163話:十字架は天より振り下ろされた・其ノ一
あらぬ方向を見る煉夜を、宮は不審に思ったが、すぐに鷹雄が駆け付けたことで、敵襲だということを理解した。いくら宮でも、この状況で分からないということは無かった。しかし、2人の様子が妙であるということにも同時に気付いた。
「どうかしたの?敵襲、なんでしょ?」
宮の問いかけに、2人して頷く。しかし、表情は、未だ微妙なまま。どうしたことか、と感知の出来ない宮では、理解しようもない。
「おかしいと思わないか、鷹雄。この気配……」
その問いかけに、鷹雄は頷いた。おかしい、それは、気配が異質であることもさることながら、その数である。
「一人だ。それも人形を連れているわけでもなさそうなのが、また、おかしいね」
煉夜も鷹雄も、相手が本格的に動いてくるという予想はしていた。しかし、その敵は軍で率いる、所謂軍勢であると考えていたのだ。されど、向かってくる気配は1つ。それも、速度的に、人形を操りながら、というわけではない、真っ向から突っ込んできているのだ。
「北大路夫妻が抜けたことで完全に舐めてかかっているのか?」
敵が大森家の主力が北大路夫妻であると睨んでいる、そう予想している煉夜と鷹雄は、だからこそ、ここで一気に畳みかけてくると思い、考えていた。その予想を裏切る単騎特攻に、正直、驚きが隠せないのだ。
「流石に、敵もそこまで馬鹿じゃないはずだけど。そうなると、揺動かな?」
1人の敵が囮になって、注意を引き付けている間に、別動隊が襲ってくる。これが、この状況で最も可能性のある説だった。
「だとしても、単騎で揺動というのもな。油断できない相手だというのは、気配からも分かるが……」
それならば、普通は逆なのである。大軍を揺動として動かし、注意を引き付けたところで、突出したものを裏からこっそり差し向けるという方が、納得がいく。
「まあ、ともかく、不寝番をしていた僕が見に行こうか。その方が道理だろうし」
この状況を考えると、その方がいいだろう。煉夜の武器であるスファムルドラの聖剣アストルティは、客間に置いたままだ。その点、鷹雄の武器はどういう理屈か、いつでも取り出せるようであった。
「鷹雄、お前、多数を相手にするのは得意な方か?」
唐突な煉夜の問いかけに、鷹雄は、一瞬だけ眉根を寄せながらも、きちんと答える。
「正直、得意ではないかな。昔は、最終的に一対一の果し合いになることが多かったし。でもまあ、できないわけじゃない」
できないわけではない、というのは、それはきっと煉夜も同じだろう。むしろ、煉夜は、今まで、大きな存在を相手にしてきたため、小柄な人間との一対一は、そこまで得意ではない。だが、それ以上に、苦手なものがある。
「実はな、多数を相手にするとき、手加減が難しいんだよ。俺の場合、魔法も剣に込める魔力も、感覚だよりなんだが、今まで、人間相手ってのが少なくてな。ついやりすぎる。下手したら、この家が瓦解してるやもしれん」
使い慣れているアストルティでさえ、そうなのだから、煉夜にはどうしようもない問題であると言えた。
「それは、魔力を込める対称が剣だけだから、っていうのもあるのかい?」
見透かしたような鷹雄の発言に、煉夜は苦笑した。しかし、そんなことで話を途切れさせている場合ではない。
「仕方ない。向こうは煉夜君に任せるよ。僕は、この家を守ることに専念するさ」
「悪いな、鷹雄」
煉夜は、そう言いながら、急いで客間に、アストルティを取りに戻った。その間も、接近する敵の気配には気を配っていたし、だからこそ、急いでいたのだ。敵が大森家に差し掛かる前に迎え撃つ。それが最善の手であることは理解していた。
帯剣した途端、煉夜は、勢いよく飛び出した。それは敵に向かってではない。庭に向かってだった。煉夜の知覚には、飛翔する何かが明瞭に感じ取れた。高速で迫るそれは、鷹雄の槍などよりも遥かに大きいものだった。
「アストルティ!!」
柄を握り、刀身が黄金の光を放つのと同時に、月明かりにより、はっきりと影をつくりながら迫るものが飛んできた。
――ガヅゥン!!
まるで、超獣の一撃を受け止めたときのような重さに、煉夜は息ができなくなりそうになった。その重圧の正体は、巨大な十字架。人間大のそれが飛来したのだから、その衝撃波計り知れない。
辛うじて、逸らして、大森家への直撃を避けた煉夜。ただの十字架とは思えないそれには、ある刻印が刻まれていた。紅葉にも似た葉の絵と奇怪な文字。煉夜は、その刻印を知っている。だからこそ、驚愕に目を見開いた。
「特使会!」
それは、煉夜がかつて、相対したことがある組織であった。一方に拠点を置く組織であるが、かつて煉夜が根城にしていた一方の魔王城とは地理的に離れていたため、戦闘になったのは宗教戦争でのことであったが。なお、この十字架はただの武器であり、別段神聖視されていたわけではない。
十字架が、まるで意思を持つかのように宙を舞い、敵の方へと戻ろうとする。煉夜はとっさに、それを追いかける。その先にいる、異邦人を目指して。
そこにいたのは、黒衣の少女だった。黒衣は黒衣でも、忍装束ではない。修道服である。ウィンプルの隙間から見えるのは金色の髪。まだ、あどけなさの残る少女とも言っていいほどの幼い外見。そして、その幼さとは裏腹の狂気。おおよそ普通の修道女らしからぬ存在。そして、赤い大きな十字架と白い大きな十字架。どちらにも「特使会」の刻印が刻まれている。そして、「特使会」の修道女たる彼女の身体にもその刻印は刻まれている。
「ああん?写真とは別の奴が釣れたか?まあ、いいや。どいつもこいつもぶちのめせばよぉお!」
おおよそ修道女とは思えぬ言葉遣い。されど、それに見合うだけの狂気を彼女は纏っていた。およそ、彼女を普通の少女たらしめるものはなく、にじみ出るのは、そこはかとない狂気だけだった。
「猛ろ、狂え、爆ぜろ!炎河十字!」
その雰囲気に圧倒されていたからか、それとも、少女の放つ魔法が早かったから、煉夜は、対応が一瞬遅れる。そして、三語の呪文だけとは思えないほどの莫大な威力の魔法が煉夜に襲いかかる。
フィンガースナップと同時に水の魔法が放たれ、炎の魔法とぶつかる。しかし、炎はまるで衰えることなく、かといって、森を焼くこともなく、煉夜へと迫っていた。まだ、距離はある。互いに目視し合う距離であったものの、互いの常人離れした視力が幸いした。
通常、人の表情を識別できる距離が12メートル、顔を識別できる距離が24メートル、活動を認識できる距離が135メートル、人が居ること自体を識別できる距離が1200メートルとされているが、煉夜達は、魔力で視界を強化することで、その距離を遥かに引き延ばしている。
(ただの水では消せないか。いわば聖なる炎とかそういう類なんだろうな)
聖なる炎、簡単に言ってしまえば、「聖火」である。聖火は、神にささげる火であり、儀礼的な意味を持つが、その特性上、神への献上物であるがために、神が得た瞬間に、高位の現象へとすげ代わる。発生はただの火であっても、それが聖火となった段階で、火ではなくなるのだ。
それゆえに、ただの水では、より高位にある聖火には干渉できない。できるとするならば、清められた「聖水」であろう。しかし、煉夜がそんなものを持っているはずもない。
「【我が主が名を持って告げる――
霊脈の底、悪辣なる神の血、深き眠り、
六の願い、八の守護、導き手は我が主の心の中、
――天より落つのは月空の涙、すなわち『創生』の水】」
出力はかなり絞ったが、幻獣緑猛弩亀との戦いで使った創生の魔法である。神への叛逆者である魔女の魔法であるが、創生の水はいわば「聖水」であった。それゆえに、少女の放った火炎を消し飛ばすことができる。
「吠えろ、叫べ、苦しめ、鳴け、泣け!!氷の墓標っ!!」
しかし、消し飛ばしたのもつかの間、超大な氷の十字架が生み出され、振り下ろされようとしていた。
「炎に氷、得意も不得意もへったくれもねえなぁ!」
流石の煉夜も、あの魔法を無詠唱でどうにかできるはずもなく、かといって、詠唱するには、時間が足りない。だからこそ、氷には、氷で対抗するしかなかった。幸い、ここは森の中。民家も、大森家程度である。
アストルティを放り、胸の宝石へと手を当てた。もはや引き出す武装は決まっている。あの氷をどうにかできるだけの攻撃力を秘めた幻想武装は、煉夜の持つ中では3つしかない。だが、氷には氷と言ったように、引き出して存分にやれるのは、1つ。
「生じよ、[結晶氷龍]」
手に生じるのは、透き通る刀身を持った剣。そして放たれる極寒の冷気。迫る十字の氷塊に、それを向けた。
氷塊と地面が氷の柱で結ばれる。重心の関係で、重い氷塊によりせん断力が働き、氷の柱は呆気なく倒れた。ただし、誰もいない方向へ。
「叫べ、轟……」
「させるかよ!」
少女が次の詠唱を始めた瞬間、煉夜は、切っ先を少女へと向ける。冷気が少女を襲い、とてもではないが、少ない音の詠唱も間に合わない。
「チッ!」
少女は、咄嗟に、赤い十字架を冷気にぶつける。そして衝突の瞬間、冷気が弾けた。何が起きたのかは分からないが、それが十字架の効果なのだろう。
それでも、その隙を作れただけで十分だった。その頃には、もう、地面を蹴って、煉夜は、少女の眼前へと迫っていた。少女は、右手に赤い十字架、左手に白い十字架を持つ。両方が人間大のそれを片手で持つのは常人では不可能だが、もはや今更だろう。
「うおらっ、祈りやがれ!せめてあの世では平和に暮らせますようにってなぁっ!」
振るわれる白い十字架を煉夜は水の宝具、「流転の氷龍」で受け流す。流れるような動作で迫る赤い十字架は、足で蹴り上げるも、流石に重く、一筋縄ではいかないようだった。




