165話:豹変者にして神遣者
調子に乗って塀に大穴を開けたせいで、大森家の住人はその振動で眠気を吹っ飛ばされた。その後、檀、宮、夜宵の3人でたっぷりとっぷり煉夜をしかりつけて、十字架を庭の隅に積み上げ、居間で少女を寝かせて、ようやく一段落ついたところである。
「それにしても、君にしては手こずったようだね。そんなに手ごわかったのかい?」
横たわる少女の方を見ながら、鷹雄がそんな風に言った。寝ている様子を見る限り、そんなに手こずりそうには見えない。ただの少女だった。しかし、煉夜と死闘を繰り広げているのは事実である。
「ああ、かなりの手練れだった。それに無鉄砲すぎてな。何をしてくるか全くわからないってのがちょっとな」
武器に仕込まれている道具の多さもそれを助長していた。あの武器がなければ、煉夜もここまで手こずることは無かっただろう。
「では、縛っておいた方がいいですかね?」
そんな風に聞いたのは、檀だった。確かに、縛っておくに越したことは無いだろうが、煉夜はその心配はないと思っていた。
「いえ、大丈夫でしょう。あの武器がなければ簡単に取り押さえられると思いますし、厄介な詠唱も、速度では俺に負けていますから」
近接武器がある状態ならいざ知らず、生身では、煉夜の魔法を避けるので手一杯だろう。本来、あの短文詠唱で早期決着を狙い、それよりも早い詠唱があった場合は、接近戦に持ち込んで始末するのが彼女のスタイルだ。近接戦闘に持ち込めない以上、完全にとは言えないものの安全だろう。
「それにしても、ここで構えて、敵の行動を待つというのはやはり後手に回りすぎている気がしてならないんですが、どうにかして敵より速く敵に行動を起こしたいところではあります」
そもそも、常に迎撃態勢を整えて、この局面を乗り切ろうとしているのが檀の考えであった。襲撃が落ち着くまでやり過ごす、そう言う積極性に欠ける考え方をしているのは、煉夜にとってはあまり良くないものだった。
しかし、そうなってしまう理由も分かっていた。敵の拠点が分からないことが第一である。そして、第二が、敵の勢力規模が分からないこと。そして最後、第三に、檀達が基本的に戦えないことである。
これらのことから、後手に回らざるを得ない。もっとも、敵の拠点が分かっていたところで、檀達が先手を取ろうとしたかは非常に微妙なところである。
「まあ、煉夜っちは、先手を取りたいタイプだからねえ、仕方ないか。でも、あたしたちは、そんなに戦力がないんだよねえ」
宮の言葉は事実だった。この場にいるものだけで、相手の本拠地を攻め落とせるだろうか。まあ、煉夜と鷹雄が入れば不可能ではないだろうが、それでも万が一がある。特に相手は南十字忍軍を抱えている。暗殺等はお手の物だろう。
「助っ人とかはいないんですか?」
この状況である。居るのならとっくに救援を求めているだろう。しかし、北大路夫妻がいなくなることは、事前に決まっていたはずだ。なら、誰かしら信頼のおける外部の人間を呼ぶこともできたのではないだろうか。
「……確かに、助っ人を呼ぶという手段もありました。ですが、それは本当に最終手段だったのです」
助けを求めたい状況であったし、助けに来てほしい人はいた。だが、この家の些事に、呼んでもいいのかと、悩む。呼べば必ずと言っていいほどに助けをよこしてくれるだろう。しかし、本当にそれでいいのか、と悩む。檀も宮も夜宵も3人揃ってさんざん悩んだ。
「今日……いえ、もう、昨日ですか。昨日、煉夜君が現れなかったら、中空宮堂に逃げこんで、どうしようもなくなったら、きっとわたしはあの人に連絡をしていました。でも、貴方が来てくれた。わたしはそれを天啓だと思ったんです。あの人に頼らない道が示された、と」
その人物が誰か、というのは、つい数刻前に話していた宮との会話から察しがついていた。そして、それほどに、その人を大事にしている、大事に考えているのだろうということは良く感じられた。
「あの人は、迷惑だ、とか面倒だ、とかきっと思わない。私達を純粋に助けにくる。だからこそ、私もマユミちゃんもミヤも、呼ばなかった。ううん、呼べなかった」
まだ若い檀達は、三鷹丘を出てすぐに、大森家へと戻ってきている。そのため、どうしても交友関係のネットワークが薄いのだ。ましてや当主代理とはいえ、当主ではない。だからこそ、本当に信頼のおける人間がそうそう見つからないのだ。
「まあ、確かに、そうでしょうね。迷惑だ、とか、面倒だ、とかそんなことを思わずに人を助け続けたのだから、その人は、今も、こんなにも慕われているわけですし」
煉夜も直接の面識はないから、あまり分からないが、しかし、そう言う人間なのだろうということは分かった。
「ええ、まさしく」
そんな風に誇らしげに言う檀。しかし、煉夜は、言葉を続ける。
「だから、幾人も嫁を貰いハーレムを築いている、というのは、まあ、本当に凄い人だな、と思います」
少なくとも、煉夜が知っている限りで4人。雷司の母、紫炎と裕華の母、華音、そして、裕華の伯母の裕音、冥院寺家の律姫。他にも多く居ると聞いている。
「うぐ……、まあ、優しいから選べなかったってことですけどね!」
檀はヤケクソ気味に返事した。そこまで庇わなくても、そこはそこでダメと言えばいいのに、とののかは思わないでもなかったが、口に出すと年下なのでとことん弄られるからスルーした。
「それよりも、みなさん、どうやら起きたようですよ」
美乃が皆に言う。起きた、その主語である「誰が」というのは、すぐに理解できた。眠っていた少女である。
「ん、んぅ……。ここは、一体……?」
煉夜の、ではなく、彼女の多言語理解によって、最適に翻訳された言語が、皆に届いた。煉夜からの話にあった苛烈さなど微塵もなく、年相応な雰囲気がにじみ出ている。
「話と随分違うような印象を受けますが、これは、一体?」
檀達も、煉夜が嘘を吐いたとは思っていない。ただ、何かがある。そう思ったのだ。
「う、……すみません。わたし、戦う時は、どうも性格が変わってしまうみたいで。っと、家までお借りしているのに名乗らず、というわけにはいきませんね。わたしは、ラウル。ラウル=フレーヴです」
その言葉に、煉夜は、思わず目を見開いた。ラウルという名前には、聞き覚えがあったからである。
「あの、わたしの赤い十字架と白い十字架はどちらに」
すぐに十字架型の兵器を指しているのだと分かり、鷹雄が置いてある先を答える。
「庭に積み上げてあるよ。取ってこようか?」
鷹雄の言葉に、ラウルは慌てたように首を横に振った。流石に部屋に持ち込むには大きいし、あれがあるとすぐに戦闘態勢に入ってしまう。
「それにしても……、んん……、うん?貴方が、大森檀さんですよね?」
懐から写真を取り出し、それと見比べながら、確認するように問いかける。その写真は、確かに檀の写真であった。
「ええ、わたしが大森檀ですけど」
檀をジッと見つめて、しばし、ラウルは大きなため息を吐いた。人を見つめてため息など失礼甚だしいが、彼女に檀を馬鹿にする意識はない。
「鬼、と聞いていたんですが、どうにも。この国の鬼は悪魔と聞いていたんですが」
日本で言う鬼などの妖怪は、確かに悪魔に例えられることがある。西洋での恐ろしいものと言えば、悪魔だからである。
「生憎だが、君の考えるような悪魔の類と鬼は根本的に別物だ。存在意義そのものが違う」
そう、煉夜は言った。その言葉に、ラウルは首を傾げる。どう言う意味か、問いかけているのだろう。
「端的に言えば、悪魔は人を貶め、欲望に溺れさせる。鬼は人を襲い、人を食らう。君らの怨敵である悪魔とは根本的に違うんだよ」
その物言いが、まるで自身のことを知っているかのようで、ラウルはきょとんとした。知る者などいない、そのはずだ、と頭の中で考えるも、
「そうだろう、『特使会』の豹変者ラウル」
その名を出されては、認めざるを得なかった。目の前の人物は、自分のことを知っていると。
「貴方は、一体?いえ、待ってください。あの立ち振る舞い。黒い髪。まさか、咎負い人の眷属の獣狩り!」
獣狩りのレンヤ、その知名度は、裏の界隈において、著しく高い。それこそ、僅かでも裏の世界の情報を持っていれば知っているものだった。もっとも、獣狩りのレンヤと魔女の眷属を同一に見ているのは、かなり裏に入り込んだ人間か、煉夜が明かした人間だけであるが。
「はじめまして、だな。豹変者。噂はかねがね聞いていた。しかし、あんな武器を使うとは聞いていなかったもんでな。名前を聞いて、初めて気づいた」
その言葉は、本当だった。「特使会」は特に、一から八の全ての方に散らばっているために、地方ごとで情報の偏りが生まれる。煉夜も豹変者ラウルという名前程度しか聞いていない。
「その豹変者と呼ばれるのはあまり好きではないです。それよりも、獣狩りにこのようなところで会うとは思いませんでした」
「そりゃ、俺もだ。ナヴレウスは元気か?」
お互いに、この世界で会うとは思っていなかっただろう。しかし、出会ってしまった以上、受け入れるしかない。
「はい、彼は、貴方への再戦を望んでいましたよ。『今度こそ、あの脳天勝ち割ったらぁ』って」
「そいつは怖いな。まあ、会えれば、の話だけどな。
さて、それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
次章予告
豹変者ラウルの情報により、ついに敵の本拠地が判明する。
一方、西園寺家・南十字家もいよいよ攻撃を開始しようとしていた。南十字忍軍、その頭、南十字風魔。その跡を継ぐ者として名高い、南十字イリノが部下を引き連れて動き出す。
大森家の謎、檀の力と宮の力、それらが明かされた時、いよいよ決戦の夜が訪れる。
――ここにあるは太陽か、月か
――東西南北の家がここにしのぎを削る
――第六幕 十二章 大森西園編




