ている。そもそも、火邑は、あまり雪白家に寄り付かない。
もともと、束縛を嫌う性格のためか、雪白家の気質が合わないのだろう。それでも頻繁に帰ったり、顔を見せたりするのは、煉夜の行方不明が後を引いているのだ。自分もいなくなったと心配されるのは困る、というよりも、いなくなったと思う不安感を一番知っているからだろう。
「うん、きいちゃん」
相田きいの家には、頻繁に訪れている。小柴の家にも数度、行ったことがあるが、大きな家は落ち着かないのだろう。火邑としては、泊まる場合、きいの家か千奈の家にしか行かない。千奈の家は、雪白家からも遠いため、行くまでに時間がかかることと、千奈の友人も頻繁に来ているために、ブッキングの恐れがあるという問題もある。
もっとも、火邑の生来の人柄か、迷惑がられるということがない。人に好かれるため、そのあたりは問題がないのだが、それでも、一応、理由をつけて泊まりに来るあたり、気にしているのだろう。
今回の名目は、勉強会である。来年で高校二年生になる火邑、きい、小柴であるが、前世のことから数学系にはめっぽう強く、また、幼いころからの英才教育でほかの教科も並外れている小柴とは違い、きいも火邑も成績は真ん中くらいである。
しかしながら、火邑の周囲はみな、それなりに頭がいい。学年トップクラスの煉夜や同じく学年上位から外れたことのない水姫、ああ見えて理科と数学だけは得意な千奈、先にも上げた小柴。そうなると自然と比べられてしまう。
特に、親族に優秀な人間が多いと、である。きいはともかく、火邑は常に比べられている。もっとも、本人は、それをそこまで気にしない性格である。束縛を嫌うということは、そういったしがらみも嫌いなので、ほとんど気にしていない。だが、それでも比べられるものは比べられるのである。だから、それを返上するための勉強という名目で春休みの間、きいの家に泊まりに来ているのだ。
陰陽師としての修行のこともあるため、常に泊っているわけではないが、相田家でも火邑は半ば、娘のような扱いを受けている。
「じゃあ、お風呂入っちゃおうか」
きいと火邑は、一緒に風呂に入ることが多い。小柴とともに泊っているときは、小柴を誘うが、小柴はあまり人前に肌をさらさない。もっとも、それはきいのほうがそうであるのだが。
相田きいは魔刻に侵されている。陰陽師の一族である火邑には見える可能性もあるのだが、幸いにして、火邑に陰陽師としての才能はない。正確に言うならば、魔力を見るという才能がない。しばらくの交渉ののちに、火邑ときいは一緒に入るようになったが、小柴は現在も拒んでいる。
もっとも、小柴は、皆で風呂に入ることに抵抗があるわけではない。もともと、向こうの世界では、民家に風呂などはないし、貴族や王族の家でもなければ、基本的に風呂などはない。だが、まれに、公衆浴場などがある都市もある。それゆえに、それ自体には抵抗がないのだが、どうにもスキンシップの激しい小柴との入浴には、危険を感じてしまうのだ。
そして、小柴の直感は間違っていない。
「おっふろ~、おっふろ~、ふろふろ~」
謎の歌を口ずさみながら、火邑は、服を豪快に脱ぎ捨てる。基本的に、周囲の目を気にしない火邑は、さすがに男性の前でも、ということはないが、女性の前、特に友人の前では、裸だろうが何だろうが気にせず見せる。
一方のきいは、魔刻のこともあるが、生来の気質というか性格というか、人前で裸になることが恥ずかしい。自身の体に自信がないということもある。
「きいちゃんもはっやく!」
一枚一枚脱いでいくきいは、火邑に比べて、どうしても脱ぐのが遅くなる。この後、洗濯籠にまとめて入れるにも関わらず、丁寧にたたむのは、きいの性格だろう。一方、人様の家にも関わらず床に衣服を投げ捨てたままにしているのも火邑の性格というべきか。
「ほ、ホムラちゃん、待ってよぉ」
最初のころは、体にタオルを巻いていたきいだったが、すぐに火邑にはぎ取られることから、もはや無駄だと悟り、やめている。
「今日の入浴剤は何かな?」
ここ最近は、火邑が買ってきた入浴剤を入れるのが定番となっている。きいの父はともかく、母には非常に好評だ。もちろん、それはそれなりに高い入浴剤を火邑が買っているからというのもある。
火邑は基本的に、小遣いを遊楽にしか使わない。服に使うこともあれば、小物に使うこともあるし、本であったりゲームであったり、果てはトレーディングカードゲームやコインの収集、ゲームセンター、旅行、食い歩きと、見境がない。
部屋は女の子然とした部屋ではあるが、その実、押し入れには、とんでもない量のかつての遊楽の証が眠っている。火邑のSNSを見れば、その時に何にはまっているのかがわかる。
食べ歩けば、店や食べ物の写真であったり、旅行であれば名所や駅の看板の写真であったり、ゲームセンターであればやっている様子や取った景品であったり、小物集めであれば買った小物、服であったら服の写真と着た写真、とにかく何でもかんでもSNSに画像を上げている。
だからこそ、お金がないように思えるかもしれないが、その実、割と貯めている。金のかからない遊楽の時もあるし、そもそもに、雪白家はほかの一般の家と比べれば十分に裕福であるため小遣いもそれなりである。遊楽としてバイトをしたこともある。もっとも、中学生を雇ってくれるようなところは三鷹丘にもほとんどなかったので、あまり稼げなかったが。
そういうこともあり、他人の家に泊まるときの土産は、それなりに金をかけている。今回の入浴剤も、その辺のスーパーマーケットなどに並んでいるものではなく、専門店のものを取り寄せている。
香りや色だけではなく、泡や効能もきちんとしている。相田家の女衆(きい、きいの母、火邑)に一番喜ばれているのが美肌効果。きいの父もその効果を実感するほどだった。あまりうれしくはないようであるが。
「今日は薔薇爆弾!入れると泡が出て、その泡を割ると薔薇の匂いとかがするんだって!」
ピンク色の丸い物体こと入浴剤を3つほど持つ火邑。本来は1回の入浴につき、1つ使用するのだが、その辺は火邑の気分なのだろう。ちなみに、薔薇爆弾は正式名称ではない。いくら何でも女性人気のある入浴剤にそのような商品名はそぐわないだろう。
「へぇ、そうなんだぁ、なんかいいね、薔薇爆弾」
もっとも、きいはその名前が気に入ったようであるが。ちなみに商品名はB Bath Bubbles。通称BBB。最初のBはビッグだったりビューティーだったり、いろいろな意味を重ねている。重ねてはいるが、きっとその中にBombは入っていないだろうと思う。今回は、その中の薔薇の香りである。
「ふふんふんふふん~、ふんふんふふん~」
陽気な鼻歌交じりに、火邑は3つの入浴剤を湯船に放り込む。みるみるうちに溶けて泡となり浮き上がってくる。
「へぇ~、いい感じだね、きいちゃん」
「そうだね、割ったら匂いが溢れるんだっけ?」
そう言いながら、「えい」と泡を割るきい。途端にフローラルな香り、というか、薔薇の香料の香りが漂う。これが薔薇の香りであるのか、と問われて、そうであると断言できるほど薔薇にたしなみのないきいと火邑であるが、2人ともそんなことを気にするような性格ではない。
きいの家の風呂は、そこそこの広さを持っている。と、いっても、あくまでそこそこである。一般的な風呂場の面積は、1.5m×1.5m程度と考えていいが、きいの家は、1.5m×2.0mで約1.25坪に届かないくらいの広さである。大人2人で入っても、若干狭い程度だ。
人の肩幅は、多めに見積もって60cm、メートル換算で0.6m。肩を並べるくらいの余裕はあるということだ。
火邑が座っているバスチェアは、持参品であるものの、半ば相田家に置きっぱなしになっているため、相田家のものといっていいかもしれない。
そこに座った火邑は髪を洗い始める。一方、きいは体から洗い始めていた。これは、火邑がシャンプーを使っているから、ということもあるが、もともと、きいがそういう洗い方をしていたというのもある。
基本的に、魔刻がコンプレックスのきいは、洗ってどうにかなるわけではないが、それでもそこから懸命に洗ってしまう。コンプレックスが生んだ、無意識の癖のようなものだ。
ちなみにどうでもいいことではあるが、火邑は、髪、胸、股、腹、背中、太もも、腕、足の順で洗う。きいは、全身くまなく洗ってから髪であり、体、髪の順番以外は特にない。
そもそも、髪の長さで言えば、きいのほうが長い。ツインテールにしている関係で、それほど長く見えないが、ほどくと、その長さがわかる。
そのため、髪を洗うのも時間がかかるのだが、やはり性格だろう、丁寧に時間をかけて洗っている。
だから、さっさと洗い終えた火邑はすでに湯船に使っている。泡をつぶしながら、きいに話しかける。
「きいちゃんはイメチェンとかしないの。ほら、春休みデビューみたいな」
きいの恰好は基本的に夏も冬もあまり変わらない。制服の生地の差はあれど、基本的にはカーディガンを羽織っている。
「えぇ……、高校デビューならまだしも、春休みデビューってあるの?」
いわゆる高校デビューとは、高校入学を機に、思い切って装いを一新することである。髪を染めたり、ピアスの穴をあけたり、肌を焼いたり、逆に髪を真っ黒にしたり、肌を白くしたりすることもある。いわば、中学生までの自分との別離を形から入ったものである。
「え、でも、夏休みデビューとかあるじゃん。それに春休みは短いって言っても宿題もないし、それこそ、みんなセッ」
「うわああああ!ほ、ホムラちゃん、急に変なことを言わないでよ!」
「え、別に変なことは言ってないよ?」
そんなやり取りをしながら、火邑ときいはゆっくりと風呂に入っていた。
風呂から上がると、火邑はロクに拭きもせず、髪から雫が滴ったまま、雑に服を着始めた。それを見かねたきいが、ドライヤーとタオルで火邑の髪を乾かすなどのひと悶着の末に、30分近くかけて寝間着に着替え終わった。
きいはいわゆるパジャマ寝間着であり、火邑はネグリジェだ。ネグリジェはシースルーの素材でできているが、火邑は当然中にきている。締め付けを嫌うのでスポーツブラと短パンであるが。シースルーから透けて見える中身にしては色気がない。
「さってと、ここから夜通しパーリナイって言いたいけど、寝よっか」
火邑は基本的に昼夜問わず騒げるタイプであるが、きいは夜には眠くなる。さすがに火邑も寝ている人を横に1人で盛り上がれるほどの性格はしていない。
「ふぁあ……、うん」
あくびをしたきいは、もう若干まどろんでいる。布団に入ればすぐに寝てしまうだろう。火邑はにっこりと笑って、布団で寝息を立て始めるきいを見ながら、リモコンで部屋の電気を消すのだった。
夢、そう、夢としか言いようがない。降り積もる雪。一面とまでは言わない銀世界と、それを赤黒く染め上げる何か。普通ではない光景。だからこそ、夢だと思った。
「ちょっと、月、いくら何でもやりすぎじゃない?」
火邑の視点はどうやら、女性のようで、その女性が、誰かに話しかける。そこに立っていたのは、白いチャイナドレスの女性。雪の降る環境下ではありえないほどの薄着であり、かつ、その白い服は、雪と同じように赤黒く染まっていた。
「あら、――、あなたもワタシの二つ名、知ってるでしょ?」
妖艶な笑み、とでもいうべきか、そんな笑みを浮かべた彼女に、背筋が凍るような怖さを覚える。
「【血の女王】、ねえ。怖い怖い」
肩をすくめ、チャイナドレスの女性をからかうように笑う。それほどに気安い仲なのだろう。
「あら、そういう――もやりすぎではなくて?」
周囲の雪景色を見ながら、そんな風に肩をすくめるチャイナドレスの女性。それに「え?」と本気で首をかしげる。
「あのねえ、同系統の【氷の女王】が有名すぎるからあれだけど、あなたも十分にそっちでは規格外なのよ。その辺の自覚は持ちなさいね」
そんなやり取りを見ながら、ぼーっと、この夢の意味を考える。女性の視点が横に動くと、タヌキが顔を出していた。タヌキに化かされたのかな、などと思いながら、火邑は後で自分の式神を呼ぶことを考えていた。
翌朝、神奈川県では、その夜、最悪が訪れようとしているが、そんなことを知らない火邑ときいは、普通に起床する。そして、起き抜けの2人は、そろって「ふぇ?」と妙な声を出した。
きいは、一瞬だけ、火邑の瞳が紫色に輝いて見えたため。火邑は、きいの体に刺青のように走る淡い光が見えたため。
だが、互いに見えたものは、すぐに消え、己の中で気のせいということで処理されていくのだった。




