168話:暁燃ゆる空、我が名を刻め
煉夜たちが居間でラウルから事情を聴取しているのと同刻、大森家から西方、足柄山地奥部、旧風間。西園寺家当主たちのいる本拠地とは別に、風魔忍軍の待機地として用意されている風魔の里である。
風魔の里には、家という家は存在せず、小屋といより四阿のような外観のものだけがポツポツと存在する。何せ忍である以上、大半が外で任務を行っている。それゆえに、屋敷は一件だけである。
それこそが、風魔の当主たる南十字家の屋敷である。もっとも、家でこそあるが、その多くの部屋は、壁がなくてはならないものを保管する場所である。
例えば、忍が多用する麻痺薬や毒薬などを粉末にしたものは湿度管理や温度管理なども重要で、かつ野ざらしや雨ざらしにするわけにもいかないので、屋敷に保管している。ほかにも、秘伝書や文言条などの巻物や書物、房中術の稽古場など。
その一室、鬼の間にたたずむ少女。風魔忍軍の次代を背負うものとして、次の風魔であると名高い、南十字イリノである。
南十字家は、その頭領を「風魔」とし、その名を継承する一族だ。その継承者候補の筆頭として皆から認められているのがイリノであった。南十字家は、世襲制ので、時代の当主がイリノ以外となれば、その家が南十字家となる。
しかし、全員が「風魔」という忍里の子孫であるため、本人たちにしてみれば、全員家族同然である。だからこそ、だれが頭領となろうと、付き従うことができるのだ。逆に言えば、イリノが認められているのも、純粋に実力であって、現頭領の娘だからということでは決してない。
「イリノ、雇った異国の娘がやられたようだな」
そのイリノに声をかけたのは、鳶だった。ただの鳶ではない。人語を理解し、人語を話す。インコやオウムのように模写し繰り返すのではなく、人と同様に。
「雇ったんは、大おじさんであって、うちちゃうで。それよりもどうやたん?戦闘の様子は見とったんやろ?」
鳶は首を横に振る。確かに彼は、そのために呼び出され、その仕事を全うした。しかし、全うこそすれど、完全とはいかなかった。
「いくら目のよい忍鳥、その中でも鳶といえど、やつの感知域外からでは、姿もまともには見えなんだ。しかし、戦いは苛烈であった」
忍鳥。忍の鳥である。忍者は、ある程度、動物を飼いならしている。人なら警戒する場所でも、動物ならば容易に潜り込める、そういった場所は多い。また、動物ならではの特性というものもある。犬なら嗅覚、猫なら聴覚、鳥なら空を飛ぶことができる翼、そういったものを貸してもらうことで、より多くの情報を得るのだ。
「……ホンマに人間なんか、その感知域を持つっちゅうやつは。おとんや大おじさんの情報には、そんなやつ居らんかったやろに」
南十字風魔は、現状、西園寺後取の護衛に専念しなくてはならない以上、大森家の様子を直に探るなどできない。そして、西園寺家に連れて行っている使える忍は、ほとんどが行軍の準備をしていて手が空いていない。もともとは一定数の手が空いたものが偵察に行き、残りが準備という形をとるはずだったのだが、後取の無茶な命令のせいで、人形使いのように使いつぶされてしまっているため、多くが寝たきりだったり、意識がない状態だったりだ。
これで、南十字風魔が直に偵察でもしていれば、話は違ってくるのだろうが、後取は、自身の保身に全力を出している。なんどきも、風魔を遠ざけない。
「人間ではあるだろうが、果たして、イリノと同じといっていいかは微妙であるな」
この場合は、いろいろな意味で、だろう。煉夜が人とは思えないほど規格外であるという意味でもあり、イリノが通常の人とは違うという意味でもある。
「うちの場合は、確かに人間とはいいがたいかもしれへんけど。でも、そうなってくると厄介なんは、禁黄と金糸雀だけやないってことやろな」
禁黄と金糸雀、この場合は、通称のような扱いである。敵に対するコードネームとでもいえばいいのだろうか。当然、禁黄は檀のことを指す。金糸雀は宮だ。
「そもそも、本当に厄介なのは、禁黄のほうであって、金糸雀単体ならば警戒するほどのものではないがな」
鳶はそういうが、イリノは、宮を警戒していた。それは、宮だからだろう。イリノは不思議と、宮という人間を尊敬している。
「そういうんを油断っちゅうんや。油断大敵やで。しかし、まあ、人間らしからぬ人間も含めてやけど、どうしてこうも敵さんは強いやつを抱え込むんやろな。まあ、こっちが悪いことしてるから、いいやつが味方に付くっちゅうことかもしれんけど、世の中そないに都合よくいくもんとちゃうし」
イリノは、自身の行いを「悪」と断じた。西園寺家、南十字家、両家が従える家々、その中で、唯一、自分たちの行いを悪というのはイリノだけである。
暗殺、襲撃、様々なことをやってきた。むろん、イリノだけではなく、南十字家に携わるもの、皆である。それらを彼女は悪と断じた。
しかし、彼女の場合は、だからやりたくない、というのでも、だからやりたいというのでもない。
忍という存在そのものが「悪」であると客観的にとらえて、それでもなお、その必要性を理解し、そうして行動しているのだ。決して、自身を「善」として、無意味に暴走することなどはない。その聡明さこそが、彼女を次期頭領として認めさせる言い知れぬ何かであるのだろう。
「さてな、しかし、考えてもみろ。数の力というのは強大だ。そして、普通の存在ならば、こちらにつくだろう。しかし、人の域を超えたものだ。そこに数の脅威などは感じないだろう。そして、そうなったときに、劣勢であるほうに同情するのは常ではないか?」
鳶の言葉に、いまいち、ピンとこなかったのだろう。だから、鳶は、しばしうなり、言葉を付け加える。
「遊びだ。遊びを想像してみろ。ふむ、例えば野球だ。よくは知らぬが、まあ、例えに使うくらいはできる。特に野球を好いていない人間でも、特に同郷であるなどのことがなければ、劣勢のほうを応援するであろう。もしくは、あれだな。童の遊びで、人数が足りぬ時、多いほうには入らぬだろう。あれだ、つまり、人間の域を超えた者どもにすれば、この戦いなど児戯に等しいのやもな」
むろん、それは鳶の勝手な言葉であり、煉夜は、遊びだ、などとは思っていない。だが、思っていようがいなかろうが、そのようなことはどうでもいいのだ。
「ま、人やろうが、違うかろうが、遊びやと思ってようが、違うかろうが、んなことはどうでもええわ。ただ、言えることはただ一つ。勝たなあかんちゅうことや」
勝てば官軍負ければ賊軍、などという言葉がある。このまま、大森家と戦って、負ければ、それこそただの反乱で終わりだ。勝たなければ意味がない。それをきちんと理解していた。
「では、あれを呼ぶのか?しかし、あれは、イリノでも御せぬじゃじゃ馬。どうする気だ」
イリノにも切り札は幾多ある。しかし、それを十全に使いこなせるほど、修練を積んではいない。だが、それでもやらねばならぬと決めたのだ。
「まあ、いうこと聞かへんかったら強制送還したるわ。さすがに、人間らしからぬ人間いうても、人間や。本物のバケモンには敵わん……はずや」
そもそも、忍鳥などの動物たちは、いわば式神である。それでいて、通常の式神とは違うものだ。飼いならしているというように、契約を結んでいるわけではない。その利点は、本来契約できない存在すらも呼び出せるということだ。一度、開いた扉を何度も開ける。それが風魔の秘術。それにより、一度、召喚したことのある存在は、何度でも呼び出せる。
だからこそ、存在する切り札がある。しかし、それは人に御せるものではない。だが、それでも、覚悟を決めた。
「せやから、やったろうやないの。そのための準備はもうできとるし」
鬼の間とはそのための間である。何かを召喚するための場所であり、そのための霊気を満たす場所でもある。そうすることで、扉を開きやすくするのだ。
「忘れていないとは思うが、気をつけろよ。あれは、どんな守りもたやすく引きちぎる。前に開いたものが、どうなったか覚えているはずだ」
イリノは十二分に理解していた。どうしてそうなったのかを。記憶にも新しい。すべてが一瞬だった。
「黒い髪が気に食わぬ、そういうて、一飲みにされてもうたな。まあ、理不尽やろな。そんな理不尽な存在を相手にするっちゅう覚悟はできとった。幸い、髪は黒ちゃうし」
イリノ、という名前からもわかるように、ハーフである。本名は、イリーナ。しかし、その名前を知っているのは両親だけで、ずっとイリノで通してきている。だから、彼女の髪は銀色だ。
「ふん、今度は、白い髪が気に食わぬと、爪で一刺しにされるやもな」
「いやなこと言わんといて」
そんな軽口をたたきつつも、イリノ自身は、真剣だった。勝つためできることは何でもする。命ある限りは、だが。
「はてさて、吉と出るか、凶と出るか、それとも人死にが出るか、やな。まあ、失敗しても成功しても、どっちにしたって人死には出そうやけど」
そう言いながら、地脈に力を流す。この風間の地においては、例外的に、風魔の一族が地脈の管理をしている。そして、その地脈の力を使うからこそ、呼び出せる超大な相手がいる。地脈に力を流し、それを呼び水として呼応させ、莫大な力を溢れ出させる。溢れ出した力はすぐに消費しないと辺りに自然現象という驚異となって襲い掛かるが、この場合は扉を開くのに使われるので心配はない。
「――地脈より抜き出、神明なる力よ、我が元に扉を開け、来たれ、……来たれ!」
部屋に光が満ちる。夜明けの空のような光が。暁の光が、縦横無尽に鬼の間を駆け巡る。巨大な扉が開かれようとしていた。その強大な力は、周囲に満ち溢れる。扉の向こうにいるその存在の脅威が、開かれる前から溢れ出していた。
実際に眼前にすると、その恐怖は桁が違う。それでも歯を食いしばって、イリノは扉を開いた。




